佐々木朗希登板回避は正しかったか?

(一昨日投稿の原稿でしたが、未投稿のままだったものです。)
 丁度一年前、高校野球最大の話題だった佐々木朗希投手が、県大会の決勝戦での登板を回避するという「事件」が起きて、野球に関心のある人たちのなかで、賛否両論侃々諤々の議論が起きた。その一年後ということで、國保監督へのインタビュー記事が掲載された。(https://www.msn.com/ja-jp/sports/npb/佐々木朗希-衝撃の登板回避-大船渡-國保監督が真相初告白/ar-BB16X1Vt?ocid=spartandhp)私は常々高校野球の反教育性について疑問をもっていたので、ブログでも何度か関連記事を書いた。真夏の暑い時期に、連日の試合をやることは、高校生にとってあまりに過酷であり、身体を壊す危険が非常に高く、何らかの対策をとるべきであることは、かなり広く主張されていた。しかし、高野連はまったく動かなかったわけである。野球の歴史を見れば、甲子園で大活躍した投手が、プロに入って潰れてしまう例はいくらでもある。明らかに投げすぎだろう。 “佐々木朗希登板回避は正しかったか?” の続きを読む

教育学を考える15 単元の配置について

 義務教育で学ぶ内容の大きな枠組みは、ほとんど国民の間で意見の相違はないように思われる。算数は不要だとか、自国の言語をきちんと学ぶ必要はないとか、そういう意見をもっている人は、まずいないといえる。しかし、細かな内容、例えば歴史の「慰安婦」などは、教えるべきだという人たちと、教えるべきではないという人たちが、長い間争っていて、双方が譲らないから、いまだに表面的には決着がついていない。こういう問題は、「教育の自由」という論点の領域で議論することといえる。(多様性のところで考察した。)
 教育内容に関しては、更に、ある内容が合意できるとしても、それをどう配列するかという問題がある。
 現在は主要な教授方法となっていないが、経験主義のカリキュラムは、教科という編成を採用しないので、教科によって教育内容を構成する場合と、基本的に異なる。現行の学習指導要領では、「総合的学習」が経験主義カリキュラムに相当するが、ここではとりあえず考慮の外に置いておく。 “教育学を考える15 単元の配置について” の続きを読む

矢内原忠雄と丸山真男5 大学での紛争への対応2 ポポロ事件

 矢内原忠雄は、戦後東大に復帰してからは、社会科学研究所の所長、経済学部長、教養学部長、そして総長を歴任した。特に教養学部長、そして総長として、激しい学生運動と対峙せざるをえないことになった。1970年くらいまでの学生運動は、今からは考えられないほど、過激なものだった。そして、学生がストライキをすることも稀ではなかった。矢内原は、そうした学生の運動に理解をもってはいたが、学生が学ぶ権利を侵害したり、あるいは、学ぶ環境を阻害するような行為には、断固とした措置をとった。何度か紹介しているように、それは「矢内原三原則」と呼ばれて、学生のストライキを指導した学生は、必ず退学処分となった。尤も、学内規則を守るという誓約書に署名し、復学を申し出れば、確実に復学することができたのだが。
 そうした教養学部長時代のことは、以前に書いているので、今回は、総長になって経験した最大の学生問題である「ポポロ事件」について考えてみる。 “矢内原忠雄と丸山真男5 大学での紛争への対応2 ポポロ事件” の続きを読む

