「名テノール歌手 ルチアーノ・パヴァロッティ 終の住処を訪ねて」(大矢アキオ)という文章があったので、パバロッティについて考えたくなった。
大矢氏が、次のように書いていることに気になったからである。
「すなわちパヴァロッティは、18世紀末のフランスに起源を遡(さかのぼ)り、すでに多くの音楽家が学んだ近代的な音楽院という教育システムを辿(たど)った人物ではなかったのである。代わりに、国や時代は違うものの、町にやってきた若き騎士が地元の歌合戦に挑戦するリヒャルト・ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の世界に近い。
思えば、同じイタリアのバリトン歌手エットレ・バスティアニーニ(1922-1967)も、シエナの菓子工房で働いていたところ、その美声が注目され、篤志家によって声楽のレッスンの機会を得たのがプロへのきっかけだった。当然ながら、本人の才能と努力がある。しかしながら、街一番の美声の持ち主が、世界の舞台へと駆け上がれる機会が、今から僅(わず)か半世紀前までイタリアには存在していたと考えると興味深いではないか。」
つまり、パバロッティは、音楽院で学ぶことなく、その美声によって大歌手になった、そういう昔流の歌手だったというのだ。同じような立場として、バリトンのバスティアニーニをあげている。しかし、ここには、多少の誤解があるように思う。そもそも、音楽演奏家の専門的教育は、基本個人レッスンである。それは個々人の力量、個性が千差万別だから、一人一人にあったレッスンが必要で、教室での一斉授業などは、理論的なことはさておき、ほとんど無意味だからである。そして、歌手はとくにその傾向が強い。なぜなら、弦楽器や管楽器などに比較して、声はその多様性の程度が大きいからである。
車田和寿氏(ドイツで活躍するバリトン歌手)は、youtubeで、音大のランクなどは、声楽を勉強する上でほとんど意味がなく、その理由は、声楽家の教育は完全に個人レッスンだから、いい先生につくかどうかが大切だと述べている。だから、極端にいえば、音楽大学にいくかどうかすら、あまり関係がない。確かに、イタリアの、特にテノール歌手は、声がいいというだけで、トレーナーから口移しでメロディーを覚えて、それで舞台にたった歌手が、過去にはたくさんいたといわれることがあるが、少なくとも、パバロッティはそういう歌手ではない。大矢氏は、アマチュア歌手だったパバロッティの父親について触れているが、幼なじみともいうべきソプラノのミレルラ・フレーニについては触れていない。フレーニは、祖母が有名なオペラ歌手だったために、小さなころから歌手としてのトレーニングをうけ、子どものころに、すでにオペラに出演していた(本格的ではないだろうが)という、珍しい経歴の歌手である。というのは、歌手は身体が楽器なので、大人の身体にならないと、本格的な歌手としてのトレーニングが可能ではないからだ。だから、一般的に歌手は、本格的な勉強を20歳前後から始める人が多い。そして、優れた歌手はその前に、何らかの楽器を学んでいる。そこで、楽譜や音楽的解釈を培う人が多いのだ。したがって、パバロッティの歌手としての本格的な訓練は、決して遅いわけではない。パバロッティは、フレーニと同じような環境で子ども時代を過ごした。そこで、音楽に関する知識を豊富に身につけたはずである。アマチュアといっても、父親は、「俺のほうがうまい」などといっていたくらい、優れた歌い手だったし、一緒に合集団に加わっていたのだから、単に歌っていただけの少年期ではなかったはずである。
そして、本格的にデビューする前に、きちんとした訓練を受けている。だから、パバロッティにとっては、音楽大学にいく必要がなかったというのが妥当だろう。器楽奏者でも、五嶋みどりは音大にいってないし、ヨー・ヨー・マは、音楽大学を卒業していない。
ポリーニは、音楽大学では、どういう教育をしているのかと問われて、ひたすら天才が入ってくるのを待っている、天才は何も教えることがないので、勝手にさせているというような回答をしている。半ば冗談かも知れないが、ヨー・ヨー・マもポリーニも、音楽大学で学ぶことなどは、とっくにマスターしていたわけだから、優れた指揮者や奏者との共演のなかで、更なる訓練をしていったといえる。
バスティアニーニもパバロッティに似たようなものだろう。パバロッティほどの音楽環境がなかったようだが、それでもイタリアに育って、声がよければ、本格的な合唱団で歌いつつ、音楽的教養を身につけることができたと思われる。
極端な言い方だが、どんなものでも学ぶ形態は様々であり、学校はそのうちのひとつに過ぎない。パバロッティやバスティアニーニを特別な形とみるのは、間違いだろう。