4月17日の「オランダの新しい学校教育をめぐる問題」のところで書いたように、初等教育と高等教育は「制度論」としては、ほぼ社会的なコンセンサスができているか、中等教育については、多くの国で論争的な課題をたくさん残している。初等教育は、国民として、人間として、社会で生きていく上で、不可欠で基本となる知識やスキルを学ぶところであり、高等教育は専門分化した領域を学ぶところであるが、中等教育は、その間にあって、高等教育や社会につなげる位置にあるために、内容だけではなく、分化・選別という課題が入ってくる。分化・選別は高等教育にもあるが、専門分野が定まっている一方、中等教育では、個々人が分化を自分の人生選択として決めなければならないし、また、個人の選択と社会としての選別が絡み合う領域となっている。日本の基本的な学校制度は、6・3・3・4が骨組みとなっており、その組み合わせは様々あるとしても、区切りをまったく変えている学校はない。そして、中学と高校は、どのような教育を行おうとも、上級学校への接続に関しては、平等である。この枠組みを変えようという提言は、これまで中教審や臨教審でもなされたことはなかった。従って、同一学校種のなかで、特に高校をどのように、社会の多様なニーズに対応するために、「多様化」するかが、ずっと問題になってきた。いわゆる「多様化路線」である。今回の答申も、その範囲内での提言になっており、高校教育の根底的な変革を意図したものにはなっていない。
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e-tax 無事完了 大分苦労したが
退職したので、自分で確定申告をする必要ができた。もっとも、たいした額ではなく、項目もごくごくわずかしかないので、通常なら紙で申告するほうが簡単なのだと思うが、なにしろコロナなので、あの税務署の込み具合を考えると、郵送かe-taxになる。郵送は正確にもれなくできるかが不安なので、e-taxにした。そして、今日やっとすべてが終わった。
そのための準備はまずマイナンバーカードの取得から始まった。IDとパスワードの方式もあるが、税務署にいって申請しなければならないということで、当然採用できない。こちらから求めたわけではないが、何故かマイナンバーカードの申請書が送られてきたので、これ幸いとばかり申請した。カードがくるまでは一カ月くらいかかったが、無事入手できた。市役所に取りにいって手続きしたときにも、他に人がいないくらい空いていた。
さて、それで、税金の計算を始める。普段あまり郵便物には注意しないが、さすがに税金関係のものは、整理してとってあったので、これはごく簡単に済んだ。そして、いよいよ、e-taxに。ところが、ここで最初のつまずきに。スマホのアプリを入手しにいくのだが、どういうわけか、あなたのスマホでは使えませんとメッセージがでる。アンドロイド9だから、問題ないと思うのだが、何度やっても同じだ。結局諦めることになり、仕方ないので、カードリーダーを購入した。このときも、最初にいったコジマ電気では、品切れ。そんなに売れているのか。幸い、ごく近所にケーズデンキがあるので、そちらにいくとちゃんと在庫があった。しかも、コジマにあると思われた(ケースをもっていくと在庫を調べてくれるという方式)ものよりずっと安い。
そうして、いよいよ、国税庁のホームページにいき、e-taxを開始した。
教育学を考える24 学力の計測可能性とは何か
教科研から、『検証全国学力調査』という本が出版され、改めて、学力について考えるきっかけになった。この本は、文科省が行っている学力調査の「悉皆」という部分を批判し、抽出調査にすべきである、そうすれば、過度な競争や無意味な事前練習などの弊害がなくなるという主張を明らかにしている。そのこと自体には、反対ではないのだが、もう少し深く考えてみると、では、抽出調査ならいいのかという問題につきあたる。学力を測ることは必要であるし、そもそも勝田守一は、学力を計測可能性との関連で論じていた。だから、学力調査自体は必要だ、そういう認識になっている。
