環境としての人間「スクールカースト」~春学期に行ったこと~

ゼミテーマ【環境としての人間】として私は「スクールカーストの現状と緩和へ」を個人テーマに設定し、研究を進めることにした。 何故スクールカーストに焦点を当てたかというと、自分自身が高校一年生時、クラス内での権力序列に気付いたというのがそもそもの始まりである。私自身、新学期早々は権力の高いグループに所属していた。俗にいう「イケてるグループ」である。しかし、ある友人とのケンカをきっかけにして階級でいうと「普通のグループ」になってしまったのである。その際に、何か言いたくても言い出せない抑圧された空気感が生徒間の中に確かに存在していた。私はそんな空気感の中で何がこのような状況にさせてしまっているのか、あるいは人間関係にこういうもの(抑圧された空気感)がつきものだろうかといった素朴の疑問を抱いた。当時は、特にイジメという認識もなく、騒いで問題視することはなかったが、大学に入り、教育社会学を学ぶにつれて当時の状況は何が原因だったのか、原因があるとすれば、どのように対応することができるのか、再度気になり、この「スクールカースト」を研究対象にした。 そもそも「スクールカースト」という言葉はインドの伝統的な身分制度になぞらえて「カースト」。さらに学校特有のものであるから「スクールカースト」ということになる。そしてそれは、生徒間での「人気や『モテ』を軸とした序列」を意味するものである。     この「スクールカースト」を研究するにあたり、研究文献としてこの春学期は鈴木翔さん著:本田由紀さん解説の「教室内カースト」という文献を読むことからスタートした。 また、朝井リョウさん著の「桐島、部活やめるってよ」という文庫本は最近の学校内での人間関係が鮮明に描かれているものであり、同じく研究文献として取り上げた。そして実際に映画化された「桐島、部活やめるってよ」を見て、「スクールカースト」の現状を調べた。   ○映画から窺えたもの   部活動によって階級制度が存在する。この映画では運動部が文化部よりも権力を持っていた。特にバレー部は全国大会進出が期待されるほどの実績ある部活であり、校内皆から一目置かれていた。それに比べ、映画部は文化部の中でも下級に属し、校内皆から冷めた視線を浴びる部活であった。しかし、映画部は独自の価値観を貫いた結果かどうかは定かではないが制作した映画がコンクールの一次審査を突破したことが映画部部員にとって自信に繋がったのは確かであろう。そうした自信が同じ文化部である吹奏楽部に場所取り交渉をするまでに繋がったのだと推測できる。   運動神経・カップルは権力関係を強化する一要因である。何をするにしても「できる人間は上へ」「できない人間は下へ」となってしまうのは映画からも窺えることである。 映画内で登場する“宏樹”はその典型的な人物であろう。野球を過去にしていながらサッカーもバスケもこなせる人間はクラスからの尊敬の眼差しを浴びる。それに加え、宏樹には彼女がいる。異性と付き合うことはすなわち「できる人間」として扱われ、権力関係をさらに強化する元凶になっていると考えられる。   「スクールカースト上部ほど自分の考えに芯がない?!」「スクールカースト下部ほど自分の信念がある?!」これは私がこの映画を見て、最も感じたことである。映画からわかるように、桐島が部活をやめることを知った周りの人物は四六時中桐島が学校にすら来ないことに振り回される。特に桐島の彼女は自分宛てに連絡が来ないことを不満に感じ、周りの人間にその不満をぶつけ周囲の人間関係を悪化させる原因を作ってしまっている。また、宏樹は野球部主将や映画部の前田(神木隆之介)と会話する中で彼らは信念をもって生きていることを理解し、自分はただなんとなく生きていることに強く心を打たれ涙を流すシーンが最後にあった。これらのことからカースト上部にいる人間ほど上部にいる人間関係の中でなんとなく満足感を得ていて、生きるということに芯をもっていないのではないかと感じた。   映画では上記したことが窺えた。よってスクールカーストで上に所属するかしないかでは学校生活の景色が違う一方で両者の考え方も異なっていることがわかる。   さらに文献を読み進め、「スクールカースト」では大きくなにが問題なのだろうか。 ○一つにイジメの元凶になっているということである。 イジメの定義が2006年に「一定の人間関係のあるものから心理的・物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの、なお、起こった場所は問わない」と再定義されたことを受け、「スクールカースト」そのものが精神的苦痛を感じさせるものであるとすれば、いじめになるのではないかという見解も存在する。いじめになるのかどうかはさておき、スクールカーストが一つにいじめの土台になってしまっていることやいじめとの境界線が非常にあいまいになってしまっていることは、学校教育を考える上では決して好ましいことではない。 ○二つにスクールカーストにより、個人の将来性が左右されてしまうのではないかという懸念である。 文献からはスクールカーストの上部ほど、自己主張ができ、学校生活を円滑に過ごすことができる傾向にあるとされていた。しかし一方で、下部は自己主張する機会がスクールカーストの抑圧された空気感によって圧倒的に少なくなってしまう。よって、自分の意見は通らず、自分自身に自信を持てなくなってしまう傾向にあるとされる。 これらの問題点を考えると、学校教育に従事しようとするものとしては決して好ましい状況ではないと思うのだ。私はこの自身の経験に加え、こういった現状があることを踏まえると、どうにかこの「スクールカースト」の構造をなくすことはできないかと考えた。 そこで、「スクールカーストをなくすことはできないか」のヒントを得るためにインタビューを行った。   ○インタビュー対象 自らを振り返ることができることを想定して大学生 ○インタビュー方法 スクールカーストがあったのかという事実確認からはいり、どんな状態であったかの深く聞く。その際には特に質問をあらかじめ設定して聞くことはしない。 そして、スクールカーストがあれば、どうしたらなくせると思うか、あるいはスクールカーストのような序列関係がなかったとするならば、それがどのような状況だったかを語ってもらう。   ○春学期のインタビューから窺えたこと   ・まさにスクールカーストの状況が中学ではあって他人の顔色を窺いながら生活していたかな。なんでそうしていたかというと、本音で思ったことを全部言っちゃうと周りから「なにいきがってんだよ」って言われそうで、グループから省かれそうでさ。スクールカーストは自然とできちゃうものだから、なくすのはちょっと難しいと思う。 (大学三年生女) ・おれの中学はそんな状況なかった気がするけどな。それは俺がクラスの人気者でグループでは上にいたからなー。あんまわからなかったのはそれせいかも。でも高校に行ったら、自分よりも人気者がいて、そいつのいうことにはなぜか説得力があってみんな自然とついていくような感じだった。ただ、そいつがちょっと偉ぶっているというか、自分でも(権力あることを)気づいているみたいで、取り仕切っている感は何となく嫌だったかな。(大学三年生)   といったようなインタビューであった。 春学期行ったことは以上である。

夏休みにおこなったことー「都会と田舎の子どものちがい」ー

私はこの夏休み、ゼミの課題として、自分のテーマである「都会と田舎の子どものちがい」についてのインタビューを行った。

インタビューの内容は次の通りである。

1.あなたが思う都会と田舎の定義とは。

2.あなたは自分のことを都会出身者だと思うか、それとも田舎出身者だと思うか。

3.あなたが昔過ごしていた(あるいは今現在も過ごしている)環境に満足していたか。

どんなことに満足していたか。不満だった場合はどういった事に対して不満だったか。

4.その環境がもっとこうだったらと思うことはあったか。それはどのようなことか。

5.もしあなたが自分が過ごした環境でない場所で育ったとしたら(田舎で過ごした場合は都会)、今とは異なった自分になっていたと思うか。

6.あなたは都会出身者と田舎出身者とで、性格や価値観の違いは生まれると思うか。また、そういった経験をしたことはあるか。

7.あなたは都会の子どもと田舎の子どもで違いはあると思うか。

8.都会の親と田舎の親の違いはあると思うか。

9.あなたは将来、都会と田舎のどちらで家庭を持ちたいか。

以上がインタビューの内容である。

次にインタビューの回答例を述べていきたい。

今回のインタビューには16人の方々が協力してくれた。

1.都会の定義については、交通が便利、ビルが多い、山がない、競争が激しいといった意見が出た。また、矢印の指向が中へが都会、人が住み着くのが都会と答えてくれる人がいた。一方、田舎の定義については、自然が多い、山が多い、交通が不便、知り合いが多い、人がマイペース、昔住んでたところが田舎、といったような意見だった。また、矢印の指向が外へが田舎、人が流出していくのが田舎といった意見もあった。

2.インタビューはすべて地元で行ったので、協力してくれた方々はすべて田舎出身者である。

3.「自分が子どものころに過ごしていた地域に満足していたか」について聞いたところ、ほとんどの人が満足していたと答えた。自然が好きだし、思い切り遊ぶことのできる公園もあった。子どものころはお金を使った遊び(カラオケやショッピングなど)というものを知らなかったので、そもそも不満はなかったという。

4.「住んでいた環境がもっとこうだったらと思うことはあったか」という質問に対しては、多くの人が、電車がないのが不便だと答えた。どこかに買い物費行くためには、車で行くしかない。だから買い物に行くときはいつも親と一緒だったという。他には、坂が多いので自転車で移動するのが嫌だった、家の近くに大きなショッピングモールがほしかったといったことを話してくれた。また中には、友達もいるし思いっきり遊ぶ場所もあったので不満などなかったという人もいた。

5.「もしあなたが自分が過ごした環境でない場所で育ったとしたら」今とは異なった自分になっていたと思うかという質問に対しては、すべての人が異なった自分になっていたと答えてくれた。もし都会で過ごして大人になっていたら、便利すぎて苦労を知らなかった。人と接する機会は多いだろうが、関係は浅いものが多く、本当の友達も少ないと思う。季節の変わりに鈍感で、心が豊かでない。そのほかには、ギャルになっていた、今より親切ではなかったと思うといった意見があった。

6.「あなたは都会出身者と田舎出身者とで性格や価値観の違いは生まれるか」という質問に対しては、ほとんどの人があると思うと答えてくれた。多くの人は金銭感覚が違うと答えた。どこかで休憩するときに、田舎では公園とかで休むが、都会の人たちはお金を出してファミレスやカフェで休むことが多い。そもそも田舎にファミレスやカフェなんてないので、都会に出たとき驚いた、と答えてくれる人がいた。その他には、田舎は競争を知らない子が多く、将来も地元で暮らしていけばいいと考えている子が多い。一方都会の子は、常に競争を強いられており、周りがすごいから自分も頑張らなくてはというように、自分に余裕がない子が多い。また、都会の子は将来を常に考えていて息苦しい、人が冷たいイメージがある、と答えてくれる人もいた。

7.「あなたは都会の子どもと田舎の子どもで違いはあると思うか」について聞いたところ、あると答えた人と、ないと答えた人はちょうど半分くらいだった。まずあると答えた人は、都会の子どもは学校に行くとき大人たちと混じって電車などに乗っていることから、田舎の子どもと比べるとしっかりしているイメージがある。都会の子は田舎のこと比べると、友達間での接し方が強いと答えてくれる子もいた。また、田舎の子どもは人懐っこいが、都会の子は興味がないものには全く興味を示さず、休み時間も友達と遊ばず本を読んでいる子が多いという意見も出た。一方ないと答えてくれた人は、今は昔と比べてもだいぶ近くなってきている、遊びの違いは都会と田舎であるとは思うが、携帯を使ってゲームをする姿は都会でも田舎でもよく目にするという。また最近では、田舎の子も外で遊ぶ姿をあまり見なくなってきたという。

