バーンスタインの『トリスタンとイゾルデ』

 バーンスタインの『トリスタンとイゾルデ』のブルーレイ・ディスクをやっと聴き終えた。前に書いたブルゴスのベートーヴェン交響曲全集と一緒に購入し、ブルゴスはすぐに聴いたのだが、こちらは、かなり間をおいて、一幕ずつ聴いてきた。なにしろワーグナーものは、時間がないと聴くのが難しいし、やはり決意がいる。ヴェルディなら気軽に聴けるが。
 もうひとつ躊躇の理由として、かなり以前になるが、最初にCDが発売されたときに、トリスタンのペーター・ホフマンが、この録音に対して、かなり悪口を述べているインタビュー記事があったのだ。この録音は、ほんとうに嫌だった、しかし、カラヤンとの『パルジファル』は、とても楽しかったし、充実していたというような内容だった。そのために、CDを買う意欲は起きなかったのだが、BLが発売され、しかも在庫整理ということで、かなり安かったので購入したわけだ。

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20世紀最高のコロラトゥーラ グルベローバが亡くなった

 10月18日にグルベローバが亡くなったと報道された。数年前に引退公演があったから、既に現役ではなかったが、近年としてはずいぶん早い死ではないか。もっとも、グルベローバの先輩格のようなルチア・ポップは50代で亡くなっている。
 グルベローバは、なんといっても、20世紀最大のコロラトゥーラであったと思う。コロラトゥーラの歌手は、若いころにコロラトゥーラの曲を歌うが、年齢とともに声が太くなっていくので、40歳くらいまでには歌わなくなる。そして、ルッジェロかリリコ・スピントの役を歌うようになっていく。ポップはそうだった。しかし、グルベローバは60代までコロラトゥーラの役を中心に歌っていたのが、極めて例外的だった。他には、サザーランドくらいしかいないのではないか。ふたりとも、ベルカントオペラの大家であったから、声の質を保持したのだろう。 “20世紀最高のコロラトゥーラ グルベローバが亡くなった” の続きを読む

リヒャルト・シュトラウスのオペラ集

 私の年代には、非常に珍しかったと思うが、私は小学生のときから、オペラファンだった。実際にオペラを生で見たのは、大学生になってからだったが、それでも、レコードを毎年買っていた。そして、現在までずいぶんオペラを視聴してきたが、好きなオペラ作曲家はモーツァルトとヴェルディだ。ワーグナーとリヒャルト・シュトラウスは、偉大だと思うが、聴きたいと思うのは、一部になってしまう。特に両者とも、後年の作品は楽しめない。20世紀になって、大衆的に親しまれているオペラといえは、非常に限られていて、リヒャルト・シュトラウスの「バラの騎士」が最後なのではないかと、長年思っていた。すると、岡田暁生『オペラの終焉』という本が、まさしくそうした主張を詳しく書いた本として現れて、同じようなことを考えている人がやはりいるのだと、心を強くしたものだ。もちろん、名曲とされるオペラがないではない。「ヴォツェック」のような名曲という評価が確定している作品もあるが、大衆的に愛されているかというと、多分に疑問だ。この場合、大衆的に愛されているというのは、多くの人がそのオペラの中のメロディーを口ずさむというような意味だ。「ヴォツェック」を繰り返し聴いたわけではないからかも知れないが、私は、ここに出てくる音楽を口ずさむ気になるようなメロディーを見いだしていない。

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サロメ(オペラ)上演の難しさ 3つの要素

 イギリス、ロイヤル・オペラの「サロメ」を視聴した。フィリップ・ジョルダン指揮、ナディア・ミヒャエルのサロメだ。「サロメ」は、リヒャルト・シュトラウスの最初のヒットオペラで、現在でもかなり刺激的な内容、上演が非常に困難なものだ。カラヤンの極めて優れた録音があるが、これは、ベーレンスという、ついにカラヤンが発見した(といっても、ある人がカラヤンに伝えたということのようだが)歌手の出現によって可能になったものだ。クライバーの場合には、「サロメ」はやらないのかと質問されたとき、サロメ歌手がいればやると、と答えたという。だが、ついにやっていない。

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フォン・オッターのカルメン

 ずいぶん前に購入したが、視聴していなかったフォン・オッターの「カルメン」を全曲視聴した。きっかけは、オッターのカルメンではなく、指揮のフィリップ・ジョルダンが指揮をしていることに気づいたからだ。ジョルダンは、ウェルザー・メストが退任して以降、しばらく空席だったウィーン国立歌劇場の音楽監督に昨年からなった人である。例にもれず、コロナ禍に見舞われて、まだ十分に活動しきれていないと思われるが、今後活躍してほしい人だ。youtubeで、マーラーの1番の日本公演の映像をみて、ずいぶん細かな表情付けをする人だと思ったが、なかなかよかったので、このカルメンを見る気になったわけだ。

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ミレルラ・フレーニを偲んで

 コロナ騒動とか、自分自身の退職時期と重なったためか、ミレルラ・フレーニが亡くなっていたことを、ごく最近知った。フレーニは、もっとも好きなソプラノ歌手だった。フレーニが得意とするオペラが、もっとも好きなオペラに入っていたからともいえる。とにかく、亡くなったことを知ったので、フレーニについて少し書いてみたい。
 フレーニは生で実際に聴いたことがある。ミラノスカラ座がアバドに率いられて来日公演を行ったときだ。アバド指揮による「シモン・ボッカネグラ」でのマリアと、クライバー指揮による「ボエーム」のミミだ。どちらも、超がつく名演だったが、聴いた席によって、声の質がまったく違うように聞こえたことが印象に残っている。シモン・ボッカネグラのときには、席を一階の後方で、レコードで聴く声と似ていて、ああフレーニだと思ったの他が、ボエームではずっと前のほうで、ずっと丸くふくよかな響きだった。「私の名はミミ」などは、本当に感動的な歌唱だった。

