夏休みは中学生の「友人関係」と「学習」について研究し考察をした。
・伊藤美奈子、宮下一博『傷つけ傷つく青少年の心』北大路書房 2004,8
・保坂 亨『学校を休む‐児童生徒の欠席と教員の休職』 学事出版 2009,1,22
の2つ文献を読み、中学1年生2人を対象にインタビューを行った。
○友人関係
・『傷つけ傷つく青少年の心』を読み中学生の友人関係を考察した。以下は青少年の友人関係の実態において、友人との付き合い方を伊藤による研究結果を基に6つにわけて明らかにしていく。
①本音を出さない自己防衛的な付き合い方
この付き合い方は自分のありのままの姿を見せないで友達付き合いする傾向を示す。自分を友達に見せることを弱さだと考えたり、本当の自分を友人に見せて笑われたり、傷ついたりすることを恐れるためである。このような自分を見せては嫌われてしまうと心配することもありこのような付き合い方は研究結果から男女差は特に無く、中学生児童に多く見られた。
②友達と同じようにしようとする同調的な付き合い方
この付き合い方は、できるだけ友達に合わせて同じようにしようとする付き合い方である。自分一人だけが変わったことないように、自分だけが目立つことがないように気を付けて友達付き合いをする。これは中学生に最も多く見られ、男子よりも女子に多くみられる傾向であることが研究により明らかになった。
③できるだけ多くの人と仲良くしていきたいと願う全方向的な付き合い方
この付き合い方は、どんな人とでも友達になりたいと思っている人の付き合い方である。そのため相手を選ばず、誰とでも仲良くしようとして友達付き合いをする傾向がある。この付き合い方は女子よりも男子に多くみられる傾向である。
④自分が理解され、好かれ愛されたいと願う付き合い方
この付き合い方は、みんなから愛され、好かれたいという気持ちでの友だちづきあいである。それだけ友達付き合いを必要としていることが読み取れるが、同時に自分から友人を理解しようという姿勢ではなく、受け身の付き合い方をしている場合もあることを注意しなければならないとされる。こちらに関しては中学生児童よりも高校生・大学生の女子に多く見られることが結果により明らかになった。
⑤自分に自信を持って友達と向き合える付き合い方
この付き合い方をする人は、友達と自分の考え方が異なっていてもその事実を受け止めることができる。したがって意見がぶつかることを恐れず、友達と真正面から付きあっていく。自分と友達が別の個性を持っていることを理解しているため、友人と違っていても自信を無くし、傷つくことは少ないことがわかる。しかし共感し合える関係ではないかもしれないことも考えられる。これに関しては中学生、高校生、大学生共に年齢的な差は見られないが、女子よりも男子に多くみられるのが特徴であることがわかった。
⑥自分を出して積極的に相互理解をしようとする付き合い方
この付き合い方は、傷つくことを承知のうえで深いかかわりを求め、積極的に友達付き合いをしていく傾向を表す。友人同士で本音を言い合い、内面の深いところで付き合うことが友人関係だと考え、高校生・大学生の女子に多くみられる結果だった。
分析結果から中学生児童による友達付き合い方は①、②、③の項目が大きく占めることが明らかとなった。いずれにせよ中学生児童は相互理解を求める友人関係ではなく集団・グループを意識した友人関係を必要とし、その中で自分は周りにどう見えられるかといった不安を抱えながら対人関係を築いていると推測できる。
・『学校を休む‐児童生徒の欠席と教員の休職』の文献を参考に子どもの心理発達という面からも中学生の友人関係を考察すると以下のことが言える。特に思春期では同性の親密な友人関係「chum」の存在から集団内適応が重視されることや親離れをする時期との関連からいじめや不登校、家庭内暴力等が多くなっている。子ども達にとっての思春期とはそれまでの身長、体重の増加といった量的な変化がある。更に、精神面や今までに経験したことないことに挑戦するといった質的変化も伴う困難な時期である。保坂によると、子ども達が次々と児童期から思春期へと心理発達上の移行をしていく難しい時期に小学校から中学校への環境移行がかさなっていることが言える。
