大津いじめ事件二審判決 賠償額が1割に。信じがたい判決だ

 「いじめ防止対策推進法」なる法律まで生むきっかけとなった大津のいじめ自殺事件で、大阪高裁の判決が出されたと報道されている。今は、速報だけだが、読売新聞では、自殺の原因がいじめであったことが認められたが、一審での賠償額認定が3750万だったのが、400万だけになったとの報道だけだが、朝日新聞には、次のような理由が説明されている。
 「佐村浩之裁判長は、いじめと自殺の因果関係を認めた一方、「自殺は自らの意思によるものであり、両親側も家庭環境を整え、いじめを受けている子を精神的に支えることができなかった」などとして過失相殺し、元同級生2人に計約3750万円の支払いを命じた一審・大津地裁判決を変更して賠償額を減額。元同級生側に約400万円を支払うよう命じた。」
 これは、驚くべき論理だ。つまり、自殺の責任は、
1 本人の意思
2 親が家庭環境を整える責任
3 いじめ
ということになるようだ。そして、いじめをして、自殺に追い込んだ加害者の責任が1割で、本人と親が9割という計算がなされている。 “大津いじめ事件二審判決 賠償額が1割に。信じがたい判決だ” の続きを読む

教師の養成について考える1 教職の魅力の低下

 教員養成のあり方は、戦後ずっと議論の対象になってきた。その時々の議論はもちろん違っている。今は、何が課題だろうか。それはいくつもあるように感じる。私自身、ずいぶんたくさんの学生を、学校現場に送り込んできた。既にその役割は終わったが、そこで、考えたことを、少しずつ整理してみたいと思う。
 現在の教員養成の最大の問題は、教師志願者が減っていることだろう。減れば平均的な質が低下することは、割けられない。欧米では、戦後一貫して、教師不足が続いている。おそらく、特に初等教育の教師の人気が高くて、倍率が高いなどということは、ほとんどの欧米諸国で起きたことがないだろう。フィンランドは教師の人気が高く、なるのが大変だと言われているが、例外的存在なのではなかろうか。
 しかし、日本は、少なくとも戦後直後と、最近を除けば、教師はいつも人気の高い職業だった。しかし、ここ2、3年、教員採用試験の倍率が落ちている。そして、おそらく、教職課程を履修しようという学生の数も減っている。このままだと、教師の社会的位置づけが欧米に近くなってくるだろう。この事態は、かなり以前から予想され、私は何度も指摘してきた。文科省は、教職の人気を低下させようと躍起になっているようにしか、私には見えなかった。 “教師の養成について考える1 教職の魅力の低下” の続きを読む

主体・責任を考える 小坂井敏晶「責任という虚構」をを読む

 相模原障害者施設殺傷事件(やまゆり園事件)等、責任能力をめぐる難しい事件が少なくない。何度か、このブログでも書いた内容だが、再度論じたい。きっかけは、小坂井敏晶『増補 責任という虚構』(筑摩書房)を読んだことだ。読書ノートにしなかったのは、ざっと通読しただけで、まだ精密に読んでいないからだ。精密に読み直すかどうかはわからない。重要な、あるいは過去、多くの人によって詳細に議論されてきた主題を扱っているのだが、しかし、肝心の結論が書かれいない。「結論に代えて」という章があることでもわかる。それが読後感として一番の不満だ。
 私が、この本を読み始めたのは、犯罪の責任に関して、多く触れているからである。犯罪を罰するのは、自由な判断が可能な人間が、意図的に犯した行為、社会にとって禁止され、犯罪とされる行為を行ったときである。自由な判断が可能である場合に、責任が生じるという論理に支えられている。だから、判断ができない子どもや、精神疾患の人間は、罪に問われないという構造になっている。 “主体・責任を考える 小坂井敏晶「責任という虚構」をを読む” の続きを読む

