高齢者にとってのスピード

 所属している市民オケの演奏会が近づいてきて、この2日間特別強化練習だった。今回はハンス・ロットという人の交響曲1番を演奏するのが、市民オケとしては、非常に珍しいと思う。ロットについては、曲目が決まったときに、書いた。
 
 ブラームスの悲劇的序曲、ワーグナーのタンホイザー序曲、そしてハンス・ロットの交響曲を演奏する。この組み合わせは、非常に音楽史的には興味深いものだ。ロットは、まったく世に知られない作曲家だが、ここ20年くらいになって、初めて演奏されるようになってきた。作曲後100年以上経過している。それは、彼が世に出る前に気が狂ってしまい、27歳という若さで死んでしまったからだ。そのきっかけが、ブラームスにこの交響曲を見せたところ、「君は才能がないから、他の分野に進んだほうがいい」といわれたことだったとされている。ロットは、ブルックナーに高く評価されており、音楽院の後輩だったマーラーに、自分が及ばないような天才だと後世語ったほどの天才だった。22歳で書いたこの曲は、確かに、天才であることを十分に示していると思う。指揮者は、練習中、曲が未熟であることを散々述べ立てているのだが。

 当時のヨーロッパ楽壇は、ブラームス党とワーグナー党に分かれてお互いに罵り合っていた。ブルックナーに可愛がられていたロットは、明らかにワーグナー党であり、フーガを重視し、ブラームスを思わせる部分があるのだが、やはり、全体としてワーグナーに惹かれていることは明らかだ。ブラームスはそれを許せなかったのだろう。それはさておき、この三者関係を考える上で、この3人の曲を続けて聴くことは、多いに参考になるのではないか。
 
 今回ここで書きたいことは、そういうことではなく、当初はマーラーの第6交響曲とドビッシーの曲だったのだが、負担が大きいということで(コロナのために練習に制約がある等)、曲目を再検討した結果、この3曲になったのだが、私にとっては、負担は格段に大きくなった。その主な理由は、非常に速いテンポで演奏する部分が、かなり多いことだ。ロットの4楽章には、まったく休みがなく、速いテンポで演奏する部分が(しかも大部分はフーガ)6ページも続き、市販CDのとの演奏より、速く弾くことを指揮者は要求している。嫌いな曲だから、さっさと終わりたいと思っているのかと勘繰りたくなるほどのテンポだ。
 そして、タンホイザーにも、皆が苦労している速い部分がたくさんある。
 しかも、このふたつはホ長調で書かれている。チェロをやっている人には、わかりやすいことなのだが、ホ長調は、1オクターブの音階を弾くだけで、2度大きくポジション移動しなければならない。どの高さの音階でもそうだ。だから、曲ともなれば、頻繁にポジション移動が必要となり、それが速いテンポであれば、私のようなど素人には、超難関な部分になる。
 高齢者にはこれがつらい。
 
 高齢者は、動作がゆっくりしている。ゆっくりでしか身体が動かないということもあるが、意図的にそうしている部分が大きい。私の場合は、まだ、それなりに素早い動作は可能だが、それをすると、ミスが多くなる。何かにつっかかったり、手とぶつかって物を倒したり、あるいは、何かを掴み損ねて落したりといったようなことだ。これは、高齢者特有の現象といえる。
 例えば、何か物を掴もうとするとき、掴むという意識をして、手をのばして掴み、そして、それをこちらに寄せる。こういう一連の行為は若いときには、なんの問題もなく実行できるのだが、高齢者になると、「掴もう」という意識は、若いころと同じだが、「手をのばして掴む」という行為は、ほんのわずか遅くなる。しかし、意識は同じなので、掴みきる前に、「こちらに寄せる」という動作に移ってしまう。そこで、その物を落してしまうのである。これは、私が見る限り、高齢者になると、誰にでも起きる現象である。
 これを防ぐことは、簡単にできる。「意識」を高齢者用に遅くする、つまり、「確認」する意識と行為を挿入するのである。「掴む」ことを「ちゃんと掴んだ」かどうかを意識として確認する。そうすれば、物を落とすことはない。だから、私は、ほとんどそういう失敗をしなくなった。しかし、これは、意識的に動作を遅くすることに他ならない。そして、ほとんどすべての行為について、このように意識の確認とそのための動作を遅くすることを実行するようにしている。
 このことは、当然のことながら、「速い動作」を普段しなくなることになる。だから、今回の曲目は、かなり困難な課題となっている。ただし、速く弾くというのは、要するに筋肉運動であり、どんなに高齢になっても、筋力は向上させることができる、とされているからは、これは年齢への挑戦ともいえる。しかも、速く演奏できるようになって、コップを落とすというような、マイナスの結果はありえない。だから、こういう面から、素早い動作が復活できるかも知れないとも思う。
 
 速い曲を演奏できるようにする「原則」ははっきりしているようだ。
・メトロノームなどを使って、最初はゆっくり、そして、次第にテンポをあげていく練習をする。
・楽譜を可能な限り暗譜して、楽譜で音を追うことなく演奏できるようにする。
 あと一カ月、挑戦が必要なようだ。その結果はまた報告しよう。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です