ネルソンスのニューイヤーコンサート

 恒例のニューイヤーコンサートを聴いた。
 初登場のネルソンスが独特の服装で指揮をして、ときに踊るように、また、わずかな指先だけの合図を送ったり、はたまたオケに委ねたり、多様な指揮ぶりを見せてくれた。最初のインタビューで10年間のウィーンフィルとの仕事があったので、練習などがやりやすかったと語っていたように、相互の信頼が深いことが感じられた。ラトビア出身だから、ウィーン音楽をバックボーンに育った人ではない。ウィーンの民族音楽ともいうべきウィンナワルツを指揮することは、決してやさしくないが、小沢とは違って、ウィーン流にやろうとする姿勢が明確だったように思う。小沢は、ウィーン方言ともいうべき慣習は、ほとんど無視して、楽譜に書いてあるとおりにやるのだという指揮をして、ウィーンフィルを怒らせてしまったが、若いころから国際的に活躍しているし、また、なんといってもヨーロッパ出身なので、小沢とは違うのだろう。(ウィーン以外にいけば、小沢流は多数派だが)
 しかし、それでも、やはり、違和感が感じられるところが散見された。 “ネルソンスのニューイヤーコンサート” の続きを読む

思い出深い演奏会2

 昨日の続きで、思い出深い演奏会第二弾です。
 以前facebookで、友人と好きな指揮者の話になり、彼がフルトヴェングラー・ムラビンスキー・カルロス=クライバーという名前をあげたので、ずいぶん通だなあと感心し、対応した感じであげれば、私はワルター・カラヤン・アバドになる。彼が「精神派」とすれば、私は「感覚派」ということになるだろうか。非精神派といってもいい。音楽の演奏が、何か精神的な思考や思想を表現しているというのが、精神派で、フルトヴェングラーファンはだいたいそうだ。そして、たいていアンチカラヤンである。非精神派は、音楽は音楽で、思想とは関係ないというの考えで、純粋に音楽的な美を重んじるわけだ。ワルターは、私が高校生のときに死んでしまって、もちろん日本には一度も来ていないので、実演を聞く機会をもった日本人は、極めて少ないのだが、カラヤンとアバドは何度もきた。カラヤンは2度演奏会で聴いたが、会場が普門館という、音楽ホールではなく、何か宗教的な会場らしいのだが、とにかく広大なホールで、音が分散してしまい、あまり、ベルリンフィル・カラヤンの醍醐味を味わうことはできなかった。とても残念だ。そのときの曲目は、ベートーヴェンの1番と3番、そして、2日目が第九だった。第九は最前列だったので、カラヤンの指揮姿をよく見ることができないはよかった。カラヤンの指揮はさっぱりわからないと、アンチのひとたちはよくいったものだが、第九は音大の学生が合唱で多数出ていたのだが、不安なく歌っていたから、わかりにくいことはないのだろうと感じた。この一連のベートーヴェン全曲演奏は、CDにもなっているので、もう少し安くなったら購入しようかと思っている。 “思い出深い演奏会2” の続きを読む

思い出深い演奏会1

 今日、他の話題で書く準備をしていたのだが、少々調べ不足であるために、もう少し時間をかける必要があると感じた。お茶を濁すわけではないが、気軽な話題をひとつはさむことにした。題名の通り、「思い出深い演奏会」である。
 熱心に演奏会に通っていたのは、学生・院生時代だ。今でもあると思うが、「学生割引」という制度があって、一回の入場料がだいたい500円だったので、かなり気軽に演奏会にいくことができた。結婚して、仕事についてからは、どうしても演奏会から遠のき、今は自分で市民オーケストラに所属しているので、演奏することが中心となって、あまり演奏会にはいかない。たまにオペラにいく程度だ。それでも、小学校時代から、近所で行われていたテレビ番組のための演奏会(無料だった)に、ちょくちょくいっていたので、60年は通っていることになる。
ポリーニ
 一番強烈な感動をした、思い出深い演奏会は、マウリッツィオ=ポリーニがN響に出演したときだ。当時のポリーニのリサイタルのチケットはまず入手不可能だと思っていたので、N響に出演するから、定期会員になれば聴けると思って、会員になり、3年間ほど通った。渋谷は遠いので、その後やめたのだが。ポリーニの2度目の来日で、まさしく敵なしのような圧倒的な存在で、全盛期である。 “思い出深い演奏会1” の続きを読む

