チェリビダッケのリハーサル2

 「チェリビダッケのリハーサル1」を書いてから、いくつかチェリビダッケの演奏を聴いてみた。
 チェリビダッケはレコーディングをまったく許さなかったという点で、他に存在しない指揮者だった。レコーディングが嫌いな指揮者は、カルロス・クライバーなど他にもいる。しかし、クライバーは、CDでは12枚分の正規録音を残しているし、映像は、正規に許可したものもいくつかある。ただし、死後、自分のライブ録音を市販することを、厳格に禁じる遺言を残していたらしい。だから、私の知るかぎり、死後表れたライブ録音の製品化は、皆無ではないが、極めてわずかだ。「ばらの騎士」「椿姫」「ボツェック」などだろう。しかし、これらは、ファンから真っ先に望まれている音源とはいえないところが、不思議だ。クライバーファンが望んでいるのは、おそらく、バイロイトでの「トリスタンとイゾルデ」、ミラノでの「オテロ」と「ボエーム」などだろう。もちろん、いずれも鮮明な録音で残れされているはずである。とにかく、クライバーは生前は僅かだが、正規のレコーディングを残した。(しかし、晩年は演奏そのものをしなくなったし、セッション録音は、かなり早い時期からしないようになって、発売されるものはほとんどがライブ録音になった。)しかし、死後、録音されているライブを絶対に発売しないように禁止した。 “チェリビダッケのリハーサル2” の続きを読む

チェリビダッケのリハーサル1

 チェリビダッケのDVDボックスが格安で売られていたので、入手して、リハーサルを見た。ミュンヘン・フィルとのブックナーの交響曲9番である。また、クラシカジャパンで放映されたベルリンフィル復帰コンサートの7番を再度見直した。
 率直にいって、私はチェリビダッケは好きではない。どちらかというと嫌いな指揮者だ。よくあるパターンで、あのテンポの遅さに耐えられない。また、指揮者としては理論派で、とにかく哲学的な内容をオーケストラ団員にも長々と語る。オーケストラの楽団員にとっては、そういうお話は、有り難くない。むしろ、うんざりするのが本心だろう。ベルリンフィルとのビデオでは、現在は引退した古い団員のチェリビダッケに関する思い出話がかなり出てくる。チェリビダッケがベルリンフィルを指揮していたころは、当然20歳前後の若手だった。チェリビダッケが団員と軋轢が生じたのは、主に古参団員との間だったようで、若手には人気があったそうだ。フルトヴェングラーがナチ協力の疑いで、演奏禁止されていた時期、ほとんどの演奏会をチェリビダッケが指揮していた時期もあったようだし、結局、フルトヴェングラーの死の直前に、最終的な決裂をして、ベルリンを去るまで、絶対的な指揮者であったフルトヴェングラーよりずっと多くの演奏会を指揮していたはずである。しかも、最初にベルリンフィルを指揮したときには、まだ音大を卒業したばかりで、実際のオーケストラを指揮した経験がほとんどなかったというのだから驚きだ。あの時代でなければ、絶対になかったチャンスだった。しかし、ものすごい勉強で、ほとんどの曲を暗譜で指揮したという。しかも、かなりベルリンフィルとしても新しいレパートリーも含まれていた。 “チェリビダッケのリハーサル1” の続きを読む

ベルリオーズの「ファウストの劫罰」

 ベルリオーズの「ファウストの劫罰」は、ずいぶんと奇妙な音楽だ。もちろん、ゲーテの「ファウスト」の内容に剃った音楽だが、構成は違うところが多いし、また、原作にはない場面が挿入されていたりもする。また、ベルリオーズ自身が、どのような形態での上演を考えていたのかも、あまり明確ではないようだ。
 更に、ゲーテのファウスト自体が、現在、原作のままで上演されることはあるのだろうか。私は、2003年に、ドイツで実際にファウストの野外公演を見たことがある。しかし、それは、原作をかなり短縮したもので、野外だから、あまり仕掛けはなく、リアルな形式での上演だったように思う。話題になったのは、メフィストフェレスが女性だった点だった。メフィストフェレスは悪魔だから、男性に限定することもないのかも知れないが、通常は男性がやる。ドイツ人に、女性だったと話したら、怪訝な顔をしていた。 “ベルリオーズの「ファウストの劫罰」” の続きを読む

読書ノート『モーツァルトを聴く』海老沢敏(岩波新書)

