学校教育から何を削るか 慣習的な作法や授業方法


Ⅰ 慣習的な作法や授業方法

 ものごとは効率的に行うことが大切である。1時間かかることを、30分でできるようになれば、それはとてもよいことであると考えるし、30分でできることを1時間もかかってやるのは、大いに改善の余地があると考える。学校教育の「慣習」のなかには、非常に多くの「余計に時間をとる」ものが多い。授業時間は決まっているから、そうした慣習的時間の無駄があれば、それだけ授業の実質的内容は減少する。もちろん、理解できていないのにどんどん進むのは、むしろ効率に反する。もちろん、教師によって、授業のやり方は異なるから、一慨にこれは無駄ということはできない。あくまでも、以下のべることは私の私見であるか、教師の判断で減らせる内容ばかりである。こうした考えもあるのかと参考にしてもらえればと思う。
 私が無駄と感じている最たるものは、教師が質問し、子どもが挙手し、さされた子どもが立ち上がって答える。最近は、「いいですか」と当の子どもがみんなに問いかけ、「いいです」との答えがあると、座るという一連の行為がある。
 このやり方は、時間の無駄であるだけではなく、いくつかの教育上の問題を含んでいる。 “学校教育から何を削るか 慣習的な作法や授業方法” の続きを読む

マスク争奪戦に敗北? 休校措置なのに教職員は勤務?

 AERAdotに「マスクブローカーが暴露『世界的争奪戦に敗れる日本政府』の実情『供給増』はウソだ!」という記事が出ている。一向にマスク不足が解消しない理由が、これでよくわかった。こんなことだろうとは思っていたが、要するに、多くを輸入に頼っているのだから、商品(マスク)を買いつけしなければならないわけだが、購入方式の固執、そして、日々動いている値段の無視、あるいは無配慮によって、購入合戦に負けているから、輸入できないのだということが、媒介しているブローカーによって説明されている記事だ。
 日本の官僚って、いつからこんな無能になったのだろう。おそらく、データ改竄・隠匿や忖度を日常的にせざるをえない状況のなかで、士気が著しく低下しているのだろう。
 理容室やパチンコが、業界やIR絡みであるとの報道もある。
 更に、どうも理解できないのが、学校への対応だ。休校措置をとっているのに、教職員は出勤している。もちろん、学校でないとできない仕事などはあるだろうが、東京などはテレワーク可能な条件があるはずであるし、また、ないとしても、教師は日常的に仕事を家庭に持ちかえってやっている。だから、かなりの人数を在宅での仕事、あるいはテレワークに切り換えることができるはずなのに、ほとんど当然のように、出勤が求められている。子どもの感染を防ぐことは重要だが、教職員の感染を防ぐことだって大事ではないか。地方の学校の教師は、マイカー出勤が多いので、感染の確率は低いかも知れないが、今回緊急事態宣言が出されたのはいずれも大都市を含む自治体だ。特に東京では、車での出勤が禁止されている学校が多いと思われる。だから、職場への往復での危険はあるのだ。教師が感染したら、それだけ休校措置を延長しなければならない。
 政策の趣旨をもっと徹底する必要があるのではないか。
 

学校教育から何を削るか 運動会と合唱祭


Ⅰ 運動会と合唱コンクール

 運動会は、おそらく最も多く、通常の授業を潰す行事なのではないだろうか。
 学校の教師たちは、ほとんどが学校教育での勝者、あるいは、学校時代によい思い出をもっている人たちだから、最も重要視される行事の運動会を削る対象としてあげられると、「えっ?」と言う人がほとんどだ。大学での授業で、運動会の必要性を議論しても、多くが当然あるべきものという見解を示す。
 しかし、実は、運動会こそもっとも嫌な思い出だという人も、少なくないのだ。徒競走をやれば、確実にビリの子どもがでる。いつもビリになる子どもにとっては、運動会は悪夢でしかない。だからといって、私自身、実際にそうした経験があるという学生に出会ったことがないのだが、よく嘲笑的にだされる「全員一緒にゴール」などというのも、もちろん、実際にやるのは馬鹿げているだろう。
 運動会準備が大変であることは、現場でもかなり意識されており、少しずつ運動会を縮小する学校も出てきている。特に、異常気象で5月6月、そして秋でも暑すぎる気温の日が多くなり、練習中に倒れる子どもが以前よりも多くなっていることも影響している。 “学校教育から何を削るか 運動会と合唱祭” の続きを読む

