私は、CDや本の視聴者・読者のレビューを読むのが好きなのだが、ときに、かなり驚く文章にぶつかることがある。そのなかで、私にとっては最も強烈だったのが、ベートーヴェンの「運命は名曲じゃない」というのと、ベートーヴェンはオーケストレーションが下手だったというのがある。これには、心底びっくりした。来年はベートーヴェンのアニバーサル・イヤーということもあり、私のオケでも「田園」をやることになっており、また、ベートーヴェンの全集なども早速でている。
ベートーヴェンのみならず、クラシック音楽のなかで、最も「名曲」と親しまれているのが、「運命」第五交響曲だと思っているので、「名曲じゃない」と言われると、あなたにとって「名曲は何?」と聞き返したいところだ。 “名曲って何? 「運命」は名曲じゃない?” の続きを読む
投稿者: wakei
台風通過中
一昨日くらいから台風19号のニュースをずっとやっていて、昨日からは、土曜日(今日)は外出するなというアナウンスを繰り返していた。幸い、外出しなければならない用事はないので、ずっと家にいる。そして、ずっとNHKの台風情報をみながら、仕事をしている。
狩野川台風以来とさかんにいっているが、私が小学生のときに狩野川台風があった。東京に住んでいたので、今でもよく憶えている。約1200人が亡くなったわけだから、本当に酷い台風だった。小学生だったので、自治体や国がどのような対策をとっていたかとか、テレビがどのように注意を呼びかけていたか、というようなことは、まったくわからないし、記憶にない。記憶にあるのは、台風がくるというので、窓を守るために、木材を買ってきて、窓枠を守るために木材を打ちつける作業を、家族でやったことだ。当時はアルミサッシではなかったので、多くの家でそうした作業をしていたように思う。私は、世田谷区に住んでいて、まわりで大きな被害はなかったと思うが、いろいろな場所で川が氾濫して大きな被害になった。
今回の台風19号も、まだまだ被害が起きるだろうし、通過後数日間も要注意だが、それでも、狩野川台風のときと比較すると、日本の防災対策もずいぶん進んだのだという実感がある。 “台風通過中” の続きを読む
神戸の教師いじめ事件 独自の人事制度が影響?
10月9日の毎日新聞に、「独自の人事制度影響か 神戸教諭いじめ 児童認識、同僚は黙認」という記事がでている。まずいじめが子どもや教師に認識されていたという事例が書かれている。「先生が蹴られるのをみた」「加害側の女性教員が被害教諭を学校の廊下で蹴るのをみた」、この教員は被害教員について子どもたちの前で「私のワンコ(犬)みたいな存在や」と言い放った、そして、被害教諭から、いじめを聞かされたこともあったというのである。
なぜとめられなかったのかという問いに対して、本人の希望を踏まえて、最長9年間同じ学校に在籍できる、神戸の市立小学校独特の制度が原因ではないか、というある市議の指摘を紹介している。そして、市教委は、「ベテランから若手まで最適な移動を返済できるよう改革する」という方針だそうだ。
しかし、問題をそらしているのではないかという疑問がわく。 “神戸の教師いじめ事件 独自の人事制度が影響?” の続きを読む
愛知トリエンナーレ問題4 内容への口出し
奥村氏の「支援するが内容に口出ししない」という問題をどう考えるかという点が残った。これまで、主に毎日新聞の記事を参考にしていたので、バランスをとるという意味ではないが、産経新聞の「表現の不自由展その後」に関する記事をまとめて読んでみた。奥村氏の見解と正反対なのが、八木秀次氏の「表現の不自由展 公的空間での展示の線引き必要」(産経新聞2019.10.8)という記事である。
八木氏は、そもそもこの企画そのものが問題だ、という立場であり、更に以下のように述べる。
「芸術については、たとえ主催自治体のトップであっても『中身についての議論はしてはいけない』『金だけは出せ』というような風潮が一部にあるようだが、多額の公金を使ったイベントで、芸術といえども表現の自由において特権的な地位はない。」
奥村氏と八木氏とでは、どちらが正しいのだろうか。 “愛知トリエンナーレ問題4 内容への口出し” の続きを読む
透析中止の福生病院を家族が提訴
昨年8月に大分話題になった福生病院での透析患者の死に関して、遺族が病院を提訴すると報道されている。この問題については、何度か、このブログで意見を書いたが、新しい段階になったので、再度この提訴について考えてみる。
起きたことを整理すると、透析治療をしていた40代の女性患者が、腕の血管のシャント(分路)がつまったために、それまでの透析が不可能になり、かかりつけの病院から、福生病院に相談にきた。そこで、病院は、首から管をいれて透析を続けるか、透析をやめて治療中止するかというふたつの選択を示した。女性はシャントが詰まったら、透析を継続しないという気持ちをもっていたために、中止を申し入れ、病院は文書で確認をした。これが8月9日。そして、中止をしたので、帰宅をした。しかし、そのうち苦痛が甚だしくなったので、やはり透析を再開したいと考えて、福生病院にいったところ、文書があるということで、病院側は、透析再開をしなかった。女性は夫にも訴えたが、夫がたまたま仕事で遅くなり、病院に駆けつけたときには、亡くなっていたということだった。再度の入院が14日、死亡が16日である。 “透析中止の福生病院を家族が提訴” の続きを読む
N国党訴訟、N国の敗訴は大きな意味がある