違法な措置でなった検事総長が、違法行為を裁けるのか

 毎日新聞(2020.2.23)によると、岸田文雄自民党政調会長が、NHKの番組に出演して、黒川東京高検検事長の定年延長問題に関して、政府の説明が変化しているところがあり、検察への信頼を取り戻すために、しっかりと説明をする必要があるという趣旨のことを述べたという。説明の変化は、国会で議論されている中で、森法務大臣の説明が混乱していることをさしているのだろう。しかし、はっきりいって、「しっかりした説明」など不可能だろう。何故なら、いくら言い繕っても、違法行為に間違いないのだから。森法務大臣は、弁護士である。弁護士であるならば、黒川氏の定年延長を決めた閣議決定が、違法行為であるこは、充分にわかっているはずである。最も、カルロス・ゴーンの逃亡に際しての記者会見で、とんでもない間違いをしてしまったことを考えれば、本当に分かっていないという可能性もないではないが、常識的には、分かっているが故の、説明の揺れだろう。あるいは、下手な答弁をすることで、閣議決定に抵抗しているのかも知れない。皮肉ではあるが。
 そして、AERA.dotによると、2月19日に開かれた、全国の法務・検察幹部が集まる「検察長官合同」で、神村検事正が、かなり明確な批判を行ったという。 “違法な措置でなった検事総長が、違法行為を裁けるのか” の続きを読む

鬼平犯科帳 悪事への欲求

 鬼平犯科帳は、いうまでもなく、犯罪者、とくに盗賊の犯罪を扱った小説である。盗賊といっても、様々なタイプの盗人が登場する。しかも、「本格の盗賊」とそうでないものに区分までしている。本格の盗賊とは、
・盗られてこまるようなところからは盗らない。
・人を殺さない。
・女を犯さない。
という三カ条を守るものをという。それに対して、財産全部盗ったり、あるいは殺人、強姦をするものに対して、平蔵は厳しく取り締まるし、また、本格盗賊も、彼らの軽蔑する。
 ところで、盗賊といっても、いつまでも盗みを働き続けるわけではなく、途中で嫌になったり、あるいは、高齢になって引退することもある。また、捕まってしまう場合もある。捕まった者のなかで、改心し、役に立つと平蔵が判断すると、密偵に取り立てる場合もある。そういう引退したり、あるいは、密偵になった元盗賊が、盗みへの欲求を抑えられなくなるときがあるようだ。また、とくに盗賊だったするわけでもない、普段は善人なのに、ふと火付けをする話もある。 “鬼平犯科帳 悪事への欲求” の続きを読む

新型コロナウィルス、岩田健太郎氏の映像をめぐって

 感染症の専門家である岩田健太郎氏が、ダイアモンド・プリンセス号に乗船して、あまりの惨状にショックを受けたという映像をアップした。要点は、ダイアモンド・プリンセス号では、レッドゾーンとグリーンゾーンが厳密に分かれておらず、過去、エボラ出血熱やSARS対策に外国で従事したときよりも、恐怖を感じたというものだ。それが世界中に広がった一方、日本では、大きなバッシングも起き、その映像を削除されたとする。しかし、多数の人がシェアしていたので、もちろんまだ見ることができる。他方、削除に至る重要な要因になったと思われる高山義治医師のfacebookの当該記事も削除されている。昨日コメントをずっと読んでいたのだが、まだ全部は読んでいないうちに削除されてしまったのが残念だ。
 更に、厚労省副大臣の橋本岳氏がツイッターで、岩田氏を批判したことが、炎上している。高山氏のfacebookはかなりの書き込みがあり、ほとんどが岩田氏を批判し、高山氏を擁護するものだった。別のツイッターでは岩田氏を卑怯者と罵るものも多数あるようだ。 “新型コロナウィルス、岩田健太郎氏の映像をめぐって” の続きを読む

新型コロナウィルスの適切な対策か、オリンピック中止か

 新型コロナウィルスが原因で、大がかりなイベントが次々に中止されている。東京マラソンの一般参加部分の中止がスポーツとしては、大きなものだろう。この中止に際して、主催者側の姿勢が極めて象徴的である。一般参加者は、参加できないが、既に支払った参加料を返金しないというのだ。テレビでインタビューに応じている一般参加者は、残念がっているが、あまり怒っていないにようにみえるのが、いかにも不自然だ。主催者の都合で参加をさせないのだから、参加料を返金するのは当然だろう。テレビでは怒っているインタビュアの映像は意図的にカットしたのだろうか。
 感染症の拡大と国際化は、表裏一体である。日本で極めて国際交流の盛んだった奈良時代には、権力の中枢にいた藤原四兄弟が相次いで天然痘で死去している。当時の国際化は支配層に限定されていたから、感染症の拡大も比較的上層部に限定されていたが、今や、国際化は幅広い層に浸透しており、オリンピックなどのスポーツ大会は、もっとも短期的には大規模な人の移動が起きる。世界中で発生している新型コロナウィルスを念頭に、対策と、もしもの場合の開催の是非について、真剣に検討しなければならない状況だろう。
 既にサッカーはシーズン入りしているし、間もなくプロ野球ではオープン選が始まる。 “新型コロナウィルスの適切な対策か、オリンピック中止か” の続きを読む