また、保坂による調査では小規模の小学校から大規模の中学校へと進学する児童に長期欠席や不登校が多いことがわかった。原因として、それまでの小さな集団から大きな集団へ
と移行することに加え、学級編成により多くのクラスに平均的に分けられることでクラス
にほとんど知り合いがいないという状況に身を置く心理的負担が上げられる。
よって考察として集団や親密な友人関係を求める思春期・青年期の子ども達にとっては大きな負担となり、登校意欲にも影響してしまうことが明らかになった。
従来、思春期・青年期の対人関係の深刻な悩みとして、対人恐怖の問題が(永井、1994)が言及されてきた。対人恐怖は対人場面との関わりで現れ、人前での緊張や赤面、人から見られることが気になる、他人といると表情が硬くなってしまうことへの不安、羞恥、恐怖とされる。対人恐怖は過去の問題のようにも言われる(山田、1992)が、明るく社交性のある者でも「周りが自分をどうみているのか気になる」という悩みを抱え、「そのように悩んでいることを絶対に他人に知られたくない」と語っているようだ。また、永井は「友人関係がグループ化しており、トイレにいくのも同じ仲間で誘い合い、それ以外の人と仲良くしていると村八分的になるため、いつも友人関係には気を使っている」現状を指摘している。「周囲との良い関係という規範に非常に縛られている」現代の青少年期の対人関係の気苦労が推測できる。対等な対人関係を結ぶうえで障害となっているものとして「青年期のヤマアラシのジレンマ」から説明できる。伊藤(2004)によると現代の青年は相手と親密な関係を持ちたいと思う一方で、傷つけ合うことを恐れ、適度な心理的距離を模索している」と述べている。つまり「近づきたいが近づき過ぎたくない」「離れたいが離れ過ぎたくない」という「適度さ」において敏感であることを指摘し、人と親密になることにも、離れていることにもためらいがあると思われる。それは、自己を傷つけることと相手を傷つけることを恐れているためであり、このジレンマは相手に嫌われたのではないかと萎縮したり、相手との関係を確かめるためにしがみついてみたり、反対に相手との関係に見切りをつけようとする気持ちが働くと推測できる。
○勉強(学習面)
小学校から中学校に進学すると、学校生活は勿論、授業自体も小学校とは一変する。勉強の内容が難しくなり授業のスピードも速くなることは一般的によく言われる。また中学では特に学習面において生徒同様保護者も関心の度合いが増えていくのではないか。筆者自身も中学校に入学し、初期の頃の授業は小学校とは異なり進みが早く、教科の先生によっては厳しく精神的負担が大きく適応することに努力をした記憶がある。また定期テストにより明確に結果が出ることで客観的に自身の学力がわかってしまうことも学習面における負担の一要素ではないか。以下は中学1年女子生徒2人にインタビューへの協力を依頼し、内容を一部まとめたものである。
筆者「春から中学校生活が始まり、1学期分が既に終わったけど学習面において振り返ってみてどうだったかな?勉強は難しかったかな?」
生徒A「小学校から英語の授業はあったけど中学校の英語は覚える単語が多くて文法もあるから苦手になってきた。」
筆者「その苦手な英語はどうやって勉強してる?何か先生から指示とか出てるのかな?」
生徒B「次の授業の内容の穴埋めプリントが配られて、予習に使っている。予習したかどうか次の授業で先生にチェックされるから毎回ちゃんとやってる。」
生徒A「予習はプリントが簡単だし、教科書の英文をノートに写すだけだからそんなに大変じゃない。でも毎回テストが難しくて点数が悪くて親に怒られるから英語は嫌い。」
生徒B「私ん家も小学校の時は勉強についてあまり言われなかったけど中学校になったら順位が良くなかったり下がっちゃうと怒られる。塾に行ってるのにってよく言われる。」
筆者「中学生になって塾通う人多くなるよね。授業自体はどうかな?進みが早い?小学校と違くて驚いたことある?」
