免許更新制度廃止の次に大事なこと

 教員の免許更新制度がなくなって、その後の研修の在り方だけではなく、大学がその分の収入がなくなることが論議されているという。
 忘れている人が多いと思うが、免許更新制度は、安倍一次内閣の置き土産のようなものだ。安倍氏は、いろいろな面で、公約を実現しなかったが、教育に関しては、かなりの「実績」をあげた。私からすれば、害のある「実績」ばかりだが。最大のものが「教育基本法」の改定であり、「道徳」の教科化だった。その他、全国学力テストの復活などもある。

 
 免許更新制度が始まったときから、数年間、大学で担当の委員をやっていたので、大学としての立場はかなり理解していると思う。もちろん、大学によって対応や考えかた、また実施具合は異なるから、ひとつの受け取りに過ぎないが。
 大学としては、この制度を歓迎する面は極めて薄かったと思う。余計な負担を負わされるという感覚だった。当初大きな収入が確かにあったのだが、それは大教室でのすし詰め的な講義が中心だったからで、人数が多すぎるという受講生のアンケートで、人数をかなり絞ることになり、その後は、もちろん黒字ではあったが、たいした収入でもなくなった。教育というのは、良心的にやれば、たいした収益などあがらないものなのだ。
 研修による効果は、それほど明確にでるものではないだろうが、やっている私自身が、こんな講習受けて、すぐに教師の力量改善になるはずがないと思っていた。いまでも思っている。受ける教師の方は、どうか。もちろん、お金と時間をかけて、講座を受ける以上、何か得たいと思うだろうから、ゼロではないと思うが、わざわざ3万円と30時間を費やすだけのものをえたという実感はなかったのではないだろうか。そもそも、研修ということに対する考えが、行政側は間違っているのである。
 こういうことから、やる側としては、できるだけ速やかに、この制度が廃止されることを願っていた。だから、今年度から廃止されたことは、大いにけっこうだと思っている。
 
 もう一度、この制度を制定させたのは安倍元首相であったことを思い出そう。安倍氏は、理念的には超保守であり、国家主義者だったが、実際の政治では、異なる側面も見せていた。しかし、教育システムに対する政策は、自身の理念に忠実であり、一貫して教育の国家管理を強化する方向性をもっていた。逆にいえば、現代社会における教育に必要なこととは、完全に逆行していた。大学教育や科学技術研究で、日本が停滞していったことは、そうした政策動向から考えれば、起きるべくして起きたことなのである。もちろん、教育の国家管理強化の方向は、歴代自民党の立場であり、安倍氏独自のものではないが、安倍氏の前の「ゆとり路線」は、多少、教育に自由な要素をもたらしうる側面ももっていたが、ゆとり路線の廃止や全国学力テストの復活は、学習面でも管理強化理念に基づいていた。
 まともに考えることができる人であれば、人間が最もよく学習するのは、自分が好きな領域に対してであることは疑いようがない。ということは、すべての人に義務として教える内容は、最小限にして、それ以外はそれぞれの興味関心に従って学ぶことを保障するのが、もっともよい結果をもたらすことになる。そして、重要なことは、そんなことをしたら、社会にでて必要なことを学ばずに学校教育を終えてしまう人が続出するではないかと反論する人がいるが、どんな領域であっても、深く学んでいけば、社会に必要なことは学ばざるをえない対象になってくるものだ。いかなる領域でも、言語能力が必要であるし、数学的能力も求められる。そのような自由な学習を保障することが、本当に社会にでてから必要なことを学ぶことを、促すことにもなるのだ。逆に、義務として、テストの競争で煽り立てて学習をさせれば、嫌々学ぶことになるから、極めて効率が悪いものになる。
 
 それは、教師の研修についても、まったく同じことがいえるのである。これまでの官製研修(教育委員会が法律に基づいて行う研修)は、強制であって、従って、あまり効果がなく、かえって教師のストレスになるものだった。教師は、基本的に授業力を向上させたいと思っているものだし、また自身が勉強好きである。だから、自分に何が足りないかは、ほぼ正確に自覚しているにちがいない。そしてそれは人によって違うものだ。だから、教師の研修は、足りないと自身が思うことを補充できるようなものでなければならないのだ。そのためには、研修の自由が必要である。
 更に重要なことは、教師は学校のなかで教育活動をしている。だから、研修は、基本的には学校のなかで、教師集団の協力を基礎にして実施されるのが、効果をあげる上で必要である。お互いに授業を見合って、そして、率直に相互批評をする、こうして互いに学びあうことが、もっとも基本となるべきである。そして、教師たちが必要だと思ったから外部講師を呼ぶなり、外の研修にでかけるのもよいだろう。大事なことは、それらが、教師自身の自由な意思によって行われることである。
 
 だから、免許更新制度の代わりに、何か法令で研修を義務化することは、教師にとって要らぬ負担になる。研修はもちろん必要だが、それは教師が自分で決められることが大事なのだ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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