20世紀最高のコロラトゥーラ グルベローバが亡くなった

 10月18日にグルベローバが亡くなったと報道された。数年前に引退公演があったから、既に現役ではなかったが、近年としてはずいぶん早い死ではないか。もっとも、グルベローバの先輩格のようなルチア・ポップは50代で亡くなっている。
 グルベローバは、なんといっても、20世紀最大のコロラトゥーラであったと思う。コロラトゥーラの歌手は、若いころにコロラトゥーラの曲を歌うが、年齢とともに声が太くなっていくので、40歳くらいまでには歌わなくなる。そして、ルッジェロかリリコ・スピントの役を歌うようになっていく。ポップはそうだった。しかし、グルベローバは60代までコロラトゥーラの役を中心に歌っていたのが、極めて例外的だった。他には、サザーランドくらいしかいないのではないか。ふたりとも、ベルカントオペラの大家であったから、声の質を保持したのだろう。

 残念ながら、グルベローバを生で聴くことはできなかった。しかし、けっこう早い時期からCDでは聴いてきたと思う。
 最初は、シノーポリ指揮のヴェルディ「リゴレット」のジルダだった。シノーポリの若いころの演奏で、まだ、新奇なことをやりたがっていた時期なので、そういう点での批判か強く、あまり支持されない演奏だったような気がするが、グルベローバのジルダは見事なもので、その後も、ジルダについては、シャイー指揮、パバロッティが出演した映画でも、歌っている。
 次に聴いたのが、ムーティがスカラ座で公演した「ドン・ジョバンニ」のドンナ・アンナだった。実は、レポレロが気にいらないので、何度も聴くことはなかったのだが、隠れた名演だと思う。
 そして、驚きをもって聴いたのが、「椿姫」だった。椿姫については、カルロス・クライバーがグルベローバで何度か上演し、ソニーとの録画契約があり、おそらく録画もされたのだろうけど、結局、クライバーが、オーケーをださなかったために、世に出ていない。あるいは、録画することになっていた公演をキャンセルしたかも知れない。クライバーが納得しなかったのは、なんとなくわかるが、所詮、オペラを完全な形で上演するのは無理だというべきで、どこかで妥協が必要なのだが、クライバーにはそれが納得できなかったのだろう。
 椿姫のヴィオレッタという役は、とてつもなく難しい役で、1幕はコロラトゥーラをきっちり歌える必要があり、2幕以降になると、コロラトゥーラ的要素はなくなり、リリコ・スピントになる。1幕は華やかさが必要で、2幕以降は情感たっぷりが求められる。これを両立できる歌手は、実際には、ほとんどいないわけだ。だから、スカラ座ではかつてマリア・カラスしか歌うべからずという雰囲気があって、カラヤンですら、妨害にあい、以後スカラ座で30年近く椿姫の上演が不可能になってしまった。
 グルベローバのヴィオレッタは、とにかく1幕のコロラトゥーラの部分がすばらしい。これを聴くと、他の歌手たちが、いかにごまかしたり、あいまいに歌っていたかがわかってしまう。「花から花へ」というアリアは、こういう曲だったのだ、と再認識させられる。
 しかし、残念ながら、2幕以降は、グルベローバの声に合わない。だから、全体が名演というわけにはいかないのだ。
 以降の3つは極めつけという名演だ。
 まず、「魔笛」の夜の女王。ライブ映像では、レバイン指揮、ウィーンフィルのザルツブルク、そして、サバリッシュ指揮のバイエルンの演奏。どちらも有名な名演だが、グルベローバに関しては、ザルツブルグ盤のほうが凄味がある。
 グシュルバウー指揮、ウィーンフィルの「こうもり」でのアデーレ。ウィーンに登場して間もない時期らしいが、他のスター歌手たちを完全に食ってしまっている。恒例の大晦日好演なので、大スターたちが揃っているのだが、アデーレが歌いだすと、完全に中心になって、他をまわしてしまう感じだ。特に第二幕のアリアを、あのように、楽しげに、誘惑とからかいのまざった味付けをしながら、高度なコロラトゥーラの技術を聴かせる人は、今後出るのだろうか。
 そして、とどめはリヒャルト・シュトラウス「ナクソス島のアリアドネ」のツェルビネッタだ。これはたくさんあるが、私がもっているのはショルティ盤。まず、人間が歌っているのか、と疑問が生じるほどにすごい。コロラトゥーラの極限というべきだろう。あまりに評判が高いので、演出を変えたといわれるほどの、ベーム指揮のザルツブルグライブにおけるルリ・グリストもすばらしいが、人間が歌っている実感がある。しかし、グルベローバのツェルビネッタはこの世のものとは思えないほどだ。
 最後に、今はなくなってしまったクラシカ・ジャパンで放映されたグルベローバのドキュメント。ここに子どものころの彼女が思い出話としてたくさん語られているが、少女の時代から教会の聖歌隊で歌っていて、よくひとりで練習していたそうだが、彼女がひとりで歌いだすと、畑で働いていたひとたちが、耳をすまして聞きほれていたという話が印象的だ。当時はソ連圏だったので、ウィーンに出てくるのに、けっこう苦労したらしいが、ウィーンの専属になってからは、本当に大スターだった。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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