トスカニーニ 晩年にテンポが速くなった指揮者

 友人がトスカニーニのベートーヴェンを聴いて感激したということだったので、少しトスカニーニを聴いてみようと思い、ニューヨーク・フィルの古い録音を取り出した。なぜかというと、以前放送で聴いて、いいと思った記憶があることと、トスカニーニは晩年になってテンポが速くなった例外的な指揮者だと、アバドが語っていることを思い出したからだ。トスカニーニがニューヨーク・フィルの常任指揮者を勤めていたのは、1930年代だと思うが、ヨーロッパに演奏旅行にいったとき、ヨーロッパの聴衆はショックを受けたと伝えられている。そのときに、このふたつのがプログラムに入っていたはずだ。
 ベートーヴェンもハイドンも、確かに、それほど快速調の演奏ではなく、むしろ落ち着いたテンポだ。晩年のトスカニーニとは、明らかにイメージが違う。特に速いテンポのベートーヴェンの4楽章などは、現在の多くの演奏よりも遅めで、堂々とした行進という気分だ。ハイドンの時計も同じ。しかし、余白に入っているメンデルスゾーンの真夏の夜の音楽のスケルツォだけは、非常に速いテンポがとられている。

 
 こうした古い録音を聴くと、いろいろと考えるところがある。
 ヨーロッパの聴衆が何にショックを受けたかというと、伝えられるところでは、オーケストラの演奏がぴったりとそろっている点だったという。「時計」の2楽章などは、弦のメロディーがずれていたら、時計の音のようには聞こえない。いまでも、特にウィーン・フィルなどは、完璧にそろっているよりは、多少楽器間でずれていたほうが、音に膨らみが出るというので、揃えること自体にあまり価値をおかないと言われている。カラヤンがN響に客演したときに、ローゼンシュトックに鍛えられ、整然とそろった演奏をしたために、カラヤンがそれではだめだ、バスが早めにでてくるように、ということで、一瞬バスが先行する練習を散々したのだそうだ。もちろん、現在でも、揃える派とずらす派にわかれているようだが、おそらくそろえる派のほうが主要なのだろう。
 
 トスカニーニは、揃えることを徹底した指揮者なのだといえる。しかし、それには大分苦労もしたようだ。真偽のほどは確実ではないが、トスカニーニがニューヨーク・フィルに最初に赴任したときには、オーケストラのメンバーは完全に曲をしあげないまま、練習に出てきていたという。いまではアマチュアのようなものだ。つまり、リハーサルのときに、技術的な練習をしていたという。トスカニーニが怒って、かならず完全に弾ける状態でリハーサルに臨むように、ということで、それからは、不安のあるひとは、楽譜を自宅に持ち帰って、家で練習して、仕上げた状態でリハーサルに参加するようになったのだというのだ。こういう逸話で、なんとなく認識できるが、完璧なオーケストラといわれたNBC交響楽団を聴いても、私には、オーケストラが特別うまいとは思えないのだ。今の各国のプロの常設オーケストラならば、十分に技術的には、NBC交響楽団に太刀打ちできるのではないだろうか。違うのは、トスカニーニという偉大な指揮者が指導するかどうかだ。
 戦前のオーケストラは、優れたオーケストラは高い技術をもっていたが、それ以下は指揮者の要求に応じられない楽団員もいたと言われている。
 
 ノリントンが、なぜビブラートをさせないのかと質問されて、戦前の、つまり、作曲家たちが作ったときのオーケストラは、ビブラートをかけなかったのだと答えていたことがある。しかし、それは当時のオーケストラの水準からの制約であって、ウィーン・フィルとワルターのSP録音を聴く限りでは、たっぷりとビブラートをかけているし、また、メンゲルベルクは、ビブラートの練習を徹底的にやらせたといわれている。つまり、1960年代くらいまでのオーケストラは、プロであっても、全員が高い技術をもっていたわけではないということだ。
 
 なぜ晩年になって、トスカニーニはテンポが速くなったのだろう。晩年のNBC交響楽団との7番も聴いてみたが、確かに速い感じであり、CDに書かれている時間表示でも、すべての楽章で速くなっている。アバドによれば、晩年にテンポが速い傾向になったのは、トスカニーニ以外にはいない。
 では、なぜ、晩年になると、通常テンポが遅くなるのか。これはひとによっても異なるはずだが、身体全体のテンポ感覚が遅くなる傾向に合わせていくからということがひとつだ。前にも書いたように、高齢になると、様々な日常動作でミスをしないために、慎重になり、意図的に動作を遅くする。そして、それとともに、テンポ感覚全体がゆったりとするようになる。
 また、ほとんどの音楽家は、高齢になるとともに、レパートリーを厳選していく。そして、同じ曲を繰り返し演奏するようになるひとが多い。ジュリーニやクライバーなどが代表的だ。そして、それは当然最も気にいった曲だから、じっくり味わうように、慈しむように演奏したくなるのではないだろうか。多少違うことだが、ハイティンクがベルリンフィルを指揮すると、テンポが遅くなる感じがするという。それは、ベルリンフィルの表現力が素晴らしいので、思わずもっとも音を響かせてくれ、聴かせてくれという気になり、結果としてテンポが本の少し遅くなるというのだ。
 
 トスカニーニの晩年は、もっぱらNBC交響楽団を指揮していた。このオーケストラは、トスカニーニのために設立維持されており、放送用に演奏するのが役割だった。トスカニーニは、実際の引退よりも早く引退したかったが、自分が引退すると、オーケストラは解散され、失業することになるので、我慢して現役を続けたといわれている。しかも、放送するための演奏を、ほぼ一人で指揮するのだから、気にいったレパートリーに絞ることなどは、まったくできなかったに違いない。たくさんの曲を、どんどん処理していく必要があった。つまり、他の指揮者たちとは、逆ともいえるような環境での指揮活動を余儀なくされたことになる。そのことが、晩年になって、かえってテンポが速くなった理由ではないかと思うのである。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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