8.「都会の親と田舎の親の違いはあると思うか」という質問をしたところ、あると答えた人が多かった。田舎の親は伸び伸び子どもを育てているが、都会の親は自分の理想を子どもに押し付けがちであると答えてくれた。また、田舎の親は親同士がお互いをよく知っているし、子どものことも同じである。田舎では地域で子どもを育てることができる。しかし、都会の親は個人で子どもを育てているという。

9.「将来都会と田舎のどちらで家庭を持ちたいか」という質問に対しては、一人を除いて他全員が田舎で家庭を持ちたいと答えた。自然あふれる田舎で心豊かな子を育てたい。また、田舎は不便だが、その不便さも良さであるから子どもにもわかってほしいという人もいた。その他には、田舎ならではの伝統や祭りに携わり、一生をその地域の人たちと関わっていきたいからと答えてくれる人もいた。また、生まれ育った土地がいいから、都会は怖いから田舎で暮らしたいという人もいた。しかし、ほとんどの人が答えてくれたのだが、子どもには一旦都会に出てほしいと答えていた。その理由は、田舎にずっといただけでは、考えが狭くなってしまうから、選択肢が狭いままであるからということらしい。一方、都会で家庭を持ちたいと答えた人は、子どもが選べる将来が都会のほうが増えるため、都会で家庭を持ちたいと答えてくれた。

以上がインタビューをまとめた内容である。

今回自分のテーマについていろいろな人にインタビューをしてみて、自分では考え付かないような考えを他の人から聞けたのでとても勉強になった。なかでも一番驚き、その通りだなと感じたのは、「都会は矢印の指向が中へ、田舎は矢印の指向が外へ」という都会と田舎の定義である。都会の人びとはもっと中へを求めるが、田舎の人びとは新しいものを求めて外へ矢印を向ける人が多いように感じる。それに応じて、田舎の人口は流出していく。一概には言えないが、つまり人口が流出していくということは、その土地は田舎なのかもしれないと考えることができる。

5番目の質問の「もし自分が今とは異なった地域で育ったとしたら、今とは異なった自分になっていたか」についてだが、多くの人が「異なっていたと思う」と答えてくれた。また、6番目、7番目の質問の答えからしても、育つ環境というのは子どもにとって大きな影響を与えるということがわかる。その土地の伝統や価値観などが、そのまま子どもに伝われば都会と田舎の子どもは異なってくると思う。」交通量が少ないことや周りに自然があふれていることが特徴の田舎」と、「交通に不便はなく苦労はしないが周りに自然がないことが特徴の都会」とでは、そこに住む人たちの性格も価値観も異なってくるだろう。また、周りにそういった人たちが多ければ、それが子どもにも影響してしまう。これはインタビューの質問6である人が答えてくれた「田舎は競争が少ないが、都会は競争が多い」の内容でも同じことが言える。田舎では「競争が少ない、争い事があまりない、受験をしない、将来をあまり考えない」といった子が多い。しかし都会では「常に競争をする社会である、小学校から受験をする、将来のことを考えざるを得ない」という子が多いのが現実であろう。都会にそういった風潮があるのなら、親はそれを子どもに押し付け、個人で子どもを管理するようになってくる。一つの小さな影響を都会は大きな渦のような影響にしてしまうのではないかと私は思う。そしてその影響に一番敏感なのは子供ではなく親ではないだろうか。子どもは自ら競争するのではなく、最初は親に押し付けられて競争を覚えるのである。そういった流れが田舎には少なく、都会には多いということである。

今回は田舎出身者の人のみのインタビューになってしまったので、少し内容が偏ってしまっているかもしれない。今後の課題としては、都会についての文献を読み都会の特徴をつかみ、インタビューについても、都会出身者に対して行っていきたいと思う。

また今回、中学生に対してインタビューを行ったのだが、多くの中学生が「想像したことがない、経験したことがないのでわからない」といった回答が多かった。このことから、小学生も似たような回答が返ってくることが予想できるため、今後は小中学生に対してインタビューは行わないか、または、より分かりやすい内容を用意してインタビューをするかのどちらかにしようと思う。

春学期におこなったことー「都会と田舎の子どものちがい」ー

子供が成長していく環境として、人口や情報量の多い都会と、自然に囲まれた田舎とでは、どちらがよりよい環境なのだろうか。

都会の場合は、人工的な遊び場が多く交通網も発達しているため、簡単に好きな場所に移動し、自分の好きなことをすることができる。また、情報量が多いため、自分がほしい情報をすぐに手に入れることができる。学習の面でも、社会の中心で生活をしているため、自分の将来をイメージしやすく、塾なども充実している。

しかし、都会は人口や情報量が多いため、自分に関係ないものに無関心になりやすい。また田舎に比べると優秀な親が多く、その親からのプレッシャーも強いため、ストレスが溜まりやすいといった問題が生じる。都会では、外からの刺激が多いため、子どもは成長するかもしれないが、負担も大きいだろう。

一方、自然の多い田舎に住んでいたら、走り回れるような遊び場も多く、無駄な情報量も少ないので子どもは伸び伸びと育つことができる。また田舎は、人口が少ないので、他人と親密な関係を築くことができる。家庭では、祖父母と一緒に住む可能性が高いので、子どもが家で一人になることが少ない。親以外の大人と話す機会も増えるため、社交性も延ばすことができる。また、田舎は静かなところが多いので、子どもはリラックスができる。

しかし田舎の場合は、電車が通っていない場所が多いので、いろんな場面で親が送迎をしなければどこにも行けないという問題もある。それにより、遊びや趣味、スポーツなどにしても選択幅が少ないので、都会に比べると子供の個性を伸ばしにくい場面がある。都会と比べると田舎は刺激が少なく、社会の変化も乏しいということから、競争社会で生きていくために必要な要素は伸びにくいと考えられる。 以上のような都会と田舎の良いところと悪いところだけを見てみると、都会で育った子どもと田舎で育った子どもとでは、明らかに違った人間になってくるのではないかと私は考える。このことから私は、「都市と田舎の子どもの感性の違い」をテーマに研究を進めていきたい。

 

調査方法としては、主にインタビューで調査していきたいと思う。インタビュー先には、山村留学を経験した小学生高学年や中学生。さらに田舎から都会に出てきたと思われる私の友人や、同じ大学の人にもインタビューをしようと考えている。

インタビュー以外では、田舎と都会の子供についての文献を参照したい。

 

今回の研究を進めていくうえで、都会の定義を「人口が密集し、商工業が盛んでいろいろな文化的設備がある土地」とする。しかし、どのくらいの環境を都会とするのかは個人差があるので、インタビュー者と相談して判断していきたい。

また田舎とは、生まれ育った土地のことをいうこともあるが、本稿では都会から離れた所で、人口も少なく、田畑が多いのどかな場所を田舎と定義する。また都会同様に何をもって田舎と感じるのかも個人によって異なると思うので、これもインタビュー者と相談して決めたい。

 

春学期に行ったことは、主に、グループごとに文献を集めてきて読んでくることであった。

私は初めに田舎の特徴をつかみたいと考えていたので、春学期は田舎について書かれている文献を中心に読んでいった。その中でも、「山村留学」と「グリーンツーリズム」について書かれている文献が多かったので、この二つの内容いついて次に述べていこうと思う。

まずは「山村留学」について述べていこうと思う。

山村留学とは、都市部の子どもたちが、数か月間から数年間の長期にわたって家族のもとを離れ、農村漁村で生活し学ぶこと。また、そうした子どもたちの受け入れを目的として農山漁村で行われる教育支援事業のことである。

山村留学は、日本全国で急速に過疎化・少子化が進む中、都市部の子どもたちを受け入れて地域の活性化を図りたいと考える農山漁村と、豊かな自然や伝統文化、あるいは農村共同体の温かな人間関係に触れることなどを通して、子どもを健全に成長させたいと願う都市部保護者のニーズが合致した結果、各地に広まったのである。

現在、様々なメディアが普及することによって子どもの現実体験が希薄になっている問題や、特に都市部で家庭・地域の教育力が低下している問題が指摘されている。こうした問題を背景に、都市が急速に失いつつある体験・教育機能を、田舎の立場から提供する存在としての山村留学に寄せられる期待が、高まってきている。

しかし山村留学は、幅広い効果が期待される一方で、確かな制度や、理論的に明確な裏付けを持たないまま各地の住民や自治体が、個別に手探りで事業をスタートさせるケースが少なくないため、それに伴う問題もいくつか生じている。その中でも最も大きな問題は、山村留学を受け入れた学校側が、「資金難」、「留学生の確保が困難」、「過疎・少子化で学校そのものがなくなる」などの理由から事業の継続を断念しているということである。このことから、山村留学を受け入れるということも困難なことがわかる。

また、山村留学というのは、都市で失われつつある体験・教育機能を、田舎の立場から提供するといったものなので、山村留学を受け入れる学校というのは地域的な偏りが大きい。

実際に山村留学で行う内容は、一日24時間、衣食住、健康管理、勉強、余暇活動など生活の全般にわたって子どもたちのサポートを行うものである。留学生の一日のスケジュールは決まっており、自分たちが生活する場の清掃や洗濯物の取り込み、ゴミ出しなども当番制で行っている。留学生たちは、初めはその生活に適用するために多くの時間が必要だが、いったん適用してしまえば、生活のリズムが整うため、好き嫌いがなくなる、体力が増す、勉強の習慣がつくなど、健康面や学習面に様々な好ましい影響が現れる。また、留学生たちの休日は、農作業、野外活動、地域の伝統行事などで予定が埋まっているので、休みの日に、「暇でやることがない」ということもない。こういった多彩な行事は、山村留学地の地域の住民によって支えられている。

山村留学が実際に子どもたちにどのような効果をもたらすのかというのは、はっきり示すことはできないが、研究者たちは「修業文集」の内容で分析を行った。修業文集とは、子どもたちが山村留学体験を振り返って心に残ったことを書くものである。その内容を見てみると、熱中するものに出会えた喜び、弱点を克服しようと挑戦してやり遂げた達成感、リーダーとしての責任を果たそうとしながらできない苦しみや、みんなの協力を得て責任を果たした充実感などが書かれている。このことを見ても、子どもたちは精神的に成長したということがわかる。

現在、「山村留学の効果を十分に高めるためには、少なくとも2年の留学期間が必要である」という共通認識が山村留学の関係者の中で形成されている。留学一年目は、新しい“田舎“の環境と留学センターのルールや人間関係に適応することによって生活のリズムを整え、それを基礎にして二年目で思い切り自分のやりたいことに打ち込むとともに、後輩たちの手本となってリーダーシップを発揮するのが最も好ましい留学体験のあり方だと考えられている。また、複数年の留学を経験してリーダーシップをとることができるようになった子どもが増えると、低学年の子どもや留学期間の短い子どもの留学生活への適応もより円滑に進むようになる。さらに、様々な行事における留学生全体としての体験の質も高くなることが経験的に認められている。このような認識は、山村留学センターの職員たちが山村留学を続けるために、試行錯誤を繰り返すことにより形成されたものである。