学校教育から何を削るか(再) 1 通知表

通知表

 教育と評価はコインの表裏の関係である。教育のプロセスには、必ず評価が背後にある。従って、教師は高い評価能力をもっていなければならない。最も頻繁に行われる評価は、授業のなかで、子どもたちの反応を確認しながら、その理解度を評価している行為である。さらに、テストをしたり、宿題や提出物をチェックしながら、評価をすることで、次の授業につなげていく。もし、評価なしに授業を進めていく教師がいたら、授業の妥当性そのものを疑わざるをえない。
 そうした教師の評価に関する業務は、日常的には、試験の作成・採点(小学校は作成しない。)、宿題のチェック、授業の課題(豆テスト、ワークシート、ノート)のチェックがあり、そして、学期末の指導要領と通知表の作成がある。宿題や授業中のチェックなどを削ることはできないが、通知表は大いに削る余地がある。
 では、どの位これらの作業に時間をかけているのだろうか。ところが、かなり調べてみたが、通知表に関する時間調査を見つけることはできなかった。

通知表にどれだけ時間がかかっているか
 教師の働き方改革について審議している中央教育審議会(2017.6.22)に配布された資料のなかに、次のような調査がある。

教員勤務実態調査(平成28年度)の集計(速報値)について(概要)
    20016 2016
平日
小学校 0:33 0:33
中学校 0:25 0:38
土日
小学校 0:01 0:05
中学校 0:03 0:13

 この調査は、日常的な成績処理であり、通知表作成にかかる時間は含まれていないようだ。また、授業中に行われるチェックなどはカウントしていないと思われる。従って、通知表に費やす時間は残念ながらわからない。 “学校教育から何を削るか(再) 1 通知表” の続きを読む

休校中の教育保障 ZOOMへの恐れがあるが

 現状のまま推移すれば、休校措置は延長せざるをえないだろう。もちろん、全国的にではないが、少なくとも首都圏では、通常の形態での授業再開は危険だと思わざるをえない。学校での感染が起こったら、かなり深刻な事態となる。再開するにしても、いろいろな工夫が必要だろう。
 3つの密という概念は、学校の教室ではほぼ当てはまる。密にしないためには、空き教室の活用、部分登校、午前午後の分割授業など、いろいろな形態がありうるし、実態にあわせて、柔軟に対応すべきである。そして、いずれも、遠隔授業との組み合わせが有効であると思われる。
 現在、かなりZOOMの使用が増大しているようだが、他方で、ZOOMはセキュリティ上の問題があるという情報も広まっている。アメリカの企業などでは、使用禁止としているところもあるという。しかし、今、学校で遠隔授業を行うとしたら、やはり、ZOOMは最も便利なツールだろう。 “休校中の教育保障 ZOOMへの恐れがあるが” の続きを読む

人手不足考1

 一見関係ないのだが、私の中でけっこう結びつく2つの記事がある。多少古いものだが、ひとつは「入管拘束長期化、命がけの抗議 非正規滞在外国人--帰国も滞在もできず、家族に会えぬ」(金子淳 毎日新聞2020.3.20)、ひとつは「隠れ『働かないおじさん』がテレワーク強制で次々あぶり出された理由」(堀内亮 ダイヤモンド編集部 2020.3.30)である。
 「ダイヤモンド・オンライン」は、最近「働かない中年」の記事をなんどか掲載している。その一環だろうか、新型コロナウィルスで在宅勤務が奨励されるようになっているときに、在宅でパソコンを接続して、仕事をすることができない「おじさん」の例をあげている。
 あるおじさん社員は、在宅ワークに欠かせない会社支給のノートパソコンを持ちかえったが、電源ケーブルを置き忘れている。そして、若手社員が「この人、絶対仕事してないでしょ」とつぶやかれている。そのまま一週間過ぎたという。他に、テレビ会議にずっと「退席中」が表示されたままで、実は会議に出席していないことがバレバレのおじさん、そして、テレワークのテレビ会議のために、わざわざ出社した人等々。 “人手不足考1” の続きを読む

