春学期におこなったことー「都会と田舎の子どものちがい」ー

子供が成長していく環境として、人口や情報量の多い都会と、自然に囲まれた田舎とでは、どちらがよりよい環境なのだろうか。

都会の場合は、人工的な遊び場が多く交通網も発達しているため、簡単に好きな場所に移動し、自分の好きなことをすることができる。また、情報量が多いため、自分がほしい情報をすぐに手に入れることができる。学習の面でも、社会の中心で生活をしているため、自分の将来をイメージしやすく、塾なども充実している。

しかし、都会は人口や情報量が多いため、自分に関係ないものに無関心になりやすい。また田舎に比べると優秀な親が多く、その親からのプレッシャーも強いため、ストレスが溜まりやすいといった問題が生じる。都会では、外からの刺激が多いため、子どもは成長するかもしれないが、負担も大きいだろう。

一方、自然の多い田舎に住んでいたら、走り回れるような遊び場も多く、無駄な情報量も少ないので子どもは伸び伸びと育つことができる。また田舎は、人口が少ないので、他人と親密な関係を築くことができる。家庭では、祖父母と一緒に住む可能性が高いので、子どもが家で一人になることが少ない。親以外の大人と話す機会も増えるため、社交性も延ばすことができる。また、田舎は静かなところが多いので、子どもはリラックスができる。

しかし田舎の場合は、電車が通っていない場所が多いので、いろんな場面で親が送迎をしなければどこにも行けないという問題もある。それにより、遊びや趣味、スポーツなどにしても選択幅が少ないので、都会に比べると子供の個性を伸ばしにくい場面がある。都会と比べると田舎は刺激が少なく、社会の変化も乏しいということから、競争社会で生きていくために必要な要素は伸びにくいと考えられる。 以上のような都会と田舎の良いところと悪いところだけを見てみると、都会で育った子どもと田舎で育った子どもとでは、明らかに違った人間になってくるのではないかと私は考える。このことから私は、「都市と田舎の子どもの感性の違い」をテーマに研究を進めていきたい。

 

調査方法としては、主にインタビューで調査していきたいと思う。インタビュー先には、山村留学を経験した小学生高学年や中学生。さらに田舎から都会に出てきたと思われる私の友人や、同じ大学の人にもインタビューをしようと考えている。

インタビュー以外では、田舎と都会の子供についての文献を参照したい。

 

今回の研究を進めていくうえで、都会の定義を「人口が密集し、商工業が盛んでいろいろな文化的設備がある土地」とする。しかし、どのくらいの環境を都会とするのかは個人差があるので、インタビュー者と相談して判断していきたい。

また田舎とは、生まれ育った土地のことをいうこともあるが、本稿では都会から離れた所で、人口も少なく、田畑が多いのどかな場所を田舎と定義する。また都会同様に何をもって田舎と感じるのかも個人によって異なると思うので、これもインタビュー者と相談して決めたい。

 

春学期に行ったことは、主に、グループごとに文献を集めてきて読んでくることであった。

私は初めに田舎の特徴をつかみたいと考えていたので、春学期は田舎について書かれている文献を中心に読んでいった。その中でも、「山村留学」と「グリーンツーリズム」について書かれている文献が多かったので、この二つの内容いついて次に述べていこうと思う。

まずは「山村留学」について述べていこうと思う。

山村留学とは、都市部の子どもたちが、数か月間から数年間の長期にわたって家族のもとを離れ、農村漁村で生活し学ぶこと。また、そうした子どもたちの受け入れを目的として農山漁村で行われる教育支援事業のことである。

山村留学は、日本全国で急速に過疎化・少子化が進む中、都市部の子どもたちを受け入れて地域の活性化を図りたいと考える農山漁村と、豊かな自然や伝統文化、あるいは農村共同体の温かな人間関係に触れることなどを通して、子どもを健全に成長させたいと願う都市部保護者のニーズが合致した結果、各地に広まったのである。

現在、様々なメディアが普及することによって子どもの現実体験が希薄になっている問題や、特に都市部で家庭・地域の教育力が低下している問題が指摘されている。こうした問題を背景に、都市が急速に失いつつある体験・教育機能を、田舎の立場から提供する存在としての山村留学に寄せられる期待が、高まってきている。