 クラシック音楽の聴き方に関して、「モーツァルトに始まり、モーツァルトに終わる」という言葉がある。私の場合、確かにそれが当てはまる。子どものころ、我が家にあった古いレコード、当時は既にLP時代に入っていたのではないかと思うが、我が家には、手回しの蓄音機とSPレコードしかなく、LPを買うようになったのは、2,3年後だった。そこで、ブルーノ・ワルターのSPを何度も繰り返し聴いたものだ。そこにモーツァルトのアイネ・クライネ・ナハト・ムジークとジュピターがあった。戦前のウィーン・フィルの録音だ。アイネ・クライネの演奏に関しては、いまだに、この演奏を越えるものを知らない。ただし、CDになったその演奏は、SP時代の潤いのある音質がなくなっている。SPは確かに針の音がはいって、聞き苦しかったが、回転数が速かったせいか、音そのものは悪くなかったのだ。とにかく、モーツァルトから始まったのだが、その後、ベートーヴェン、マーラー、ヴェルディとめぐって、やはり、モーツァルトが最高というところに戻ってきた。だからモーツァルト本は、できるだけ読むことにしていて、今回この本を読んでみた。 “読書ノート『モーツァルトを聴く』海老沢敏(岩波新書)” の続きを読む

蝶々夫人のオリジナル版

 昨年二期会の「蝶々夫人」を聴きにいったので、多少このオペラに関心が高まっていた。私はプッチーニは、「ボエーム」以外はあまり好きではないので、「蝶々夫人」も敬遠してきた。だから、いまだに細かいところまで理解ができていないのだが、リッカルド・シャイーが「蝶々夫人」の第一稿による公演をして、それが市販されていることを最近知り、アマゾンで購入して早速聴いてみた。
 オペラ好きの人には、よく知られていることだが、今日名作とされて、頻繁に上演されているこのオペラも、初演は大失敗で、一日だけで引っ込めてしまい、2カ月後に改訂版を上演して成功をおさめたとされている。初演を指揮したのは、著名なトスカニーニで、彼の忠告で2幕構成を3幕構成に改訂して、今に至っている。
 演奏はミラノのスカラ座のもので、歌手、指揮、オーケストラすべて優れている。演出もなかなかよかったが、私の興味はバージョンなので、そこに絞って書く。HMVのレビューで村井翔氏が、第一稿がもっとも優れているとずっと思っていたと書いているが、音楽よりは、劇の進行上、第一稿のほうが多少合理性があるように感じる。ただ、音楽という点では、「ボエーム」はどこをとっても魅力的な音楽だが、「蝶々夫人」はけっこう退屈な部分があるので、より長い第一稿は、まだすっと入っては来ない。唯一、何度も聴く第一幕最後の二重唱は、多少違う部分があったが、改訂版(通常演奏される)のほうが優れているように感じた。 “蝶々夫人のオリジナル版” の続きを読む

思い出深い演奏会3

 今回で最後だが、まずはカルロス・クライバーの2度目のオペラ。クライバーの正規録音、録画はすべて所有しており、また、すべて何度か聴いているが、すごいと思いつつ、やはり、指揮者としては、あまりに特殊な存在だったと思う。小沢征爾は、クライバーについて、「いつでも、演奏会をどうやったらキャンセルできるかを考えているようだ」などと語っていたことがあるが、およそ指揮者で、なんとか演奏を逃れたいなどという人は、この人以外には、いないだろう。ピアニストには、かなり長期間演奏活動をやめてしまう人がいるが、病気でもないのに、演奏しないというのは何故なのか。父親に対するコンプレックスという解釈が広く支持されているが、どうなのだろう。父親エーリッヒ・クライバーは、戦後は比較的早く亡くなってしまったので、あまり親しまれていないが、私自身はいくつかのCDをもっている。そして、カルロスが演奏する曲は、だいたい父親が得意にしていた曲で、その他はあまりやりたがらなかったらしい。そして、父親の演奏になんとか近づきたいという意識が強かったそうだが、二人の演奏を聴き比べた誰もが感じるように、息子のカルロスのほうが、ずっと優れていると思う。にもかかわらず、自分の演奏は父親の足元にも及ばないとずっと言い続けたというのは、本当に不思議だ。 “思い出深い演奏会3” の続きを読む

ネルソンスのニューイヤーコンサート

 恒例のニューイヤーコンサートを聴いた。
 初登場のネルソンスが独特の服装で指揮をして、ときに踊るように、また、わずかな指先だけの合図を送ったり、はたまたオケに委ねたり、多様な指揮ぶりを見せてくれた。最初のインタビューで10年間のウィーンフィルとの仕事があったので、練習などがやりやすかったと語っていたように、相互の信頼が深いことが感じられた。ラトビア出身だから、ウィーン音楽をバックボーンに育った人ではない。ウィーンの民族音楽ともいうべきウィンナワルツを指揮することは、決してやさしくないが、小沢とは違って、ウィーン流にやろうとする姿勢が明確だったように思う。小沢は、ウィーン方言ともいうべき慣習は、ほとんど無視して、楽譜に書いてあるとおりにやるのだという指揮をして、ウィーンフィルを怒らせてしまったが、若いころから国際的に活躍しているし、また、なんといってもヨーロッパ出身なので、小沢とは違うのだろう。(ウィーン以外にいけば、小沢流は多数派だが)
 しかし、それでも、やはり、違和感が感じられるところが散見された。 “ネルソンスのニューイヤーコンサート” の続きを読む

