指揮者の晩年1

 誰もが一度はやってみたいのが、プロ野球の監督とオーケストラの指揮者と、以前は言われていたものだが、オーケストラの指揮者は、かなり特異な職業だと思われる。特色のひとつは、ほとんどの指揮者が、死ぬまで現役だという点だ。功成り名を遂げて、引退して悠々自適という生活をした有名指揮者は、トスカニーニとジュリーニくらいしか知らない。引退したといっても、トスカニーニは、86歳であり、3年後に亡くなっている。ジュリーニは84歳で引退し、91歳で亡くなっている。
 他の有名指揮者のほとんどは、死によって活動を停止しているのである。そして、指揮中に倒れて、亡くなった人もいる。フェリックス・モットル、ミトロプーロス、パターネ、カイルベルト、シノーポリ等々。いずれも有名な指揮者だ。指揮は非常に神経をすり減らす作業であり、静かな音楽ほど緊張するので、倒れるのも、激しい部分ではなく、静かな部分だ。

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トマス・シッパース 不当に低く評価された指揮者2

 トマス・シッパースの名前は知っていたが、ほとんど注目することなく、ほぼ最近まできた。注目したきっかけは、1967年に日本で開催されたバイロイト引っ越し公演(といってもオーケストラはNHK交響楽団)の録音が発売され、ブーレーズ指揮の「トリスタンとイゾルデ」は以前発売されていたが、もうひとつの演目であった「ワルキューレ」も発売され、その指揮者がトマス・シッパースだったことだ。しかも、どうやら、シッパースはN響とおおげんかをしたらしく、オケ団員から総スカンをくったと書かれていた。しかし、HMVのレビューでは、シッパースのほうがずっとブーレーズよりも、オペラ指揮者としては経験豊富で、演奏も灼熱的な名演だと書かれている。更に、この来日をきっかけに日フィルとも演奏会が行われ、それが非常に優れた演奏で、当月のベスト演奏会になったとも書かれていた。何か小沢征爾事件を思い出させる内容だ。小沢征爾もN響にボイコットされ、日フィルが救いの手をさしのべ、マーラーの復活で圧倒的な演奏を行ったとされている。おそらく、二人とも若手で、人間的にもきさくな性格、社交的だったのではないだろうか。N響はドイツ風の重厚な指揮者を好み、シッパースや小沢はちゃらちゃらしているという感じで嫌悪したのではないかと思われる。しかし、それは完全にN響にとってマイナスだった。小沢はその後50年間、N響を一度しか指揮しておらず、その一度も、メインプログラムがロストロポーヴィッチ独奏のドボルザーク「チェロ協奏曲」だった。いかにも、ロストロさんのために一肌抜いただけだ、という感じだった。そのときのN響のある団員の言葉を、よく覚えている。「私たちは、はじめて世界的大指揮者の指導を、日本語で受けることができた。」もっと頻繁に、日本語で大指揮者によって指導されていれば、ずいぶんとN響も変わったに違いない。

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日本で評論家に無視された指揮者1 ラインスドルフ

 評論家がどの程度、一般の人たちに影響を与えるのかはわからないが、評論家がこぞって、同じような見解を述べていれば、それなりの影響を与えるに違いない。音楽、レコード業界でもそうした現象がいくつかあった。カラヤンですら、若いころは、(後々まで影響を受けた人もいるようだが)評論家たちの多くにけなされ、低くみられていた。日本のクラシックの音楽評論家たちは、フルトヴェングラー信者が多かったので、カラヤンは「精神性がない」といって、邪道扱いされていたのである。
 それでも、カラヤンはヨーロッパにおける楽団の帝王だから、日本でもファンは多かったし、そうした評論家に影響されない人たちもたくさんいた。しかし、なかには、評論家たちにほとんど無視、ないし低評価を継続的に受けていたおかげで、実力が極めて高いのに、日本では人気があまりでなかった人たちがいる。そういう何人かを、時々とりあげていきたい。
 最初に取り上げたいのがエーリッヒ・ラインスドルフである。

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アバドのカルメン

 アバドが最初にオーケストラの常任指揮者になったロンドン交響楽団の録音を集めたボックスを購入して、最初にカルメンを聴いた。実はアバドのオペラボックスにも入っているので、それを聴いているのだが、よかった印象なので再度聴きなおしてみたのだ。
 私がはじめてレコードで聴いたオペラが、カラヤン指揮のカルメンだった。今の人たちには想像もつかないだろうが、そのレコードにはボーカルスコアがついていた。そのころは、楽譜がついたレコードはけっこうあったものだ。そのボーカルスコアを懸命にみながら、何度も聴いたものだ。いまでも、カルメンの代表的録音だと思う。しかし、その後はCD時代になっても、カラヤンのウィーン・フィルのカルメンはなかなかCD化されず、SACDで出たが非常に高かったので敬遠。数年前にやって、レオタイン・プライスのオペラボックスに入っていたので、本当に久しぶりに聴いた。今はこういうどっしりしたカルメンはやらないだろうが、やはり、このオペラの情熱の放出ぶりはすごい。

