サンジャポの統一教会論議 真摯なものだった

 この間ザンデージャポンにおける太田光の発言が、大分話題になっていた。私は、この番組をほとんど見ないので、ネットでやり取りをみていただけだが、有田氏がツイッターで、太田氏の発言は統一教会の主張そのものだ、現場を知らない者が発言するな、と意見をしたというので、今日の番組をみてみた。ネットで散々叩かれ、叩いている本人である有田氏を出演させたということで、散々批判された太田氏の独善的演説はなく、むしろそれぞれの主張者が、比較的抑制された形で、率直に意見を述べていた。とても興味深い番組だったと思う。
 
 冒頭太田氏は、自分のいいたいことは、まじめな信者がいて、そういうひとたちに対して、現在のメディアの扱いは、改心させるのではなく、かえってかたくなにしてしまうようなものではないか。そこが心配なのであって、決して統一教会の反社会的な行為を擁護しているわけではない、ということだと発言していた。

 それに対して、統一教会からの脱会を、家族が苦労して努力してきたのは、50年の歴史がある。説得するためには、どうしても隔離して話す必要がある。当初は、家族が説得していると、そこに統一教会のひとたちが、数十人もやってきて、激しく家の前で抗議行動をする。そういうことがあったので、邪魔されないところで話す必要があるのだ。それを拉致とか監禁というのは、完全に統一教会側のいうことだ、と有田氏は批判していた。
 こうしたやり取りは、太田氏のほうで、理解を示していたと思われ、有益なやり取りだった。
 
 しかし、杉村太蔵の発言は、かなり顰蹙を買うようなものだった。彼は、ずっと長い間、統一教会の反社会的な行動が問題になっていたのに、なぜ、活動をしているひとたちは解散命令を通知しなかったのか疑問だ、とけっこう執拗に主張していた。
 まがりなりにも国会議員を勤めたことがある人間にしては、ずいぶんとお粗末な発言だった。杉村氏の発言の詳細は、理解できなかったのだが、おおよそ次のようなことだったと思う。
・宗教法人法80条(認証の取り消し)には、「3 宗教法人について第一項の規定に該当する事由があることを知つた者は、証拠を添えて、所轄庁に対し、その旨を通知することができる。」という記述がある。これは、個人が通知することができるのだから、弁護士たちがなぜやらないのかというわけだ。
 つまり、所轄庁とか裁判所に頼るのではなく、個人としてできることをやるべきではないか、それをしていないのは、怠慢だというわけだろう。80条は、題名のように、「認証の取り消し」を規定しており、この通知があったら、所轄庁が審査をして、認証を取り消すことができることになっているわけだが、そうすれば、統一教会は認証を取り消され、結果として解散せざるをえなくなったはずだ、というのが、杉村氏の認識のようだが、それは完全に事実を誤解しているといえるし、またサンジャポにいたほとんどの人が、反論していた。
 現在わかっていることは、21世紀の変わり目前後に、警察が統一教会の捜査に入ろうとした時期があった。しかし、それは政治の力によって頓挫させられた。安倍晋三氏が、人事を駆使して妨害したと言われている。また、統一教会の名称変更に際して、当初は、文化庁が認めなかったのに対して、下村文科相のときに、認められた。安倍元首相殺害のあと、急速に盛り上がった統一教会の実態暴露でわかるように、自民党を中心とする政治家と統一教会の結びつきの強さが、様々な領域で政治を動かしている。国民の多くが、統一教会の認証取り消しや解散を求めていると思われるが、それは手続きの開始すらなされていない。つまり、誰かが通知をしても、結局は、所轄庁が取り消しの作業に入らなければ、何も進まないのだ。そして、所轄庁の文化庁は、明確に、現在の段階では、統一教会の解散を求めるほどの事由がないと公表しているのである。これだけ、統一教会への社会的な批判が強まっている時期ですら、所轄庁はそうした立場をとっている。まして、6月以前の段階で、紀藤弁護士たちが、通知をしたとしても、まったく取り上げられることはなかったろう。逆に、そうした通知があったのに、所轄庁はそれを否定して、統一教会を認めた、という宣伝効果をもたらしてしまう。
 
 もうひとつ、気になったことがある。信者たちは非常にまじめであると、ここでの共通理解になっているようだし、それは間違いないことだろう。多くの場合、どんな宗教であれ、熱心な信仰をもつ人は、確かにまじめな人である。私が知っている統一教会の人も、みなまじめな人間だった。
 だが、いくらまじめであっても、霊感商法などを実際に行っていれば、個人としての責任はある。まじめに信仰をもっている人間が、違法行為を「確信をもって」実行してしまうことが、統一教会の恐ろしさでもある。まじめな人間が、正しいことをしていると思い込んでやっているのだから、成果もあがるだろう。法外な値段で壺を売りつけることは、宗教とは関係ない。本当にまじめに信仰を考えていれば、それはわかるはずである。そこをわからせることは、長年の被害者救済活動をしてきたひとたちが、ノウハウを蓄積しているだろうが、犯罪行為は厳しく罰することも、正しいと思いこんでいることが、社会的には、間違っていること、犯罪であることを、身をもって学ぶことにもなるはずである。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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