新型コロナウィルス対策への疑問 費用負担をめぐって

 先の日曜日の朝、本の少しだけ日テレのニュース解説番組を見たら、ある人が「これだけ新型コロナウィルス問題の解決が急がれているとき、いつまで「桜」のことをやっているんでしょうね。」と野党の国会での活動に疑問を呈していた。野党のやり方が賢いとは思わないが、桜問題と、最近つとに国際的に非難されるに至っている新型コロナウィルス対策の不十分性とは、「同じ根」なのである。だから、このふたつは、同時に追求する必要がある。その番組では、次に東京検事長の定年延期が閣議で決定されたことについて、少しだけ話題が飛び、「閣議で決めたのだから、正しいのでしょうが」などと、間の抜けたコメントをある人がしていた。閣議で決めたのならば、なんでも正しいのか。近年、閣議でひどく違法なことを決める回数が増えている。そして、自民党や検察庁においても、このことにはふれたくないという雰囲気があるという。あれほど明確な違法行為は、滅多にないと思うのだが。
 こういうことには、ほぼ一貫した安倍内閣の姿勢かあるといえる。それは端的にいえば、自分に近い人、支持してくれる人には、極めて厚く待遇するが、そうでない人に対しては、それがたとえ、大きな災害であったとしても、非常に冷遇するということである。 “新型コロナウィルス対策への疑問 費用負担をめぐって” の続きを読む

最終講義7 去るにあたって。質疑応答

 最後に大学を辞めるにあたって、文教大学に対する注文をしておきます。
 まずは、AIが進歩していますので、それを最大限使って、教育や研究の革新をすべきであるということです。そういう点で、大学にしても、また教員にしても、まだまだ不十分ではないかと考えています。
 人間科学部の教授会資料を、谷口学部長のときに、ペーパーレス化しまして、これは非常に大きな進歩だったと思うのですが、実は、その前から、僕は情報センターの委員をやっていまして、情報センターの委員会で何年も、そのことを主張していたのですが、情報課が一番反対なんですね。だから、全く進みませんでした。意外でしたが。情報課としては、そういうことに反対であるというよりは、アクセス過多になって、wifiがパンクすることを心配していたようですが、実際にやってみたら、そういうことはない。
 それから、先程述べたように、障害をもっている学生に対する取り組みが不足しているのではないか。 “最終講義7 去るにあたって。質疑応答” の続きを読む

最終講義6 聴覚障害の学生への取り組み

ノートテークに関する取り組み
 最後に聴覚障害の学生のための取り組みです。私が受け持った講義で、聴覚障害の学生は4人いました。人間科学部の学生が3人、教育学部の学生が1人でした。
 私が大学で初めて教えたのは、埼玉県の東松山にある大東文化大学というところなのです。担当科目は教育原理でした。その最初の授業に、比較的前の方の関に数人固まっているグループがありまして、そのなかのある学生たちが、後ろをむいて、手をふって、いかにもぺちゃくちゃ話しているように見えたのですが、注意しようかとは思いましたが、それはやめて、一応みていていました。授業が終わったあと、その学生たちがやってきて、「実はこのひとは耳が遠いのです、手話で伝えていたんだけども、それだけでは不十分で、FMマイクがあるので、そのマイクを手にして、授業をしてくれないか」と言われたのです。ああそうだったのか、「やりますよ」といって、次の授業から、FMマイクと通常のマイクをふたつもちながら、講義をしました。聴覚障害のひとは耳が聞こえないわけですから、講義はわからないわけです。必ず何らかの方法で援助しなければならない。その大東文化大学の学生は、強度の難聴ですので、手話と特別なマイクを使っていたわけです。大東文化大学では、手話サークルが盛んで、こうした講義での手話通訳を充分にできるレベルだったそうです。 “最終講義6 聴覚障害の学生への取り組み” の続きを読む