金田正一のすごさと思い出

 思い出といっても、もちろん直接の知り合いではない。しかし、金田は、私が少年時代、野球を始めたころ、既に大投手で、実際に球場で何度も見た。小学生だったが、後楽園球場には何度もいったし、巨人対国鉄の試合には、ほぼ確実に金田が登板していた。当時は日曜日がたいていダブルヘッダーで、そんなときには、第一試合で金田が完投して、第二試合で国鉄が有利になると、終盤金田がストッパー(当時はそんな言葉なかったが)として再度登板。一日で2勝をあげるなどということが少なくなかった。400勝のなかには、こうした勝利が何度もあるはずだ。
 金田の直接の思い出はたくさんある。現在のプロ野球の監督やコーチでも、直接金田の投球をみたことがある人は、ほとんどいないはずだから、日本プロ野球史上最高の投手として、金田をあげない人がけっこういるが、金田を実際に知っている人からすれば、最高の投手は金田以外はありえないだろう。
 今やシーズン最多勝といっても、15勝程度が多い。もちろん、金田の活躍していた当時と比較すれば、打撃の技術が圧倒的に進歩しているから、今金田が投げていたとしたら、400勝などとても無理だろうが、それでも、250勝は可能なのではないだろうか。名球会の条件が200勝だが、近年は、到達する投手が極めて少なくなっている。それが倍の400勝だ。15勝で最多勝になれるのに、400勝といえば、20勝を20年間続けなければ到達できないのだ。気の遠くなるような数字なのだ。
 素人ながら、実際に見たことと、金田自身が語っていることから、金田の偉大さを考えてみたいと思った。
 金田の一番のすごさは、なんといってもスピードだろう。試合中には滅多になげなかったと思うが、攻撃から守りになって、8球の練習の際、「さあ、投げるぞ」という感じで、おもいっきり全力投球をすることがあった。そのときの球筋は、本当に見えない感じだった。そして必ず球場全体に大きなどよめきが起きる。見ている人全員にとって、驚異的なスピードだったのだ。今年163キロ出した佐々木投手が話題になり、金田のコメントがあったが、「わしのほうが速かった」といっていたのは、もちろん、金田は直接佐々木投手をみたわけではないから、一種のホラだとしても、うなづける感じはある。もし機会があったら、ぜひ佐々木を直接みたいものだ。
 第二のすごさは、金田は20年のプロ生活の前半を国鉄、後半を巨人で過ごしたが、全盛期はなんといっても国鉄時代であり、国鉄時代こそ、長島や王との対決があったから、名勝負として語り継がれているわけだが、前半の国鉄は、完全な弱小チームだったことである。記憶する限り、Aクラスになったことは一度もない。金田は、勝利も歴代一位だが、負け数も歴代一位のはずである。それは、弱小チームだったからで、おそらく、0-1で負けたというようなことが、けっこうあったはずである。王や長島がいる巨人を1点に抑えているのに、味方が点をとってくれないから敗戦投手なる、ということだ。そういうなかでの勝利の積み重ねだ。
 第三のすごさは、体を丁寧に扱い、しっかりとトレーニングを続けて、一流投手としての持続期間が長かった点である。これは、イチローに似ている。今はトレーニング方法が科学的になり、その面でのトレーナーも充実しているが、金田の時代は、基本的には本人の自覚に任されていたようなものだったろう。巨人に移って大分たったころ、金田自身も衰えを隠せない時期だったが、城之内という剛速球投手がいて、エースとして君臨していた。たぶん地方遠征のときだろう、みんなで食事をしているときには、城之内があまりに速く、がつがつ食べているのをみて、もっとゆっくり、しっかり噛んで食べないといかんぞ、と金田が注意したところ、城之内が、「勝てばいいんでしょ」と答えたというのである。金田は、既にあまり勝てなくなっていたので、悲しそうに黙ってしまった。しかし、それから間もなく城之内はなかなか勝てなくなり、エースの座から転落する。そして、金田に「あのときちゃんと忠告をまじめに受とめておけばよかった」と述べたそうである。
 第四のすごさは、フェアプレーだ。今の投手は、あえてぶつかりそうになるような球を投げる。わざとぶけつることはないとしても、相手のよけ方が下手なら、ぶつかるかも知れない、というような投球はする。しかし、金田はそうしたボールは、私の知るかぎり、ほとんど投げなかった。まともに投げて討ち取れる自身があったのだろう。あるいは、相手を翻弄するテクニックもあった。金田というと剛速球のイメージだが、けっこう頻繁に超スローボールを投げた。すごい山なりのボールで、大きなカーブが武器だったから、球速が極端に違うボールを投げ分けていたので、打者がスピードに目をならすことも難しかったのだろう。長島の後年は、かなり打撃フォームが崩れていたのだが、金田は、その理由として、「彼はビンボールをたくさん投げられるから、ああなってしまんたんだ」といっていた。そして、「ビンボールはよくない」とも付け加えていた。
 思い出に残る場面は、なんといっても新人だった長島との開幕戦の4三振だ。長島がいかにすごい新人だったか、オープン戦から明らかで、オープン戦では既に中心選手のように打ちまくっていた。シーズン通して、本塁打王、打点王、盗塁王をとり、打率は2位だった。打率一位だった阪神の田宮は、このシーズンが終わるとパリーグに移籍したので、移籍が一年早ければ、日本プロ野球史上最初の三冠王に、新人としてなったことになる。どれだけすごい新人だったかは、この数字でわかる。
 しかし、その長島が、開幕デビュー戦で、4打席4三振だったわけだ。この模様は、テレビでずっとみていたので、いまでも新鮮な感じで憶えている。私がすごいと思うのは、金田が、このあとのインタビューで、「わしの負けや」と述べたことだ。そして、「次は打たれる」といったことが、現実になり、次の対戦で、長島は金田からホームランを打ったという。なぜ金田は、4三振に討ち取りながら、「負けた」と思ったのだろう。そこが歴史に残るプレーヤーの感覚なのだろう。確かに、長島は、新人であるのに、金田の剛速球に対して、思い切りスウィングしていた。あてにいくとか、及び腰というのはまったくない。それは、映像でもはっきりわかる。そして、金田のみたところ、打席ごとに、金田のなげる速球にあうようになっていたのではないだろうか。
 長島と金田の対決は、戦後プロ野球の最大の見せ場だったと思う。
 もう金田のような投手は現われないに違いない。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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