教育学を考える25 競争と教育1

 競争は、教育にとってどういう意味があるのだろうか。
 現在の日本のみならず、先進国では、競争が学校現場に大きな影響を与えていることは誰もが認めるだろう。特に、日本の教育は、競争なしに成立するのかと思われるほどである。しかし、皆が、教育における競争に賛成しているわけではない。教育における競争は、極めて大きな論争課題である。
 一方には競争があってこそ、人は勉強するのだから、競争を教育にとって不可欠であるという人たちがいる。多くの大人は、こうした考えに囚われているに違いない。事実、現在の特に「経済的に成功した」と考えている人の多くは、受験競争に勝ち抜いてきたひとたちが多いと思われるからだ。受験のために勉強したという実感と、努力したからこそ勝てたという自尊心が混じっているだろう。
 他方には、競争は教育を歪め、受験のための勉強でえた学力は、受験が終わると忘れてしまう(剥落)ので、有効ではないと考えるひとたちがいる。そして、特に、教師をしている人たちの多くは、後者の考えをもっているが、前者の立場にたたないと、教師の使命を果たせないと思っていて、いわば自分の信念とまわりの要請の板挟みになっているのではないだろうか。

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『教育』2021年8月号 山本論文を読む2

  山本論文に限らず、学校が教育的機能の絶対的中心にいるという信念がある。もちろん、そうした気概は教師にとって重要かも知れないが、学校は、人間を教育する場のひとつに過ぎない。学校の中心的存在である信念をもつと、現在のように、塾やネットに脅かされると、不安になる。
 次の「学校外公教育の隆盛」という部分では、学校の地位が低下することへの危機意識を感じる。だが、私からみると、逆に、戦後の数十年間が、教育システムにおける学校の位置が異常に大きすぎた時代なのだ。前近代社会では、学校に行く人間など、ごく少数しかいなかった。もちろん、人間が社会のなかで一人前の大人として生活していくためには、たくさんのことを学習しなければならないから、学校以外の教育が存在したわけだ。多くは、労働に参加することによって、そのなかで必要なことを学んでいたのであり、先輩の働き手が教師だったのである。近代社会になって、国民教育制度が成立してからも、農民などは、学校の価値をあまり認めていなかった。学校社会で勝ち残る人は、だいたいが中産階級以上のひとたちだった。そして、学校社会での競争に参加する人も、限られていた。

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『教育』2021年9月号 山本宏樹「超情報化社会における公教育の基本問題--教育・脳育・人工知能」を読む 1

 私は、大学勤務中は、教科研などの民間研究団体とまったく関係をもたないまま、学内での教育に専念していたが、定年を一年後に控えた時期に、『教育』を年間講読するようになり、熱心に読むようになって、教科研という団体が、あまりにICTに後ろ向きであることに驚いた。私は、コンピューターにあまり詳しいほうではないが、1991年に、ニフティのパソコン通信に参加して以来、コンピューターのネットワークが将来の社会を動かす基盤になることを確信したし、大学の授業にも可能な限り活用した。
 しかし、講読だけではなく、教科研の会員になってみると、不可解なことが少なくなかった。最も驚いたのは、会報が郵便で送られてくることだった。こんな会報は、メールで送信すれば、どんなに手間と費用が軽減できるだろう。年4000円の会費を払っている会員がどれだけいるのかわからないが、それほど多くないはずだ。この会報の印刷と郵送費用は、かなりの部分を占めているのではないかと思うと、これをメール配信するか、あるいはホームページでの情報発信に切り換えれば、ずいぶん会計的にも労働力的にも改善されるのではないと思う。しかし、更に、会員として過ごしていると、私のような新参の一般会員には、この教科研ニュースという会報以外、特別な利点がないのだ。事実、教科研のホームページには、会員になることの利点として、会報の送付があげられていて、それ以外はあまり利点がないのだ。

