透析中止の福生病院を家族が提訴

 昨年8月に大分話題になった福生病院での透析患者の死に関して、遺族が病院を提訴すると報道されている。この問題については、何度か、このブログで意見を書いたが、新しい段階になったので、再度この提訴について考えてみる。
 起きたことを整理すると、透析治療をしていた40代の女性患者が、腕の血管のシャント(分路)がつまったために、それまでの透析が不可能になり、かかりつけの病院から、福生病院に相談にきた。そこで、病院は、首から管をいれて透析を続けるか、透析をやめて治療中止するかというふたつの選択を示した。女性はシャントが詰まったら、透析を継続しないという気持ちをもっていたために、中止を申し入れ、病院は文書で確認をした。これが8月9日。そして、中止をしたので、帰宅をした。しかし、そのうち苦痛が甚だしくなったので、やはり透析を再開したいと考えて、福生病院にいったところ、文書があるということで、病院側は、透析再開をしなかった。女性は夫にも訴えたが、夫がたまたま仕事で遅くなり、病院に駆けつけたときには、亡くなっていたということだった。再度の入院が14日、死亡が16日である。
 実際に透析の経験者もふくめて、さまざまな人たちがネットでも意見を書いており、病院を支持する声も少なくはなかった。この問題に熱心に取り組んだのは毎日新聞で、他の新聞はそれほど大きく、また継続的に扱っていたようには見えなかった。
 提訴だが、毎日新聞によれば、次のような訴えだ。

 公立福生病院(東京都福生市、松山健院長)で昨年8月、都内の腎臓病患者の女性(当時44歳)に対して外科医が人工透析治療をやめる選択肢を示し、中止を選んだ女性が亡くなった問題で、「『死の提案』をしたうえに透析治療再開の意思表示を無視したことは違法」などとして、女性の夫(52)らが今月中旬にも、2200万円の慰謝料を病院側に求める損害賠償訴訟を東京地裁に起こす。(毎日新聞2019.10.8)

 私はこの提訴を積極的に支持する。報道にあるような「死の提案」をしたとは思わないが、明らかに、極めて不十分なインフォームド・コンセントであったし、再開の要請を断っているからだ。
 女性患者に対して、首からの管で透析をするのか、中止かという選択を提示したが、他にも広く治療法として行われている腹膜透析について、報道を読む限りは、一度も説明していない。しかも、医療機関のサイトでの説明によれば、腹膜透析のほうが、生活の自由度が大きく、社会的な活動も可能であるとされている。実際に、透析をしている患者のネット上の書き込みでも、腹膜透析をしている人が、自分のやりたいこと、仕事がきちんとできていることを報告している。もちろん、腹膜透析をするためには、事前の手術が必要であるとされるから、いきなり腹膜透析に移行することはできない。しばらくは、首からの透析にならざるをえないわけであるが、しかし、一時的な措置であれば、女性は首からの管による透析を承知していた可能性は低くないはずである。この点が、まず福生病院の重大な過失であると思う。
 第二に、透析を中止したら、かなりの激痛に襲われることの説明が充分だったように思えない。きちんと説明すれば、激痛に襲われたときには、再開するのかについての意思確認をしていないように思われる。以前にも書いたが、安楽死を合法化している国で、安楽死の意志確認は、かなりの時間をかけて行うものだ。一度意志表示をしたから、直ぐに文書確認、直ぐに実行などということはありえず、充分な期間をかけるし、また、意志の撤回も保障されている。この事例でも同様に進めるべきだろう。しかし、この場合、相談にきたその場で直ぐに中止意志によって文書で確認し、再開を訴えても承知せず、わずか一週間後に亡くなっている。この病院は同様の事例が他にもあるようで、病院の方針であるように思われるのである。学会のガイドラインには反していると思われる。ガイドラインによれば、患者が中止の意志を撤回した場合には、再開あるいは再開を検討することになっているようだ。常識的に、透析をしなければ確実に短期間に死に至るときに、患者が透析を再開してほしいといっているのに、文書があるからしないというのは考えられない。
 刑事罰の対象になるとは、私は思わないが、医療機関として重大な瑕疵があると思うので、原告の訴えを認めるべきであると思う。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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