今更いじめが起きても驚かないが、新学期になって立て続けに「教師による教師へのいじめ」が二件も報道されたのには、驚いた。最初は9月12日の毎日新聞「小2~3年の担任4人 2学期開始から休む 教員間でトラブル?奈良・郡山南小」という記事である。この事情は、続報がないのでよくわからないし、また、記事の内容も不可解な点がある。要するに、あるひとりの教師に対して、ある教師が厳しく接したために、他の3人の教師と一緒に、8月下旬校長に訴えた。そして、9月2日から体調不良を理由に学校を休み、連絡がとれない状況であるという。3カ月の急用が必要という診断書を郵送で提出したそうだ。校長が調べたかぎりでは、パワハラなどは確認できなかったと書かれている。
トラブルがあったとしても、1対1の関係と理解できるのに、その一人を含めた4人が一切に休暇をとるというのが、私にはあまり理解できない。休んだ4人は20代から50代だという。
そして昨日10月4日の新聞に、「無理やり激辛カレー・卑猥書き込み強要、小学校教員、同僚からいじめ 神戸」という記事だ。こちらは強烈で、既に写真などもネットに掲載され、多数のコメントが出ている。神戸市須磨区の市立東須磨小の20代の教師が、同僚4人から暴行や暴言などのいじめ行為を繰り返し受けいてたというのだ。激辛カレーは無理に食べさせられただけではなく、目に刷り込まれたなどと書かれている。そして、女性に卑猥なメッセージを送るよう強要されたと訴え、9月から体調不良で休んでいる。教委によると加害者は、30~40代の男性3人と女性一人。ネット上には、被害者の車の屋根に乗っている加害者の写真か掲載されている。毎日新聞によると、加害者は「悪気はなかった」と話しているそうだが、自宅待機を命じられている。
7月の段階で、学校管理職としては事態を把握しており、10月3日(報道される前日)に、保護者会を開いて、事実を説明し、5人の教師が休んでいることの説明をしたが、その際、口止めをしたというネットの書き込みがある。
2番目の事例は、こんごいろいろな事情がメディアに出てくるだろう。
私は、こうした現場に勤務したことがないので、部外者になるが、起きてはならないことだが、起きる可能性は小さくない事件だと思う。冷静に考えれば、現在の公立小中学校のブラック状況は、教師そのものへの行政、あるいは社会によるいじめだと考えられなくもない。いろいろ仕事をおしつけて、過労死ラインの過重労働を押しつけ、そして、超過勤務手当は払わないというのだから、これが、いじめでなくてなんだろう。文科省や教育委員会は、ずっと改善するといい続けているが、実効ある施策をとったことはない。
人間というのは、残念ながら、自分が強い者に虐げられると、その鬱憤をより弱い者に対してむけるものだ。父親が母親が暴力を振るうと、母親は子どもを虐待し、そういう子どもは、学校で弱い子どもをいじめることになる。すべてがこういう事例ではないことは当然だが、こうした事例は少なくない。だから、教師がより弱い(この場合、加害者は30代~40代だったが、被害者は20代だった)教師をいじめたとしても、よくあるパターンだということにもなる。
他方、学校の教師、とくに小学校の場合には、このような教師間いじめが起きにくい事情があることも確かだ。今は、学級王国とか、10坪主義などという、担任の学級をほぼ完全にまかされ、他の人たちの干渉を許さないという風土が以前はあった。今は、学校全体で取り組むことが、とくに問題解決では重視されているから、変わってきたとはいえ、やはり、他の学級のことは言い出しにくいという雰囲気は残っているところが多いのではないだろうか。だから、こうやって、特定の教師に対する嫌がらせ、犯罪ともいうべき行為を繰り返していたということも、やはり珍しいと思うし、また、他の教師が管理職に報告しているというのも、珍しいのかも知れない。
だから、こうした事態が生じやすい土壌と、起きにくい土壌の双方が、学校の教師集団にはあると考えることができる。
情報によれば、加害者の教師たちは、評判がよく、親たちにも受けがよかったそうだ。逆にいえば、それだけストレスのある教師生活を送っていた可能性もある。
しかし、だからといって、それで激辛カレーを無理に食べさせたり、目にこすりつけたりする、あるいは、車の屋根に乗って、傷つけるという行為は、想像を絶するものがある。なにしろ、普段子どもたちに、いじめは絶対してはいけない、と教えている教師なのだから。職場の人間が知って、管理職に報告したというのだから、学校でやっていたのだろう。7月に把握して、9月からの授業はさせないようにしたのだから、管理職としては危機感をもって対応したといえる。この教師たちは、学校に戻して、東須磨小学校の教壇にたたせることはない、と教委はいっているので、加害者たちの処分は、当然のこととして、学校としてやってほしいことは、「第三者委員会」などに任せるのではなく、学校の教師集団のなかで、なぜこういうことが起きたのか、自分たちの問題として、徹底的に究明することだ。教育委員会が、第三者委員会を設置することを否定することはできないが、学校は独自に「教育的観点から」の検証と、今後の対応を考えていく必要がある。
また、教育行政機関としては、加害者たちのストレスがなかったかどうか、それを加害者たちは、どのように処理してきたのか、また、他の教師はどうなのか、ストレスを軽減する方向での検討が必要である。第三者委員会を設置して、彼らの間違った行為の究明と、処分案を考えるだけでは、現場の改善に役にたつとは思えない。