「日本型学校教育」中教審答申の検討 義務教育1

 いよいよ中核的な義務教育に関する部分の検討になる。
 まず最初に、9年間を通した教育課程、指導体制、教師養成について一体的な検討が必要であるとする一方で、多様化した子どもの状況に対応するとともに、誰一人取り残さないという基本原則が確認されている。ただ、なんとなく空虚な響きがある。教育課程や指導体制といっても、9年間の割り振りとして、既に、6-3-3、6-6、9-3という三つの学校形態か一条校として認定されており、しかも、通常の小中学校についても、小中連携校などがあり、連携校の場合、きり方が6-3ではなく、5-4や4-5の型もある。つまり、義務教育学校としての統一的な学校体系は、崩れているのである。「通した」という意味は、どの程度重みをもっているのだろうか。
 そして、多様な資質に応じることと、誰一人取り残さないということが、どのように関係しているのかも定かではない。

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オリンピック開催してしまえば、国民は感動の渦?

 少し前の録画で、NHKの番組をみた。オリンピックが開催できるかどうかを、議論する番組であった。オリンピック懐疑派のひとたちも何人か出席していたので、NHKとしては公正な立場をだしていたのだろう。テレビの番組としては、かなり異例である。
 番組では、組織委員会の副会長が、準備に関して、いろいろと説明をして、いろいろな疑問が出されていた。しかし、全体として不満であるのは、安全・安心対策として、選手に対する対応と観客対応しか扱っていない点である。これこそが、非常なごまかしなのである。というのは、観客の感染対策は、まず海外からの観客は、受け入れないことが決まったから、国内だけになる。そうすると、国内ではプロ野球やサッカーで行われているから安全だという話になる。しかし、これには、盲点がある。プロ野球やサッカーは日本各地で行われていて、その地元のひとたちが観客のほとんどを占めているはずである。だから、人数もせいぜい数千人の規模でしかない。しかし、オリンピックは主に東京で行われるので、ひとつひとつの会場が数千人に限定されていたとしても、東京全体としては、おそらく10万人を超える観客が集中することになり、日本国内から東京にやってくることになる。従って、プロ野球やサッカーの規模とはまったく違うのである。

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憲法記念日に憲法を考える

 今日は憲法記念日だ。だが、テレビのワイドショーでは、あまりこの話題を扱っていなかった印象がある。しかし、流石に新聞は、社説でそれぞれの立場が鮮明になるような社説を掲げている。社説を参考にしながら、憲法についての見解を自分なりに確認しておきたい。
 各社説に共通しているのは、コロナ禍に悩んだこの一年を踏まえて、このような大きな自然災害というべき現実に、憲法はどのように関係しているのかを問うていることである。しかし、結論は、極めて明瞭な相違がある。
 朝日、毎日は、憲法に欠陥があるために、コロナ対応が不十分だったのではないという認識を示している。朝日は、現在起きている事態は、現憲法で対応できるものだとして、更に、毎日は、憲法を無視して、営業の自由等を制限しており、政府は「安全か、自由か」という選択を迫っているかのようだが、これは対立するものではなく、共に守るべきものであるとする。つまり、憲法を活用すれば、コロナ対策は十分にできるという。

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「鬼平犯科帳」好きな話3 「本所・桜屋敷」

 「本所・桜屋敷」は鬼平犯科帳の第二話であり、第一話の途中から、火付盗賊盗賊改方になり、本編では、第一話で取り逃がした小川や梅吉をとらえるための捜索をしているが、20年前、平蔵が憧れていた女性が、堕落して、盗みを働く中心になって捕らえられるという筋になっている。そして、平蔵の最も重要でかつ最初の密偵となる相模の彦十と出会う。
 鬼平犯科帳では、平蔵は、本所で育ったが、現在は目白に屋敷があることになっているが、実際の長谷川平蔵は、ずっと本所に屋敷があり、そこが役宅、つまり、火付盗賊盗賊改方の本拠地でもあった。何故、作者が火付盗賊盗賊改方に、特別の役宅(清水門外)を設定したのかは不明だが、とにかく、20年ほど訪れることもなかった故郷に帰って来たような雰囲気で始まる。本所にきたのは、梅吉をみたという密偵からの報告があったからである。そして、昔通っていた道場のとなりの桜屋敷と呼ばれていたあたりで、思い出に耽っていると、とつぜん真剣で切りかかられる。だが、それはかつての剣友である岸井左馬之助であった。ふたりは久しぶりの再開を喜んで、旧交を温めるが、かつて互いに憧れていたおふさが離婚して、このあたりにいるということを、左馬之助から聞かされる。

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和歌山ドンファン殺害事件の進展につきまとう疑問

 和歌山のドンファンこと野崎氏殺害容疑で、元妻が逮捕され、連日ワイドショーを賑わせている。警察の執念を礼賛するものもあるし、また、状況証拠だけで大丈夫なのかという疑問を呈する意見もある。そして、発表はしていないが、確実な物証を掴んだのではないかという憶測もある。
 また、何故今の時期に?という疑問もだされている。ドバイに逃避しようとしているので、それを未然に防ぐ必要があったのだ、という見解、そして、政治的思惑があったのではないかという見方すら示されている。何か、政権にとって不都合な事態が続くと、社会的事件が目隠しとして活用されるという意見だ。今回でいえば、コロナ対策の不手際が続いて、オリンピック開催へ疑問がどんどん出てくる状態に対して、世間の批判を逸らす目的だというわけだ。沢尻エリカ容疑者が逮捕されたときにも、そのような意見がけっこうだされていた。

