思い出深い演奏会3

 今回で最後だが、まずはカルロス・クライバーの2度目のオペラ。クライバーの正規録音、録画はすべて所有しており、また、すべて何度か聴いているが、すごいと思いつつ、やはり、指揮者としては、あまりに特殊な存在だったと思う。小沢征爾は、クライバーについて、「いつでも、演奏会をどうやったらキャンセルできるかを考えているようだ」などと語っていたことがあるが、およそ指揮者で、なんとか演奏を逃れたいなどという人は、この人以外には、いないだろう。ピアニストには、かなり長期間演奏活動をやめてしまう人がいるが、病気でもないのに、演奏しないというのは何故なのか。父親に対するコンプレックスという解釈が広く支持されているが、どうなのだろう。父親エーリッヒ・クライバーは、戦後は比較的早く亡くなってしまったので、あまり親しまれていないが、私自身はいくつかのCDをもっている。そして、カルロスが演奏する曲は、だいたい父親が得意にしていた曲で、その他はあまりやりたがらなかったらしい。そして、父親の演奏になんとか近づきたいという意識が強かったそうだが、二人の演奏を聴き比べた誰もが感じるように、息子のカルロスのほうが、ずっと優れていると思う。にもかかわらず、自分の演奏は父親の足元にも及ばないとずっと言い続けたというのは、本当に不思議だ。私がもっている親子で共通のCDはヘートーヴェンの5番だけだが、これも、あきらかにカルロスのほうがずっと躍動感があって素晴らしい。残念ながら、エーリッヒの「ばらの騎士」はもっていないのだが、これもカルロスのは、極めて高く評価されているものだ。
 その「ばらの騎士」をウィーンの引っ越し公演で聴くことができた。6回の公演があり、4回目がクライバー自身が最高の演奏だったと評価したそうだが、私は第6回の最終日で、このとき、演奏終了後、舞台に出演者がならんで、お酒が振る舞われ、クライバーが酒樽をみずから、叩き割って、そのあとお酒を何人もに配っていた。一同驚いたものだ。4回目の演奏がえらく気に入って、これでもう演奏という行為に未練がなくなったといって、その後は、死ぬまず、ごくわずかな、特別な演奏会だけに出演していた。そして、そのときの録音がないのか、いろいろな人に聞き回っていたというのだが、これは、クライバー自身が固く録音を禁止していたので、さすがに誰も録音をとることはなかったのだそうだ。ずいぶんがっかりしたということだが、それなら、録音させておけばよかったものを。
 来日の半年前にウィーン国立歌劇場で、ほぼ同じメンバーで3回上演された。これは、日本公演の練習的意味合いもあったようだ。それはDVDになって、評価が高いものだが、クライバーは気に入らなかったらしく、来日している間に、時間をやりくりして、オーケストラを徹底的にしごいたようだ。歌手たちは、ニューヨークのメトロポリタンで比較的近い前に一緒にやっているので、オケが不満だったのだろう。そんな練習を課すというのは、クライバーにしか許されないだろう。不満だったら、キャンセルされてしまうかも知れないのだから。
 演奏はすばらしいものだった。どこがどうというのではなく、すべてが素晴らしい演奏というのは、あのようなのを言うのだろう。
 次は、二期会が上演したムソルグスキーの「ボリス・ゴドノフ」だ。何が思い出深いかというと、小沢征爾が日本で初めてオペラを指揮したことだった。しかも、「ボリス・ゴドノフ」を初めて指揮したのだという。しかし、あの長く、複雑な音楽を、完全に暗譜で指揮したことに、正直びっくりした。確かに、スコアは指揮台におかれていたのだが、一度もめくる動作をしなかったし、見ていなかった。そして、ときに踊るような指揮姿が印象的だった。
