管弦楽と吹奏楽 実はかなり違う合奏体だ

 今日は、私が所属する市民オーケストラ(管弦楽団、以下オケと略)の演奏会だった。実はオケ独自の演奏会ではなく、毎年この時期に行う市民コンサートのために組織される合唱団との合同演奏会で、今回は、ブラームスのドイツレクイエムを演奏した。今年は、ドイツレクイエムの初演150周年ということで、あちこちで演奏されているので、聴いたひともいるに違いない。私が住んでいる近隣でも、4つくらいのドイツレクイエムの演奏会があった。そういうためか、いつもの市民コンサートに比較すると、聴衆が若干少なくて、残念ではあったが、演奏は、まあ良かったのではないだろうか。
 さて、オケの演奏会をきっかけに、普段、学生たちとよく議論するテーマについて書いてみることにした。それは、表題の通り、管弦楽と吹奏楽(ブラスバンド 以下ブラスと略 最近はウィンドーオーケストラという名称の団体もある。)の違いである。私の勤務する大学は、吹奏楽部が有名で、100人以上の部員が常にいる。そして、コンクールがあると必ず金賞を獲得してくる。だから、ブラスをやるために志望して入ってくる学生も少なくない。日本は、中学高校のほとんどにブラスの部があり、小学校にもかなり普及している。しかし、オケがある学校は極めて少ない。さすがに大学になるとオケはたいていあるようだが。
 何故、日本の学校にブラスはかなり普及しているのに、オケはほとんどないのか。非常に残念に思っている。オケのほうが、音楽の合奏体としては、明らかに優れているのだから、もっとオケを普及させるべきである。私自身は、部活廃止論者なので、地域に青少年オケが複数あることが理想だが、現在の学校部活の前提で考えれば、やはり、吹奏楽部より管弦楽部の普及をすべきだと思っている。「明らかにオケのほうが優れた合奏体」などといえるのか、と疑問をもつひともいるかも知れないが、オケにはブラスが入っている、それに弦楽器群が加わったのがオケだから、表現力がオケのほうが圧倒的に多彩であり、従って、優れていると断定できるのである。
 ブラスの学生とよく議論をするのだが、そうした経験も踏まえて、オケとブラスの違いを考えてみよう。以下思いつくまま。
1 ブラスには重要なイベントとしてコンクールがあるが、オケにはない。ブラスのコンクールは、かなり普通だが、おそらく、世界中オケのコンクールは存在しないだろう。これは、重要な違いだ。コンクールは、スポーツの試合も含めて、「人数」や「参加者の資格」が厳密に決められている。大学のブラスのコンクールでは、50名(上限)という感じが多いようだ。そして、もちろん、その大学の学生でなければならない。スポーツなどでは、留年して5年目の学生などは、通常出場資格がない。
 実は、オケにも大会と称するものがある。しかし、それはコンクールではないのだ。なぜならば、オケの演奏は、通常エキストラが入るものだからだ。今日の私の演奏会にも、7名のエキストラが参加した。大学のオケの大会で、**大学のオケが参加しても、通常、他大学の学生や大人がエキストラに入ることが認められる。だから、コンクールの前提が整わないのだ。ここで、最も本質的な相違が現われる。
2 オケは、ほとんどの場合、クラシック音楽を演奏するが、ブラスはクラシック音楽を演奏することは滅多にない。この場合の「クラショック音楽」とは、レナード・バーンスタインによる厳密な意味で使う。それは、「楽譜に厳密に演奏内容が記されている音楽」のことである。そこには、楽器編成とそれぞれの楽器が演奏する音楽(楽譜)が正確に指定されている。クラシックとは古典という意味だが、楽譜に記されているから、残るわけである。20世紀に作曲されても、正確に記譜されている音楽は、クラシック音楽だ。
 オケがクラシック音楽を演奏していることについては、誰も異存がないだろう。楽譜の指定だから、そのオケのメンバーに演奏者がいない楽器の奏者をエキストラとして、臨時に入ってもらう必要が出てくるわけだ。また奏者の人数が足りない場合も、同様に補充する。
 ブラスはそういうことを、ほとんどしない。ブラスといえども、その団体のために作曲された楽曲を演奏するなとということは、まず考えられない。既存のブラス用の楽譜を使用する。作曲家は、当然ブラスの曲であっても、楽器を指定するし、想定人数もある。しかし、各ブラスの団体は、人数も楽器編成も異なる。クラシックの音楽団体なら、不足の楽器はエキストラをいれ、団員がいても、その曲で使用されていない楽器は、演奏に参加しない。しかし、ほとんどのブラスはそういう措置をとることはない。団にない楽器については、似た楽器で代用される。使われない楽器で代用できれば好都合だろう。そして、使われない楽器に対しては、他の楽器の譜面を適宜割り当てる。そうやって、みんなで演奏するのだ。だから、多くの場合、ブラスには、編曲ができるひとがいる。編曲といっても、単なる割り当てだから、そんなに難しいことではない。