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オリンピック・パラリンピックと小中学生の観戦

 ハフポスト編集部による「小中学生ら81万人を『動員』、拒否で欠席扱いは本当?東京五輪の観戦計画、東京都教委に聞いた」という記事が掲載された。
 東京と近郊の県には、オリンピック・パラリンピック観戦に関する希望調査がだされており、どの程度希望が通るのかは不明だが、東京と近県の子どもたちは、多くが観戦できることになっている。もっとも、それは観客をいれて実施されるという、現在では可能性の低いことになってしまった条件においてであるが。
 この記事は、もしその観戦に行かなかったから欠席扱いになるのかという保護者たちの疑問があり、東京都教育委員会は、どうするかは校長の判断だと回答しているとしている。また動員ではなく、希望によるものだとの回答だそうだ。
 もっとも、欠席扱いといっても、オリンピックもパラリンピックも夏休み中の行事なので、出席、欠席というようなことがあてはまる行事なのか疑問だ。

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8年前のいじめ自殺で、母親が娘の同級生を提訴

 朝日新聞2021.4.29によると、2013年の体育大会で、ダンスの練習でうまく踊れなかった女子生徒が、個人的な練習を強要されるなどのいじめを受け、携帯電話で遺書とみられる文章を残して、自宅で首をつった件で、母親が県と同級生7名を提訴したという。同新聞によると
・練習をしていたのが3月である
・自殺は4月である。より早い時期の朝日の報道では5月。
・学校が設置した調査委員会は、「いじめはあったが、自殺はいじめだけが要因と確定できない」とした。
・県が設置した第三者委員会は、「心理的負担の限界を超え、結果的に死の選択につながったと考えられる」として、いじめを自殺の要因のひとつとした。
・母親は学校の調査が不十分で、加害者からの謝罪がなかったことが精神的苦痛であった。
・携帯電話の履歴、同窓会名簿、学校が実施したアンケートなどから、7人を特定した。
・何があったのか、誰が加害者か知りたい、学校は信用できないと、母親は話している。

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オリンピック組織の末期症状

 組織や制度は、いつかは機能しなくなったり、崩壊したりする。そして、崩壊が近くなると、何故こんなことが起きるのかというような不可解なことを、そのなかのひとたちはやってしまう。それは、決して組織を担うひとたちが愚かだというわけではなく、彼らにのしかかる事態が、判断を狂わせ、実行が困難になり、そして、ますます難しい課題が生じて、どうにもならなくなってしまうのだろう。
 徳川幕府の末期、何度も改革しても、幕府という軍事政権では社会に適応できなくなっており、そこに条約制定を迫る外国勢力と、幕府打倒を目指した勢力との圧力を受け、幕府は有効な対応をとれずに瓦解していく。決して、当時の幕府を担った人材が無能だったわけではない。やはり抗し得ない力が働いたというべきだろう。その力を活用した倒幕派が勝利し、外国勢力が得をした。
 規模と状況は違うが、現在のオリンピック組織委員会は、似たような状況ではないだろうか。

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「日本的学校教育」中教審答申の検討7 高校教育3

 多様性の実施は、進学制度にかかっているとすれば、ではどんな進学制度が望ましいのか。とりあえず、アメリカの総合制高校も含めて、後期中等教育まで、前期中等教育のように「共通課程」で一貫させるという考えは、私の知る限りほとんどないので、後期中等教育では多様なカリキュラムやコースが提供されるという前提で考える必要がある。
 まず最初に考えねばならないことは、義務教育年齢である。答申では、高校も事実上義務教育に近い進学率であることを指摘しているが、だからといって、義務教育にすべきであるとはまったく書いていない。あくまでも、中学までを義務教育とする立場である。では、義務教育にすると何が変わるのか。大きくふたつある。
 第一に、高校を義務教育にすると、入試がなくなる点である。現行制度では、中高一貫校では、中学で、それ以外は高校で入試がある。ところが、義務教育ではかならず行かなければならないのだから、少なくとも競争的で振り落とされる入学試験はできない。日本の公立中学には入試がないことでわかる。アメリカは高校の途中まで義務教育になっているので、高校の入試はない。そのために、アメリカの典型的な高校は地域総合制高校となっていて、地域の高校生は同じ高校に通い、そこには実にたくさんの、多様な授業が用意されている。そこで選択して履修するわけだ。もちろん市街地の高校はより小規模なものもあるが、郊外では地域総合制が標準的である。

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「日本的学校教育」中教審答申の検討6 高校教育2

 今回は、前回の紹介と簡単なコメントを踏まえて、中等教育制度の何をどう考える必要があるのかを試みたい。
 私は修士論文で、「学校生徒の多様化と統一化の問題」というテーマで、統一学校運動の研究を行い、それで博士論文も書いたが、現在でも「多様化と統一化」を研究の中心テーマにしている。時代や対象を広げた形なのだが。そして、そのテーマの中心対象が中等教育であることは、ずっと同じである。中等教育の性質上、これが制度論としては中心的課題になるわけだ。
 多様化は、社会が分業化していることから、労働者を適切に分業体制に選別していくという側面と、個々人にとってみれば、能力や資質、好みが多様であるので、社会のなかに適切な場所を選択していくという側面がある。「統一化」は、国家や社会は、秩序を保持していくためには、共通の規範や規則が必要であり、それを国民(市民)が、受容して守っていく必要があり、そういう姿勢と意識を形成することが目的である。統一の方法についても、いくつかの型があるが、ここでは、多様化の問題を主に考えることにする。

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