しかし、山村留学の今後の課題も存在する。第一は、小学生の時から継続して最長8年間におよぶ留学を経験する子どもが現れるなど、留学の長期化が生じているということである。長期の留学を経験して年齢も高くなった中学生に対しては、1〜2の留学を行う小学生とは異なり、より幅広い体験の選択肢を提供することが重要であるが、この点についての方向性は、現在のところは明確になっていない。

第二の問題は、山村留学を体験して生活のリズムが整ったにもかかわらず、山村留学を終えて地元に戻ると元の不規則な生活に戻ってしまうという事例がしばしば生じる点である。山村留学で規則的な生活を整えたのだから、それを地元でより効果的に生かしてもらうために、様々な取り組みが必要となってくる。

山村留学は、単に“都市“の子どもに“田舎“体験を提供するだけでなく、“田舎“に集った子どもたちの「自ら成長する力」や相互関係を効果的に活用して、サポートすることによって、“都市“が急速に失いつつある体験・教育機能を、質の高いレベルで提供することを目的としている。

以上が「山村留学」についての内容である。

次に「グリーンツーリズム」について述べていこうと思う。

現在、日本でサステーナブル・ツーリズム(持続可能な観光)として注目されているグリーンツーリズム(農山漁村滞在型観光)は、ニート青年を立ち直らせるオータナティブ教育として、また都会の子どもたちに自然や食べ物のありがたさなどを、体験を通して学ばせる食育として注目を集めている。

グリーンツーリズムが都市住民にもたらすものは、①「農」のあるライフスタイルの享受、②伝統行事や歴史・文化体験、③自然・景観体験、④心身のリフレッシュ、⑤特産物・食の体験、⑥農業・農村滞在体験、⑦子どもの情操・環境教育である。一方、農村住民側が得るものは、①「農」を生かしたライフスタイルの創造、②持続的な収入の確保、③快適な生活環境の創造、④多様な人材の交流、⑤地域資源の多面的価値発見と活用、⑥農業・農村の多面的機能の理解の促進、⑦女性や高齢者の社会役割の向上である。双方的には①自己実現、②個持続的交流、③個性的体験、④生身の親密な体験、⑤非日常性、⑥非効率性、⑦計算不可能な成果がもたらされる、といった内容である。

環境社会学者たちは、グリーンツーリズムで意味したものは、単なる緑地帯観光ではなく、「地上のすべての生命の尊重、資源の適正利用、多様さの(例えば農業や環境など)の捉え方、自己行動の律し方、問題へのアプローチの仕方、また一人ひとりの人生観やライフスタイルにも影響を与える考え方」である。グリーンツーリズムでは、「農」という一つのものを教育としてとらえている。つまり、ただの「観光」ではなく、グリーンツーリズムは「農」の体験を通して教育を行うというものである。

実際にグリーンツーリズムを体験した青少年たちは、「農」に触れることで命の尊さに気づいたり、食べ物のありがたさやおいしさに感謝することができた。また、農村という自然に囲まれた土地で農作業をして過ごすことにより、自分のことや家族のことをじっくりと考える時間ができたと話している。生きる意味をなくしていた少女は、日が暮れるまで体を動かし農作業を手伝うことにより、生きていることを実感し、農家の人に「ありがとう」と言われ、人間の温かさを知ったという。都会でずっと暮らしていれば、お金があれば何でも食べられる。しかし、実際に村で野菜がどのように作られているのかを知り、自分の手で苦労して作ることにより、食べることに感謝し、ご飯がおいしいと感じるのである。以上がグリーンツーリズムを実際に体験した青少年たちの声である。

都会の人々が、農村という自分たちが住んでいる地域とはかけ離れている場所で、自然を感じながら農業をすることで多くのことを学ぶことができる。そしてそれらは、都会で苦しんでいる若者たちへの助けに成り得るということが言えるだろう。

以上が「グリーンツーリズム」についての内容である。

今回、田舎についての文献を読むことで、「山村留学」と「グリーンツーリズム」についての理解が深まった。この二つの体験はどちらも都会で生活する人に対して行われている。都会では決して味わうことのできないことを、自然に囲まれた田舎の土地で体験することにより、都会の人びとは多くのことを学ぶことができる。これも一つの教育であると私は考える。そう考えると、元から田舎に住んでいる子どもたちの多くは、都会に住む子どもたちよりも、命の尊さや食物への感謝の気持ちを教育されていると言えるかもしれない。もちろん、都会に住む子供たちもそういったことは学べるであろうが、一つの体験を通してそういったことを学ぶという機会は、田舎に住む子供たちと比べるとどうしても少ないであろう。しかし、都会で子どもを育てていて「子どもに自然の豊かさや地域の伝統文化などを通して心豊かに育ってほしい」と思ったとしても、「山村留学」や「グリーンツーリズム」といった体験があるので、積極的にそういった体験を子どもにさせることが必要であると私は考える。それにより、子どもはもちろんだが田舎の人達からしても、その地域の発展などにつながるので、そういった体験活動というのはもっと多くの人が知るべきではないかと私は思う。

では逆に、都会でしか学べないことはあるのだろうか。このことを今後の課題とし、都会について書かれている文献を読み進めていこうと思う。

 

以上が春学期におこなった内容である。

環境としての人間ー 家庭と学校ー夏休みにおこなったこと

春学期に引き続き、本を読んで知識を深めること、友人へのインタビューに努めた。

文献を参考にしながらインタビューの質問を考えたり、インタビューの回答と文献を照らし合わせたりした。

まず、インタビューの内容をまとめておきたい。()内は、質問事項、回答を受けての感想である。

友人をAさんとする。

・小学生の頃、父親の仕事の都合上で海外で2年間過ごしている。日本人学校に通っていた。予め帰国すると分かっていたため、海外での暮らしに、あまり抵抗はなかったそう。

・英語も公用語、学校ではレベル別に分けられた英語の授業もあったらしい。海外に行く前に、単に入会したらもらえるぬいぐるみが欲しいがために始めた英語教室に通い続けたこと。お父さんも英語を話すことができる。(幼い頃から、これらの英語との密接なつながりが、Aさんの英語力へ強く影響しているのではないかと考える。)

・海外では、夏に近所の友だちとプールで遊んだが、友だちというより家族と過ごす時間の方が多かったそうだ。

・(習い事は?)今までの習い事は英語教室と太鼓の2つだけ。(思いの外、少ないという印象を受けた。)兄弟揃って自分のやりたい事を少しやっただけで、あとは自由に遊んだり自分で勉強したりしていた。Aさんの始めた英語教室に関しても、お母さんは無理やりではなく、やりたいというものをやらせるようにしていた。お父さんも海外に行くかもと思っていたので丁度良いと感じたぐらいだったそう(親が習い事をさせるというより、子どもの意見を尊重していると伺える。)

・(勉強しなさいと言わない代わりに何か他の言葉がけはあったか。)「宿題した?」くらい。兄弟がいて、比べられることがあったから負けたくなくて自分から進んで勉強したと思う。(兄弟で競争することで、自ら勉強する姿勢ができいる。「勉強しなさい」「宿題しなさい」など叱る様子もあまり見受けられないように感じる。)

・(お手伝いはどんなことをしていたか?また、お手伝いを継続するために心がけていたことはあるか。)

お皿洗い・お風呂掃除・洗濯物たたみ・掃除機がけ等。手伝うとお小遣いが貯まって、その合計ポイントで月末にまとめてお小遣いをもらっていた。心がけは特にないが、小さい頃から自分で何かに取り組み、その代わりにお金をもらうといった、社会の仕組みを学んでいたのではないかと気づいた。(お手伝いをさせ、それをどう続けるようにするか工夫は大切だと思う。月ごとにポイントが貯まる工夫は、楽しみながら、また達成感も実感できる。Aさん自身、社会の仕組みを学んでいたことに気づいていて、その通りだと思った。)

・(お父さん、お母さんが何かに打ち込んでいた事はあったか?また、それに影響されて、自分んも好きになった事はあったか?)お父さんは反面教師だったかもしれない。お母さんは料理をしたり、ミシンをしたり結構家庭的なことをするのが好きそうだった。だから、お菓子作りや手芸をするのが好きになった。(Aさんの家庭的、器用なところはお母さんからの影響もあると分かった。子どもは親を見て育つともいえる。一方、見習いたくないなと思うことも、自分はこうなりたくない等、ある意味自分を変えるきっかけになり得るとも知った。)

 

伸びる子どもが育つ家庭環境・子育てとは …

文献やインタビューから考察する。

生活面

ある一冊の本で、アメリカ人のダイアナ・バウムリンド博士による「子育てスタイル」が紹介されていた。子育てを民主的タイプ、許容タイプ、独裁・権威主義タイプ、無関心タイプの4つの子育てスタイルに分けられている。民主的タイプは、子どもに対する受容度・サポート度と子どもへの要求度・コントロール度が高い。民主的タイプで育つ子どもは、社会的スキルや自尊感情が高く、優秀な学力、情緒の安定しやすいといった調査結果があるそうだ。民主的タイプの特性には、子どもの行動や達成感に関する親の期待度が高く、親が子どもの指導・監督する程度が強いことから、独裁・権力主義タイプにも当てはまる。だが、独裁・権力主義タイプに加えて、子どもに関するきまりや要求を決める際、子どもの意見や気持ちに耳を傾け、柔軟な姿勢でそれらを取り入れるということが特性のポイントである。日常生活における言動が、親だけ子どもだけの一方通行ではなく、親と子の双方な関係が大事だと改めて気づいた。どのタイプに比較的当てはまるか考え、バランスを保てるように、親は接し方を変えなくてはならないのかもしれない。  親が子どもの才能を望んでさせる一つに習い事がある。最終的な決定は「取り組む」子どもにある。本当に子どもがやってみたい、子どもの意欲が育てられる環境を整えることが親の役目である。  お手伝いに関して、ただやらせる、いつもお金を渡すだけでなく、家の人の役に立った、喜んでもらえたという実感が大切である。  食習慣も家族の絆を深める上で、とても重要である。家族みんなで囲む食事、語り合うことで、疲れがとれたり、変化に気付けたりする。幼い頃に、様々な味に親しむことも、好き嫌いをせずに何でも食べる子になるともいえる。  おじいちゃん・おばあちゃんがいることで親に余裕がもてる。兄弟がいることで、学校の悩みが打ち消される、人間関係を知る大事な勉強になり得る。  家族の良さや在り方を見直し、効果的でより良い家族との時間、関わり方を考えていかなければならないと思う。

