入試を廃止するということは、どういうことだろうか。それは、高校での成績を規準に考えるということであり、また、資格試験を設定しても可能だろう。理想的には、大学に定員を設けず、規準を満たしている者はすべて入学できるようにすることである。アメリカの州立大学は、基本的にそうしたシステムになっている。州立大学は敷地が広く、キャパシティが大きいこと、そして、学部は理学部と文学部のふたつしかなく、教養大学であることが、そうしたシステムを容易にしている。アメリカでも私立大学は、独自の選抜システムを設定しているが、日本のように、一定期日に一定の場所に集めて、学力試験をすることはない。高校の成績、資格試験の成績、そして種々の提出書類によって選抜が行われる。大学入学の時点では、日本人のほうが、少なくとも以前は、学力水準が高かったが、卒業時には逆転すると言われていたのは、こうしたシステムによるところが大きい。
ヨーロッパでは、高校の成績と全国的な資格試験を突破すれば、大学への進学が認められる国がほとんどである。ただし、大学のキャパシティによって、第二、第三志望に廻されることがあるが、大学間の格差はあまたないので、学生にとっては拘りは少ないようだ。
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