金沢氏が、教育の世界で有名になったのは、校長としての活動によることが、続く部分で理解できる。
最初の祖師谷小学校での実践で目立つのは、中学受験のための補習が行われていることを知って、それをやめるように指導したことだ。本書の記述では、校長としての権限行使として、かなり強権的に行われた印象を受ける。職員会議では、廃止すると宣言し、父母会を開催して説明する。もちろん、不満な親もいるわけだが、それについては、戦前の経験を話して、納得させる。すると、補習を望む親から、間接的に要望書が提出される事態になるが、頑として許さない。
戦前の経験では、補習をした場合としなかった場合とで、合格率にほとんど差がなかったというが、今回の場合には、その実績は書かれていない。おそらく低下したのではないだろうか。差がなければ書くはずである。あるいは、そうした子どもたちは、一斉に塾に通いだしたのかも知れない。