矢内原忠雄と丸山真男4 大学での紛争への対応1

 私は、経済学者でも政治学者でもないので、二人の学者としての業績を評価することはできない。だが、第二次大戦を体験し、戦後も大きな役割をになった知識人として関心をもっている。前にサイードの『知識人とは何か』の「自分のだした結論が自分にとって不利であったとしても、その結論を保持・主張できる人」という命題を紹介した。私は、その前に、ごく当たり前のことだが、「周囲で起こっていることに対して、自己の見解を提起できる人」ということを前提条件として加えたい。その点から見ると、二人とも、戦前から戦後にかけての代表的な知識人であるが、提示の仕方は多少異なっている。今回はその点を見ておきたい。特に、自分の所属する大学で起こった事件に対する対応と見解の表明に絞ってみる。
 矢内原は、大学における「紛争」に比較的たくさん遭遇している。
 最初は、一高時代、新渡戸稲造校長が責任を問われて辞職したとき、擁護運動の先頭にたったのが矢内原である。第二は、自身が大学を追われた「矢内原忠雄事件」の当事者として。そして、戦後東大に復帰して、教養学部長時代の学生のストライキ、そして、総長として「東大ポポロ事件」の対応である。関わり方も多彩であったといえる。 “矢内原忠雄と丸山真男4 大学での紛争への対応1” の続きを読む

矢内原忠雄と丸山真男3 戦後直後の日本精神の分析

 丸山が、突如として有名人になったのは、1946年3月に執筆し、『世界』(岩波)の5月号に掲載された「超国家主義の論理と真理」である。しかし、矢内原は、終戦からまだ間もない1945年10月に、長野県木曽福島の国民学校において行った講演「日本精神への反省」で、戦争をもたらした「日本精神」の分析を行っている。これは、11月の講演「平和国家論」と合わせて『日本精神と平和国家』と題する岩波新書として、12月に公刊されている。矢内原が東大に復帰したのは11月であるから、最初の講演はそれに先立っている。つまり、矢内原は、戦争が終了して、直ぐに自由な身分のままで、戦争をもたらした日本の精神構想の分析を行い、その対策を示していたのである。丸山は、論文の最初に、日本国民を戦争に駆り立てたイデオロギー的要因の実体について、「十分に究明されていないよう」だと書いているが、「十分」であるかどうかは、個々人の主観であり、レトリックのようだから、まだまったくなされていないと言いたかったのだろう。しかし、それはあまりフェアではないといえる。 “矢内原忠雄と丸山真男3 戦後直後の日本精神の分析” の続きを読む

AIで講義内容をテキスト化するメリット

 昨日テレビのニュースで、ある大学が、AIを使って、オンラインでの講義をテキスト化する実験をしたと報道されていた。ウェブで検索すると、けっこう多くの大学や企業で活用が始まっているそうだ。これは、ぜひ大学ではやってほしいことだ。私自身、まだまだ音声認識ソフトがつかえる水準でなかった時代に、自分でテープ起こしで講義をテキスト化していたことが、何度かあるので、はやく音声認識ソフトが実用段階になることを願っていたが、最後の年に、ある程度つかえるかも知れないというソフトを試してみたのだが、ソフトの完成度がまだ高くなかったことと、教室でのマイク設定に難があって、実際にはつかえなかった。これはとても残念なことだった。
 なぜ、手間隙かけてまで、テープ起こしをして講義のテキスト化をしていたのか、そのメリットは何かを書いておきたい。(私の「最終講義」にも若干の紹介がある。本ブログ1月末) “AIで講義内容をテキスト化するメリット” の続きを読む

PCR検査しない理由は? 聞かないNHKの解説委員

 昨日車で夕方NHKのラジオ第一放送を聞きながら運転していたら、今度新しくできた新型コロナウィルス対策の分科会の委員という人が出てきて、NHKのアナウンサーと解説委員を相手に話をしていた。運転中だったので、名前は忘れたが、分科会の委員は経済方面の担当であり、分科会で熱心にある政策を主張して、支持者を増やして提言としたいといっていた。その内容は、羽鳥モーニングショーで数カ月も前から主張していた内容で、モーニングショーでは今でも連日のように主張している。しごくもっともな議論だと思うのだが、いまだに実現していない。
 現在のコロナ対策は、感染防止と経済の運営というふたつの、矛盾しがちなことを同時にする必要があるとされている。これは確かにそうだ。しかし、その分科会の委員の人が力説していたのは、この矛盾を克服するためには、圧倒的にたくさんのPCR検査をして、陽性の人は隔離して、陰性の人が安心して経済活動をするという体制をとる以外にはないということだ。これは間違いないところだ。 “PCR検査しない理由は? 聞かないNHKの解説委員” の続きを読む