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バーンスタインの『トリスタンとイゾルデ』

 バーンスタインの『トリスタンとイゾルデ』のブルーレイ・ディスクをやっと聴き終えた。前に書いたブルゴスのベートーヴェン交響曲全集と一緒に購入し、ブルゴスはすぐに聴いたのだが、こちらは、かなり間をおいて、一幕ずつ聴いてきた。なにしろワーグナーものは、時間がないと聴くのが難しいし、やはり決意がいる。ヴェルディなら気軽に聴けるが。
 もうひとつ躊躇の理由として、かなり以前になるが、最初にCDが発売されたときに、トリスタンのペーター・ホフマンが、この録音に対して、かなり悪口を述べているインタビュー記事があったのだ。この録音は、ほんとうに嫌だった、しかし、カラヤンとの『パルジファル』は、とても楽しかったし、充実していたというような内容だった。そのために、CDを買う意欲は起きなかったのだが、BLが発売され、しかも在庫整理ということで、かなり安かったので購入したわけだ。

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フルトヴェングラー バイロイト第九 やはりEMI盤が本番だ

 またまたフルトヴェングラーのバイロイトネタで、我ながらしつこいと思うのだが、最近、この問題は、情報の信頼性、情報と事実の関連の吟味という点で、非常にいい材料だと気づいたのである。そこで、更に拘ってみた。つまりメディアリテラシーのチェックということになる。
 前回の最後に触れたが、もしEMI盤が本番ではなく、ゲネプロであるとしたら、フルトヴェングラーの追悼盤としてバイロイトライブ演奏をレコードにするにあたって、なぜ、本番ではなく、ゲネプロを採用するのかという疑問は、強く残る。両方の録音をもっていて、わざわざ本番を採用しないとしたら、かなりの理由があるはずである。ルツェルンの第九を追悼盤にしなかったのは、EMIの担当責任者であるレッグの夫人であるシュワルツコップが反対したからであるということになっている。それを信じるしかないから、その前提で考えると、やはり、シュワルツコップが本番の採用に反対したという理由が、まず思い浮かぶ。それで、再度、EMI盤とバイエルン盤の両方をかなり注意して聴き比べてみた。ただし、シュワルツコップのチェックが目的なので4楽章のみ。

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フルトヴェングラー バイロイトの第九(コメントへの回答)

 ハンスリックさん、コメントありがとうございます。また、貴重な情報、参考になります。
 ところで、拍手ですが、ゲネプロがどのように行われたかは、厳密にはわかりませんが、戦後の最初のバイロイト音楽祭ですから、準備等がかなり大変だったろうし、大規模な音楽祭ですから、集まっているひともかなりたくさんいたはずです。また、メディアなどの取材、録音スタッフなど、音楽関係ではないひとたちも。ゲネプロを一般公開しなかったとしても、本番を聴けない関係者たちが、ゲネプロにはたくさん聴衆としていたと考えるべきでしょう。そして、いざというときのためにゲネプロをちゃんと録音することになっているのですから、実は本番の演奏会と同じような形式で行われたと思われます。私自身、ゲネプロと本番の両方を聴いたことが2回あります。いずれも小沢征爾指揮のサイトウキネンフェスティバルで、「ファウストの劫罰」と「ロ短調ミサ」でした。行われた形は、ゲネプロも本番もまったく同じでした。更にゲネプロだけのときもあり、ベートーヴェンの交響曲でしたが、演奏が終わって拍手するところまでは、通常の演奏会と同じでしたが、そのあとで、「本日は稽古なので」と小沢さんが断って、そのあと20分程度の練習をしていました。つまり、拍手や足音があるのは、本番でもゲネプロでも同様なのです。ただし、演奏後の拍手は、本番のほうが多いのではないかとは思いますが。EMI盤も前後の拍手がありますから、決め手にはなりません。

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フルトヴェングラー、バイロイトの第九 スウェーデン放送協会盤登場

 スウェーデン放送協会に所蔵されていた、フルトヴェングラーのバイロイト第九が発売されることは、事前に大きな話題となっていた。そして、発売された。しかし、期待ほどにレビューが書かれていない。たくさん書かれるはずのレビューをまって、それを読んでから書くつもりだった。私自身は、購入する意志はなかったし、実際に購入していない。というのは、スウェーデン放送協会が放送したとされるものの録音なのだから、バイエルン放送協会のものと同じであることは、ほぼ予想がついたし、そうでなくても、録音されたものはゲネプロと本番の2回しかないのだから、バイエルン盤と同じでなければ、EMI盤と同じということになる。両方もっているのだから、どちらかと同じであるかを確認すればいいわけで、かなり高価でもあり、買おうとは思わなかった。ただ、特に、EMI盤が本番であるとする平林氏が解説を書いているということで、その趣旨を踏まえたレビューがあるかと思っていたのだが、まだないので、とにかく、これまで何度かこの話題について書いてきた身としては、現時点での考えを書く必要を感じている。

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ブルゴスのベートーヴェン交響曲

 ベートーヴェンの交響曲全集はいったい何組あるのかわからないが、どれがいいかは、完全に個人の好みの問題だろう。私自身は、カラヤンの1970年前後の映像バージョンが好きだが、ただしそれは演奏だけのことで、映像は周知のように、完全に「実験」という感じの撮影だったと思われる。もっとも、現在のヨーロッパのオーケストラのライブ映像などの手法に大きな影響を与えているように見える。空中からとったり、楽器をアップで映したり、カメラが移動したりなど。いかにもカメラ撮影者を意識させるような撮り方は好きではないのだが。
 しかし、演奏はすばらしい。

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プロが仕事中に泣いてしまうこと

 最近「朝イチ」はまったくみないので、実際にその場面を見たわけではないのだが、朝ドラの話を最初にする場面で、鈴木アナウンサーが、「カムカムエヴリバディ」の場面を語るときに、あまりにドラマに感情移入して泣いてしまい、話ができなくなってしまって、周囲のスタッフが懸命にフォローしたという記事があった。そして、プロは泣いてはいけいないのかというような提起がなされていた。

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