今日、他の話題で書く準備をしていたのだが、少々調べ不足であるために、もう少し時間をかける必要があると感じた。お茶を濁すわけではないが、気軽な話題をひとつはさむことにした。題名の通り、「思い出深い演奏会」である。
熱心に演奏会に通っていたのは、学生・院生時代だ。今でもあると思うが、「学生割引」という制度があって、一回の入場料がだいたい500円だったので、かなり気軽に演奏会にいくことができた。結婚して、仕事についてからは、どうしても演奏会から遠のき、今は自分で市民オーケストラに所属しているので、演奏することが中心となって、あまり演奏会にはいかない。たまにオペラにいく程度だ。それでも、小学校時代から、近所で行われていたテレビ番組のための演奏会(無料だった)に、ちょくちょくいっていたので、60年は通っていることになる。
ポリーニ
一番強烈な感動をした、思い出深い演奏会は、マウリッツィオ=ポリーニがN響に出演したときだ。当時のポリーニのリサイタルのチケットはまず入手不可能だと思っていたので、N響に出演するから、定期会員になれば聴けると思って、会員になり、3年間ほど通った。渋谷は遠いので、その後やめたのだが。ポリーニの2度目の来日で、まさしく敵なしのような圧倒的な存在で、全盛期である。ポリーニは、50歳前後のときに腕の故障で不調になり、比較的早く「全盛期」とはいえない状態になってしまったが、30代、40代のときのポリーニは、すべてが完璧なピアニストだった。それに立ち会えたことは、本当にラッキーだった。
曲目はメインがショパンの2番のコンチェルトで、最初にオクターブの音をならしたときから、それまで聴いたピアノの音とは全く違う響きを感じた。前後何人ものピアノを聴いたが、NHKホールの3階なので、遠くで鳴っている感があったのだが、ポリーニの音は、まるで目の前で弾いているような、明晰な響きで迫ってきた。そして、本当に微妙な(おおげさなことは皆無)テンポと、打鍵の変化で、実に豊かな情感が感じられた。特に第二楽章の美しさは、それまでも、またそれ以後も聴いたことがないものだった。
そして、圧巻はアンコールで弾いたショパンのバラード1番だった。ポリーニの最も得意な曲のひとつだが、いかにも神秘的な物語性を感じさせ、激しい部分での完璧なコントロールには、圧倒された。普通、オーケストラの面々は、こうしたアンコールに儀礼的な拍手を送るのだが、このときには、完全に熱狂的な観衆と化していた。アンコールあと、あれほど夢中で拍手しているオーケストラメンバーを、みたことがない。N響だから、それこそ世界のトップのソリストとたくさん共演しているのだから、少々のことでは驚かないと思うのだが。
ポリーニには、バラード1番の録音が2種あるが、残念ながら、このときの演奏にはかなわない。若いころのEMI録音は、比較的近いのだが、再デビュー時のものなので、全盛期のような、どんなに激しても余裕があるというスケール感が多少不足しているのだ。もうひとつのバラード4曲演奏したものは、おそらく、腕の異常を感じていた時期ではないかと思うのだが、「余裕」が不足して、前のめり的になる。NHKは、定期演奏会の録音をCDにしているので、ぜひこのときのものだけではなく、ポリーニとのコンチェルトを市販してほしい。
パールマン
次に思い出深いのは、パールマンが都響に出演したときだ。ポリーニもそうだったが、世界のトップのソリストというのは、最初の出だしの音が全く違うのだと感じた。バイオリン・コンチェルトは、バイオリニストには過酷なものだと思うのだ。というのは、オーケストラのなかに、バイオリンは20人はいる。そして、他にたくさんの楽器があって、管楽器は大きな音を出す。そういうなかで、はっきりとソロの音が聞こえなければならない。だが、実際には、ソロがオケのなかに埋もれがちになることも、少なくない。ところが、パールマンの音は、まったく埋もれることなく、明瞭に聞こえ、かつ迫ってきた。
