大分『教育』の読後感を休んでしまった。また、できるだけ頻繁に書くようにしたい。
さて、今回は、特集1が「インクルーシブと特別支援を深く知る」となっている。私は、特別支援教育の専門家ではないので、これまで、いろいろと勉強したり、また、特別支援学校の授業を見に行ったりしてきたが、依然として、よくわからないというのが正直なところだ。記述式問題を出すのはいいが、50万人もの答案をわずかな期間で採点できるのか、というようなことと、似た困難が、現場には無数にある。大学を卒業して教師になったとき、ほぼ全員が直面する事態が、教室のなかにいる障害をもった子どもを、どう教育したらよいのかわからず、暗中模索するという点である。ベテランになったから、充分にできるようになるというものでもない。多くの場合、介助や支援をしてくれる人がついているわけではないから、常識的にイメージされる「授業」は不可能になっているわけだ。「ともに学ぶ」という理念はいいことだろうが、それを保障する条件がないままに実行すれば、現場を預かっている人が、とにかく苦労する。そういう実状が、かなりあることは、誰も否定できないだろう。 “『教育』2020年1月号を読む インクルーシブと特別支援を深く知る” の続きを読む
カテゴリー: 教育
小中学校2学期制再ブレーク?
12月14日毎日新聞に「小中学校・2学期制、再ブレーク? 「通知表3回もらえぬ」不人気一転… 年35時間増、授業確保に有効」という記事が載っている。働き方改革が進むなかで、新学習指導要領で増加した授業時間数をこなすには、2学期制のほうがよいということで、人気が復活しているという記事である。何故、授業時数を増やせるか、働き方改革になるかというと、始業式、終業式、通知表の回数を減らすことができるということのようだ。
これまで、通知表を夏休み前にほしいという保護者の要望があり、2学期制は不人気だったのだが、現場で望む声が多くなっているということだろうか。文科省によると、2018年度では、小学校19.4%、中学校018.6%が2学期制だが、記事によれば、来年度からはもっと増えるということだ。
しかし、働き方改革をしようという姿勢はわかるが、すっきりしないものを感じる。 “小中学校2学期制再ブレーク?” の続きを読む
給特法改正案が成立 これで教師の過剰労働が解決するとは思えない
教師の過剰労働の深刻さは、待ったなしである。というと、必ず「いや、まじめな教師は大変だが、教師はさぼろうと思えばかなり楽な仕事で、楽している教師もたくさんいる」という議論が出てくる。確かに、それは間違いではない。授業は毎年同じようにやれは、それほど準備をしなくても、なんとかこなせる。係などもできるだけ引き受けない。義務ではない仕事も引き受けない。そうすれば、楽な仕事だ。実際に、勤務終了時間になるとさっさと帰ってしまう教師もいる。また、生徒間のトラブルや保護者対応なども、真剣に取り組まないと決めこんで、関与しなければ、ストレスもたまらないに違いない。
教師には超過勤務手当がないかわりに、超過勤務を命令できる項目は、「生徒の実習関連業務・学校行事関連業務・職員会議・災害等での緊急措置など」と定められており、厳密にいえば、これ以外は拒否できる。もちろん、部活の顧問なども断ることができるので、最近はなり手が減ってこまっているわけだ。
楽をしようと思えばできることがわかる。しかし、多くの教師は教職に対する誇りと情熱をもって取り組んでいると思う。 “給特法改正案が成立 これで教師の過剰労働が解決するとは思えない” の続きを読む
教師免許希望者が減少 その理由を考える
以前、教員採用試験で志願者が減少しているという話題について書いたが、今回は、そもそも大学において小学校教師を目指す学生が減少しているという話題である。私の勤めている大学は、教師の養成で有名で、教師を目指す学生がたくさん応募する。私の所属している学部は、教育学部ではないので、純粋に教師養成の学部ではないが、教師の免許が取得できるので、教師をめざして入学してくる学生が多い。しかし、ここ数年来、明らかに異変が生じている。 “教師免許希望者が減少 その理由を考える” の続きを読む
高校必修科目に古典は必要か?
