アバドのカルメン

 アバドが最初にオーケストラの常任指揮者になったロンドン交響楽団の録音を集めたボックスを購入して、最初にカルメンを聴いた。実はアバドのオペラボックスにも入っているので、それを聴いているのだが、よかった印象なので再度聴きなおしてみたのだ。
 私がはじめてレコードで聴いたオペラが、カラヤン指揮のカルメンだった。今の人たちには想像もつかないだろうが、そのレコードにはボーカルスコアがついていた。そのころは、楽譜がついたレコードはけっこうあったものだ。そのボーカルスコアを懸命にみながら、何度も聴いたものだ。いまでも、カルメンの代表的録音だと思う。しかし、その後はCD時代になっても、カラヤンのウィーン・フィルのカルメンはなかなかCD化されず、SACDで出たが非常に高かったので敬遠。数年前にやって、レオタイン・プライスのオペラボックスに入っていたので、本当に久しぶりに聴いた。今はこういうどっしりしたカルメンはやらないだろうが、やはり、このオペラの情熱の放出ぶりはすごい。

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バーンスタインの『トリスタンとイゾルデ』

 バーンスタインの『トリスタンとイゾルデ』のブルーレイ・ディスクをやっと聴き終えた。前に書いたブルゴスのベートーヴェン交響曲全集と一緒に購入し、ブルゴスはすぐに聴いたのだが、こちらは、かなり間をおいて、一幕ずつ聴いてきた。なにしろワーグナーものは、時間がないと聴くのが難しいし、やはり決意がいる。ヴェルディなら気軽に聴けるが。
 もうひとつ躊躇の理由として、かなり以前になるが、最初にCDが発売されたときに、トリスタンのペーター・ホフマンが、この録音に対して、かなり悪口を述べているインタビュー記事があったのだ。この録音は、ほんとうに嫌だった、しかし、カラヤンとの『パルジファル』は、とても楽しかったし、充実していたというような内容だった。そのために、CDを買う意欲は起きなかったのだが、BLが発売され、しかも在庫整理ということで、かなり安かったので購入したわけだ。

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フルトヴェングラー バイロイト第九 やはりEMI盤が本番だ

 またまたフルトヴェングラーのバイロイトネタで、我ながらしつこいと思うのだが、最近、この問題は、情報の信頼性、情報と事実の関連の吟味という点で、非常にいい材料だと気づいたのである。そこで、更に拘ってみた。つまりメディアリテラシーのチェックということになる。
 前回の最後に触れたが、もしEMI盤が本番ではなく、ゲネプロであるとしたら、フルトヴェングラーの追悼盤としてバイロイトライブ演奏をレコードにするにあたって、なぜ、本番ではなく、ゲネプロを採用するのかという疑問は、強く残る。両方の録音をもっていて、わざわざ本番を採用しないとしたら、かなりの理由があるはずである。ルツェルンの第九を追悼盤にしなかったのは、EMIの担当責任者であるレッグの夫人であるシュワルツコップが反対したからであるということになっている。それを信じるしかないから、その前提で考えると、やはり、シュワルツコップが本番の採用に反対したという理由が、まず思い浮かぶ。それで、再度、EMI盤とバイエルン盤の両方をかなり注意して聴き比べてみた。ただし、シュワルツコップのチェックが目的なので4楽章のみ。

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フルトヴェングラー バイロイトの第九(コメントへの回答)

 ハンスリックさん、コメントありがとうございます。また、貴重な情報、参考になります。
 ところで、拍手ですが、ゲネプロがどのように行われたかは、厳密にはわかりませんが、戦後の最初のバイロイト音楽祭ですから、準備等がかなり大変だったろうし、大規模な音楽祭ですから、集まっているひともかなりたくさんいたはずです。また、メディアなどの取材、録音スタッフなど、音楽関係ではないひとたちも。ゲネプロを一般公開しなかったとしても、本番を聴けない関係者たちが、ゲネプロにはたくさん聴衆としていたと考えるべきでしょう。そして、いざというときのためにゲネプロをちゃんと録音することになっているのですから、実は本番の演奏会と同じような形式で行われたと思われます。私自身、ゲネプロと本番の両方を聴いたことが2回あります。いずれも小沢征爾指揮のサイトウキネンフェスティバルで、「ファウストの劫罰」と「ロ短調ミサ」でした。行われた形は、ゲネプロも本番もまったく同じでした。更にゲネプロだけのときもあり、ベートーヴェンの交響曲でしたが、演奏が終わって拍手するところまでは、通常の演奏会と同じでしたが、そのあとで、「本日は稽古なので」と小沢さんが断って、そのあと20分程度の練習をしていました。つまり、拍手や足音があるのは、本番でもゲネプロでも同様なのです。ただし、演奏後の拍手は、本番のほうが多いのではないかとは思いますが。EMI盤も前後の拍手がありますから、決め手にはなりません。

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フルトヴェングラー、バイロイトの第九 スウェーデン放送協会盤登場