思い出深い演奏会2

 昨日の続きで、思い出深い演奏会第二弾です。
 以前facebookで、友人と好きな指揮者の話になり、彼がフルトヴェングラー・ムラビンスキー・カルロス=クライバーという名前をあげたので、ずいぶん通だなあと感心し、対応した感じであげれば、私はワルター・カラヤン・アバドになる。彼が「精神派」とすれば、私は「感覚派」ということになるだろうか。非精神派といってもいい。音楽の演奏が、何か精神的な思考や思想を表現しているというのが、精神派で、フルトヴェングラーファンはだいたいそうだ。そして、たいていアンチカラヤンである。非精神派は、音楽は音楽で、思想とは関係ないというの考えで、純粋に音楽的な美を重んじるわけだ。ワルターは、私が高校生のときに死んでしまって、もちろん日本には一度も来ていないので、実演を聞く機会をもった日本人は、極めて少ないのだが、カラヤンとアバドは何度もきた。カラヤンは2度演奏会で聴いたが、会場が普門館という、音楽ホールではなく、何か宗教的な会場らしいのだが、とにかく広大なホールで、音が分散してしまい、あまり、ベルリンフィル・カラヤンの醍醐味を味わうことはできなかった。とても残念だ。そのときの曲目は、ベートーヴェンの1番と3番、そして、2日目が第九だった。第九は最前列だったので、カラヤンの指揮姿をよく見ることができないはよかった。カラヤンの指揮はさっぱりわからないと、アンチのひとたちはよくいったものだが、第九は音大の学生が合唱で多数出ていたのだが、不安なく歌っていたから、わかりにくいことはないのだろうと感じた。この一連のベートーヴェン全曲演奏は、CDにもなっているので、もう少し安くなったら購入しようかと思っている。 “思い出深い演奏会2” の続きを読む

思い出深い演奏会1

 今日、他の話題で書く準備をしていたのだが、少々調べ不足であるために、もう少し時間をかける必要があると感じた。お茶を濁すわけではないが、気軽な話題をひとつはさむことにした。題名の通り、「思い出深い演奏会」である。
 熱心に演奏会に通っていたのは、学生・院生時代だ。今でもあると思うが、「学生割引」という制度があって、一回の入場料がだいたい500円だったので、かなり気軽に演奏会にいくことができた。結婚して、仕事についてからは、どうしても演奏会から遠のき、今は自分で市民オーケストラに所属しているので、演奏することが中心となって、あまり演奏会にはいかない。たまにオペラにいく程度だ。それでも、小学校時代から、近所で行われていたテレビ番組のための演奏会(無料だった)に、ちょくちょくいっていたので、60年は通っていることになる。
ポリーニ
 一番強烈な感動をした、思い出深い演奏会は、マウリッツィオ=ポリーニがN響に出演したときだ。当時のポリーニのリサイタルのチケットはまず入手不可能だと思っていたので、N響に出演するから、定期会員になれば聴けると思って、会員になり、3年間ほど通った。渋谷は遠いので、その後やめたのだが。ポリーニの2度目の来日で、まさしく敵なしのような圧倒的な存在で、全盛期である。 “思い出深い演奏会1” の続きを読む

管弦楽と吹奏楽 実はかなり違う合奏体だ

 今日は、私が所属する市民オーケストラ(管弦楽団、以下オケと略)の演奏会だった。実はオケ独自の演奏会ではなく、毎年この時期に行う市民コンサートのために組織される合唱団との合同演奏会で、今回は、ブラームスのドイツレクイエムを演奏した。今年は、ドイツレクイエムの初演150周年ということで、あちこちで演奏されているので、聴いたひともいるに違いない。私が住んでいる近隣でも、4つくらいのドイツレクイエムの演奏会があった。そういうためか、いつもの市民コンサートに比較すると、聴衆が若干少なくて、残念ではあったが、演奏は、まあ良かったのではないだろうか。
 さて、オケの演奏会をきっかけに、普段、学生たちとよく議論するテーマについて書いてみることにした。それは、表題の通り、管弦楽と吹奏楽(ブラスバンド 以下ブラスと略 最近はウィンドーオーケストラという名称の団体もある。)の違いである。私の勤務する大学は、吹奏楽部が有名で、100人以上の部員が常にいる。そして、コンクールがあると必ず金賞を獲得してくる。だから、ブラスをやるために志望して入ってくる学生も少なくない。日本は、中学高校のほとんどにブラスの部があり、小学校にもかなり普及している。しかし、オケがある学校は極めて少ない。さすがに大学になるとオケはたいていあるようだが。
 何故、日本の学校にブラスはかなり普及しているのに、オケはほとんどないのか。非常に残念に思っている。 “管弦楽と吹奏楽 実はかなり違う合奏体だ” の続きを読む