題名のようなシンポジウムがあり、その記録に論評を加えた本が出版されているそうだ。そのダイジェストを紹介した文書を読んだ。「高校必修科目に古典は必要か、あなたはどう思う?」という西野智紀氏の文章である。https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58339?utm_source=editor&utm_medium=mail&utm_campaign=link&utm_content=list
シンポジウム当日は、否定派、肯定派二人ずつ意見を述べたそうだ。しかも、否定派の人も微妙に意見が違うし、肯定派も同様。
理工系の教授である猿倉氏は、必要なのは「論理国語」で、古典教育は、年功序列や男女差別を刷り込むツールとなっているので、有害だと主張しているという。最も、だから削除せよということではなく、選択の芸術科目にすべきという見解のようだ。
元東芝の前田氏は、同様に、論理的な文章がかけるようにするリテラシーの教育が必要で、古典は選択にし、現代語訳で充分という意見。
肯定派は、社会系の教授である渡部氏は、古典は、主体的に生きるための知恵を授けるものということで、情理、複雑な心理状態、自分を見つめる方法を教えてくれるとする。
文学部の福田氏は、自分の国の文化を知る権利があり、知の世界に入り込め基礎が古典であるとする。伝統芸能を大切にする日本の姿勢は貴重であると評価する。
このあと討論になるが、どうやら、肯定派が不利な感じで進み、それは、反対論に対する更なる反論をしないことで、露になっているという。 “高校必修科目に古典は必要か?” の続きを読む
大学入学共通テスト 記述式問題はやめるべき
以前にも書いたが、最近いろいろな団体が、大学入学共通テストの記述式問題をやめるべきだという主張をしているので、同意の意味で、何故やめるべきなのか、詳しく書いてみる。
試行テストで、記述式の問題が出ているが、はっきりいって、記述式としての意味をなしていない。通常の解釈問題で、選択肢から選ぶ問題とさして違いがないのだ。こんな問題を「記述式がある」という触れ込みのみの意味しかもたない一方、膨大な採点業務が発生し、しかも、公平な採点がなされのかという不安もつきまとうようなテストになる。積極的な意味を見いだすほうが困難だろう。
入試センターが実施する試験において、記述式問題をいれるべきでない理由は主にふたつある。 “大学入学共通テスト 記述式問題はやめるべき” の続きを読む
「いじめで退学」が認められなかった?
11月15日の西日本新聞に「 いじめ認定に「二重基準」 福岡の女性、退学届拒まれ苦悩」という、すっきりしない記事が掲載されている。記事でも「首をかしげる」という表現が使われているので、記者にも、不思議な感じがしているのだろう。しかし、後半部分については、問題があるので、書いてみる。
記事の内容は、次のようなことだ。
県立高校一年のYさんが、10月の定期試験がよく、友人Aに「試験どうだった?」と聞くと、「察して」と言われ、相手を傷つけたと思い不安になって、教室にいられなくなった。保健室にいるとAさんとBさんが昼食に誘ってくれたが、Bさんは口をきかない。別の日友人と昼食をたべていると、Bさんがお菓子を配ったが、Yさんと何人かには配らなかった。いじめと感じた母親が学校に連絡、学校はBさんから「悪気はなかった」と回答をえたが、保健室と食事のときのことをいじめと認定した。Yさんは不登校になり、SNSでもこじれてしまい、退学届けを提出した。理由は、「いじめ」だった。
高校側はいじめを理由とする退学は認められないということで、「トラブルのため」と理由を変更して12月に退学が受理された。
これが事実関係である。
この経過を見て、なるほど退学せざるをえないほど、大変だったんだろうな、と感じる人は、おそらくあまりいないに違いない。 “「いじめで退学」が認められなかった?” の続きを読む
教育再生実行会議批判 いじめ対策2
提言を読み進めていくと、次第に気持ちが萎えていく。多くの人は、この提言をみて、いじめ対策への方向性を掴んだ気持ちになるのだろうか。根本的な感覚が違うという印象なのだ。
「3.学校、家庭、地域、全ての関係者が一丸となって、いじめに向き合う責 任のある体制を築く。
