カルロス・クライバー 音楽家としては最高だが、指揮者としては?

 車田和寿氏のyoutube「音楽に寄せて」で「人気投票第一位 華麗なる天才指揮者 カルロス・クライバー」というのがあった。クライバーの生涯や指揮の特質など、わかりやすく解説されている。https://www.youtube.com/watch?v=tFm4K7gXQhw
 しかし、私はクライバーは、「音楽家」より広い意味での「指揮者」として、それほど高く評価できないのだ。クライバーが正規に録音、録画して市販されたものは、すべて所有しており、すべて複数回聴いているから、彼の指揮する音楽が、非常に魅力的であることは、十分に感じている。しかし、指揮者は、演奏することだけが仕事ではない。そこが他の器楽奏者とは違うところだ。
 たとえば、ピアニストがある日の演奏会をキャンセルしたり、あるいは、レコーディングした結果が気にいらなかったので、OKを出さずに販売されなかった、という場合、その損害はピアニストが負えばよい。もちろん、スタッフもいるわけだが、大きな損失はピアニスト本人だろう。だが、指揮者はそうはいかない。演奏会がキャンセルされても、代わりの指揮者が代行すれば問題はないが、録音が終了したものを没にされたら、損害を負うのは、指揮者だけではなく、オーケストラの団員にも及ぶ。オペラの録音などは、更にソロ歌手、合唱団もいる。

 クライバーはキャンセル魔として有名で、とくにオペラの録音が進行しているのに、途中で放り出したことが、一度や二度ではないようだ。有名なのが、ミラノ・スカラ座、ドミンゴ等によるプッチーニのボエームだ。オペラ録音だから、世界的な歌手を長期間拘束している。それが途中でクライバーが放り出した。一説には、ドミンゴがなんらかの理由で到着が遅れたために、それを口実にしたという。
 かなり初期の放り出しだったために、歌手たちの日程空白が深刻で、急遽、当時スカラ座の音楽監督だったアバドが、そのメンバーを使って、ヴェルディのレクイエムを録音したというのだ。しかし、あまりに急だったので、その後何度も録音日程が組まれたようだ。アバド、ミラノのレクイエムの録音日程をみると、すごくたくさんのセッション日程が示されている。
 
 このように、指揮者のキャンセルは、オーケストラや歌手たちの経済的損害に関わる。それ以外に、私が大きいと思うのは、演奏の質に対する問題である。ピアニストがソナタの録音にOKを出さないのは、自分の演奏に満足できないからだ。しかし、指揮者が、録音したけど、OK出さないということは、自分の指揮だけではなく、オーケストラや歌手の演奏が気にいらないと表明するようなものだ。しかし、契約したことは、そのスタッフで演奏することを了解したことなのだから、(気にいらない歌手がいたら、交代させるか、あるいは契約しなければよい)演奏者たちに自分の意思を十分に伝え、満足のいく演奏に仕上げるのが、指揮者の責任である。録音したものにOKを出さないのは、責任を楽団員に押しつけるような印象を拭えない。
 結局、クライバーが、歌劇場やオーケストラの常任ポストをえられなかったのは、こうした組織指導者としての指揮者として、大きな疑問があったからだろう。後年は、本人に常任ポストをえる意思がなかったと思われるが、若いころはあったはずだ。ハンブルグ歌劇場の常任に迎えようという話がまとまりかけたことがあったそうだが、運営人から、組織人としてのクライバーに疑問がだされて流れたことがあったそうだ。クライバーは、そうしたネガティブな評価に晒されると、それを乗りこえようとするのではなく、拒絶的になる傾向があった。ある都市で指揮をしたところ、否定的な評価が評論家から出されると、その後その都市では指揮をしない等。すべてそうだったとは思えないし、また、クライバーの演奏に否定的な評価はめったに出ないというのも確かだから、例は少ないとは思うが、そうした噂があることは間違いない。
 
 ネガティブなことばかり書いてきたが、もちろん、音楽家としてのクライバーは、本当に素晴らしい。実際の演奏を聴く機会もあった。スカラ座の「ボエーム」とウィーンオペラの「バラの騎士」だ。いくつかオペラのライブ上演の映像があるが、どれも本当に魅せる演奏だ。クライバーの演奏の魅力が、彼のしなやかな棒、そして、身体の動きによって実現していることは明らかだ。実際に、クライバーは、どのようなしぐさで指揮をするか、鏡の前で熱心に研究していたという。ベームやティーレマンのような無骨ともいえる指揮振りに比べると、実に華やかで、見ているだけでも楽しい。しかし、まだクライバーが若いときから、やがて歳をとって、こうした動きができなくなると、クライバーの指揮はどうなるんだろう、指揮そのものが難しくなるのではないかと危惧していた。そして、残念なことに、それは現実になった。60代になると、クライバーは指揮する機会がめっきり減って、やがて引退と同じような状態になってしまった。あの華麗な指揮は、聴く人を魅了しただけではなく、オーケストラ団員も魅了して、そのために魅力的な演奏を引き出したのだろう。だからこそ、若いころのような動作ができなるなったとき、クライバーは指揮することが難しくなってしまったように思う。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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