抽出調査なら、競争は起きないかといえば、PISAの例をみればわかるように、十分に起きる可能性がある。競争が起きるかどうかは、悉皆調査か抽出調査かではなく、結果の公表の仕方によるのではないかと思うのである。悉皆調査であっても、一切都道府県や市町村あたりの平均点とか、学力分布状況を公表しなければ、競争にはならないだろうし、抽出調査であっても、県単位の順序などを公表すれば、競争にならざるをえない。もちろん、悉皆調査のほうが、公表圧力が高まることは事実であり、文科省がより激烈な競争を狙って学力調査を行っていることも疑いない。だが、やはり、競争と悉皆・抽出とは直接的な因果関係があるわけではないのだ。
読書ノート『検証全国学力調査』(教科研編)2
ネガティブなことばかり書いても前に進まないので、積極的なことを書いてみよう。
似て非なる試験として、オランダのCITOテストをみよう。
オランダは、世界でもっとも自由な教育制度をもつ国として有名である。教育の自由が、憲法で規定されている、おそらく世界で唯一の国でもある。そうした自由のひとつとして、どの学校にいくかは、完全に選択することができる仕組みになっている。基礎学校(幼稚園と小学校が合体した学校)は、完全に自由な選択の対象であり、公立学校も私立学校もまったく同じように選べる。(財政基盤も同じなので、基本無料である)すべて公費で運営されている。違うのは、公立学校は特定の宗教教育を行わないが、私立学校は行うことができる点だけである。基礎学校が修了すると、3つの異なる水準の学校に分かれて進学することになる。大学に接続する学校(6年制)、高等専門学校に接続する学校(5年制)、専門学校に接続する学校(4年制)へと分かれるわけだ。(編入、移行はありうる)最終的には、親や本人の希望によるが、だいたいは、成績で選択する。もっとも、6年制の学校は、極めて厳しい学習が求められるので、勉強が好きではない子どもは、あえて希望しないのが普通だ。
メディアの告発がかえって煽りになっていないか 自転車の煽り運転報道
今日(2月24日)の羽鳥モーニングショーでは、自転車の煽り運転の映像がかなりしつこく流され、こうした運転の危険性と責任について扱われていた。先週も事例は異なるが、同じテーマの放送があった。だいたい、私の印象では、テレビ朝日はこの手の告発ものが好きというか、得意というか、よく扱う。しかし、みていて、確かにこうした問題を扱う必要はあると思うが、扱い方にどうも疑問を感じるのである。映像をこれでもか、というほど繰り返しみせるのだが、これを見て「俺もやってみようか」というような気持ちを起こすような若者が、出てもおかしくないと感じてしまうのだ。そんなことは、どんな番組でも起きる可能性がある、といえば、確かにそうだが、扱いかたによって、程度の差は出てくると思うし、だいたいにおいてテレ朝の扱いかたは、まねするひとが出ることを、最大限防止しようという姿勢をあまり感じないのである。
真子内親王結婚、かなり難しくなったか
注目された天皇の真子結婚問題に関するコメントが出された。以下のようなものだった。
「眞子内親王の結婚については、国民の間でさまざまな意見があることは私も承知しております。このことについては、眞子内親王が、ご両親とよく話し合い、秋篠宮が言ったように、多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております」
映像でもみたが、非常に短いが、極めてよく考えられた、これ以外ないような回答だった。上皇・上皇后が裁可されたという結婚だから、天皇があれこれいうことではないが、誕生日会見への質問事項に加えられたという報道があって、注目された回答だった。明確に賛成するのも、また逆に明確に反対するのも、天皇という立場上避ける必要があったろう。そうした賛否そのものについては言及せず、父親である秋篠宮の言葉をかりて、必要なことを示した。見事な回答だったと思う。
この結婚がこじれたのは、秋篠宮家と小室家の問題であって、他の皇族にとっては迷惑以外の何ものでもないだろう。皇族のなかでも、嫌悪感を示す者も少なくないと報道されている。
文章校正ツールを試してみた
私自身、このブログを書くときに文章校正ツールを使っている。ジャスト・システムの「Just Right6」である。一太郎に入っているものと同じなので、一太郎を使うこともある。ただ、私のもっている一太郎は2018年バージョンなので、いまは新しくなっているかも知れない。
