東京交響楽団によるリヒャルト・シュトラウス「サロメ」を聴いてきた。オペラなので、視聴してきたというべきかも知れないが、演奏会形式なので、聴いた要素が強い。とにかく、よかった。これほどすばらしいサロメを生で聴くことができるとは、思ってもみなかった。facebookをみていたら、この宣伝があったので、直ちに申し込んだ。幸い、比較的よい席がとれた。キャストは
サロメ アスミク・グリゴリアン
ヘロディアス ターニヤ・バウムガルトナー
へろで ミカエル・ヴェイニウス
ヨカナーン トマス・トマソン
他は日本人歌手たちだったが、4人の外国人歌手たちは、すべてが声量と表現力は、文句ない感じだった。しかし、上演自体がかなり困難な「サロメ」で、日本人歌手たちが多数参加していたことは、心強いと率直に思った。ただ、コロナの影響で、急遽配役の交代があり、ナラボートとナザレ人2が同一歌手が担当し、自殺してしまうナラボート役の歌手が、あとでナザレ人2で出てくるのは、ご愛嬌というところか。
何よりもすばらしかったのは、評判通りのグリゴリアンのサロメだった。登場したときから、まずスリムが体型に驚いた。モデルでもできそうなスラリとした長身で、顔も小さい。これで、サロメを歌えるのかと、正直不安だったが、最後までまったく声量も落ちず、通常よりもずっと大きな編成のオーケストラを突き抜けて、圧倒的な声を聴かせた。私は、いまでも、オペラのプリマドンナを大柄であることが必要だと思っているのだが、こんなにスリムなソプラノが、サロメを最後まで歌いきることができるということで、まず驚いてしまった。ヨカナーンにせまるときの、高慢な表現、ヘロデに、ヨカナーンの首がほしい、と実に様々な表現、断固たる主張、ヘロデをからかうかと思うと、振り回す等々を声質をかえて表現する。そして、ヨカナーンの首を前にして、恍惚となって歌う場面の表現力は、宣伝文句のいう「世界最高のサロメ歌い」を裏切らないものだった。
ただ、どうしても、カラヤンのベスト録音ともいわれる「サロメ」でのベーレンスと比べると、タイプが違うといえばそれまでだが、原作のサロメ像に近いのは、ベーレンスのほうだといえる。それは、サロメが10代の少女だという点にある。サロメは、ドラマティックな役で、歌いきりには、ワーグナー歌手のような力をもっていなければならない。DVDで評判のマルフィテーノやナディアは、歌だけでみれば、非力さがある。だから、グリゴリアンは、ショルティ盤でのビルギット・ニルソンに近い。しかし、ニルソンが実際にサロメを歌うことはなかったのではないかと思うし、歌ったとしても、様にならなかったのではないだろうか。その点、グリゴリアンは、実際に、サロメ的な演技を求められても、見栄えがするし、7つのヴェールの踊りだって、踊れるに違いない。しかし、やはり、強い女という感じで、10代の少女ではない。ベーレンスのサロメは、声の印象がもっと澄んでいるのだが、強さもある。
もっとも、10代といっても、ヘロデ王を手玉にとるのだから、グリゴリアンのサロメも、ひとつの姿なのかも知れない。
トマソンのヨカナーンも圧倒的だった。誰も寄せつけない強さを感じさせ、預言者とは、こういう人だという実感を与えていた。
東京交響楽団も演奏も、すばらしかったと思う。これまで「サロメ」を演奏したことがあるとは思えないのだが、ジョナサン・ノットの細かい指示にも、見事に反応していたように思う。
聴いて帰ったばかりなので、簡単な感想でした。