しかし山村留学は、幅広い効果が期待される一方で、確かな制度や、理論的に明確な裏付けを持たないまま各地の住民や自治体が、個別に手探りで事業をスタートさせるケースが少なくないため、それに伴う問題もいくつか生じている。その中でも最も大きな問題は、山村留学を受け入れた学校側が、「資金難」、「留学生の確保が困難」、「過疎・少子化で学校そのものがなくなる」などの理由から事業の継続を断念しているということである。このことから、山村留学を受け入れるということも困難なことがわかる。

また、山村留学というのは、都市で失われつつある体験・教育機能を、田舎の立場から提供するといったものなので、山村留学を受け入れる学校というのは地域的な偏りが大きい。

実際に山村留学で行う内容は、一日24時間、衣食住、健康管理、勉強、余暇活動など生活の全般にわたって子どもたちのサポートを行うものである。留学生の一日のスケジュールは決まっており、自分たちが生活する場の清掃や洗濯物の取り込み、ゴミ出しなども当番制で行っている。留学生たちは、初めはその生活に適用するために多くの時間が必要だが、いったん適用してしまえば、生活のリズムが整うため、好き嫌いがなくなる、体力が増す、勉強の習慣がつくなど、健康面や学習面に様々な好ましい影響が現れる。また、留学生たちの休日は、農作業、野外活動、地域の伝統行事などで予定が埋まっているので、休みの日に、「暇でやることがない」ということもない。こういった多彩な行事は、山村留学地の地域の住民によって支えられている。

山村留学が実際に子どもたちにどのような効果をもたらすのかというのは、はっきり示すことはできないが、研究者たちは「修業文集」の内容で分析を行った。修業文集とは、子どもたちが山村留学体験を振り返って心に残ったことを書くものである。その内容を見てみると、熱中するものに出会えた喜び、弱点を克服しようと挑戦してやり遂げた達成感、リーダーとしての責任を果たそうとしながらできない苦しみや、みんなの協力を得て責任を果たした充実感などが書かれている。このことを見ても、子どもたちは精神的に成長したということがわかる。

現在、「山村留学の効果を十分に高めるためには、少なくとも2年の留学期間が必要である」という共通認識が山村留学の関係者の中で形成されている。留学一年目は、新しい“田舎“の環境と留学センターのルールや人間関係に適応することによって生活のリズムを整え、それを基礎にして二年目で思い切り自分のやりたいことに打ち込むとともに、後輩たちの手本となってリーダーシップを発揮するのが最も好ましい留学体験のあり方だと考えられている。また、複数年の留学を経験してリーダーシップをとることができるようになった子どもが増えると、低学年の子どもや留学期間の短い子どもの留学生活への適応もより円滑に進むようになる。さらに、様々な行事における留学生全体としての体験の質も高くなることが経験的に認められている。このような認識は、山村留学センターの職員たちが山村留学を続けるために、試行錯誤を繰り返すことにより形成されたものである。

しかし、山村留学の今後の課題も存在する。第一は、小学生の時から継続して最長8年間におよぶ留学を経験する子どもが現れるなど、留学の長期化が生じているということである。長期の留学を経験して年齢も高くなった中学生に対しては、1〜2の留学を行う小学生とは異なり、より幅広い体験の選択肢を提供することが重要であるが、この点についての方向性は、現在のところは明確になっていない。

第二の問題は、山村留学を体験して生活のリズムが整ったにもかかわらず、山村留学を終えて地元に戻ると元の不規則な生活に戻ってしまうという事例がしばしば生じる点である。山村留学で規則的な生活を整えたのだから、それを地元でより効果的に生かしてもらうために、様々な取り組みが必要となってくる。

山村留学は、単に“都市“の子どもに“田舎“体験を提供するだけでなく、“田舎“に集った子どもたちの「自ら成長する力」や相互関係を効果的に活用して、サポートすることによって、“都市“が急速に失いつつある体験・教育機能を、質の高いレベルで提供することを目的としている。