勉強・学習面

勉強が面白い、もっと勉強したい、やればできるといった、勉強や学習に対する意欲や認識を変えることが学力向上につながる。しかし、成績を上げて親を喜ばせるため、宿題をしないとお母さんに叱られるから等、親の配慮や親との良い関係が目的となってはいないか。また、親も子どもへの強い期待あるいは強制的になっていないか。楽しさのない勉強は、単にこなしているにすぎず、長続きしない。「好きこそものの上手なれ」ということわざにある通り、好きな事、得意な科目ほど楽しく、頭にも入りやすい。勉強をやらされている感を子どもに持たせるより、「学ぶことは楽しい」と大人が伝えていく必要がある。読んだ本のほどんどに、「家庭の雰囲気・親自身が変わること」と述べられていた。子どもは親の言葉より「行動」で伝えることこそ、最も説得力があると分かった。親が家庭教師のようにつきっきりで勉強を教えなくても、勉強に意欲が持てるようになるとも知った。資格取得を目指した勉強、料理、ガーデニング、読書等の趣味に打ち込んで、楽しそうに勉強している姿を見せて示すことが大切である。たしかに、真剣に取り組む親の様子から影響を受け、子どもにも打ち込む姿勢が身につくと共感できる。しかし、例えば料理と学校の宿題とでは取り組む対象が異なり、集中力の継続できない、勉強とは別の事に気が散ってしまうともいえるだろう。そこで、友人Aさんのような兄弟、競争相手がいることでやる気につながると考えられる。もっとよくなりたい、一番になりたいと思う気持ち、競争意識も家庭学習をする上で良い要素だと思う。極端な偏見はせずに兄弟で競争させる、何分で解けるかなど時間との競争を与える、勉強時間を記録させて昨日の自分と比較させる等の競争心も、集中力を高めるといえる。同時に、自信を持たせることが大切である。子どもの意見を聞く、成果に褒める等の接し方、言葉がけによる違いも、子どもが自信を持てるか持てないかに関わってくる。「あなたは頭が悪いのだから、人一倍勉強しなくてはだめよ。」と叱ってばかりでは、プライドが否定され、頑張れる気は起きない。  Aさんお母さんは「宿題した?」と聞くくらいで、学校の宿題・勉強がノルマであったことが分かった。勉強嫌いになりにくく、基礎的な学力がきちんと身につく。  幼少期での玩具、読み聞かせ、遊び、小中学生でのリビング学習にも効果があると知った。  勉強面での集中力や意欲も、日頃の生活習慣で養われていくと考えられる。

 

反省点・課題

夏休みには、文献の要約が中心に取り組んだ。やはり、実践的な面には届かず、情報が少ないと感じられる。文献を再度まとめる事はもちろん、インタビュー調査は今後進めていく必要性を感じる。また、秋学期には、家庭と学校の「学校」に関しても、調査を始めなくてはならない。

 

参考文献

・子どもが育つ条件ー家族心理学から考えるー 著/柏木恵子 (岩波新書)

・勉強ができる子の育て方 著/江藤真紀(株 ディスカバァー・トゥエンティワン)

・子どものヤル気にさせる 親はここが違う! 著/松永暢史 (株式会社グラフ社)

・自立した子に育てる 著/中山み登り (朝日メディアインターナショナル株式会社)

・DAN教授の家族のこころゼミ 著/団士郎教授 校成出版社)

・「子どもの力」を信じて、伸ばす 著/中村佳子(三笠書房)

・海外で育つ子どもの心理と教育 著/栗原祐司 森真佐子(金子書房)

〔新装版]子どものほめ方・叱り方 伸びる力が育つ44のヒント 著/浜尾実(PHP研究所)

これらの文献は今後も参考にしていく。

春学期の調査まとめ「インクルーシブ教育」

春学期行った調査のまとめ

 

1.はじめに

今年度のゼミの共通テーマは「環境としての人間」というものである。まず、環境について考える。環境は、生物を取り巻く家庭・社会・自然などの外的な事の総体であり、狭義においてはその中で人や生物に何らかの影響を与えるものだけを指す場合もある。特に限定しない場合、人間を中心とする生物に関するおおざっぱな環境のことである場合が多い。環境は我々を取り巻き、我々に対して存在するだけでなく、我々やその生活と関わって、安息や仕事の条件となる。では、人間に適した環境とはどのようなものなのだろうか。私は、特別支援教育の視点から、障害を持った児童が快適に過ごせる環境について考えたい。

私は現在特別支援学校の教員になることを目指している。私の弟は自閉症という発達障害であり、弟のような障害を持った子どもたちが楽しく充実した学校生活を過ごすためにできることはないか、と考えたことが教員を目指すきっかけとなった。さらに、障害をもった子どもたちが快適な学校生活を送るための環境を作る1つの方法として、私は「インクルーシブ教育」が望ましいと考える。インクルーシブ教育(訳:包容する教育)とは、人間の多様性の尊重等の強化や、障害者が精神的および身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者とない者が共に学ぶ仕組みのことだ。2012年に文部科学省の初等中等教育文科会から「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)」が発表されており、以下のような考え方にもとづいて、特別支援教育を発展させる必要があるとされている。

  1. 医療、保健、福祉、労働等との連携を強化し、障害のある子どもの教育の充実を図ること。
  2. 障害のある子どもが、地域の同世代の子どもや人々の交流等により、可能な限り共に学ぶよう配慮すること。
  3. 次代を担う子どもに対し、学校において障害者理解を推進すること。

「インクルーシブ教育」について興味をもつきっかけとなったのは、あるデイサービス施設の合宿に参加したとき、施設の職員の方が健常の子どもと障害をもった子どもが生活をともにすると、障害をもつ子供は健常児の真似をして、生活力が上がると仰っていたのを聞いて、健常児も障害児も可能な限り関わる機会を増やしたほうがいいのではないか、と考えるようになったことだ。インクルージョン教育は今までに多く議論されてきたテーマであり、それだけメリットもデメリットも存在する。さきほどは、障害者側からのメリットを述べたが、健常児側からの視点でのメリットやデメリットも存在する。健常児と障害児が共に学校生活を過ごすことによって、健常児は障害に対して理解を深めることができ、思いやりや優しさが育つことが期待される。障害に対する偏見も減るのではないかと考えられる。逆に、障害児と生活を共にしたことによって差別的な考えが生まれてしまう児童もいる。障害児のお世話係りを任されたりなどしたことが負担になってしまい、障害に対して良い印象を持てなくなってしまったという例もある。

今までに述べたようにインクルーシブ教育は、メリット・デメリットが存在するため、良い結果だけを残すものではない。様々なメリット・デメリットを比較検討し、障害児・健常児にとって良いインクルーシブ教育の形とは何か、良い学校環境とは何かについて考え、研究していきたい。

 

2.インクルーシブ教育の成功例について

DINF(障碍者保健福祉研究情報システム)による国際調査から得られた重要な3つの所見。

インクルーシブ教育は有効であるが、その成功は依然としてその場限りのものである。

インクルーシブ教育は、重度の児童に対しても有効だ。親が子どもに期待を抱いて多様性を受容する教育や学校にアプローチしたとき、子どもが学校で個別のニーズと能力に応じた支援を受けるとき、教師が多様な生徒を指導できるようサポートされるとき、すべての子どもは学習し、成長することができる。多くの課題、問題がある中多くの事例がインクルーシブ教育の成功を実証してきた。しかし、学級および学校、地域社会、教育制度、そしてマクロな計画と政策が、インクルーシブ教育を全体的に推し進めるために一丸となって取り組んでいる例はごくわずかだ。「その場限り」というのは「事例だけ」という意味である。リソースや教育制度からの支援がないまま、インクルージョンを実現しようとする一人の教師や学校長の純然たる意志と献身によって達成されたものであることが多い。結果的に、必要な支援を受けながら普通教育を受けることができる障害児は少ない。

《成功例と言える事例》

◎武壮隆志・北村佳那子著「最重度・重複障害児 かなこちゃんの暮らし」明石書店

この本の中心人物である佳那子さんは、胎児期ウイルス感染による脳・脊髄膜炎の後遺症で、脳性まひ、小頭症、ノンレックス症候群(てんかん)などといった病名をあわせもっています。全面介助ですが、明るくおちゃめな女の子です。佳那子さんと触れ合うことを通じて子どもたちはいろいろなことを感じます。「障害って個性なんじゃないかなあ。」「障害っていう言葉がなくなったらいいのに。」「私は今まで障害についてよく理解しないまま差別していた。佳那子ちゃんと出会えてよかった。」「佳那子ちゃんへの見方を変えれば、佳那子ちゃんの気持ちも変わる。」「障害者だから、とか関係なく怒ったり笑ったり遊んだりするのが本当の友達」以上に述べたように佳那子さんに対するプラスの面での子どもたちの変化がわかります。きっと他の生徒には佳那子さんと接しても、障害に対してうまく関わりが持てない子もいるかと思います。しかし、障害に対して理解を深めた児童がいることも事実です。何と言っても、佳那子さん自身が通常学級での暮らしが充実していて楽しいということが本書から伝わってきます。読みやすいのでぜひ読んでみてください。

 

  1. ニュージーランドの障害児教育

ニュージーランドでは、特別な教育的ニーズのある子ども、健常の子どもなどすべての子どもたちが個人に適した環境で、ひとりひとりにあった教育を受けることを保障しようとしている。その結果、ニュージーランドにおいては、障害のある子どもたちの約96%が通常の学校で教育を受けており、インクルーシブ教育が進んでいる国の一つだといえる。(内訳 85%:通常学級、9%:特別学級と通常の学級、2%特別学級)ニュージーランドではSEN(Special Education Needs)のある子ども、健常な子どもなどすべての子どもたちが個人に適した環境下でひとりひとりにあった教育を受けることを保障しようとしている。ニュージーランド政府は、特別な教育的ニーズのある子どもたちに年間約283億円を投じている。このような政府によって保障された環境がひとりひとりの子どもたちが完全なインクルーシブ教育を受けることができる方向性を明示している。ニュージーランドのインクルーシブ教育は、障害のある子どもだけではなく、少数民族や、宗教的な違い、亡命者や難民、病弱の子どもたち、虐待を受けた子どもたち、他にも社会的に不利な立場にある子どもたちなど、非常に多様な背景にある子どもたちが置かれている不利な状況を改善することに焦点を当てているといえる。

 

 

4.理想的なインクルーシブ教育とは

まずは、インクルーシブ教育の定義について考える。先ほども述べたように、インクルーシブ教育とは、人間の多様性の尊重等の強化や、障害者が精神的および身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者とない者が共に学ぶ仕組みのことである。インクルーシブ教育は、多様性を尊重し、バリアを克服しようとする人々と社会にかかわるものである。機会均等の考えに基づいているが、単にみんなを等しく扱うものではなく、前もってある違いを補強するにすぎない。最大限にする等しい機会をもつようにすることだ。

定義が広いため、様々な教育システムをインクルーシブと称することができる。つまり、常に同じ学級で学習や学校生活をともにすることだけをインクルーシブとするのではなく、通級や交流も意味に含まれる。障害をもったこどもの中には、聴覚障害など、専門的に学習を行わなくてはならない場合などは通常学級で生活することは難しい。しかし、そのような場合でも、普段は聴覚障害に応じた特別な教育を受け、健常児との交流の時間を設けるなどの工夫が大切だと考える。

障害をもつ児童のような特別なニーズをもつ子どもへの支援だけではなく、「教師の目から隠れてしまいがちな子」「教師に要求が伝えられない消極的な子ども」もたくさんいるため、そのような子どもに対しての支援も考えたい。

インクルーシブ教育における効果の1つとして、子どもたち同士の助け合いが期待される。たとえば、机の配置がグループの形にするという考えである。これによって、友達同士の学習援助の機会が増える(アメリカに比べ日本は少ないといわれている)、支援者の役割の縮小にもつながる(フェードアウト論)、子ども同士をつないできく働きかけが重要。支援者に求められるなどの効果が得られると考える。

展望としては、障害をもった子ども、不登校など排除の圧力にさらされる子どもたいちが参加、達成、出席することが目標だといえる。

 