『教育』2020.8号を読む 佐久間建ハンセン病学習

 特集1の「社会の課題に向きあう教師たち」の最初の文は佐久間建「教育実践から社会認識へ--ハンセン病人権学習を進めるなかで学んだこと」で、筆者は小学校の教師で、『ハンセン病と教育』という著書がある。
 佐久間氏がハンセン病と出会ったのは、勤めた小学校の近くにハンセン病施設があったからだ。1993年のことで、96年に廃止された「らい予防法」がまだあったので、「おばあちゃんが全生園にいってはいけない」と言われている子どもがいたそうだ。
 ハンセン病はかなり古い時代から知られていた病気で、聖書などにも出てくるそうだが、感染力は極めて弱く、それほど恐れられていた病気でもなかった。この文章では触れられていないいが、社会的な差別の対象になったのは、明治時代からである。歴史的に有名な人では、関ヶ原合戦で最も奮戦して敗れた大谷善継がいる。殿様だったということもあるだろうが、尊敬され、高く評価された戦国武将だった。つまりハンセン病が大名として活動することの妨げにはならなかったわけである。 “『教育』2020.8号を読む 佐久間建ハンセン病学習” の続きを読む

矢内原忠雄と丸山真男2 研究者としての外見

 矢内原忠雄研究の一環として、丸山真男との比較論をしばらくやることにした。単なる私自身の興味に基づくものだが、この間いろいろと考えていると、考察に値する課題がいろいろあるという感じがしてきた。
 まず研究者になる過程が、双方かなり独特である。まずそこから比較していこう。
 矢内原は、1893年(明治26年)の生まれだから、19世紀と明治を体現しているわけだが、第一高等学校入学時でも明治であり、明治の人間としての資質を感じさせる。父は医者の家系であった。教育熱心であった父が、神戸一中にいれた。その校長は、札幌農学校で新渡戸や内村と同期だった鶴崎久米一であり、この点も、後に内村の弟子になる下地になっていたと思われる。神戸一中、一高と抜群の成績トップを維持したが、大学入学にあたり母が死亡、そのショックで勉学意欲が落ちたとされるが、それでも法学部時代二位をキープしたという。一高時代どうしても矢内原に勝つことができなかった舞出長五郎が一位となった。つまり、東大法学部時代までも含めて、抜群の秀才だったわけであったが、それでもガリ勉タイプではなく、弁論部などの活動を行う、また、校長新渡戸稲造が徳富蘆花事件で辞任するにあたって、新渡戸擁護運動をリーダーでもあった。 “矢内原忠雄と丸山真男2 研究者としての外見” の続きを読む

オペラ「ボリスゴドノフ」リムスキーコルサコフ改訂版も悪くない

 普段は、かなり部分的にしか見ないDVDを久しぶりに全曲視聴してみた。「ボリスゴドノフ」は、ユニークなオペラだ。また、私にとっても、思い出深いものでもある。
 何がユニークかというと、オペラの題材として、その国のトップの人物が主人公になっているものは、他には思いつかない。伯爵などのような貴族が主人公というのは、いくつかある。「セビリアの理髪師」「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」等。しかも、ボリスゴドノフは歴史上の実在の人物であり、悲劇的な死をとげる。だからオペラも、とにかく、全編暗い、陰謀だらけの話である。しかも、唯一美しい音楽が流れるポーランド貴族の娘であるマリーナの部屋以外は、音楽もほとんどが重苦しい。作曲したムソルグスキーが、最初の草稿を、劇場当局に見せたところ、あまりにも暗い話、暗い音楽なので、もっと女性を登場させなさいというアドバイスがあって、マリーナの場面が付け加えられたと言われている。劇場が不当な要求を、ムソルグステーに押しつけたという批判があるらしいが、実際のところは、ムソルグスキー自身がその批判をもっともだと思い、改作をしたものが、通常上演されている。ごく稀に第一稿の演奏やCDもあるが、私はマリーナの場面が一番好きなので、第一稿は視聴する気がおきない。 “オペラ「ボリスゴドノフ」リムスキーコルサコフ改訂版も悪くない” の続きを読む