以上が「山村留学」についての内容である。

次に「グリーンツーリズム」について述べていこうと思う。

現在、日本でサステーナブル・ツーリズム(持続可能な観光)として注目されているグリーンツーリズム(農山漁村滞在型観光)は、ニート青年を立ち直らせるオータナティブ教育として、また都会の子どもたちに自然や食べ物のありがたさなどを、体験を通して学ばせる食育として注目を集めている。

グリーンツーリズムが都市住民にもたらすものは、①「農」のあるライフスタイルの享受、②伝統行事や歴史・文化体験、③自然・景観体験、④心身のリフレッシュ、⑤特産物・食の体験、⑥農業・農村滞在体験、⑦子どもの情操・環境教育である。一方、農村住民側が得るものは、①「農」を生かしたライフスタイルの創造、②持続的な収入の確保、③快適な生活環境の創造、④多様な人材の交流、⑤地域資源の多面的価値発見と活用、⑥農業・農村の多面的機能の理解の促進、⑦女性や高齢者の社会役割の向上である。双方的には①自己実現、②個持続的交流、③個性的体験、④生身の親密な体験、⑤非日常性、⑥非効率性、⑦計算不可能な成果がもたらされる、といった内容である。

環境社会学者たちは、グリーンツーリズムで意味したものは、単なる緑地帯観光ではなく、「地上のすべての生命の尊重、資源の適正利用、多様さの(例えば農業や環境など)の捉え方、自己行動の律し方、問題へのアプローチの仕方、また一人ひとりの人生観やライフスタイルにも影響を与える考え方」である。グリーンツーリズムでは、「農」という一つのものを教育としてとらえている。つまり、ただの「観光」ではなく、グリーンツーリズムは「農」の体験を通して教育を行うというものである。

実際にグリーンツーリズムを体験した青少年たちは、「農」に触れることで命の尊さに気づいたり、食べ物のありがたさやおいしさに感謝することができた。また、農村という自然に囲まれた土地で農作業をして過ごすことにより、自分のことや家族のことをじっくりと考える時間ができたと話している。生きる意味をなくしていた少女は、日が暮れるまで体を動かし農作業を手伝うことにより、生きていることを実感し、農家の人に「ありがとう」と言われ、人間の温かさを知ったという。都会でずっと暮らしていれば、お金があれば何でも食べられる。しかし、実際に村で野菜がどのように作られているのかを知り、自分の手で苦労して作ることにより、食べることに感謝し、ご飯がおいしいと感じるのである。以上がグリーンツーリズムを実際に体験した青少年たちの声である。

都会の人々が、農村という自分たちが住んでいる地域とはかけ離れている場所で、自然を感じながら農業をすることで多くのことを学ぶことができる。そしてそれらは、都会で苦しんでいる若者たちへの助けに成り得るということが言えるだろう。

以上が「グリーンツーリズム」についての内容である。

今回、田舎についての文献を読むことで、「山村留学」と「グリーンツーリズム」についての理解が深まった。この二つの体験はどちらも都会で生活する人に対して行われている。都会では決して味わうことのできないことを、自然に囲まれた田舎の土地で体験することにより、都会の人びとは多くのことを学ぶことができる。これも一つの教育であると私は考える。そう考えると、元から田舎に住んでいる子どもたちの多くは、都会に住む子どもたちよりも、命の尊さや食物への感謝の気持ちを教育されていると言えるかもしれない。もちろん、都会に住む子供たちもそういったことは学べるであろうが、一つの体験を通してそういったことを学ぶという機会は、田舎に住む子供たちと比べるとどうしても少ないであろう。しかし、都会で子どもを育てていて「子どもに自然の豊かさや地域の伝統文化などを通して心豊かに育ってほしい」と思ったとしても、「山村留学」や「グリーンツーリズム」といった体験があるので、積極的にそういった体験を子どもにさせることが必要であると私は考える。それにより、子どもはもちろんだが田舎の人達からしても、その地域の発展などにつながるので、そういった体験活動というのはもっと多くの人が知るべきではないかと私は思う。

では逆に、都会でしか学べないことはあるのだろうか。このことを今後の課題とし、都会について書かれている文献を読み進めていこうと思う。

 

以上が春学期におこなった内容である。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。