 

《参考》

・荒川 智「インクルーシブ教育入門」クリエイツかもがわ

・武壮隆志・北村佳那子著「最重度・重複障害児 かなこちゃんの暮らし」明石書店

・愛甲 悠二、池本喜代正「ニュージーランドにおけるインクルーシブ教育の支援体制及び基金に関する研究」宇都宮大学教育学部

 

〚秋学期の課題〛

・春学期は様々な現在あるインクルーシブ教育について調べたため、それを踏まえ理想的なインクルーシブ教育を追及し、どのような方法をとれば実現できるかを考える。

・小学校の先生方にインタビューを行う。

夏休みまとめ 環境としての人間

今回、私は、重度の知的障害を持つ生徒の給料を上げるために、学校で行うことができる教育方法はあるのかということを研究したいと思い、このテーマを選んだ。  一つ目になぜ、知的障害者かというと、知的障害者は障害者の中で一番人数が多いということが挙げられる。就業率はほかの障害の人よりも高いとされているが、年齢階層別就業率 の平均は半分程度である。20歳は7割であるが、年齢を重ねるごとに、就業率は少しずつ低くなる。この最初の七割を継続すると、いいのではないだろか、と考える。 二つ目に給料が一般的な企業でも低く、また、就労移行、生活介護などはさらに低いという現状がある。これは、一日の仕事の量、時間が少なめや販売を行っているところでは物が売りきれない、などが考えられる。  三つ目に、少しでもお金が増えれば、家族への金銭的負担が軽減されるのではないか、と考えられる。現在は、国や地方自治体により、障害者への金銭的援助は行われている。児童生徒であれば、学用品や給食費 などの金銭的援助、18歳以降は障害者年金などにより、お金が貰うことができる。また身体障害者であれば、車いすを購入するときの補助など、障害によって、その援助は異なっている。また、これは地方自治体によっても異なってくる。障害者はある市では、市営の交通機関は無料である、など、地方自治体の財政事情によって異なっている。  国の財政事情、地方自治体の財政事情、によって障害者への援助は変わってくる。このことから、高齢者が増えている今、障害者への援助はよくならない可能性が高い。また、金額も減ることはあっても、増えることはないと考えられる。しかし、今は消費税が上がる予定、また物価自体が上がってきているということを考えると、同じ金額を受け取っていても、手元に残る金額が少なくなるのではないか、と考えられる。そうすると、今の高齢者の一部は貧困に陥っているが、その下の世代は年金が貰えるかわからない、もらえても金額が低いと考えられ、現在障害児の親、若い障害者の親はほかの親よりも生活が困難になるのではないだろうか、と考えられる。  また障害者の平均寿命が延びている、ということが聞いたことある。以前は階段が上がれなくなる前に、なくなることが多かったが、いまは階段で上がるのが困難になる年齢まで生きるため、二階に住んでいた障害者が困っている、ということを聞いたことがある。 高齢者が増加、障害児が増加、高齢者で障害を持つ方が増えている、しかし、労働者人口が減る、ということから、今は成立していても20年後、40年後がどうなるかはわからないだろう。 四つ目に障害児の生まれる数が増えている、ということが挙げられる。高齢者出産により、染色体異常をもつ障害児が生まれる確率が高い、医療の進歩により、以前であれば生き延びることができなかった子供が生き延びることができるようになった。しかし、同時に障害を持つことがある、ということが考えられる。晩婚化、高齢出産は女性も大学を出る割合が高くなった、また給料が安いことから安定した生活を送るまで結婚しないなどにより、これからも続いてくだろうと考えられる。そうすると、これから障害児が増える可能性があると考えると、これから障害者にも社会でなにかできるように今から働きかけができるといいのではないか、と考える。また、今回例に挙げた高齢出産は割合が高くなる、というものであり、高齢出産だから必ずしも障害を持つ子どもが生まれるとは限らない。若くても、妊娠中の過度なストレスや食生活による妊娠中毒症、大気汚染など環境ホルモンの影響も原因 となる。しかしどの原因と挙げられるものも現代生活には非常に密接なものである。  障害者への給料、賃金は総じて安い。学校という教育の場であるが、仕事につなげるために、何か行えることはあるのだろうかということである。  この研究のために、生活介護の施設で働いている職員の方、また特別支援学校(知的障害)の学校での進路担当の教員の方へのアンケート、また教員の方へのアンケートを行った。 (1)施設・作業所側から ① 生活介護とは そもそも生活介護とは何か。厚生労働省の障害福祉サービスの内容ではこのように定められている。  障害者支援施設その他の以下に掲げる便宜を適切に供与することができる施設において、入浴、排せつ及び食事等の介護、創作的活動又は生産活動の機会の提供その他必要な援助を要する障害者であって、常時介護を要するものにつき、主として昼間において、入浴、排せつ及び食事等の介護、調理、洗濯及び掃除等の家事並びに生活等に関する相談及び助言その他の必要な日常生活上の支援、創作的活動又は生産活動の機会の提供その他の身体機能又は生活能力の向上のために必要な援助を行います。 【対象者】 地域や入所施設において、安定した生活を営むため、常時介護等の支援が必要な者として次に掲げる者 (1) 障害程度区分が区分3(障害者支援施設に入所する場合は区分4)以上である者 (2) 年齢が50歳以上の場合は、障害程度区分が区分2(障害者支援施設に入所する場合は区分3)以上である者 (3) 生活介護と施設入所支援との利用の組み合わせを希望する者であって、障害程度区分が区分4(50歳以上の者は区分3)より低い者で、指定特定相談支援事業者によるサービス等利用計画を作成する手続きを経た上で、利用の組み合わせが必要な場合に、市町村の判断で認められた者 [1] 障害者自立支援法の施行時の身体・知的の旧法施設(通所施設も含む。)の利用者(特定旧法受給者) [2] 法施行後に旧法施設に入所し、継続して入所している者 [3] 平成24年4月の改正児童福祉法の施行の際に障害児施設(指定医療機関を含む)に入所している者 [4] 新規の入所希望者(障害程度区分1以上の者) 生活介護は働くというよりも、日常生活の支援、身体機能、生活能力の向上というものである。給料、工賃をあげるのではなく、支援を行う場と考えると、この研究は間違っているのではないか、と考えたが、生活介護の場であっても、何らかの製作、販売を行う、ポスティングを行うなどにより、工賃を得ている、という場もある。 ② 生活介護の職員にアンケートを行った理由 知的障害者の就業形態で授産施設・作業所等が59.1%である。身体障害者は約6%、精神障害者は約37% と知的障害者と比べると、低い値ということから、生活介護などの授産施設・作業所には知的障害者が高い割合でいるのではないかと。   また重度の障害を持つ人の多くは生活介護に行くことが多いので、今回の研究対象である重度の知的障害者が多くいるのではないか、ということで、生活介護の授産施設・作業所等にアンケートを行った。 ③ アンケート結果 学校で行っている教育が就労の場で行っているかという質問に対し、多くの方がはい、と答えている。人とのかかわり方や挨拶などが身についている、支援方法が同じであれば、学校以外の場でも落ち着いて行動ができる、集団生活に慣れている、規則正しい生活を送るという点が挙げられ、学校の教育で身に付けたことが卒業後でも行えることが多く、高評価であった。しかし、就労の場ではあまり、という声も少ないがあった。  学校で行ってほしいというものではソーシャルスキルトレーニングを行い、地域社会に出ていく機会を増やす、またコミュニケーション能力やスムーズな行動の切り替えができる、自傷他害ではなく自己表現ができるようになるといいという声もあった。 工賃を上げるためには複数の作業ができること、商品の価値を上げることができるような商品、また職員がつきっきりではなく、一人でできる、社会の理解ということが挙げられた。 また、情報が少ない、ということが多くあげられた。障害者にいる身近な職員には、障害者の情報が十分に届いていないことが挙げられた。 ④ アンケート結果を受けて この生活介護の施設にいる障害の方が年齢層がわからないため、養護学校時代なのか、特別支援学校時代なのか、わからないという問題点がある。しかし、多くは生活習慣をしっかり身につけていることを望まれていることがわかった。生活習慣は障害の状態によって、個人差があるため、一定の水準をつける、ということは不可能であるため、非常に難しい問題である。同じ重度の知的障害判定されても、自傷がある子もいれば、強いこだわりを持つ子がいるなど、同じ状態の子はほとんどいないからである。そのため、職員の方が望まれていることは、限界があるのではないか、と考えられる。  また一つの意見であったが、社会の理解、というものがあった。障害に対する理解、というものは低い、といえる。今は共生社会が謳われていることもあり、特別支援学級を学校に併設する、またクラスに学習障害の児童生徒がいるなど、障害を持つ子どもはかなり身近にいるという社会である。知識として教えられるのではなく、実生活に何らかの困り感を持つ子とかかわりによって、これから障害者への理解は進まるのではないか、ということも考えられる。 しかしながら、障害者が働く作業所などを建設するとなると、地域住民からは反対されることが多いということが挙げられる。  NHKニュースおはよう日本では障害者ホームの設置に“壁”という特集が組まれていた。 反対する理由としては“女性の後を付け回したりしないか”“ギャーとか、動物的な声が聞こえる”“地価など、資産価値が下がる”。このような反対理由を掲げる人のほとんど障害者に身近に接したことがない人だという。反対運動は5年の間にだいたい60件あり、36件が設置断念、予定地変更となったという。  ケアホーム運営のNPO 秦靖枝さん「インターネットで、すごくいろいろ出る。 突然に突き飛ばすとか、叩くとか、噛みつく。 不安感とか、分からないことに対する恐怖心、それが絶対、どんどん悪い方にエスカレートしていくのだと思う。」  このことから、健常者と言われる人たちへの障害に関する理解、知識、などが不足していると考えられ、そのような人をはじめとして、障害者が働く作業所で何かを買うということをする人は少ないのではないだろうか、と考えられる。工賃を上げるためには、障害児の教育も必要かもしれない。しかし、それよりも私たち、健常者と言われる人たちと障害者の双方の理解が必要なものなのではないだろうか、と考えられる。  また情報が少ないということから、学校側から貰う情報が十分でない、施設側での情報共有が不十分、また親などのかかわりが薄いため、情報を得られない、と考えられる。教育とは異なるが、情報が共有できるように、制度が整備されてきている。これが、しっかりと行われていく必要があると考える。 (2)特別支援学校側から ①特別支援学校について  今回は二校の特別支援学校にインタビュー、アンケートをお願いした。ともに知的障害児が通う学校であり、小学部から高等部まである学校である。  学校教育法施行令22条の3では、特別支援学校の対象となる障害の程度を定められている。 ① 知的発達の遅滞があり、他人との意思疎通が困難で日常生活を営むのに頻繁に援助を必要とする程度のもの ② 知的発達の遅滞の程度が前号に掲げる程度に達しないもののうち、社会生活への適応が著しく困難なもの しかしながら、学校によって、重度の児童生徒が多いところ、軽度の児童生徒が多いところなど学校で異なっている。今回インタビューした特別支援学校は、重度の知的障害児が多い学校、アンケートを行った特別支援学校は、軽度から重度までいるという学校である。 また生徒数はインタビューを行った特別支援学校は全学部合わせて120名程度、アンケートを行った特別支援学校は全学部合わせて200 名程度である。 ② インタビューまとめ 学校では日常生活で必要なことを身に付けるために、日常生活の指導で毎日行っている。あいさつや声掛け、順番を守るなどのマナー、まとまって歩くなどの集団行動は、毎日行い、定着させるということを行っている。また、日常生活とは別に、グループに分かれ、各目標に合わせて、日常生活から抽出したものを行っている。この目標は保護者との相談などにより決定している。  また授業でパズルをするなどのいろんな体験を行い、休み時間をひとりで過ごす時にできることを増やす、好きなことができる、卒業後の余暇活動に生かすようにしている、ということである。  また集中力を高めるために特性を探る、何であったら集中してくれるか、座っていてくれるか、ということを探している。  またつまづいていることを改善し、より安定するために行い、毎日できることが卒業後でもできるようにしていくことを日常生活の指導で行っている。  また、卒業後は進学、就労はほとんどおらず、多くが生活介護などであるということであった。生活介護では、いろんな活動を行っている、また制度上はどこでも行くことができる、ということである。しかし、一日のプログラムに乗れる人はプログラムがはっきりしているところ、その場の集団適応できるか、本人にあっているか、またどのように通うのか、ということを親、生徒などと何度も話し合って決めていく。例えば、バスで通えるのか、親の送迎か、施設側の送迎か、ということが挙げられる。このような環境によって条件を狭められてしまうことはあるが、基本的に本人や親などと相談し、適応できるところに行くこととしている。  つまり工賃などで、行き先決めて目標とするのではなく、卒業後どこで本人の力を活かせるのかということを判断しているという。そのため、高校二年、三年には体験、現場実習を行い、適応できるか、を見て折り合いがつくまで、本人に合う場所を見つけていく、ということである。  つまり、学校では就労にむけての教育は学校では行わない、ということであった。いかに、卒業後、適応できるか、そのために、日常生活を身に付けるのか、ということであった。また、障害の状態によって、さまざまである。自分で着脱できる子もいれば、難しい子もいる。その子に合わせて、日常生活の指導を行い、学校でその能力を最大限行っているということであった。  また高等部から日常生活の基礎からを身につけるのは困難である。小学部からの積み重ねの完成を高等部で行っているということである。  高等部では作業の時間がある。これは学校によって何を行うかは異なるが、この学校では農園、紙工芸、手工芸、工芸、環境に分かれている。農園では作物を育て、文化祭で販売を行う、また工芸品も販売を行っている。環境は缶をつぶすなど環境整備を行っている。これは実習につなげるためではなく、社会性、柔軟性を養うためで行っている。  また卒業後の作業所などとは、学校にもよるが、情報提供を行っている。しかし、職員まで届いているかまではわからない、という事だった。 ③ アンケートまとめ 掃除を行う、生活のゲームを行いルールを学ぶ、排泄、あいさつなど日常生活のことを定着するために行っている。まあ、そのようなことをとおして卒業後の進路のための土台作りを行っている、自分の意思を伝える、人とかかわる、待つ、情緒の安定コントロールをすることなどを行い、進路の幅を広げるようにしているということである。 また工賃を上げるためには、社会と障害者をつなぐコーディネーター的な人、環境がもっと増えないと、生活全体の自立度を上げるなどが挙げられた。  また工賃をあげるための教育は、いろんなことができるように、普段の生活がスムーズに勧められるような力をつける、ということが挙げられていたが、多くの教員の方はない、ということであった。 ④ インタビューアンケートを受けて 工賃を上げるための教育はあるのか、ということであったがそもそも教育の場ではそのようなことが考えられていないことがわかった。工賃はあくまで結果としてついてくるものであり、工賃のためになにかするということはないということであった。  しかし、この学校ででも児童生徒数は増えているが、作業所などはなかなか増えていないという現状を考えると、これから卒業後に適応できる作業所を探すということが、いまよりも困難になるのではないかと考えられる。  高等部では日常の生活の完成を目指しているということで、日常生活の定着を目指していると考えられる小学部にアンケートを行った。小学部であっても、日常生活の指導が卒業後にも適応できるように、という考えがあるのがわかった。小学部時代から毎日行うことで、定着したものが、その後の施設でも、行えているということが言われていた。卒業後にも適応できるように、というものは、しっかりと適応できている。ただ、情緒のコントロールなどは小学部から行っていても、卒業後までに身に付けられるかどうか、というのは難しいだろう。健常児と言われる子でも、コントロールをするのは難しいように考えられるので、これはできると理想、というものであると考える。  そして、ここでも挙げられたのが、社会とのことである。特別支援学校の児童生徒はそのまま作業所に行くことが多く、社会とのつながりが薄いと考えられる。 中間的なまとめ  工賃を上げるためには、ということで研究を始めたが、自分の浅はかなことがよく分かった。  工賃を上げる、ということは学校で行える教育法はとくにないのではないか、と考えられる。学校では、生活習慣を身につける、ということを行い、作業所などで、工賃を上げられるようにしていくのがいいのだろう。  また、障害児への教育を、というよりも、健常者と言われる人々への障害者などの理解を勧めることが必要だと考える。  これには、障害者が働ける場を増やすということが必要だからだ。今までは障害者は大人数をどこか郊外など人とは離れた生活を強いられていた。しかし、今は地域で暮らそうという考えがある。その証拠に、私の住んでいる地域には、住宅街の中に軽度の障害を持つ人々が働く作業所がある。しかし、これには反対運動がある。この状態では障害児が増えている現状に対応できないのではないか、と考えられる。障害児の理解をすること、そして、障害者の作業所を増やして、卒業後の行く先を増やすことと同時に、その作業所での買い物を行うようになると、工賃はあがるのではないだろうか、と考えた。