いじめを早期に発見し、いじめられている子を社会全体で守っていくためには、学校がいじめ対策の方針を定めて明らかにし、子ども一人一人と向き合うことのできるチームとしての責任のある体制を整えるとともに、学校・家庭・地域・関係機関の緊 密な連携体制を日頃から構築しておかなければなりません。」
何か提言をしたり、あるいは行政にかかわっているひとたちは、「一丸となって」とか「全体の協力」という言葉が好きだ。しかし、教職員が本当に「一丸となっている」「全体の協力」がきちんととれているような学校では、深刻ないじめなどは起きないのだ。教職員がグループ化していがみあったり、協力関係が壊れているときに、いじめが発生しやすく、また深刻化しやすい。そういう職場に、「一丸となれ」「全体で協力しろ」と外部から「提言」されても、そんな状況が改善されるはずもない。いがみあったり、協力関係が壊れるには、それなりの理由があるのだから、そこを是正しなければ、改善などされないのである。 “教育再生実行会議批判 いじめ対策2” の続きを読む
教育再生会議提言批判 いじめ対策1
大学入学共通テストにおける民間検定試験の採用が、教育再生実行会議の提言によるものだったが、この会議は現在までに、11もの提言をだしている。ひとつひとつ丁寧な批判的検討が必要だが、私は外国研究者なので、それをやってこなかった。この機会に、すべての提言の検討をしようと思った。今回は第一回提言「いじめ問題等への対応について」に関して検討を行う。(提言はすべて元号表示であるが、西暦に直して記す。)形式としては、コンメンタール的な形式で行う。
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はじめに
いじめに起因して、子どもの心身の発達に重大な支障が生じる事案、さらには、尊い命が絶たれるといった痛ましい事案まで生じており、いじめを早い段階で発見し、その芽を摘み取り、一人でも多くの子どもを救うことが、教育再生に向けて避けて通れない緊急課題となっているからです。
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「はじめに」の部分では、第一次安倍内閣の教育基本法改正の趣旨が徹底していないがゆえに、教育の問題が生じているような書き方であるが、それはさておき、上のように書きつつ、「いじめは絶対許されない」「卑怯な行為である」との意識を日本全体で共有し、子どもを加害者にも、被害者にも、傍観者にもしない教育を実現するための提言であるとしている。
しかし、この「はじめに」の書き方のなかに、いかに「いじめ問題」を理解していないかが見て取れる。 “教育再生会議提言批判 いじめ対策1” の続きを読む
英語民間試験し中止 一人の政治家が高校生や教師全体より大事なのか
英語民間試験の導入が、突然延期された。毎日新聞は「白紙に戻された」と報じているが、今後の問題についてはあいまいだ。しっかり善後策を検討して数年後に実施したいという発表だったと思うが、そもそも無理がある制度なのだから、どうなるのかわからない。小室圭-真子内親王婚約延期なども、着地点がまったく不明だから、同じようなことが起きたといえる。
11月1日の毎日新聞は、「英語民間試験見直し 「萩生田氏守るため」官邸が主導」という見出しをつけている。記事の内容は、見出しの通りだ。閣僚2名の辞任が相次いだので、安倍首相の最も近い側近の一人である萩生田氏が辞任に追い込まれるのは、絶対に避けなければならないという「官邸」の判断で、試験の延期が決定されたというのだ。事実、文科省は抵抗したようだし、民間検定試験機関との連絡は行われていた。それも突然の延期公表で中止になった。
しかし、よく考えてみよう。一人の政治家の地位を守るために、全国の受験生を犠牲にしていいのか。もちろん、多くの人が、民間試験採用は中止すべきだと主張しており、私もそう書いたから、延期(中止)はよい。しかし、欠陥を是正して実現したいと表明していたのだから、どうやったら欠陥を是正できるかの最低限の検証を経て、やはり、今の段階では無理だとわかったから中止したいというのであれば、まだ納得できる部分がある。 “英語民間試験し中止 一人の政治家が高校生や教師全体より大事なのか” の続きを読む