生徒A「教科ごとに先生が違くて、授業の進め方も違うこと。プリントで授業すすめたり板書だったり…板書は先生によってノートの取り方も違う時があって大変。」
生徒B「初めの授業は内容も簡単だし、授業もゆっくりだったけど、いつのまにか進みが速くて板書間に合わなかった時があった。」
以上これらのインタビューより、中学では学力が成績として数字化され、順位が出てしまうことで小学校では感じることがなかった友人との学力差が明確になってしまう。そのため子どもも自身の実力を知り不安を促進させてしまうことが予測できる。更にその明確な成績により小学校の通知表では「うちの子はできる方だ」と思っていた保護者も不安に駆られ、我が子を責めることはあってはならないだろう。その定期テストの評価が公立高校入試の合否判定に用いられる内申点に直結する地域も多いため、不安に繋がる心境も分からなくない。また教科ごとに教員が異なるため、授業の進め方やノートの取り方もそれぞれ変わってくる。中学1年の初期では、中学校の教員も優しく授業の進度もゆっくりと進める。しかしそれでも始めから勉強についていけない生徒もいることも注意しなければならない。教科を指導する教員も増え、生徒はその増えた教員数分の方法に慣れることが求められる。具体的には、話し方、授業のスピード・ルールが異なる点、授業によっては教室が違う、小テストの形式、宿題の提出日など、これらに適応できる生徒やできない生徒がいることを、担任を始め各教科の教員が認識することが重要であると考える。授業準備が苦手な生徒はそれぞれの教科の手順に合わせる段階で混乱し、やる気をなくすこともあるのではないか。中学になると1日に6教科あり、教材の量も増えるため準備や自己の管理力が必要である。教科書やノートは勿論、ワークや資料集、辞書更には実技等の教材もあることで、整理整頓が苦手な生徒や忘れ物が目立つ生徒が出てくる。このような生徒を教科への関心や意欲が無く態度が悪いと判断することはあってはならない。生徒が教科に集中できる環境を作るために教材数を極力減らすことや初期段階で必要ないものは家に持って帰らせるまたはロッカーへ整理して管理することを丁寧に指導していくことが重要ではないか。その指導は担任や各教科の教員と共通であることが望ましいため日頃から生徒の情報やそのクラスの特色を共有し連携した体制で運営することが今後の課題である。このような中学生生徒の学習問題は学校任せではなく、家庭でも正確に認識する必要がある。我が子が思春期や反抗期を迎え難しい時期だからといって、勉強のことは細かく確認せずに子ども自身や学校任せて数値化させた評価だけにとらわれてしまっては子どもは学習に負担を感じてしまう。つまり、小学校から中学校へ移行する間に子どもの得意・不得意なことや学習習慣や学習スタイル等を具体的に確認しておくことで子供が抱える学習や中学校生活での問題・悩みが家庭において早期に対応が可能となる。子どものストレスや変化を素早く発見できるのは家庭であり、保護者である。保護者と担任を始め学校が日頃から良好な関係で情報を共有していれば、子ども自身も保護者や学校に相談し易く、相談を受けた周りの大人たちも相談に乗ることができるのではないか。基本的に中学では自主的に学習する力を養うことも必要であるが、学校側も家庭側も子ども達を中学生になったのだからといって始めから自立性や自主性を求めてはならない。入学初期は子ども達自身も緊張と新しい生活に不安や戸惑いもあるため教員はその心理を十分に理解することが必要だ。一人一人注意深く観察し子ども達の適応の度合いによって援助やサポートをしつつ中学の新しい学習・生活スタイルを学ばせることが重要である。
以上が夏休みに行ったことである。秋学期は「部活動」を中心に文献やインタビューにより研究を進めていく。同時に大学生を対象としたインタビューも進め、その結果から「友人関係」や「学習面」等に関してもより詳しく分析する。最終的に「中1ギャップ」を軽減し、生徒一人一人がストレス無く中学校生活に適応できるために教員ができること・役割について考察していきたい。