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教員免許更新制廃止はいいことだが

 文科省が、教員免許更新制度の廃止を決めたようだ。大変けっこうなことだが、それでよかったよかったというわけにはいかない。根本的な姿勢が改められなければ、別の制度が導入されるに過ぎないからだ。
  まず、報道によって、何がまずかったのかと文科省が認識しているかを確認しておこう。
・夏休み期間を使うことが、時間的、費用的に大きな負担になっている。
・役にたったと考えている教員が3分の1しかいない。
・教壇にたっていない免許保有者が失効することが多いため、産休や育休の代替教員の確保が難しくなっている。
・うっかり失効も多い。(「教員免許更新制廃止へ 文科省、来年の法改正目指す 安倍政権導入」毎日新聞2021.7.10) “教員免許更新制廃止はいいことだが” の続きを読む

読書ノート『「いろんな人がいる」が当たり前の教室に』原田真知子(高文研)

 歳をとると、本を読んでもあまり感動しなくなってきたのだが、この本は、とても感動した。教育実践録としては、津田八州男氏の『五組の旗』以来だ。原田氏は、神奈川県で小学校教師を30数年勤めたあと、定年退職しているが、この本は、これまで雑誌などで発表してきた素材をもとに、実践の集大成としてまとめたような感じだ。こんな小学校の教師がいるのかと、正直驚いた。
 これほど優れた教育実践書は、滅多にないので、教師のあり方を考えたい人には、ぜひ読んでほしい。
 神奈川県のどういう地域で教師をしていたのかはわからないが、出てくる話は、とにかく、手をつけられないと多くの教師や親が考える子どもを、たくさん抱えて、彼等とコミュニケーションをとりつつ、子どもたち同士の繋がりを、通常のクラスよりもずっと強固なものに形成していく話である。しかし、そういう実践が、すんなりいくはずもなく、どの話も、苦労の連続で、暗中模索のなかで、子どもたちと一緒に考えて、なんとか改善しようという姿勢で貫かれている。
 どんな優れた実践であっても、表面的にそれをまねることなどはできない。そして、原田先生も、最初からうまくいったわけではなく、また、ベテランになっても、それまでいじめられたり、教師に不信感をもっている子どもたちを、直ぐにまとめられたわけではない。悪戦苦闘を繰りかえして、次第に子どもたちを集団としてまとめていったわけである。その基礎には、全生研の民主主義的学級と班作りの理論があることが、随所でわかる。

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スマホは脳に悪いという科学的説明があるが?

 ダイヤモンドオンラインに「スマホが頭を悪くすると断言できる科学的な理由とは」と題する文章が掲載されている。(川口友万 2021.7.7)https://diamond.jp/articles/-/275768?utm_source=daily_dol&utm_medium=email&utm_campaign=20210707
 このような議論は多数あるが、これは、「5分間のスマホ利用で記憶に重大な障害(Mobile phone use for 5 minutes can cause significant memory impairment in humans)」(Hell J Nucl Med. Sep-Dec 2017;20 Suppl:146-154 Kalafatakis Fほか)という衝撃的(?)な論文の紹介である。原文の要約はウェブで読むことができるが、川口氏の紹介は、要約に基づいているようだ。簡単に紹介すると、(私も本文を読むことはできなかった)
・健常者64名、軽度認知障害者20人を実験群、健常者36人が対照群とする実験。
・実験群に対しては、最初に10個の単語を見せ、思い出して書いてもらう。
 スマホを使う前・スマホを5分使った直後・スマホを5分使ってから5分後でスコアを比較。