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ネトレプコの「ボエーム」ザルツブルグ音楽祭

 ネトレプコがミミを歌ったザルツブルグ音楽祭のライブがあると知って、なんとか見たいと思い、テレビからの録画をたくさんしているオケの友人が持っているというので、早速借りて視聴した。素晴らしかった。少なくとも演奏に関しては。しかし、カラヤン亡き後のザルツブルグ音楽祭は、好みはあるだろうが、すっかり変わってしまって、私には馴染めない演出が多いし、これもその例にもれない。

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ボエームのCD カラヤンは何故ベルリンフィルを使ったのか

 プッチーニの傑作ボエームは、トロバトーレと異なって、ドラマに無理がなく、よくあるパターンの物語である。貧しい恋人の一方が(たいてい女性だが)、不治の病にかかり、死んでしまう。オペラでは椿姫もそうだ。だから、特別にドラマの進展としては面白くないが、出会いの場面の演出や、友人たちの絡み具合に、このボエームの面白さがある。先日映画版を見直して、改めてこの曲の魅力を再認識した。映画は、ネトレプコのミミ、ヴィラゾンのロドルフォで、指揮はド・ビリー。オペラ映画が制作されるのは、近年では珍しいが、やはり、ネトレプコという、歌手として優れているだけではなく、女優としても十分に通用する美人ソプラノが現れたので、実現したのだろう。出産後、いかにもオペラのプリマドンナという風格になってしまったが、この時期の彼女はまだまだ映画女優として主演が可能な雰囲気をもっていた。声もミミに相応しく細いが、強い声をもっていた。この映画は実際に映画館で見たのだが、今回見直したのは、クラシカジャパンで放映されたものを録画したものだ。

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ヴェルディ「トロバトーレ」への思い

 ヴェルディ中期の3大傑作といわれる「リゴレット」「トロバドーレ」「椿姫」は、すべて本当に全編素晴らしい音楽で満ちあふれている。そして、それぞれ特徴的な性質があるが、トロバドーレは、なかでも際立った特色がある。音楽は、美しいメロディーがずっと続くが、エネルギーに満ちている。内に向かうのではなく、あくまでも外に放射するような熱がある。これがトロバトーレの最大の魅力といえる。そして、もうひとつ、オペラはあくまでも筋をもったドラマであるから、劇としての魅力も大切であり、優れたオペラは、劇としても優れているのが普通だ。あまり台本の質を考慮せず、依頼の仕事を引き受けたために、オペラとして成功しなかった作曲家として、シューベルトとヨハン・シュトラウスがいる。(後者は「こうもり」のみ成功)では、トロバトーレはどうかというと、誰もが感じるように、あまりに奇怪で、奇妙奇天烈な筋なのだ。
 まず、最初に、その奇妙な筋を確認しておこう。
 最初ルーナ伯爵の家臣フェランドが兵隊たちに、過去の話をするところから始まる。
 先代ルーナ伯爵の次男をジプシーの老婆が占うと、次男が病気になったので、老婆は火刑に処せられた。しかし、焼け跡から子どもの骨が出てきた。それが次男だと思われたが、今のルーナ伯爵は、弟が生きていると思って探しているという話である。

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『コシ・ファン・トゥッテ』(モーツァルト)の魅力

 モーツァルト作曲のオペラ『コシ・ファン・トゥッテ』は、長く人気のない演目だった。おそらく、初演の際に5回、その後4回上演されたそうだが、すぐに打ち切りになり、その後、第二次大戦後までは、ほとんど上演されないままに来たのではないだろうか。モーツァルトのオペラ自体が、ヴェルディやワーグナーの巨大なオペラが好まれた19世紀には、あまり人気がなかった。唯一例外は『ドン・ジョバンニ』だったようだ。それでも、『フィガロの結婚』や『魔笛』は、それなりに上演されていたと思われるが、『コシ・ファン・トゥッテ』は、題材がナンセンスということの忌避感もあったらしい。
 戦後になって、カラヤンは一度だけレコーディングしたが、上演はしていないのではないだろうか。一人ベームが頑張っていた印象だ。1970年代になると、ベームのザルツブルグ音楽祭の長期上演があり、ムーティに引き継がれ、更にこれもヒットした。このあたりから、見直しが始まって、今では、完全に人気曲になっている。蛇足だが、小沢が生まれて初めてオペラを振ったのが、ザルツブルグ音楽祭の『コシ・ファン・トゥッテ』で、もちろんオケはウィーン・フィルだった。私は一年で打ち切りだと長く誤解していたが、契約通り二年上演されたということだ。まったくオペラ経験のない小沢は、アバドなどに助けられて、オペラ指揮のテクニックを学んだようだ。小沢自身は、非常に楽しかった思い出と語っているが、世間的には、この上演によって、小沢はオペラはだめ、とウィーン・フィルによって評価されてしまったということになっている。言葉のハンディが大きかったようだ。それに、いくらなんでも、人生で初めて振るオペラが、ザルツブルグ音楽祭で、ウィーン・フィル相手のモーツァルトだ、というのは、いかにも無謀で、小沢らしいが、カラヤンもびっくりしたらしい。

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