トスカニーニ 晩年にテンポが速くなった指揮者

 友人がトスカニーニのベートーヴェンを聴いて感激したということだったので、少しトスカニーニを聴いてみようと思い、ニューヨーク・フィルの古い録音を取り出した。なぜかというと、以前放送で聴いて、いいと思った記憶があることと、トスカニーニは晩年になってテンポが速くなった例外的な指揮者だと、アバドが語っていることを思い出したからだ。トスカニーニがニューヨーク・フィルの常任指揮者を勤めていたのは、1930年代だと思うが、ヨーロッパに演奏旅行にいったとき、ヨーロッパの聴衆はショックを受けたと伝えられている。そのときに、このふたつのがプログラムに入っていたはずだ。
 ベートーヴェンもハイドンも、確かに、それほど快速調の演奏ではなく、むしろ落ち着いたテンポだ。晩年のトスカニーニとは、明らかにイメージが違う。特に速いテンポのベートーヴェンの4楽章などは、現在の多くの演奏よりも遅めで、堂々とした行進という気分だ。ハイドンの時計も同じ。しかし、余白に入っているメンデルスゾーンの真夏の夜の音楽のスケルツォだけは、非常に速いテンポがとられている。

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クライバーとカラヤンのドキュメント

 4人の指揮者のドキュメント・ボックスが届いたので、早速ふたり分を見た。カルロス・クライバーとカラヤンだ。クライバーは、I am lost to the world. カラヤンは、Maestro for the screen. だ。クライバーのTraces to Nowhere は何度もみたが、こちらは初めてだった。例のテレーゼ事件の録音が含まれているというので、ぜひ見たかったので、念願がかなった。
 両方とも、極めて興味深い映像で、見応えがあった。クライバーのは、なんといっても、何度もでてくるバイロイトでの「トリスタンとイゾルデ」の舞台下で指揮するクライバーが、かなり視聴できること。これを全曲DVD化したら、かなり大きな話題になるに違いない。そんな映像はこれまでなかったし、かといって、この名演奏の発売は現時点でも熱望されている。CDで発売される可能性は将来はあるだろうが、指揮姿だけの映像などは、他のひとでは絶対に発売の可能性がないだろう。それにしても、ここに出てくる場面だけでも、本当に聴き応えのある「トリスタンとイゾルデ」だ。

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今日は演奏会だった

 今日は、私の所属する松戸シティフィルハーモニーの演奏会だった。創立40周年記念ということで、私は半分在籍していたことになる。当初記念の演奏会なので、ひとつのプログラムで全員出演することができるということで、マーラーの6番予定だったのだが、コロナの影響で、どれだけ練習ができるかという不安があったために、曲が変更になり、ほとんど誰も知らないハンス・ロットの交響曲一番を中心とする演目になった。他にブラームスの悲劇的序曲と、ワーグナーのタンホイザー序曲だ。前にも一度ここらは書いたが、実際に演奏したということで、再度報告したい。
 当初負担を軽くするということだったが、結果はまったく逆で、負担がずっと重くなった。タンホイザー序曲は、とくに弦楽器にとっては、難行苦行のような曲だ。不思議なことに、そういう部分は、指揮者はあまり練習しない。練習してもできるようになると思っていないからなのか、できなくても仕方ないと思っているのか、メロディー部分ではないので、目をつぶることにしたのか。「何故練習しないのか」などと指揮者に質問して、取り出し練習などさせられたらたまらないと思うから、練習しないことに、団員はほっとしている。もちろん、練習するようには言われるし、弾けないのは悔しいので、私もかなり練習はしたのだが。

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カルロス・クライバー 音楽家としては最高だが、指揮者としては?

 車田和寿氏のyoutube「音楽に寄せて」で「人気投票第一位 華麗なる天才指揮者 カルロス・クライバー」というのがあった。クライバーの生涯や指揮の特質など、わかりやすく解説されている。https://www.youtube.com/watch?v=tFm4K7gXQhw
 しかし、私はクライバーは、「音楽家」より広い意味での「指揮者」として、それほど高く評価できないのだ。クライバーが正規に録音、録画して市販されたものは、すべて所有しており、すべて複数回聴いているから、彼の指揮する音楽が、非常に魅力的であることは、十分に感じている。しかし、指揮者は、演奏することだけが仕事ではない。そこが他の器楽奏者とは違うところだ。
 たとえば、ピアニストがある日の演奏会をキャンセルしたり、あるいは、レコーディングした結果が気にいらなかったので、OKを出さずに販売されなかった、という場合、その損害はピアニストが負えばよい。もちろん、スタッフもいるわけだが、大きな損失はピアニスト本人だろう。だが、指揮者はそうはいかない。演奏会がキャンセルされても、代わりの指揮者が代行すれば問題はないが、録音が終了したものを没にされたら、損害を負うのは、指揮者だけではなく、オーケストラの団員にも及ぶ。オペラの録音などは、更にソロ歌手、合唱団もいる。

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高齢者にとってのスピード

 所属している市民オケの演奏会が近づいてきて、この2日間特別強化練習だった。今回はハンス・ロットという人の交響曲1番を演奏するのが、市民オケとしては、非常に珍しいと思う。ロットについては、曲目が決まったときに、書いた。
 