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雑感1 松坂の引退・子どものオリンピック観戦

 今日は昼間他のことに時間をとられたので、まとまったことを調べることができなかった。それで、雑感をいくつか書くことにする。
 
1 松坂大輔が引退をするという。平成の偉大な投手の引退を惜しむ声が彷彿として起こっているらしい。しかし、私は、遅すぎた引退だと思う。選手としては、晩節を汚したとしかいいようがない。甲子園の試合をほとんど見なかった私だが、松坂のときだけは、何度かみたし、例のノーヒット・ノーランをやってのけた決勝戦はずっとみていた。そのくらい、高校生のときの松坂をすごかったと思う。しかし、その後の松坂は、高校生までの遺産を食いつぶしていっただけで、激しいトレーニングによって、更なる高見に昇ったとは思えないのである。西部という球団は、大スター選手を甘やかす傾向があった。現場の監督やコーチではなく、球団経営者のことだ。鮮明に覚えているのは、まだ新人だったころに、松坂が車での交通違反をして、その身代わりに、付き人をしていた元オリンピック選手だった黒岩が警察に出頭したのである。こんなことは、黒岩の一存でやるはずがないので、球団の指示だったとしか思えない。もちろん、直ぐにばれたが、これで、私の松坂の印象は180度変わり、以後好感をもつことはなかった。

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都立高校の男女別枠定員問題について

 東京の都立普通高校のほとんどが、男女別に入学定員設定していることについて、都立高校教師の有志が、撤廃の署名を求め、また、弁護士らが撤廃を求める意見書を提出するという動きになっている。28日の毎日新聞に「「東京都立高の男女別定員は廃止を」弁護士有志らが意見書公表」という記事を掲載している。
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性別による合格ラインの差を生む東京都立高校の男女別定員制は、法の下の平等を定めた憲法や性別による教育上の差別を禁じた教育基本法に反するとして、弁護士の有志たちが28日に記者会見し、制度の廃止を求める意見書を公表した。

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『教育』2021年7月号を読む 人材育成は大学教育の役割ではないのか

 『教育』7月号は、第一特集が「大学はどこへ向かうのか」となっている。そして、最初に、基本命題を書いたような文章があるのだが、疑問が出てくる。それは後回しにして、まず書かれていることを箇条書きで整理しておきたい。
 
・21世紀の20年間は、内発的ではなく、外圧による大学改革の時代だった。
・国公立大学の法人化は、大学の自治を解体し、教育・研究の在り方を大きく変えた。
・産・官・学連携は当たり前のことになった。
・役にたつかどうかが、価値を決定し、学問の自由とは相いれない
・この状況をもっとも反映しているのは、教員養成の分野であるかもしれない。
・実務家教員の採用強制など、大学教育への直接的な介入はあとを絶たない。
・大学版学習指導要領である教職課程コアカリキュラムが自由を脅かしている
 
 内発的か外圧かというのは、いろいろな考えがあるかと思うが、決して、大学改革は外圧だけだったとは思わない。大学にとって、改革の必要性を最も強く感じさせたのは、とくに私学では、少子化による大学全入状況だった。端的に「大学冬の時代」と言われ、応募数が大きく減少すれば、存立そのものが危うくなるわけだから、大学もかなり一生懸命、改革に努力したはずである。私の勤務校でも、短大はつぶれてしまったし、専門学校もつぶれた。それらを4年制に吸収する形で改革を行ってきたわけだ。これは、純粋に内発的であったと断定はできないが、少なくとも外圧とはいえない。

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現職教員の兼業 育休中に漫画の出版は認められないのか

 6月2日の中日新聞に、「育休の男性 経験描いた漫画 書籍化不許可」という記事が出ている。普段から漫画を描き、ツイッターやブログで公開してきた著者が、出版社から書籍化の申し出があり、育休を利用して作業をすることを計画した。教育公務員は、兼業が一定の条件の下で認められているが、許可が必要であるので、校長を通して、都の教育委員会の許可を求めたところ、不許可となり、その理由などの説明をなされなかったという。そこで、都教委を提訴したという記事である。実は、私の教え子で教師をやっている人が、同じように、育休中に出版の話があり、許可を求めたところ、同じように不許可になったという話があった。これは東京のことではないのだが。
 提訴した東京の男性は、「都教委と対立したいわけではなく、兼業が認められる基準が知りたい、そして、男性教員の育休取得が低い現状を訴えたい気持ちもある」と述べているそうだ。中日新聞の記事は、何人かのコメントを掲載している。

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