神戸の教師いじめ事件 独自の人事制度が影響?

 10月9日の毎日新聞に、「独自の人事制度影響か 神戸教諭いじめ 児童認識、同僚は黙認」という記事がでている。まずいじめが子どもや教師に認識されていたという事例が書かれている。「先生が蹴られるのをみた」「加害側の女性教員が被害教諭を学校の廊下で蹴るのをみた」、この教員は被害教員について子どもたちの前で「私のワンコ(犬)みたいな存在や」と言い放った、そして、被害教諭から、いじめを聞かされたこともあったというのである。
 なぜとめられなかったのかという問いに対して、本人の希望を踏まえて、最長9年間同じ学校に在籍できる、神戸の市立小学校独特の制度が原因ではないか、というある市議の指摘を紹介している。そして、市教委は、「ベテランから若手まで最適な移動を返済できるよう改革する」という方針だそうだ。
 しかし、問題をそらしているのではないかという疑問がわく。9年在籍しているというのが、そんなに異常だろうか。通常教員は、6,7年で移動していく。とすれば、9年といっても、それほど大きな違いではない。まして、私立の学校では、公立学校のような定期的な移動はない。極端にいえば、全く移動なしに同一の学校、しかも同一の校舎で勤務を続ける場合もあるだろう。とすれば、私立学校では、こうしたいじめがもっともっと起きてもおかしくないはずである。私立学校の場合には、公立学校ほど不祥事が表沙汰になりにくいという事情はあるかも知れないが、それでもこれほどのことが起きれば、被害者が何らかの行動をとるだろうし、世間に知られることになるはずだ。常識的に考えて、移動のない私立の学校で、このような事例が多いとはいえないだろう。
 もし、在籍期間が長いから問題が生じやすい、だから、もっと短く、適切に移動させることができるようにする、そうすれば、問題が起きても、解決しやすくなる、という認識が示されているのだとしたらは、これは、問題を起こした教師、あるいは疑いがある教師を他に移動する、「たらいまわし」に過ぎないのではないだろうか。確かに、移動させれば、しばらくの間は、おとなしくなるだろうが、たらいまわしされた学校にとっては迷惑だし、そういう人はやがてまた同じようなことを始める可能性が大きい。
 いじめは、組織があれば、どこにでも起きる可能性がある。実際にいじめが起きるかは、所属する人たちの環境(恵まれたという意識があるか、不満が多いか)、リーダーのあり方、相互のコミュニケーションのあり方などによって左右されるだろう。円滑に機能している組織・集団であれば、在籍期間が長ければ、それだけ力が発揮されるはずである。問題がたくさんある組織であれば、むしろ在籍が短いほど、組織崩壊してしまうのではないだろうか。
 従って、移動期間の短縮で問題の発生を抑えようというのは、逆に問題解決を回避する姿勢であるといわざるをえない。このような加害教員が現われたら、移動ではなく、適切な処分と再教育をすべきものである。
 しかし、移動期間という観点からみて、現在の教育行政に大きな問題があることも事実だ。それは、校長の在籍期間である。自治体によって異なるだろうが、一般的に校長の在籍期間は、一般教員よりも短い。だいたい3年制度が多いのではないだろうか。どんな人でも、新しい組織に配属されたら、直ちにその組織を完全に掌握して、リーダーシップを発揮するのは困難だろう。やはり、一年程度はしっかりと観察する期間が必要に違いない。そして、その組織のよさを延ばし、問題点を解決する方策を考えて、前者はおおいに奨励し、やりやすくすればいいが、問題の解決には、かなりの時間が必要であるように思う。個々の教員の意識改革が必要だからである。おそらく、なんとか改善しようと努力する校長であっても、成果が少し見えてくる時期になると、移動になってしまうのではないだろうか。しかも、一般教員は、校長よりずっと長く在籍するのだから、校長の改革が正しいと思っても、今の環境を変えたくない教員にとってみれば、しばらく無視していれば、その校長はいなくなるという意識になれる。しっかりと組織を掌握して、リーダーシップを発揮できるように、校長の在籍期間をもっと長くすべきである。
 在籍期間を短く設定しているのは、公務員の定年が55歳くらいのときに、通常50歳近くになって校長になるから、数校の校長を務めるということで、在籍期間を短くしたのだろうが、現在の定年は60歳だが、事実上65歳までの勤務になっているし(嘱託という身分になるが、校長として継続する場合も少なくない)、自治体によって、年齢制限がないところもある。だから、校長の在籍期間を長くしても、複数校勤務は可能になっている。
 もうひとつ、校長にかかわって制度的な問題がある。子どものいじめ等の問題が生じる、あるいは解決できない責任の多くが教師にあるように、教員間の問題については校長の責任である。ところが、校長がそうしたリーダーシップを発揮しない場合が多い。教師たちに話を聞けば、ほとんど、一番大変なのは副校長、教頭であって、校長はずっと暇だ、という。おそらく、本来校長がやるようなことを、教頭や副校長にさせているからだろう。これは、日本の学校組織の非常に大きな歪みだと、私は思っている。一番権限をもち、給与も高い校長が、もっともたくさん働くべきなのである。しかし、具体的な校長、副校長、教頭の職務内容が詳細に規定されているわけではないから、校長は自分の仕事を副校長や教頭に代替させることができる。それで、副校長や教頭は奴隷、校長は王様などという話が流布してしまう。管理職をめざしているより若い教師たちは、それをみているから、実際に管理職になったとき、とにかく早く校長になって楽しよう、という気持ちになっても不自然ではない。だからこそ、自分を評価する校長に気に入られるように、たくさんの仕事を引き受け、つらくても耐えるのだろう。そうして校長になれば、やっとなれたということで、王様気分になる。改革しようと思っても、直ぐに移動だから、たいしたこともできない。
 こういう状況が、かなり蔓延しているのではないだろうか。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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