ところで、このときの演奏会が思い出深いのは、その見事な演奏だけではなかった。パールマンのバイオリンの弦が切れたのである。そういうときには、コンサートマスターのバイオリンを借り、コンサートマスターは、トップサイド、つまりとなりのバイオリンを借りて演奏を続ける。そして、トップサイドの人がソリスト、つまりパールマンのバイオリンをもって舞台裏にいって、弦の張り替えをして戻ってきて、それぞれのバイオリンに持ちかえるわけだ。都響の定期会員になっていたので、コンサートマスターのソロを頻繁に聴いてきた。だから、パールマンの自分の楽器の音、コンサートマスターの楽器を借りて、パールマンが弾いた音、そして、コンサートマスターが自分の楽器で弾くソロの音という3種類の音を聴いたことになる。そして、明確に、この順番でいい音だった。パールマンといえども、楽器の質によって、音が変わる。パールマンの楽器のほうがいいはずだから、彼の楽器の音が最もよかった。同じ楽器を弾くパールマンとコンサートマスターとでは、やはり腕の違いが出た。それは仕方ないとは思うのだが。こういう比較ができる機会というのは、滅多にないので、貴重な経験だった。
コシュラー
次は、ズデネク・コシュラー指揮の都響の演奏会だ。コシュラーは、その後都響の常任指揮者になるのだが、たしかこのときは、最初の登場だったと思う。海野義雄(N響のコンサートマスターだった人、当時はやめていて芸大教授だったかも知れない)が、ベートーヴェンのバイオリン・コンチェルトを弾いたのだが、これは、誰かの代役だった。当初の予定が誰だったは忘れてしまったのだが、外国人で、来日していたのだが、前日だかに怪我をして、本当に急遽の交代だった。当日の昼間の練習に参加したかどうかも、実はわからない。もしかしたら、完全にぶっつけ本番だったかも知れない。最初のうちは、何か模索状態という感じで、バイオリンの音もどこかさえなかったのだが、次第に調子が出てきて、不安も吹き飛んで、きちんと事前のリハーサルができていたかのような演奏が繰り広げられた。プロってすごいものだと感心したものだ。
私が聴いた演奏会ではないが、数年前に、ウィーンでマーラーの「大地の歌」を演奏したときに、マチネー(午後の演奏会)の午前中の練習の最中に、テノールが歌えなくなってしまうというアクシデントが起きた。そこでウィーンにいるテノールを探して、ボタという歌手が、ホテルにいて、10年前に歌ったことがあるというので、急遽代役を頼んだ。演奏会が始まる直前だった。ボタは急いで服装を整え、タクシーに乗ったが、当然演奏開始には間に合わないし、10年前に歌ったきりなので、タクシーのなかで、楽譜を読み返して復習したようだ。「大地の歌」というのは、テノールとアルトが交互に3曲ずつ歌う、オーケストラ伴奏の歌曲集なのだが、最初にアルトのナンバーを続けて歌ってもらって、それが終わるころに、やっと会場に到着、そのまま舞台にあがって、無事歌いおえたそうだ。曲の順番は狂ってしまったが、主催者も、オケも、聴衆も本当にほっとしたことだろう。
コシュラーに戻る。メインの曲はリヒャルト・シュトラウスだったが、曲名は忘れてしまった。これが思い出深いのは、始まった当初は、オケの音があまりさえなく、大人しかったのだが、少しずつ音色が変わっていって、後半になると、バイオリンの音がまるで違う、艶やかな音に変質していたのだ。おそらく、コシュラーの指揮によるものだろう。どういう指示をしたのかは、もちろん、私にはわからなかったが、何か合図を送っていたに違いない。こういう風に、途中でオケの音色が一変したのは、あまり他に記憶がない。
コシュラーは、ミトロプーロス指揮者コンクールで、アバドと一位を分かち合った実力者だったが、後年祖国のチェコで舌禍事件をおこしてしまい、晩年は不遇だったようだ。優れた指揮者だったのだが、あまり録音なども、日本では発売されておらず、残念だ。(続く)