榛名風か ネットでの誹謗中傷との戦い ネットは匿名空間ではない

 NEWSポストセブン2020.3.29に「春名風花、ネットでの誹謗中傷被害との10年戦争を語る」という記事が出ている。芸能界にはまったく疎いので、春名風花というタレントを知らなかったが、子どものころから、ネットで論陣を張っていたという存在だが、誹謗中傷を受けて、それとの戦いの10年を紹介した記事である。(元記事は女性セブン2020.4.9号)
 私自身、パソコン通信時代にこの問題と格闘した経験があるが、まだパソコン通信の時代には、誹謗中傷の発言があっても、拡散の度合いが限られていた。しかし、インターネットの時代になって、拡散の度合いが比較しようがないほどに拡大している。しかも、ツイッターやフェイスブックでは、拡散させる手段が整備すらされているから、まったく無自覚、あるいは歪んだ正義感でどんどん拡散させていく人がいる。手動で行わなくても、ソフトに拡散させることもできる。だから、一旦誹謗中傷されたときの被害は、計り知れないほどである。春名氏は、弁護士に依頼して、書き込みをした人物、拡散させた人物を特定するための訴訟を起こし、現在も戦い続けている。ぜひ戦いに勝利してほしいものだ。残念なことに、警察の非協力的な態度なども、戦いを阻害している部分がある。 “榛名風か ネットでの誹謗中傷との戦い ネットは匿名空間ではない” の続きを読む

『教育』2020.4を読む 「学びは遊び、遊びは学び」

 『教育』4月号の第一特集は「学びは遊び、遊びは学び」となっている。かなりたくさんの文章が掲載されており、ひとつひとつ紹介・検討するよりは、触発されて考えたことを書いてみたい。
 「学び」と「遊び」の関係は、教育学の多くが、相互不可分のものと考えてきた。宗教家の教育論とか、武士の教育論などという領域では、峻別されていることが多いと思うが、少なくとも、教育そのものを専門的な対象とした学問では、学びと遊びはまったく別ものとは考えないのではなかろうか。しかし、だからといって、同じものではない。また、不可分だといっても、本当に、日々教師が学びと遊びは不可分のことだと思って、教育実践をしているかも疑問が残る。この『教育』の特集を考えた編集者、そして、寄稿した人が、心底「学びは遊び、遊びは学び」と考えているかも、質問してみたい気がする。特集のまえがきには、微妙に異なる表現もみられる。
 「遊びの中に学びがある、学びの中に遊びがある。)
 これは、イコールで結んでいるわけではなく、そもそも別物だが、相互浸透しているというようなニュアンスだろう。 “『教育』2020.4を読む 「学びは遊び、遊びは学び」” の続きを読む

大学の移転と地元の支援

 学校というのは、地域の重要な施設であると同時に、迷惑施設ととらえられる場合もある。学校は様々な面で地域に貢献しているから、そうした恩恵を感じている人にとっては、なくてはならないものだろうが、特に高齢者になって、学校とは関係なくなった人にとって、子どもや学生が地域で粗暴な振る舞いをしたり、あるいは、小中学校などは校内放送が外にも聞こえてうるさい場合がある。吹奏楽が熱心に練習している場合には、特に騒音と受け取られることも少なくない。
 私の大学も、決して地域住民のモラルに比較して、問題があるとも思えないのだが、地域住民から、クレームが来たりする。しかし、
 朝日新聞2020.3.25に、「東洋大が群馬・板倉から移転 多額の支援した地元は反発」という記事がでている。
 東洋大学は、東京が中心だが、埼玉にもキャンパスがあり、群馬のキャンパスが、都内や埼玉に移転するという記事だ。群馬板倉キャンパスは、記事によると1997年4月開設という。 “大学の移転と地元の支援” の続きを読む

学校の再開

 今日、3月24日、学校の再開に関する文科省のガイドラインが発表された。大学は、多くが新型コロナウィルスの感染が深刻になったころには、事実上の春休みにはいったところが多いと思うので、小中高のような突然の休校措置の影響は、さほどではなかったはずである。だから、休校措置になっているわけではないが、しかし、4月になれば、新学年度が始まる。近年の大学の日程は極めてきつきつなので、4月の最初からオリエンテーションなどが始まるわけである。私自身は、この3月で定年退職なので、まったく関係ないのだが、やはり、気になる。
 大学用の指針は、最初に、感染しやすい3つの条件、1換気の悪い密閉空間、2多くの人が近距離で集まっている、3近距離での会話等がないように配慮することが示されている。ところが、学校という場所は、この3つともが揃っている。このひとつですら、かなり難しいと思われる。それは大学でも同様だろう。大学で授業を開始すれば、この3つの条件はすべてが揃ってしまうことになるだろう。しかし、単位の認定などの問題があるから、いつもでも大学を再開しないわけにはいかない。 “学校の再開” の続きを読む