 

参考・引用文献

平成25年度版 障害者白書(全体版) 第一編 第1章 第4節 1.就業の状況(http://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/h25hakusho/zenbun/h1_01_04_01.html

特別支援学校への就学奨励に関する法律第2条第1項

発達障害の総合情報 知的障害に関して 8割は原因不明の知的障害(http://www.vastra.org/19_2/19_2_1.html

厚生労働省 政策について 福祉・介護 障害者福祉 障害福祉サービス等 障害福祉サービスの内容(http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/service/naiyou.html

内閣府 平成25年度版 障害者白書(全体版) 第1編 第1章 第4節1.就業の状況 図表1-21 1-22 1-23 (http://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/h25hakusho/zenbun/h1_01_04_01.ht

NHKニュースおはよう日本 特集まるごと「障害者ホームの設置に‟壁‟ 2014年1月26日(http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2014/01/0126.html

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環境としての人間ー家庭と学校ー 春学期におこなったこと

ゼミテーマ『環境としての人間』から、私は「家庭と学校」をサブテーマとして研究を進めることにした。

『環境としての人間』から、なぜ「家庭と学校」について関心を持ったのか。そもそもは自分自身の環境が動機の根本ともいえる。私は現在大学生、両親と弟2人の5人家族である。家に帰ると家族がいて、学校の出来事を話したり、会話を楽しんだりしている。一方で、兄弟や親の行動や指摘に不満を感じることもある。今でさえそうあるのだから、自分が高校生・小中学生、もっと幼い頃の家庭の様子や家族との関わりは色濃く表れ、その積み重ねも自分に影響しているだろう。また、私には兄弟がいる。同じ家庭環境で過ごすにも関わらず、性格や趣味が異なっていることも興味深い。

家庭環境が子どもに与える影響は大きく、子どもの能力の発達や人格形成等に深く関わっているのではないか。多種多様で、それぞれの家庭の中で、どのように子どもは育っていくのか傾向を掴み、考えてみたいと思った。さらに、今までの学校生活を振り返り、クラスには色々な性格の友達に出会ってきた。お互いに切磋琢磨に学校生活に励み、自己を高める、社会性を身につけていくことも重要な学校の学びである。しかし、成績不振、いじめ、学級崩壊、不登校等、学校における深刻な問題は後を絶たない。学校生活に見られる子どもの行動や様子だけでは、子どもの実態を把握しきれないと考える。そこで、子どもが生まれ育つ最も身近な「家庭」こそ、目を向ける必要があるのではないかと考える。教師や学校による一方的な指導や環境改善に限らず、子どもの家庭環境を理解した上での接し方や指導を変える必要性を感じる。学校生活でのつまずきの改善につながる、家庭と学校の関係を見出し、支援に活用したい思っている。

研究を進めるにあたり、研究概要を次のようにまとめた。①学校〔例:勉強に意欲が持てない・いじめてしまう・学級を乱す・不登校に陥ってしまう子〕(学校生活で見られる子どもの問題行動はなぜ起こってしまうのか。原因はどのようなことか。問題提起から、子どもの生まれ育つ「家庭環境、家庭教育」に目を向ける)→②家庭(家庭環境を背景に、問題行動を起こしてしまう、あるいは巻き込まれてしまう子の傾向を知る。様々な家庭環境から、その傾向になりがちな家庭を分析・推測する)→③家庭と学校(より良い家庭とは、改善のポイントを考察する。学校の家庭に応じた教育支援や家庭との連携、家庭事情を理解した上での子どもの対応についてまとめる。)

大まかな概要を立てたものの具体的に何から始めればよいか曖昧であったが、ともかく5冊の本を選び、手かがりを探すことにした。

文献で分かった事柄をまとめておく。

・家族の少子化・核家族化   家族の少子化と核家族が現代社会における家族の特徴である。少子化によって、兄弟姉妹が対等に何かに取り組んだり、二手に分かれて争ったりする経験が減少する。核家族により、親子関係が行き詰まったときに相談相手、逃げ場ともなり得る叔母や叔父・祖父母といった存在が少ない。少子化であれば、親は数少ない子どもに集中して子育てのエネルギーが与えられる状況である。しかし、子育てが母親一人に委ねられる、仕事との兼ね合いも難しくなる。母子密着状態も生じやすい。 (参考:家族の心理 家族の理解を深めるために 平木法子・中釜洋子 サイエンス社)

・いじめてしまう子   いじめの背景は何か。安らぎの場としての家庭が、ストレスの場になってしまっている背景も挙げられる。さらに時間・空間・仲間のない環境、大人に管理された生活の中では、家庭での安らぎが困難であり、子どもの心が育ちにくい。子どもの否定的な評価や条件付きの愛情から、自己の存在に自信が持てない子が育ってしまう。競争の気になる環境では、周りをいたわったり思いやったりする気持ちが持てず、自己中心的な未熟な性格や偏った人格になってしまう子もいる。心の発達、子どものストレスからいじめは深刻化しているのではないか。 (参考:友だちをいじめる子どもの心が分かる本 原田正文 講談社)

・親の言動   親の会話の仕方を分析。子どもが発する言葉を先回りするタイプは、自分の意向が漠然とし、相手に依存しがちになる。子どもを気遣って気持ちを代弁するタイプは、親と子の不一致が生じて、子ども自身が気持ちに確信が持てなくなる。子どもの発する言葉に親が過敏に反応してうろたえるタイプは、子どもが自分の気持ちをなかなか口に出せない。子どものコミュニケーション能力は、親の言葉がけに関係する。  英才教育は、親の押し付けになっていないか。放課後に外遊びが自由にできない環境から、塾や習い事は有意義な時間ともいえる。子どものこころの琴線に触れているかを考慮し、学力というより精神力を鍛えていくことの必要性を捉える。 (参考:良い子のこころが壊れるとき 山登敬之 講談社)