管弦楽と吹奏楽 実はかなり違う合奏体だ

 今日は、私が所属する市民オーケストラ(管弦楽団、以下オケと略)の演奏会だった。実はオケ独自の演奏会ではなく、毎年この時期に行う市民コンサートのために組織される合唱団との合同演奏会で、今回は、ブラームスのドイツレクイエムを演奏した。今年は、ドイツレクイエムの初演150周年ということで、あちこちで演奏されているので、聴いたひともいるに違いない。私が住んでいる近隣でも、4つくらいのドイツレクイエムの演奏会があった。そういうためか、いつもの市民コンサートに比較すると、聴衆が若干少なくて、残念ではあったが、演奏は、まあ良かったのではないだろうか。
 さて、オケの演奏会をきっかけに、普段、学生たちとよく議論するテーマについて書いてみることにした。それは、表題の通り、管弦楽と吹奏楽(ブラスバンド 以下ブラスと略 最近はウィンドーオーケストラという名称の団体もある。)の違いである。私の勤務する大学は、吹奏楽部が有名で、100人以上の部員が常にいる。そして、コンクールがあると必ず金賞を獲得してくる。だから、ブラスをやるために志望して入ってくる学生も少なくない。日本は、中学高校のほとんどにブラスの部があり、小学校にもかなり普及している。しかし、オケがある学校は極めて少ない。さすがに大学になるとオケはたいていあるようだが。
 何故、日本の学校にブラスはかなり普及しているのに、オケはほとんどないのか。非常に残念に思っている。 “管弦楽と吹奏楽 実はかなり違う合奏体だ” の続きを読む

指揮者マリス・ヤンソンス死去

 指揮者のマリス・ヤンソンス氏が亡くなったという。まだ76歳ということなので、指揮者としては、まだまだこれから絶対的巨匠の道を歩むのだと思っていたので、ショックを受けた。私は、ヤンソンスの演奏をそれほど多く聴いているわけではないし、特別なファンでもないのだが、なんといっても、世界の代表的な指揮者であるし、日本にも何度も来ている。
 私が一番熱心に視聴したヤンソンスの映像は、若手指揮者に対する公開レッスンだ。短いレッスン風景の映像は、たくさんあり、小沢征爾などのもあるが、ヤンソンスのは、長時間の、文字通り公開レッスンそのものを映像化する目的で撮影されたようなもので、確か、舞台裏のレッスンを受けるひとたちの動向なども、たくさん写していた記憶がある。
 指揮の公開レッスンというのは、見ていて非常に面白い。そもそも、指揮を教えるってどういうことなのだろうか、と考えてしまうものが多い。 “指揮者マリス・ヤンソンス死去” の続きを読む

ワルターのリハーサルCD

  ワルター・コンプリートで一番ほしかったのは、モーツァルトのリンツ交響曲のリハーサルだ。私は、コンプリートに入っているものは、実はほとんどもっているのだが、これがほしくて注文した。1955年に録音されたリンツ交響曲のリハーサルを録音したもので、発売当時は、リンツのレコードのおまけとして付けられたと、何かで読んだことがある。おまけだから、その後再発売されることはなく、幻の録音だった。今では、リハーサルを商品化したものは、いくつもでているが、これがおそらく最初のものだったのではないだろう。カラヤンの第九のレコードやベームの「トリスタントイゾルデ」全曲盤の余白に、リハーサル風景がついているというようなことがあったと記憶するが、おそらく、これだけの量の録音が添付されることはなかったし、現在でも稀である。実際に90分以上で、しかも、各楽章の最初の練習がだいたい納められている。
 リハーサルが市販されるようになったのは、映像メディアが流通するようになってからである。カルロス・クライバーの有名な「こうもり」と「魔弾の射手」のリハーサルも最初はLD(レーザーディスク)で発売された。これも当初は、テレビ放映用に撮影されたもので、市販することが計画されていたわけではないと思われる。ほとんどのリハーサル録音・録画は、実際の録音の準備として行われるものを、録音・録画したものだから、当然、本番とセットになっている。ワルターのものも同様である。私の知る限り、唯一の例外として、リハーサルのみが製品となっていて、本番がついていないのは、アバド指揮によるヴェルディの「レクイエム」だ。リハーサルが苦手で、下手であるという評判のアバドが、リハーサルだけの製品をだしているのは、面白い。
 さて、ワルターのリンツのリハーサルだが、当時から「演奏の誕生」という題が付けられていた。 “ワルターのリハーサルCD” の続きを読む