大分前のことになるが、いろいろと話題のN国関連の裁判を取り上げたい。毎日新聞20189.9.26に、「N国市議敗訴で注目『スラップ訴訟』って何?立花党首『相手にダメージ』公言」という記事がある。記事の最後には、識者が画期的と評価していると書かれているから今更であるが、やはり、非常に優れた判決であるので、書いておきたい。
訴訟は、N国の東京都立川市議久保田学氏が、フリーライター石渡智大氏を名誉毀損で訴えたのに対して、訴えられたライター石渡氏が反訴していたものだ。つまり、石渡氏は、市議に当選した久保田氏が、居住実績がないとする記事を書いたのに対して、名誉毀損として200万の賠償を求めたわけだ。それに対して、石渡氏は、スラップ訴訟だとして反訴、120万の賠償を求めたという、双方が相手を訴える訴訟を起こしていたわけだ。 “N国党訴訟、N国の敗訴は大きな意味がある” の続きを読む
金田正一のすごさと思い出
思い出といっても、もちろん直接の知り合いではない。しかし、金田は、私が少年時代、野球を始めたころ、既に大投手で、実際に球場で何度も見た。小学生だったが、後楽園球場には何度もいったし、巨人対国鉄の試合には、ほぼ確実に金田が登板していた。当時は日曜日がたいていダブルヘッダーで、そんなときには、第一試合で金田が完投して、第二試合で国鉄が有利になると、終盤金田がストッパー(当時はそんな言葉なかったが)として再度登板。一日で2勝をあげるなどということが少なくなかった。400勝のなかには、こうした勝利が何度もあるはずだ。
金田の直接の思い出はたくさんある。現在のプロ野球の監督やコーチでも、直接金田の投球をみたことがある人は、ほとんどいないはずだから、日本プロ野球史上最高の投手として、金田をあげない人がけっこういるが、金田を実際に知っている人からすれば、最高の投手は金田以外はありえないだろう。 “金田正一のすごさと思い出” の続きを読む
愛知トリエンナーレ3 芸術の自由を考える
愛知トリエンナーレの中止になっていた「表現の不自由展その後」が再開になることが決まったが、そのあともいろいろと解決できない問題があるようだ。文化庁からの補助金が拠出されないことになっており、事態はまだまだ流動的だ。そして、表現の自由、芸術の自由に関する議論も、さまざまなに出されている。
毎日新聞の9月1日付けに奥山亜喜子氏のインタビューをまとめた記事が掲載されている。氏によると、ドイツ憲法には芸術の自由が規定され、「文化政策では、支援はしても(内容には)口出しをしないのが原則」のだという。 “愛知トリエンナーレ3 芸術の自由を考える” の続きを読む
教師が教師へのいじめ 残された教師集団による自己検証が必要だ
今更いじめが起きても驚かないが、新学期になって立て続けに「教師による教師へのいじめ」が二件も報道されたのには、驚いた。最初は9月12日の毎日新聞「小2~3年の担任4人 2学期開始から休む 教員間でトラブル?奈良・郡山南小」という記事である。この事情は、続報がないのでよくわからないし、また、記事の内容も不可解な点がある。要するに、あるひとりの教師に対して、ある教師が厳しく接したために、他の3人の教師と一緒に、8月下旬校長に訴えた。そして、9月2日から体調不良を理由に学校を休み、連絡がとれない状況であるという。3カ月の急用が必要という診断書を郵送で提出したそうだ。校長が調べたかぎりでは、パワハラなどは確認できなかったと書かれている。
トラブルがあったとしても、1対1の関係と理解できるのに、その一人を含めた4人が一切に休暇をとるというのが、私にはあまり理解できない。休んだ4人は20代から50代だという。
そして昨日10月4日の新聞に、「無理やり激辛カレー・卑猥書き込み強要、小学校教員、同僚からいじめ 神戸」という記事だ。こちらは強烈で、既に写真などもネットに掲載され、多数のコメントが出ている。 “教師が教師へのいじめ 残された教師集団による自己検証が必要だ” の続きを読む
二期会「蝶々夫人」 後悔し続けたピンカートン?
今日東京二期会の公演「蝶々夫人」を東京文化会館で見た。実は「蝶々夫人」はあまり好みのオペラではなく、プッチーニは「ボエーム」だけあれば、と思っているほうなのだが、今回はイタリアの若きマエストロ、バッティストーニが指揮をするというので、出かけた。バッティストーニは、「トロバトーレ」「オテロ」に続いて、3回目だ。1987年生まれというから、まだ32歳だが、指揮者として既に巨匠ではないかと思われるほどの活躍をしている。「トロバトーレ」と「オテロ」は、ヴェルディだからやさしい、とは言わないが、直球勝負でいけると思うが、「蝶々夫人」はかなり変化球が多いし、前二曲と違って、音楽的魅力において少々劣るから、指揮者の力量がシビアに試されるのではないか。スコアをみると、私などにもわかるのだが、拍子感からかなりずれたメロディーがよく出てくるが、それは、rit. を大げさにやるように書いてある。しかし、いきなりrit.を遅くすると、つながりが不自然になるから、自然にテンポを緩めながら、rit.を伸ばすように演奏しなければならない。オケと歌手をあわせるのも、こういうときには、難しいだろう。そういう部分がふんだんにあるし、テンポも頻繁に変わる。マーラーの後期の作品も同じような傾向があるので、お互いに影響しあっているのだろうか。
昭和の終わり頃か、あるいは平成の始め頃か、「蝶々夫人」は日本を侮辱しているのではないか、特に、「蝶々夫人」は初演が失敗しているために、何度も書き直しが行われているが、その過程で、そうした侮辱的要素が生まれてきたのではないか、というような議論が、何度か行われていた。 “二期会「蝶々夫人」 後悔し続けたピンカートン?” の続きを読む