今日、ネットをみていたらスポーツ報知の記事「古舘伊知郎氏、小池都知事の欠席意向に「全く無責任。かつて『排除します』と。自分を排除してどうするんだ」」が目に入ったので読んでみた。昨日ゴゴスマでこの発言を聞いていたからだが、次のような文章だ。
「10日放送のTBS系「ゴゴスマ~GOGO!Smile!」(月~金曜・午後1時55分)では、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の女性蔑視発言を受け、近く開催予定の東京五輪のトップ級4者会談について、東京都の小池百合子知事が「今はポジティブな発信にならないと思うので私は出席することはない」と欠席の意向を明かした一件を取り上げた。
リモート出演したフリーアナウンサーの古舘伊知郎氏は「全く無責任だと思いますね。東京オリンピックですからね。パフォーマンスであろうがなかろうが。かつて『排除します』という発言で大変なことになった小池さん。こんな需要な会議に自分を排除してどうするんだと思います」とコメントした。」
読書ノート『戦争と平和』トルストイ3
男性の主要人物として、2番目に重要なのがアンドレイ公爵である。アンドレイは、トルストイ自身の理性的で勇敢な部分を描いていると言われている。アンドレイは、二度の戦争に参加して、多くの貴族たちとは異なって、実際の戦闘場面に配属されることを望んでいる。トルストイ自身も、セバストポリの戦闘で勇敢に闘ったとされており、当時既にいくつかの小説を発表して、優れた才能を示していたのだが、その小説を読んだニコライ二世が、危険な戦場から離すように命令をしたという逸話が残っている。もちろん、大作家であり、平和のための理論家であったトルストイは、極めて知性の高い人物だった。そういう側面をアンドレイ公爵という人物に託したことになる。
ところが、非常に理性的であるといっても、理解しがたい行動をいくつかとっている。特に妻(リーザ)と婚約者(ナターシャ)に対する態度は、多くの読者は共感できないのではないだろうか。
コロナ対策に罰則導入?
新型インフルエンザ対策特別措置法(以下特措法)の改正として、罰則の導入と施設制限に伴う補償規定の導入が検討されている。実際の具体的規定については、議論が進行中で、変化しつつあるようだが、これら導入を前提として議論かなされている。
できるだけ多くの人が声をあげることが必要だと思うので、意見を書いておきたい。
まず、前提的認識に疑問がある。
例えば、検査を拒否した場合とか、あるいは入院指定があったのに拒否した場合、罰するというのである。大きな罰則としては懲役一年という案もあるそうだ。それが実際に決まることはないだろうが、刑事罰を科すという案が検討されていることは間違いない。刑事罰の場合には、法律で規定する必要があり、政令とか省令ではだめだから、かなり綿密な検討が必要であるが、どうも拙速の印象がある。まったく新しい刑事罰を創設するのだから、かなり慎重な議論が必要だ。最大の問題は、PCR検査を拒否するといっても、そもそもこの一年間、PCR検査を拡大せよという要求がかなりあったにもかかわらず、それを実現してこなかった政治がある。安倍首相が拡大を約束したにもかかわらず、実現していない。多少は増えてきたが、現実には、かなり症状が出ているにもかかわらず、PCR検査を受けさせてもらえないひとたちが、かなり多数いることが報道されている。しかも、そういう状況下で死亡する例もでているのである。
読書ノート『ある小学校長の回想』金沢嘉市2
金沢氏が、教育の世界で有名になったのは、校長としての活動によることが、続く部分で理解できる。
最初の祖師谷小学校での実践で目立つのは、中学受験のための補習が行われていることを知って、それをやめるように指導したことだ。本書の記述では、校長としての権限行使として、かなり強権的に行われた印象を受ける。職員会議では、廃止すると宣言し、父母会を開催して説明する。もちろん、不満な親もいるわけだが、それについては、戦前の経験を話して、納得させる。すると、補習を望む親から、間接的に要望書が提出される事態になるが、頑として許さない。
戦前の経験では、補習をした場合としなかった場合とで、合格率にほとんど差がなかったというが、今回の場合には、その実績は書かれていない。おそらく低下したのではないだろうか。差がなければ書くはずである。あるいは、そうした子どもたちは、一斉に塾に通いだしたのかも知れない。