「日本的学校教育」中教審答申の検討5 高校教育1

 4月17日の「オランダの新しい学校教育をめぐる問題」のところで書いたように、初等教育と高等教育は「制度論」としては、ほぼ社会的なコンセンサスができているか、中等教育については、多くの国で論争的な課題をたくさん残している。初等教育は、国民として、人間として、社会で生きていく上で、不可欠で基本となる知識やスキルを学ぶところであり、高等教育は専門分化した領域を学ぶところであるが、中等教育は、その間にあって、高等教育や社会につなげる位置にあるために、内容だけではなく、分化・選別という課題が入ってくる。分化・選別は高等教育にもあるが、専門分野が定まっている一方、中等教育では、個々人が分化を自分の人生選択として決めなければならないし、また、個人の選択と社会としての選別が絡み合う領域となっている。日本の基本的な学校制度は、6・3・3・4が骨組みとなっており、その組み合わせは様々あるとしても、区切りをまったく変えている学校はない。そして、中学と高校は、どのような教育を行おうとも、上級学校への接続に関しては、平等である。この枠組みを変えようという提言は、これまで中教審や臨教審でもなされたことはなかった。従って、同一学校種のなかで、特に高校をどのように、社会の多様なニーズに対応するために、「多様化」するかが、ずっと問題になってきた。いわゆる「多様化路線」である。今回の答申も、その範囲内での提言になっており、高校教育の根底的な変革を意図したものにはなっていない。

 
 提言されていることを箇条書き的に整理しておく。
 
・多様な生徒がいるので、それに応じた教育が必要である。個々の最適の学び
・産業構造・社会システムの「非連続的」変化・少子化による高校教育維持が困難な地域
 社会・高等教育との接続、選挙年齢18歳で主権者として行動、
・オンラインか対面かという二元論ではなく、最適な組み合わせ
・高等専修学校、特別支援学校高等部との関連
・学習意欲の喚起
 スクールミッションの再定義(入試を前提)、スクールポリシー、ポリシーを起点としたカリキュラム・マネジメント
・普通科の弾力化(名称付加を可能に)
・学外組織との協力で学ぶ機会を進めるためのコーディネーターの配置
・専門学科改革 産業界と一体となっての職業人材養成、大学とも連携
・総合学科の推進
・専門家との連携 ICTスタッフ、カウンセラー
・通信高校の充実 (貧弱例も多数あることを指摘)
・学科横断的なSTEAM 多様な定義もあるし、不用意に実施すると、混乱の可能性もある。
 
 まずは簡単に疑問点を整理しておきたい。
 答申は、多様な生徒が存在しているから、それに応じた教育が必要であるという基本認識を示しているが、実は現代社会においては、それは小学校や中学校でも程度の差はあれ、同様なのではないかという点である。高校の多様化論は、企業ニーズに応えるというものなので、多くの批判を生むのだが、小学校から多様であるべきではないかというのは、もちろん、共通部分を核としつつも、個々人の興味関心は多様であるから、小学校段階でも、学校での多様性があったほうがいいのではないかという議論がある。私自身もそうした立場にたっている。この点が、この答申では、課題にすらなっていない。やはり、高校段階での多様化のみが視野に入っている。
 では、これまでとは異なる提言になっている部分はどのようなものがあるか。
 まず、選挙年齢が18歳になったことから、「主権者として行動」する上で必要な教育を主張していることだ。そのレベルでは当然であるとしても、では20歳の選挙権なら、高校生には主権者として行動する教育が不要なのかといえば、もちろん、必要である。18歳近くになって、急に主権者として行動することを学んでも、表面的にしか学ぶことはできない。それを意図しているのかと疑いたくもなるが、その主権者として成長するための、具体的な内容については、触れてはいない。
 結局、必要なことは何よりも、民主主義を実感できるような教育である。それは、生徒会が、単なる「教育のための組織」ではなく、民主的な組織として、生徒の要求を実現し、問題を解決できるような組織になっていなければならない。いまでも、憲法学習は小中高でなされているが、国民の権利義務関係を、実感として感じている学生は、大学において、ほとんど接したことがない。それは、教職科目で、模擬授業をさせたときに、明確に表れる。今の学生にとって、「権利」は単純に「知識」なのである。そして、知識としても極めて狭く、不十分だ。生徒会を、権限のある組織として認め、真に自主的な活動を保障していく必要がある。残念ながら、この答申には、そういう方向性はみられない。
 第二の新しさは、スクール・ミッションやスクール・ポリシーなどを充実させることを提起していることだ。既に実施されていることだが、私の大学での経験では、確かにそうしたポリシーを決めているが、実際上の効果はほとんどなかった。スクール・ミッションは入学のために必要な部分の公表としての意味をもっているが、そもそもスクールミッションをみて、受験校を決める中学生がどれだけいるのだろうか。また、公表されたスクール・ミッションと現実の教育が一致していると、単純に信じる人も少ないに違いない。いまでも、受験校を決める大きな要因は、偏差値だろう。競争試験である限り、それは避けられない。
 第三も、既に実施されているが、普通科の名称弾力化である。これまで普通科は、普通科としての単一の括りだったが、国際、情報、理系等々の名称を関した普通科は既にできている。これを更に進めようというものだ。単なる看板ではなく、また、教師たちが真剣に議論し、その教育的保障を構築した上での、そうした名称提示であれば、私は賛成する。
 第四に学外諸組織、人材との連携である。企業(インターシップ)、大学、ICTスタッフ、カウンセラー等々。これも実質的に進んでいることで、特に目新しいものではない。ただし、学外との連携を進めるためのコーディネーターを配置するという点は新しいように思う。しかし、おそらく内部の教職員をあてるのだろうから、仕事がますます過重になるのではないという恐れがある。高校教育は、基本的には、そこで完結しているものであって、学ぶ領域によって、外部との連携が有効であれば、当然担当者が置かれるはずであるから、こうした汎用(?)コーディネーターを想定することが有効であるかどうは、疑問もある。
 申し訳程度に通信高校の問題やSTEAMについて書かれているが、特に考察するほどのことはない。
 
 ということで、中等教育をもう少し基本的なところで制度検討すべきであったが、従来の政策の延長上という印象がぬぐえない。ではより掘り下げる必要がある課題とは何か。(続く)
 
 
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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