 スウェーデン放送協会に所蔵されていた、フルトヴェングラーのバイロイト第九が発売されることは、事前に大きな話題となっていた。そして、発売された。しかし、期待ほどにレビューが書かれていない。たくさん書かれるはずのレビューをまって、それを読んでから書くつもりだった。私自身は、購入する意志はなかったし、実際に購入していない。というのは、スウェーデン放送協会が放送したとされるものの録音なのだから、バイエルン放送協会のものと同じであることは、ほぼ予想がついたし、そうでなくても、録音されたものはゲネプロと本番の2回しかないのだから、バイエルン盤と同じでなければ、EMI盤と同じということになる。両方もっているのだから、どちらかと同じであるかを確認すればいいわけで、かなり高価でもあり、買おうとは思わなかった。ただ、特に、EMI盤が本番であるとする平林氏が解説を書いているということで、その趣旨を踏まえたレビューがあるかと思っていたのだが、まだないので、とにかく、これまで何度かこの話題について書いてきた身としては、現時点での考えを書く必要を感じている。

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ブルゴスのベートーヴェン交響曲

 ベートーヴェンの交響曲全集はいったい何組あるのかわからないが、どれがいいかは、完全に個人の好みの問題だろう。私自身は、カラヤンの1970年前後の映像バージョンが好きだが、ただしそれは演奏だけのことで、映像は周知のように、完全に「実験」という感じの撮影だったと思われる。もっとも、現在のヨーロッパのオーケストラのライブ映像などの手法に大きな影響を与えているように見える。空中からとったり、楽器をアップで映したり、カメラが移動したりなど。いかにもカメラ撮影者を意識させるような撮り方は好きではないのだが。
 しかし、演奏はすばらしい。

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プロが仕事中に泣いてしまうこと

 最近「朝イチ」はまったくみないので、実際にその場面を見たわけではないのだが、朝ドラの話を最初にする場面で、鈴木アナウンサーが、「カムカムエヴリバディ」の場面を語るときに、あまりにドラマに感情移入して泣いてしまい、話ができなくなってしまって、周囲のスタッフが懸命にフォローしたという記事があった。そして、プロは泣いてはいけいないのかというような提起がなされていた。

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ウィーン・フィルの魅力?(続き)

 11月9日に、youtubeのウィーンフィルの魅力解説に関連して、ウィーンフィルについて書いたが、どうも書き足りない感があるので、補足しておきたい。
 もっとも好きなオーケストラのアンケートをとると、ほとんどの場合、日本では、ウィーンフィルが一位か二位になる。何故かは、私にもよくわからないが、おそらく、年配の音楽ファンにとって、オーケストラ曲の多くはウィーンフィルの録音だったし、特に早くからステレオ録音の力をいれ、独特のサウンドの魅力をウィーンフィルから引き出したデッカの功績が大きいのかも知れない。ウィーンのゾフィエンザールでデッカが録音したウィーンフィルの音が、本当にあのように響くのかは、長年疑問に思っているのだが、確認する術もないので、ああいう音がすればいいなという憧れを生じさせたことは間違いない。とにかく、弦が艶やかに響き、管楽器と弦楽器の融合が素敵なのだ。サトリーホールやNHKホール、東京文化会館で聴いたウィーンフィルの音は、あのようなものではなかったのだが。やはり、人生で一度はウィーン楽友協会ホールでウィーンフィルを聴いてみたいものだ。

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ウィーン・フィルは最高峰のオーケストラ?

 「厳選クラシックチャンネル」というyoutubeサイトが、「【徹底解剖】ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の魅力がわかる 世界最高峰の楽団の歴史や特徴を解説」https://www.youtube.com/watch?v=hOffU69BzSk
という番組を提供していた。非常に若い女性が解説しているのだが、説明がえらく古めかしい感じがしたので、感想を含めて、ウィーン・フィルについての個人的な見解を述べたい。
 
 ウィーン・フィルの魅力を、楽器がすべて楽団所有であって、基本ウィーンで制作されており、ウィーン・フィル独特の音を、楽友協会のホールとあいまって作り上げていること、以前はオーストリア人男性、ウィーン音楽院の卒業生に限っていたことでわかるように、共通の音楽スタイルをもっていること(もちろん、現在では、女性も外国人もいる。おそらく、ウィーン音楽院の卒業生に限定もしていないと思われる。)、オペラ劇場のオーケストラが母体であること、室内楽なども盛んであること、などによる、楽員同士の緊密で柔軟なアンサンブルなどが指摘されていた。解説者は、今来日しているウィーン・フィルの演奏会に行ってきたようで、感激したと語っていた。

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ハイティンク逝去、安心して聴ける指揮者だが

 昨日グルベローバの逝去について書いたのに、またまたベルナルト・テイティンクが亡くなったという記事があった。21世紀に生き残った巨匠であるから、やはり書かざるをえない。
 率直なところ、私はハイティンクのファンでもなかったし、熱心な聴き手でもなかった。もっているCDも少ない。カラヤンやワルターの正規盤はほとんどもっているのに比較すると、無視してきたともいえるかも知れない。しかし、ハイティンクが極めて優れた指揮者であり、巨匠であったことは疑っていない。 “ハイティンク逝去、安心して聴ける指揮者だが” の続きを読む