音楽録音の音づくりを考える ブルーノ・ワルターのCD

 多くの人は、自分の音楽的感性を、最初に聴き込んだ人の演奏によって形成するのではないか。またクラシック音楽では、同じ曲でも多数の演奏があるが、好きな演奏は、多くがやはり最初に繰り返し聴いた演奏である。私の場合は、ブルーノ・ワルターだった。ブルーノ・ワルターといっても、知らない人が多いと思うが、1960年に亡くなった指揮者で、ユダヤ人であったために、ヨーロッパからアメリカに亡命して、戦後なんどか演奏旅行にヨーロッパに出かけたが、ずっとアメリカに住んで活動した。アルトゥール・ニキシュが亡くなったとき、ベルリン・フィルの地位を継ぐのはワルターだと言われたのに、フルトヴェングラーに決まったのだが、これは、フルトヴェングラーがかなり裏で工作をした結果だと言われている。ミュンヘンのオペラの音楽監督も、ナチの信奉者であったクナッパーツブッシュによって追われたと言われているので、政治的感覚はほとんどなかった、純粋芸術家だったのだろう。戦前最も優れたワーグナー指揮者であったが、バイロイトには一度も登場していない。ユダヤ人であったことがもちろんその理由だが、さすがにバイロイト側も、ワルターを無視することはできず、リストの娘であり、ワーグナーの妻だったコジマが、ワルターを招いて面接のようなものをしたときがある。そのときコジマが、ヴェルディのオペラをどう思うか、と質問し、当然のように、ヴェルディは素晴らしい作曲家だとワルターは答えたが、ヴェルディを好きな指揮者など、バイロイトには不要だ、とそのまま呼ばれることなく、ワルターはアメリカに去った。もちろん、ヴェルディを高く評価しているから呼ばれなかったわけではない。その証拠に、ヴェルディを神のように尊敬していたトスカニーニは、何度かバイロイトで指揮をしている。このトスカニーニ、フルトヴェングラー、ワルターを20世紀前半期の三大指揮者と、通常呼んでいる。
 私は、小さいころから、ワルターのレコードで音楽を聴くようになって、現在でもワルターファンである。演奏の特徴等は別の機会にして、今日、ワルターの旧コロンビアに録音したすべてを集めたコンプリートが届いたので、レコードとCDについて考えてみた。 “音楽録音の音づくりを考える ブルーノ・ワルターのCD” の続きを読む

オペラ随想 聴衆の登場とオペラ

 現代の音楽に限らず、演ずる芸術は、聴衆の存在があって初めて成立する。文学にとっては読者が必要だが、まったく読者がつかない文学はありえる。そして、死後評価されるようになる文学も存在する。しかし、音楽は、聴く者の存在なしには存立し得ないといってよい。聴くものがいないまま、作曲家が死んだあと、何かのきっかけで、その作曲家の作品の人気がでることは、個別の曲としてはあるが、作曲家としては、私の知る限り存在しない。有名な作曲家は、生きているときから有名だったのである。何故そうなのか、確信はないが、おそらく、音楽は、創作(作曲)と鑑賞者(聴衆)の間に、演奏者という媒介者が必要だからではないと思う。古くは、作曲家が演奏することが多かったにせよ、やはり広く知られるようになるためには、他の音楽家によっても演奏されることが必要だったろう。特に、ロマン派以降は、作曲家と演奏家は分離してくるから、尚更である。演奏家もプロだから、曲への共感がなければ演奏しない。演奏家がすばらしい音楽だと思うから演奏する。そして、優れた音楽だと感じれば、今度は、演奏家が自分の存在意義として、活発に演奏して、広く知らしめるだろう。従って、優れた音楽を創作した作曲家は、聴衆をたくさん獲得し、そして、そのことによって、作曲家としての地位を固めていくことができる。 “オペラ随想 聴衆の登場とオペラ” の続きを読む

オペラの読み替え、筋変更は何故 ローリングリンの場合

 二期会の「蝶々夫人」の筋の変更について書いたが、筋の変更は、現在ではむしろ普通のことになってしまった。結末を変えるのは、むしろ大人しいほうで、時代や登場人物の社会的存在まですっかり変えてしまうことも珍しくない。ワーグナーの「タンホイザー」では、原作は、吟遊詩人の話だが、画家だったり、詩人だったりする。近年のバイロイトでは、自動車工場が舞台になっている。あまりに馬鹿馬鹿しいので、どうしても直ぐに視聴するのを止めてしまう。ワーグナーはどれもみな長いので、実際の舞台での視聴なら最後まで我慢するが、DVDやBDだと、途中で放り出してしまう。そうした素材の分析をこのブログに書くように心がける以外に、全部見る方策はなさそうだ。
 実は昨年の二期会での上演をみて、文章を書いていたのだが、アップしていなかったのがあるので、多少書き直してアップすることにした。 “オペラの読み替え、筋変更は何故 ローリングリンの場合” の続きを読む

ベートーヴェンはオーケストレーションが下手?

 もうひとつのベートーヴェンへの疑問が、オーケストレーションが下手だというものだ。あまり詳しく書かれていなかったので推測にすぎないが、この方は、ラベルとかマーラーなどを念頭において、ベートーヴェンのオーケストラ曲が、色彩感が乏しいと思っているのではないだろうか。しかし、ラベルやマーラーを基準にべートーヴェンを批判するのは、いかにも当時の状況を無視している。ラベルの時代には、楽器改良がほぼ完成し、更に奏者の技量もあがった。音楽学校が整備されてきたことも影響している。オーケストラの編成も大きくなり、華麗な響きだけではなく、さまざまな多様な音色を高い技巧で表現できるようになっていた。更にマーラーは、優れた指揮者だったから、自分のオケで試しの演奏をして、そのあとで修正することが充分に可能だった。
 では、ベートーヴェン時代の考慮すべき事情とは何か。
 第一に、ベートーヴェンの時代には、貴族のお抱えオーケストラ以外には、プロの常設コンサートオーケストラは存在しなかった。 “ベートーヴェンはオーケストレーションが下手?” の続きを読む