・不登校の要因   親による子どもへの暴力行為、きょうだい間虐待等の問題行動が挙げられる。不登校に陥る本人は、自己中心的、未熟、強迫的、緊張感、葛藤的などの性格傾向が見られる。また、家族の特徴として、母子の密着関係、父親の不在も指摘されている。きょうだいの減少により、同年代との社会化、学校での自己表現や上手な人間関係の構築が難しくなっている。 (参考:きょうだい メンタルヘルスの観点から分析する 藤本修 ナカニシヤ出版)

・家族時間の減少   共働きが増え、放課後の時間を組織化した活動に参加させる必要が出でくる。早期教育の可能性や一流大学による高い能力の要求から、塾や習い事に行かせることも増えいる。親も子も過密なスケジュールが負担に感じ、家族で過ごす時間は減少、家族の結びつきに危険が生じている。家族の時間の一つである食事も、子どもの学業成績の向上、精神的安定をもたらすのではないかと考察している。 (参考:家族の時間 子どもを伸ばすやさしい暮らし ウィリアム・J・ドハティ   講談社)

今や核家族、共働きが増え、放課後時間の習い事や塾に通わせる親も多い。また、早期教育の可能性、学歴社会による高い能力の要求等も理由に含まれる。親も子も多忙な生活に重荷を感じ、親と子の関係が希薄化している現状が伺える。家族同士のコミュニケーション不足や窮屈な家庭状況から、子どもはストレスや無力さを感じ、もう一つの「学校」という環境に気がつかなくとも行動に出てきてしまうと考えれる。

文献を読み、グループ内で話し合っていく中で、家庭のマイナス面を中心にするより、家庭環境が子どもを伸ばすプラスの面に注目したほうが良いのではと思うようになった。

そのため、研究概要にある①学校〔例:勉強に意欲が持てない・いじめてしまう・学級を乱す・不登校に陥る等〕から【例:勉強に意欲がある・友達に思いやりを持って接する・毎日元気に学校に通うといった、いわゆる学業成績や生活態度が良好な子】の家庭環境を主体にした研究へと変えることにした。例えば、共働きでありながら、親が子どもへの声かけや子育て法を工夫したり、家族との時間を大事にしようと努めたりすることで、子どもの学力の向上や心の安定につながるとも捉えられる。朝食を家族揃って食べる、家事の役割分担がしっかりできている、祖父母との出会いのような家庭生活の一部分に、学力向上や心の安定への要素が含まれていると考える。研究のねらいとして、家庭・家族が子どもに与える良い効果を多く見つけていく。そして、学校生活でのつまずきを感じてしまう子への、より有効な改善策や対応・支援について、家庭のプラス面を取り入れて考えることに決めた。 家庭の改善が学校生活の改善につながるよう、大人と子どもが共感し合い、子ども一人ひとりがのびのび過ごせる環境を知りたい。。

 

インタビュー調査において、自分の友人の協力を得て、話を聞くことにした。大変優秀で、憧れの友人である。

「幼少期における家族との関わりについて」を質問した。答えは以下の通りである。

・家に帰ると必ずお母さんがいた。誰もいないことがないように早めの時間に終わるパートを探して働いていた。

・無理に勉強させても身に付かないと思ったから、勉強しなさいを言わない。

・兄弟でよく遊んだ。友達と遊ぶ以外にもプラレールやミニカーで遊んだ。

・お父さんの仕事の都合もあったのが、基本的に家族揃って食事をした。

・学校から帰ってきたら、今日の出来事をお母さんによく聞いてもらった。

これらから、家族とのコミュニケーションが充実していると考えられる。お母さんの働き方、勉強しなさいと言わないといった声かけや気遣いにも着目したい点である。遊び相手、遊ぶおもちゃの種類との関わりについても気になる。

春学期に行ったことは以上である。

 

反省点・課題

研究の方針は固めたものの実践的な活動がほとんど行えなかった。優秀と優秀でない子の境目・対象者選びがまだ曖昧であること、インタビューの内容がきちんと決められていないことも原因の一つだと思う。研究の中身の明確化が必要である。また、親の声かけや教育、子どもの育つ「家庭」に次いで「学校」との関連へとどうつなげていくか、見通しを立てなければならないことも今後の課題である。

夏休みには、友人から詳しく話の続きを聞いて、インタビューを深めていく。良さだけに限らず、何か困難に直面したときにどう乗り越えてきたか、そのときの家族のはたらきかけにも触れながらインタビューを進めたいと思う。また、家庭環境、家族、子育て等のキーワードを含む文献を探し、情報収集・インタビューの手ががりにしていこうと考えている。

春学期におこなったこと 

私は、障害児の就労について、学校で行うといいことがあるのか、また賃金を上げるために行うといい教育はあるのかということを研究することに決めました。

そのため、最初に事業所で職員として働いている伯母に簡単なインタビューを行いました。そのインタビューでは、日常生活のスキルを中心に身をつけると職員からしても、働く障害者にしても、また事業所を運営していくうえでも、とても有効なのではないか、ということでした。また、職業的なスキルは就職、就労後に身につけていくものであって、学校では、基本的なことを身につけることに重点を置いてほしい、ということでした。また先行して行ったインタビュー内容を基にアンケートを作成しました。

次に、文献などを探しました。障害者に関する調査などは毎年行われているのですが、ひとくくりにされていることが多く、求めているような文献はまだ探せていない現状です。

最後に、学校また事業所へのインタビュー、アンケート依頼を行いました。学校はアンケート一校、進路担当の先生とのインタビューとアンケートが一校の二校が協力してくださることになりました。また、事業所は、アンケートがひとつ、またアンケートとインタビューが行えるか調整中が一つ、となりました。

以上が春学期に行ったこととなります。

夏休みに、アンケート回収、文献探しなどを中心に行う予定です。

 

卒業生インタビュー(鈴木静さん)1

卒業生第3弾は、現在幼稚園の副園長さんとして大活躍の鈴木静さんです。第2弾の西井さん(仮名)と同期で、この年度から、卒業論文をファイル化して、全員が持ち合うという方法をとるようになりました。鈴木さんは、在学中から外国にいって、将来の幼稚園教育に携わる準備を熱心にやっていました。当日は坂戸のあずま幼稚園に、私の妻と一緒に訪れて、幼稚園を案内してもらったあと、インタビューに応じていただきました。

文教大学入学の事情 幼稚園を継ぐためなのに?

お 文教大学に入った目的とか経過などはどうでしょう。
鈴 実は文教大学しか、オープンキャンパスに行ってないんです。幼稚園の先生になるという目的で大学選びをしていたんですよね。家庭科専修、人間科学部でもいいよねって終わったんですけど、当時は幼稚園の免許がとれなくて、園長の母に相談したら「幼稚園の先生の免許はとるな」ときっぱり言われたんです。「えっ!でも、幼稚園の先生になりたい」と言ったら、「教員免許の一種さえもっていれば、園長になれるから、もっと別のものを何か、他の先生がもっていないものを身につけていらっしゃい」というので、人間科学部の人間教育コースの名前に惹かれたのと、生涯学習とか幅広く勉強できる、社会の免許がとれるというので、公募推薦で入りました。
お それまでは幼稚園免許とらなければと思っていた。
鈴 はい、それで東京家政とか考えていたんですけど、とる必要ないと言われて、もっといろいろ勉強できるということなら、文教大学がいいということで決めました。
お 幼稚園を継ぐというつもりなのに、何故文教に来たのかなと前から思っていたんだけど、そういう事情だったんですね。今は教育学部心理教育で、免許とれるんだけど。
鈴 あったら、わたしが自分で選んでエントリーしていたんだと思いますけど、「幼稚園の免許よりも、小学校の免許をとったほうがいいんじゃないか」と、逆に言われたかも知れない。

大学時代にアートベースの教育と英語に目覚める

お 大学時代は、どんな勉強をしていたんですか。
鈴 東大の佐藤学先生の本ばかり読んでいました。教師の矯正についての内容が、新しい形のものが多かったので。それから、園長が、アートをベースにしたイタリアの教授法であるレッジョ・エミリアの教授法を講演できいて、自分がやりたかった保育がそこにあったと、彼女自身が爆発させたところだったので、私も勉強しました。東大の秋田喜代美の研究会に園長が加入したんで、私も出させてもらったり、オクスフォードの先生と講演に行かせていただいたりとか。それをやるなかで、園長に言われた、他の先生がもっていない何かということで、幼稚園での英語教育についてやろうと思って卒業研究に取りくみました。
お そのころは、この幼稚園で英語をやっていた?
鈴 やってました。だけど、ただ踊って歌っていただけで、「やってますアピール」だったので、私も園長も納得していなかったんです。2年生で文教大学のモナシュ大学の英語研修にいって、ホームステイをして、英語の面白さを知ったんです。最初「英語なんて、しゃべれなくていいじゃない、日本人なんだし」と思っていたんですが、向こうに行ったときに、そこでしゃべったとたんに、ホストブラザーと仲良くなって、すると彼の彼女とも仲よくなって、どんどん友達が増えていくんです。ひとつの言葉を話せると、これだけ友人ができるんだ、とそれを同じことを子どもたちにもさせたいと。大学4年生のときに、この幼稚園に就職しろと言われて、ブリティッシュカウンセルの協力で、イギリスの幼稚園との交流校を見つけたんです。
お 卒論でそのようなことを書いてましたね。

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鈴 卒論はほんとうにベースのところでした。教材研究のところからやっていたし、ロンドンの幼稚園に行って、保育をみて、その概略をまとめた感じでした。でも、あれがあったから、今の実践につながっていると思います。ハロウィンまだやっているし、英語使ったウォークラリアとか、今はそれが英語劇に変わって、年中年長が、超大作をやるんです。今年は年長がシンデレラ、年中が「長靴をはいた猫」を英語でやるんですけど。
お 台本は?
鈴 英語の先生にお願いして書いていただいて。
お 子ども用に?
鈴 はい。ナレーションも子どもたちが全部やるので、家にもちかえって、夏休みや冬休みに練習してきて、劇の構成を子どもたちと話し合って、2月に発表します。
鈴 こういう活動もイギリスと報告しあってきました。
お 実際に行ったり来たりは?
鈴 先生同士はあります。子どもは卒園児を2年前につれていって、日本の小学校というプレゼンさせたんです。