 私の大学のブラスが、マーラーの交響曲5番をやるというので、ゼミ生とだった部員に、そのスコアを貸してあげたら、非常に喜んでいた。これで、編曲が早くできるというわけだ。つまり、学生たちが、オケのスコアから、適宜抜粋して、ブラスの楽器に割り当てていくのである。そして、当然全曲演奏するわけではないので、おそらくブラスに適した部分の抜粋バージョンを作成するのだろう。通常の演奏会であれば、オケは決してこのようなことはしない。
 つまり、オケは、オケ用に作曲された曲を、その通りに演奏することが目的であるのに対して、ブラスは、所属している団員が演奏することが目的なのである。オケは、曲に合わせて楽器群(演奏者)を変え、ブラスは、団員に合わせて、曲を編曲するという、大きな違いがある。
3 このことにかかわって、ブラスのひとたちは、協力とか団結というような集団性を重視する。吹奏楽部の学生に、何が楽しいの、と質問すると、ほとんどの学生は、みんなと協力してつくりあげることや、よい人間関係をつくることが楽しいという回答が返ってくる。演奏しているときの感動などという学生には、まだあったことがない。これは、市民吹奏楽でも、同じらしい。その証拠と私には思われるのだが、私の所属オケと同じ地域の吹奏楽団があるが、制服がある。けっこうはでなもので、私などは、それだけでひいてしまうが、みんな楽しそうにその制服をきて、演奏会に臨んでいた。制服のあるオケなど、私は聞いたことがない。まず絶対ないといってもよい。なにしろ、エキストラが入るのが、当たり前の世界なので、制服があったら、エキストラのために制服を新調しなければならない。急に誰かが病気になったから、急遽エキストラを頼むということだってある。服装に関して、それで困ることはない。だいたい、世界中、オケの正規の演奏会では、上下黒で蝶ネクタイと決まっているから、オケで演奏するひとは、みんなそんな服はもっている。別に特別の服ではない。
 大学の部活としてのオケであれば、協力や団結はそれなりに重視するだろうが、大人のオケでは、そうしたことが「目的のひとつ」になることは、まずないだろう。もちろん、100人近くのひとが一緒に活動するのだから、協力は必要だが、それは活動のために必要な協力をするのであって、協力するような人間関係を作ることをめざしているわけでない。ある有名オケの誰と誰は犬猿のなかで、普段口もきかないが、いざ演奏会となると、実に上手な合奏の担い手に変身するなどということが、逸話としてはいくらでもある。人間的には不仲でも、ベートーヴェンの音楽を可能な限りよく演奏するという意識は共通なので、そうしたことが可能なのだ。
4 オケのために名曲を書いた天才作曲家は、たくさんいるが、ブラスの世界には、そうした天才は、私の知る限りいない。それは合奏体ときしての音楽の表現力に、圧倒的な差があるからだ。NHKが最もお金をふんだんに使って制作するドラマ、大河ドラマのテーマ曲は、必ずN響が演奏する。それが、最も印象的な演奏が可能だからだ。

 最後に以上のことを踏まえて、何故、日本の高校までの学校では、オケはほとんどないのに、ブラスはたくさんの学校にあるのか、その理由を考えてみよう。大きく3つの理由がある。
 第一に、日本の体育会的性格のためである。日本の学校教育は、ヨーロッパなどに比較すると、異常なくらい体育的要素に力をいれている。ブラスは、軍楽隊から出発し、スポーツ競技では応援に参加する。だから、ブラスを設置することに、有力者が好意的なのである。だが、オケは、徹頭徹尾芸術団体である。オケが運動会で演奏したり、競技場で応援団と一緒に応援するなどということは、想像もできない。
 第二に、楽器の値段の違いである。管楽器は、それほど高価ではないし、学校で揃える程度の安い楽器でも、貧弱ではない演奏が可能である。しかし、オケは、弦楽器がそもそも高価なのものであるだけではなく、安い弦楽器ではいい音がでない。だから、オケを運用するのは、かなり資金が必要で、学校教育にそれだけの資金を用意するのは難しいといえる。
 第三に、管楽器は比較的習得が容易だが、弦楽器はかなり難しい。しかも、オケは基本的に楽譜で演奏が指定されているし、それはプロ用に作られているので、本格的な演奏をするためには、特に弦楽器は難しい。また、ブラスは、難しい部分は易しく編曲することに対して、抵抗感がないはずである。
 このような理由によって、現在の学校ではブラスが主流であるが、やはり、「音楽」のよさを感じるためには、オケこそが相応しいのだ。各校でオケを設置するのは難しいとしても、こうした活動が地域中心のものになっていけば、オケはもっと子どもたちのなかに普及していくのではないか。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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