ウクライナ情勢が大きく動いている。
ウクライナが東部と南部で大攻勢をかけ、特に東部でロシア軍をかなりの部分で退却に追い込んだ。その際ロシア軍は、軍の装備の多くを捨てたままに逃亡したとも言われている。南部では、東部ほどではないが、ヘルソン市奪還にむけて、少しずつ前進している。ロシア軍が不利になりつつある時期から、ロシアは長距離ミサイルで、原発付近や市街地、インフラを攻撃することが多くなっている。原発の近くにミサイルが着弾したこともあった。ロシア国内からも可能なこうした攻撃は、極めて危険なものであり、ウクライナがロシア軍を追い込んだからといって、決して楽観できるものではない。
他方、プーチンも大きく姿勢を変えつつある。サマルカンドでの上海協力機構の会議で、プーチンはかなり冷遇された。出迎えの際に、習近平よりも下位の扱いを受け、インドからは、「戦争している時ではない」と苦言を言われ、習近平からは軍事協力を拒否されている。しかもプーチンと個別会談に望んだ各国首脳は、プーチンを待たせたという。普段はプーチンが、外国代表を長時間待たせたものだが(安倍首相もその憂き目にあった)、今回はプーチンが、同じやり方でしっペかえしをされたことになる。その会議とは関係ないが、北朝鮮からは、ロシアに兵器を輸出したことはない、などと言われてしまった。言葉通りに受け取る人もいないだろうが、ただ、そういうコメントをされること自体、プーチンにとっては不快なことに違いない。(何故北朝鮮が、そうしたコメントを出したのか。もしかしたら、沈む泥船に乗り続けることは止めよう、中国もロシアを見限ったようだし、中国に乗り換えよう、というようなことなのだろうか。そこまで中国はロシアを見限らないとは思うが。)
軍事的な不利と、国際的な孤立を前にして、プーチンはいよいよ、志願兵だけではなく、部分的徴兵を行うことを決め、更に「兵士の降伏や命令不服従」を厳格に取り締まると決めた。まるで日本の戦時中の戦陣訓のようだ。そして、談話として、可能なあらゆることをする、まだ本気をだしているわけではないのだ、核を使うことも辞さないと発表した。
すると、反戦デモが広範囲に起き、逮捕者が1700名(ニュースソースによって人数にばらつきがあり、1300という報道もある)ほどでたという。逮捕者がこれだけだから、参加者や共鳴者はかなりの数になるだろう。今後も継続的に起きていけば、プーチン政権にとっては、かなりのマイナスになる。そして、プーチン演説の直後から、ロシアから国外にでる航空機の予約が殺到し、どんどん若者中心に国外に出ているという。こうしたときに、即座に国外脱出できる人は、裕福で仕事ができるひとたちだろう。戦争に反対する者がいなくなる利点はあるが、やはり、ロシアの経済活動にとって、大きなマイナスとなるに違いない。自分たちに火の粉がかからないうちは、戦争賛成の意思表示をして、自分あるい家族が駆り出されるかも知れないとなった途端に、反戦デモをしたり、国外脱出をするなどというのは、いかにも、えげつないと感じてしまうが、やらないよりはいい。
すべてが流動的であるので、今後どうなるかは誰にもわからないが、可能性を考えてみよう。
最悪の可能性は、プーチンがヒトラーのように振る舞うことだ。つまり、どんな事態になっても、降伏などはせず、国家や国民がどうなろうと、まったく意に介せずという方向だ。実際に、ヒトラーは、部下たちの降伏の勧めには、一切耳をかさず、ソ連軍がベルリンを完全に支配する直前に、地下で自殺をしている。ベルリンは廃墟となっていた。ヒトラーがいなくなって、初めて残された部下たちが、降伏交渉をすることができるようになったのだ。プーチンが、ヒトラーと同じように、自分の死に際して、ロシアと国際社会を道ずれにしよう、と決意して、そこに突き進めば、それを防ぐことができるのは、プーチンの取り巻きたちが、プーチンを逮捕殺害すること以外には、おそらくありえない。ヒトラーの幕僚たちは、最後までそれができなかった。1944年7月のヒトラー暗殺未遂を実行したのは、ヒトラーの側近とはいえない上級将校たちだった。偶然でヒトラーは命拾いをしたが、それ以降は、まったくそうした動きも封じられてしまった。プーチンは暗殺を極度に警戒しているらしい。
しかし、ロシアは当時のドイツや日本とは異なる。プーチンが、部分的動員をすると発表しただけで、すぐにかなりの反対デモが起きた。こうしたデモによって、プーチンが辞任することはないだろうが、デモが激しくなるにつれて、有力者たちの不安がつのり、なんらかの形でプーチン排除に向かう可能性はある。何度も書いたように、ウクライナ戦争が終わるとしたら、プーチンが殺害されるか、失脚するかだ。そして、それを促すのは、ウクライナ側による戦闘上の勝利と、それによって引き起こされる民衆の反プーチンの動き、そして、最終的なプーチンの退場が重なることが必要条件である。
従って、現在のウクライナ軍の進撃は、第二の状況を少しだけ引き起こしている。
ところで、ヒトラーとプーチンは、似ているのだろうか。プトラーなどと言われることがあるように、似た面があることは事実だ。二人とも「力」に依拠した独裁者であるが、更に権力を握った初期の軍事的成功の体験に、自ら囚われてしまった共通点がある。ヒトラーはラインラント進駐やチェコの併合という成功体験だ。プーチンにはチェチェンがある。しかし、そのことによる過剰な自信が、まわりの提言・苦言を排除し、独善的な作戦を押しつけて墓穴を掘った(ヒトラー)し、また、掘り続けている。(プーチン)
ただ、政治家としての才能は、ヒトラーのほうが勝っていたように思う。よく言われるように、ヒトラーは第二次大戦など起こさなければ、有能な首相として歴史に名を残したといえる。アウトバーン建設や国民車の普及で経済的な復興をさせたし、ベルリンオリンピックの成功など、高く評価される政策は確かにあった。世界大恐慌の時代から、ドイツを立ち直らせる有効な手をいくつかうっている。もちろん、当初から暴力的な支配様式や、ユダヤ人・障害者の差別など、暗い側面が多く、戦争を引き起こす必然性はあったわけだが。
他方、プーチンには、強権的な独裁者という側面以外、あまり見るべきものがない。混乱した経済を立て直したといっても、エネルギー資源に恵まれていたという地理的条件に負うところが大きく、むしろ、そのことによって、ロシア経済は先進技術から取り残されてしまったという、致命的な弱点を生んだ。
ただ、プーチンにかすかな期待がもてるのは、ヒトラーは自滅に向かって突き進んだが、プーチンは、国民総動員をかけると反政府運動が起きるという合理的な判断をしていた。だからこれまで動員は抑えていたし、今回も「部分的動員」という制限を設定している。部分的にせよ動員をかけたことは、合理的判断よりも、自己陶酔的な虚栄心が勝りつつあるのかも知れないが、ある政策が自分を破滅させる危険性があることは、認識できる合理性をもっている。自分を保つには、戦争を止め、軍隊を撤退させ、自分はどこか受け入れてくれる国に亡命することだ、とプーチンの合理性が判断して、実行してくれることを願うだけだ。