幼稚園の英語教育の改革

お 英語は幼稚園でやっていたけど、園長とその後継者がこれじゃだめだ、という教育が何故行われていたんですか。
鈴 私たちが、個人契約で教師を頼むのは、法的に難しかったので、委託の会社に派遣を依頼していたのです。でもそういう先生って、ほぼ観光でやってきて、1年やって、お金を稼ぐという意識なので、積み重ねの保育とか、教育とか考えて教えないんですよ。マニュアルありきですから。子どもとの関わりとか見ると、子どもが何話してもふんとかで終わってしまうし、課外をみても、お菓子食べていて、子どもに話しかけもしないし、こんなんでいいだろうかって。
お それでどう変えようと思った?
鈴 話せる英語に変えたい。一番気に入らなかったのが、what is it ?って聞くと、 apple って答えて、それで終わってしまうんですよ。でも日本語もそうですけど、正しい日本語ってあるじゃないですか。It’s an apple という形で教えてもらいたい。そういうこだわりで、4年ほど前、シェーンさんという人がみつかって、オーダーメイドの英語でお願いしています。マネージャーさんにも何度もきてもらって、教育プログラムを考えていただいて、今の先生は長く続けています。
お 一人?
す 今は一人です。去年は、正課一人の課外一人でした。ことしは両方をやっています。
お 園児は全員やるの、それとも選択?
す 正課に関しては全員で、年少が6月から、それ以外は4月から、週1で20分から40分。年長は、月1回です。
お 卒業後の状況は
す 卒業式の日に卒業証書もらったんですけど、学士じゃなくて、修士ほしいなって思って。(笑)でも幼稚園いかなきゃと思って、いろいろ勉強しながら、ずっと幼稚園にいる形です。
お イギリスには何度もいっているよね。
す かなりですね。年間4、5回で、今年は4回くらい。卒業3年後に理事長の祖父が亡くなりまして、幼稚園も施設がかわってきて、交際交流もベースができてきたので、その翌年に相続が落ち着いたときに、私が向こうに行って、向こうの先生がこっちに来て、何年も続けています。また、幼稚園が、エコロジーカフェという環境保護団体に所属していて、研究活動をしているんですが、その一環として、イギリスと交流の活動を東大の小柴ホールで発表させていただきました。幼稚園って、行事行事で一年がすごく速いんですよ。そういうなかで、何してきたんだろうと、あまり記憶がないんですね。忙しくて。震災のときだったか、すべてがストップしたときに、これでいいんだろうとと思うようになって、もう一度振り返って、精査して記録に残す、分析する作業の時間がほしいと思っていました。それでイギリスのイースターグリア大学に挑戦したんです。とてつもなく英語が苦手なのに。ある程度のスコアのぎりぎりとって、院ではなく学部であればということで、オファーをいただいて、行くばかりのときに、うちの職員がやめてしまって、私が行ってしまったら、園長ひとりで幼稚園は回せないということで、諦めるしかなかったんです。
お それで留学をやめたのか!知らなかった。

卒業生インタビュー(鈴木静さん)2

イギリスで日本の幼稚園教育の講演 学問に目覚める

す そうなんです。でも活動だけはしていて、イギリスのジャパンソサイティから、日本の幼児教育についての講演をイギリスでしてほしいと言われてしてきました。ロンドンにあるジェントルマンズクラブのひとつのオリエンタルクラブというところで、日本の幼稚園や学校制度とか、認定子ども園の制度がスタートしていて、震災の年に、第一号でとったばかりだったので、エデゥケアについて、講演しました。イギリスでは幼稚園という概念がないんです。チャイルドケアというのはあるけど、キンダーガーデンはない。
お イギリスでは幼児学校だからね
す そうなんですよ。だから、ちゃんとケアはあっても、ナーサリはあっても、日本のような幼稚園の感覚はない。またそこで、論文のような文章を書いて、翻訳はジャパンソサイティでやってもらったんですけど、英語でスピーチをしたので、勉強したいという気持ちがますます強くなって、埼玉大学なら、車ででも行ける今年から修士の一年生です。いましごかれています。週3でいってます。
お テーマは
す 修論に関しては、「子ども暮らし」をメインにしています。幼稚園の保育って何かというと、子どもたちの生活なんです。普通、子どもに教える、自分たちは何かしなくてはいけないと思うんですけど、逆に私たちは、子どもたちの生活にはいっている一人なんだということを自覚する。「子ども暮らし」を知らないと、子どもと一緒に学ぶことはできないだろうということですね。保育指針などに書かれているんですけど、ぼんやりなんですよね。子どもによりそうってどういうことなんだ、ということがとても大切ですが、うちの先生たちは、毎日保育日誌を書いているので、それを分析することろから読み解いていく。保育者の「ねばならない」ではなく、それをどう打ち破るかということです。

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お 従来の保育理論との関連は。双方があるの、ねばならない派の理論だけがあるの
す ねばならない派の理論はないです。
お 感覚的にということ?
す 理論というか、
お 研究だと、先行研究とかを調べるけど。
す 先行研究を調べなさいとはいわれているんですけど、こういう保育の研究って、なかなかみつけづらくて、ランゲフェルトとかをみています。コルチャックとか。
でも、修論に関しての授業が一度もないんです。先生お忙しくて、付属の校長なんですよ。ずっと休講で、夏休みに時間をとってやろうということになっています。
お 子ども暮らしといえば、子どもをビデオに撮って研究するとかは。

牛乳プロジェクト

鈴 イギリスやフィンランドの子どもも撮って、比較するというのは、研究方法としてだしてはいます。プロジェクト活動という、うちの独自の教育法があるんですけど、子どもに寄り添う活動を考えていこうと思っていたので、研究の柱のひとつになります。私も関わっていた一昨年「牛乳プロジェクト」という大きなプロジェクトがあったんです。
お どういう活動?
鈴 不可思議なタイトルなんですけど、「なんで牛乳は白いんだろう」という疑問を子どもたちに、ぽんと投げかけて、2年間にわたって研究していく活動をしたんです。
お 幼稚園の子どもが研究するの?
鈴 はい。年少さんのときに、近くの聾学校にいって、牛さんと触れ合って、乳しぼりをしたんですが、「でてくる乳は白いね、その白い乳を牛さんは、飲んでいるね」というところから始まって、農業大学校が近くにあるので、牛さんのお世話をしている先生や学生さんから、牛はどうやって育つのかとか、どうやって食べるのかを教えてもらったり。でもそれで牛乳が白い理由が分かるわけでもないし、どうしようという先生たちの葛藤がそ生まれて、そのなかで、どうしようとなって、じゃ、白い飲み物他にないか、牛乳以外にないか探そう。そうすると、カルピスとか、飲むヨーグルトとか、いろいろでてきて、水となにかが混ざったものだよね、と子どもたちが気づいていく。それじゃ、水と何かが混ざったものがものかも知れない、それなら子どもたちは、作れるっていうから、じゃ、つくってみようということになる。白い牛乳をつくるために、水に何をいれたらいいだろうという実験をすることになり、塩、白い絵の具、牛乳、ヨーグルト、なんかをいろいろ実際に混ぜてみて、色を比較してみたけど、結局できなくて、どうしようということになった。とにかく、水と何かをまぜるんなら、牛乳を分離させたらどうなるのかってなって、分離実験が始まる。それも分離の仕方もわからないから、東大で、研究している虫博士が知り合いでいたんで、虫博士に聞いてみようということで、メール送ったら、レモンとかオスをいれて、あっためるといいかも知れないという。それをみんなでやって、一回失敗したんですけど、二回目には、分離させて白いものと半透明のものがでてきた。じゃこの白い固形の何かが白い素だね、というところにもっていって、子どもたちに食べてもらったんです。白いこれ何だったといったら、バターかチーズかも知れないという話で終わったんですけど。
お テーマを決めたときに、それを決めたひとたちはわかっていたの?
鈴 いないです。そこが、みそだったんです。わたしがテーマをだしたんですけど、わたしも知らないし、その知らないことが大事だったんですね。知っていると、どこかで、先生は教えてしまって、それにあわせてしまうんです。でも、知らないからこそ、子どもたちは、分離実験までいったんですよ。年中さんです。4、5歳で、そこまでいくのは、かなり驚異的だったです。なんでもかんでも、答えだしたがる先生はどうなのという問いかけをしたんです。最後に、虫博士は、答えがでなくていいんだよ、分からないことがいっぱいあるから、僕らみたいな研究者がいるんだよ、という言葉を、子どもたちに残してくれたんですね。これが牛乳プロジェクトです。これが修論の、子どもに寄り添うとか、子ども暮らしにはいっていくシンボル的な活動になります。
お でも、さっき幼稚園をまわったときに、けっこう教えているよね。そうでもないの。
鈴 結果的にそう見えるんですけど、実際には、うちの教育方針のなかで、先生は答えをいってはいけないんですよ。

子どもたちが自分たちで学ぶ生活

お たとえば、字を書くとか。教えることはたくさんあるでしょう?
鈴 ベースに関してはそうなんですけど。
お その区分、構造はどうなっているのかな?
鈴 書き方については、年長さんからは教えていますけど、実際にその前に子どもたちは、字を書けるようになっているんですね。調べるときに、「書いて」と言うと、子どもたちの経験のなかで文字に触れているんですよ。シンボルとしてできているんです。だから読むことはできる。先生がやるのは、この文章を書くときに、こうやって書くんだよといって、見せるのではなく、あいうえおの五十音順の一覧をラミネーかけたカードをいくつか置いて、あと書いてというだけでやっているので、ワークシートのようなもので教えることはやっていないです。
お なるほど。
鈴 5歳からやるのは、書き順なんです。小学校にあがるときに、書き順を知っていることが必要なので。
お 家で教えるとかは。
鈴 それは、そこの家庭までみていないんですけど、絵本を読んだりとか、本との触れ合いとか、ちょっとしたサポートで、子どもたちが拾っていくという形はあると思います。生活のルールはこうしなさいと教えますけど、活動に関しては、答えをだしたり、こうだからというのは、ベースとしてないです。
お 知識としては?
鈴 臨機応変にはなるでしょうけど、ベースないです。何かをしているときに、先生がここは必要だと考えたら、子どもたちにその答えを導き出すために、話し合いをしてもらいます。こども同士で、子ども会議という形なんですけど。
お 会議らしくなるの?
鈴 はい。この前ビデオを撮って発表させていただいたんですけど、一対一、二人一組、三人一組になって、話し合いをしてもらうというのも、年中さんからやれるようになっています。年少は2学期くらいからできるようになるので、徐々にやっているんですけど、その答えを、導きだすように、先生がストーリーづくりとか、環境づくりというようなベース作りをして、先生がこうとダイレクトに言うのではなく、そこにもっていくために、先生がまわりから、外堀から埋めていくという方式でやっています。たまに、それが思ったようにいかないこともあります、でも、いかないから、先生が「こっち」というのではなく、いかなかったことを逆に楽しめるように、先生たちには、園長が指導しているので、別のことで盛り上がるように、こっちでいこうという感じでやっています。
お 先生もけっこう勉強が必要だよね。
鈴 はい。園内研究と、日々の職員会議です。
お 頻度と時間は?
鈴 園内研修は、園長の忙しさにもよるんですけど、年間で4、5回くらいで、職員会議は週1です。そのときには、各クラスの気になる子の状況とか、現在のクラスの状況を報告しあって、お互いに分析しあって討論をやっているので、それも研修みたいなものです。この間は、一年目の先生のだめなところを書きなさいって言って、一年目の先生には、なりたい理想の先生を書きなさいって言って、メモ書き書かせたんです。一年目これがだめ、これがだめ、読み上げて、それを分析するという、過酷なことをやっていました。
お 当人は?
鈴 何人かは、泣いていましたけど、なあなあでいくよりは、ここはできていないから、こうしてほしいという積極的なアドバイスとか、自分ならどうするというような分析もあるので、恨みつらみがあったりはしないですね。逆にそこからリセットされていく。ハードみたいですけど、そのあとすっきり、脱落者もなく、一般的には、そういうことをやると脱落する先生も多いかも知れないんですけど、うちでは、何か逆に明るくやっています。園長がうまくコントロールしてまわしたなって感じですけど。