 ブラームスの悲劇的序曲、ワーグナーのタンホイザー序曲、そしてハンス・ロットの交響曲を演奏する。この組み合わせは、非常に音楽史的には興味深いものだ。ロットは、まったく世に知られない作曲家だが、ここ20年くらいになって、初めて演奏されるようになってきた。作曲後100年以上経過している。それは、彼が世に出る前に気が狂ってしまい、27歳という若さで死んでしまったからだ。そのきっかけが、ブラームスにこの交響曲を見せたところ、「君は才能がないから、他の分野に進んだほうがいい」といわれたことだったとされている。ロットは、ブルックナーに高く評価されており、音楽院の後輩だったマーラーに、自分が及ばないような天才だと後世語ったほどの天才だった。22歳で書いたこの曲は、確かに、天才であることを十分に示していると思う。指揮者は、練習中、曲が未熟であることを散々述べ立てているのだが。

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珍妙なベートーヴェン交響曲全集 クルト・ザンデルリンク盤

 大分前に買って、ほとんど聴いていなかったベートーヴェンの交響曲全集がある。クルト・ザンデルリンク指揮、フィルハーモニア管弦楽団の演奏だ。5枚組で交響曲だけが入っている。たいていは余白に序曲が入っているものだが、この演奏はどれも非常にテンポが遅いので、時間的に無理だったのだろう。
 何故聴かないまま放置してしまったのかというと、最初に田園交響曲を聴いて、あまりにゆったりとして、最初は、田舎にやってきた浮き浮きした気持ちを描いたものなのに、何となく、さびれた田舎にきてしまったなあ、という感じなので、聴く気持ちにならなかったのだ。

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il bacio (イル・バッチオ)聴き比べ

 サザーランドの録音をいくつか聴いた際に、最初にサザーランドに接したイル・バッチオを聴きなおしたのをきっかけに、いくつか聴き比べてみた。youtubeにはたくさんの映像がある。そして、ピアノ伴奏とオーケストラ伴奏があり、いくつかは原曲を多少変更して、より難しくしているものもある。サザーランドはその極端な例だ。 
 イル・バッチオは、ルイージ・アルディーティというイタリア生まれの作曲家、バイオリニスト、指揮者だった人が作曲した曲で、私はこの曲以外は知らない。この曲だけで有名になっているという人だ。

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日本の評論家に不当に軽視された歌手 ジョーン・サザーランド

 日本でオペラがかなり普及するようになったのは、いつごろからだろうか。戦前は、ほとんど本格的な上演はなかったろう。そして、戦後NHKがイタリアからソロ歌手と指揮者を招いて、NHK交響楽団や日本の合唱団が加わっての「イタリアオペラ」が、オペラの魅力を伝え、1960年代にベルリン・ドイツオペラが来て、ベーム指揮の、いまでも話題になる上演をして、オペラへの注目が次第に出てきたように思う。そして、日本でも二期会が結成されて、日本人による上演を続け、やがて、80年代になるとミラノやウィーン、バイエルンなど、世界の主な歌劇場の引っ越し公演が行われるようになる。そして、クラシック音楽ファンに、普通にオペラが聴かれるようになったのは、世紀の変わり目くらいからなのだろうか。
 私は、イタリアオペラをテレビでみて、マリオ・デル・モナコやテバルディに感心して聞き惚れたのがきっかけだったが、オペラ好きな中学生などは、まったく変わり者だった。学生、院生時代には、二期会の比較的安いチケットがあったので、けっこう聴きにいったものだ。

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ジョージ・セル 二度と現れない指揮者・おっかないオーケストラ・ビルダー

 以前は躊躇していたが、ジョージ・セルのコンプリートが再入荷したというので、またまた無くなると入手できなくなる恐れがあると思い、購入した。セルのCDはあまりもっておらず、ベートーヴェンの交響曲全集、フライシャーとのコンチェルト集くらいだった。LPでは、フルニエとの共演のドボルザークのチェロ協奏曲とスラブ舞曲集があった。もちろん、セルは優れた指揮者であることはわかっていたが、ワルターやカラヤンを優先していた。残念ながら、コンプリートのなかにオペラはまったく入っていない。EMI系でもいれてないから、オペラの全曲録音はしていないのだろう。戦前ヨーロッパで育った指揮者だから、オペラをやらないはずはない。オペラの録音があれば、もっと買い集めていたかも知れない。
 
 さて、セルは20世紀後半を代表する指揮者のひとりだと思うが、極めて個性的な指揮者だったと思う。それは、音楽が独特という意味ではない。セルの指揮は、これまで接してきた限りでは、いわゆるオーソドックスな解釈で、後任のマゼールのような突飛な解釈をすることは、ほとんどなかったと思う。あるべき形で演奏され、それが最高の効果を発揮していたといっていいだろう。だから、どんな曲でも、安心して聴ける。だから、指揮者セルの特徴というと、音楽よりは、まず付随的なことが語られてきた。

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吹奏楽コンクールの問題

 夏は高校野球のシーズンという人が多いが、吹奏楽コンクールのシーズンでもある。私は、中学時代吹奏楽部に入っていたが、コンクールにでたことはなく、2年後輩くらいから出ていたと思う。そして、勤めていた大学は吹奏楽の名門で、吹奏楽部に入りたいので志望したという学生も少なくなかったほどだ。毎年金賞を獲得していたくらいだ。
 しかし、私は吹奏楽のそうしたコンクール至上主義に強い疑問をもっていたところ、youtubeの車田和寿氏が、問題を指摘しているのをみた。
 氏の指摘する問題は、コンクールに勝ちたいという目的に集中して練習をすると、ただひたすら揃った演奏、音程が正確な演奏をめざすようになってしまい、音楽そのものが軽視されるということだ。これは、私が属している市民オケにやってくる指揮者で、吹奏楽の指導もしている人は、共通にいうことだ。というよりは、とにかく、正確だが、角張った演奏をするという。

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