 私は、どうも小沢があまり好きになれない、というか、聴いてすごく感動したことがないのだ。だから日本人にしては、あまり多く聴いたことがない。チケットを世話してくれる人がいて、サイトウ記念フェスティバルは何度か聴いた。バッハのロ短調ミサ、ベルリオーズの「ファウストの劫罰」、ベートーヴェンの2番と5番の交響曲だった。それ以外では、近くのホールにきたときに、新日フィルの演奏会があった。モーツァルトのディベルティメント1番、プロコフィエフのピアノ協奏曲3番、そして、ベートーヴェンの7番の交響曲だった。モーツァルトは、非常に細かく表情付けがなされて、こんな演奏がありうるのかと感心したが、感動というのとはちょっと違う。
 芸風は違うと思うのだが、ロリン・マゼールと似たところがある。それは、指揮があまりにうまいので、指揮のうまさに感心してしまい、感動とはちょっと違う受け取りになりがちというところだ。マゼールの演奏を聴いていると、どうしても、「こんな風にも演奏できるんだ」「こんなメロディー今まで気づかなかったろう」というように感じてしまうのだ。小沢も、指揮技術を体系化した斉藤英雄の一番弟子で、その指揮技術の最高の修得者だから、やはり、指揮技術に感心してしまう。こういう指揮者は、ある意味損だ。
 もちろん、前述の演奏自体はとても素晴らしいものだったことは間違いなく、特にサイトウ記念のオケの美しさは、後にも先にも聴いたことがない。「ボリス・ゴドノフ」は、オリジナルバージョンが普及する前のことだったので、当然リムスキー・コルサコフ版だったのだが、こちらの方が、いわゆるオペラティックな盛り上がりがあるので、とりあげる価値があるのではないかと思っている。今は、ほとんどがオリジナルでやられているのだが、例えば、ボリスの独白の場面は、オリジナルだと非常に地味な一方、リムスキー・コルサコフ版だと、強烈に訴えるような苦悩が表出される。その場面は、とても印象的に今でも憶えている。
 最後に、エルシステマのシモンボリバルのユースオケで、これは本当に感心した。ドゥダメルが指揮していた第一期のユースオケではなく、次の世代で、おそらく、サイモン・ラトルの指揮で、ザルツブルグ音楽祭に出演したチームだと思う。プログラムなど購入していないので、指揮者の名前は忘れてしまったが、ヨーロッパで普段は活動しているという。ドゥダメルよりほぼ同年代ではないかと思われる指揮者だった。このチームの指揮を普段からしているのだろう、非常にわずかな動作なのだが、オケはよく反応していた。曲目は、リヒャルト・シュトラウスの「ドン・ファン」と「英雄の生涯」だった。当初はチャイコフスキーの4番の交響曲だったのだが、どういうわけか「英雄の生涯」に変更された。私としては、とてもよかった。たぶん、いつも4番なので、今回は新しいものをということだったのだろう。リヒャルト・シュトラウスをきちんと演奏できれば、オーケストラとして完成と、以前は言われていたが、技術的な問題だけではなく、雰囲気がリヒャルト・シュトラウスにならないといけない。その雰囲気が、文句なく表現されていた。ドンファンの愛の場面では、噎ぶような濃厚な味わいが出ていたし、「英雄の生涯」の場面ごとの表情なども、的確に描きわけられていた。そして、感心したのが、コンサートマスター(たぶん女性)のうまさだ。ほとんどバイオリン協奏曲のような箇所が長く続くのだが、150人以上はいるだろうと思われるオケに、まったく消されることなく、響いてきた。テクニックや音楽性も、トップオケのコンマスになんら遜色なかった。同じ人かどうかはわからないのだが、ラトルでマーラーの1番を演奏したとき、コンマス(中高生くらいの女子)は、一切楽譜を見ずに、ずっとラトルの指揮を見ていたのが、印象に残っている。エルシステマは、本当に次々と優秀な演奏家を生みだしてくるのがすごい。
 ただ、アンコールでたぶん30分以上演奏していて、帰宅時間を気にしている人が少なくなかったのは、少々「過ぎたるは及ばざるが如し」そのものだった。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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