4人の指揮者のドキュメント・ボックスが届いたので、早速ふたり分を見た。カルロス・クライバーとカラヤンだ。クライバーは、I am lost to the world. カラヤンは、Maestro for the screen. だ。クライバーのTraces to Nowhere は何度もみたが、こちらは初めてだった。例のテレーゼ事件の録音が含まれているというので、ぜひ見たかったので、念願がかなった。
両方とも、極めて興味深い映像で、見応えがあった。クライバーのは、なんといっても、何度もでてくるバイロイトでの「トリスタンとイゾルデ」の舞台下で指揮するクライバーが、かなり視聴できること。これを全曲DVD化したら、かなり大きな話題になるに違いない。そんな映像はこれまでなかったし、かといって、この名演奏の発売は現時点でも熱望されている。CDで発売される可能性は将来はあるだろうが、指揮姿だけの映像などは、他のひとでは絶対に発売の可能性がないだろう。それにしても、ここに出てくる場面だけでも、本当に聴き応えのある「トリスタンとイゾルデ」だ。
いかんせん、録音嫌い、インタビュー嫌いのクライバーには、つかえる映像があまりないのだろう。Traces to Nowhereとかなり重なっている。特に、有名なこうもりと魔弾の射手の序曲のリハーサルを使いながら、オーケストラメンバーに語らせる部分は、Tracesのほうが詳しく、情報が多い。当時のフルート奏者が、クライバーに怒りを示す部分が、こちらにはない。Tracesのほうでは、クライバーがクラリネットに何度も注意しながら吹かせる部分があるが、彼は正規の奏者の代吹きだったので、うまくできないのは当然で、クライバーに注意しようかと思ったくらいだ、などとフルート奏者が憤る場面があった。(晩年のインタビューでのこと)クライバーは、かなり高度なことを要求するが、しかし、その奏者では無理だと思ったら、それ以上は求めなかったとも語っていたのだが。
テレーゼ事件の場面は、1分にも満たないもので、もう少し長いものと期待していた。ウィーン・フィルのメンバーの話によれば、4日間の練習で、3日間は順調にいったのだが、4日目は最初からクライバーがいらいらしていて、そして、ベートーヴェンの4番2楽章で、クライバーの不満が爆発してしまうのだが、要するに聴いていてもよくわからない。オーケストラのひとたちも、狐につままれたようだったそうだ。「テレーゼ、テレーゼ」というように演奏しないとだめだ。それでは「マリー・マリー」としか聞こえない、とクライバーは説明する。しかし、オーケストラはどうしたらいいのかわからない。そして、当時の団員の説明がはいり、誰かが笑ったのをきっかけに、クライバーの怒りが爆発して、10分休憩といって、そのまま帰ってしまったという事件だ。たぶん、なんとかこの演奏会をキャンセルしたかったのが、練習が順調にいったので、キャンセルできないという焦燥感にかられて、オーケストラにもわからないようなことをいって、混乱させ、逃走したというと、あまりにクライバーに失礼だろうか。
カラヤンのは、彼が取り組んだ映像作品の舞台裏を明らかにしたものだ。最初に映像に関心をもったのが、日本への演奏旅行で、演奏会がその後テレビで放映されるのをみて、映像の可能性に気付いたというのは、有名な話だ。なにしろ、会場では3000人しか聴けないが、テレビなら2千万人が視聴できる。おそらく、カラヤンが最初に来日したN響への客演がきっかけだったのだろうが、もっと大きなバネになったのは、NHKホールのこけら落としのときに、ホテルに帰ったカラヤンが当日の演奏をテレビで見たことが、かなりショックを受けたのだと、雑誌に書かれていたように思う。私自身が、そのテレビをみた記憶がある。完全なライブではなく、演奏会終了後2時間くらいたってからの放映だった。
しかし、それが、カラヤンの映像の初体験ではなく、映画の形で関わっていた。フルトヴェングラーのドン・ジョバンニは当然みていたろうし、自身1960年のバラの騎士を制作していた。しかし、それは映画だった。そして、当時から映画は画質が優れていたが、テレビの画質は当時は非常に悪かった。だから、カラヤンの映像は、かなりの間映画として撮られていた。これが、良好な画質で残したと同時に、現在行われているライブ映像とは違って、非常に手間隙がかかるものだったので、わずかな映像作品しか作れないことになってしまったのが、とても残念だ。映画は、当時は音と映像はまったく別撮りだった。音楽の場合には、最初に演奏を録音して、その音にあわせて演奏という演技をするわけだ。だから実際にはみられないような演奏スタイルが、カラヤンの場合には多くでてくる。実験精神か旺盛だったからだろう。
カラヤンのこのドキュメントで興味深かったのは、ベートーヴェンの交響曲全集の最初の映像の撮影の模様や、スタッフの間の考えの相違などだ。実際に制作したひとがベストと考えているのは、6番の田園だという。NHKの放送に慣れていると、この田園の映像は、あまりに不自然で、演奏を聴いている感じがせず、拒絶反応を示すひとが少なくない。わざとピンぼけした映像にしたり、オーケストラの並びがまったくありえないようなもので、スポーツスタジアムの観覧席のような段差のあるところに座って演奏する。嵐の場面では、照明の激変とともに、映っているオーケストラやカラヤンが激しく入れ代わる。映像作家の作品を見せられている感じで、とても田園交響曲を鑑賞している気持ちにならない。
考えられるだけのカメラアングルとカメラの動きの実験場という感じだ。最近のウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートのカメラワークをみていると、ここでのカラヤンの実験が、なんらかの形で取り入れられていることがわかる。
カラヤンは最晩年まで、ライブ映像を拒否する立場だったが、ごくわずかなライブ映像もある。ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート、ベルリンフィル100年記念の英雄、いくつかのジルベスター・コンサート、そして、オペラはバラの騎士、ドン・ジョバンニ、ドン・カルロだ。これらの舞台裏を知りたかったが、残念ながら、それを伝えるものはなかった。ただ、もっと生きていたらソニーと協力して、たくさんのライブ映像を残す計画はあったらしい。
カラヤンの死後、アニフの自宅にあり、カラヤン自身が編集作業をしていたテープを、誰かに、変に利用されないようにすべて消去したと説明があったのだが、これは、カラヤンの家に持ち込まれていたコピーのことなのか、それとも、それがオリジナルすべてだったのかが、はっきりしなかった。エンジニアたちは、カラヤンの編集作業は遊びのようなものと解釈していて、カラヤンがやったあと、さらに修正していたらしい。だから、オリジナルテープは、別のところにあり、ちゃんと編集されて発売されていると信じたいが。