2番の名曲はあるか

 民主党政権のとき、蓮舫議員が、「2番じゃだめなんですか?」と発言して物議を醸したことがある。専門家たちは、その発言を馬鹿にしたが、議員は素人なのだから、専門家は丁寧に説明すればよかったのに、この対応は専門家としてはいただけなかった。
 ただし、表題の「2番」は、ランク付けの2番ではなく、順序としての2番である。交響曲とか、ピアノソナタには、出版順の番号がついている。今日スキャンをしながら、ベートーヴェンのピアノ協奏曲2番をかけていたのだが、「そういえば、2番て人気ある曲が少ない」と思ったので、少々思い出しながら考えてみようと思った。

 ベートーヴェンには、2番があるジャンルが、交響曲、ピアノソナタ、バイオリンソナタ、弦楽四重奏曲、チェロソナタ、ピアノ協奏曲、ピアノトリオ、ロマンス等があるが、このなかで2番が一番有名だというのは、ロマンスだけだろう。といっても、ロマンスは2曲あるなかの2番だから、ちょっと弱い。ベートーヴェンといえばフルトヴェングラー、フルトヴェングラーといえばベートーヴェンというくらいだが、実はフルトヴェングラーの交響曲2番の録音は異様なほど少ない。EMIが交響曲の全集をフルトヴェングラーでボックス化したものがあるが、2番だけは、とてつもなく音が悪い録音しかなかったようで、あまり聴く気が起きないような録音なのだ。演奏会でもほとんど取り上げなかったのではないだろうか。さすがにカラヤンは、全集そのものを正規に、レコード4回、映像2回作成しているから、2番を聴くことは用意だが、演奏会で、単独に2番を取り上げたかどうかは、正確にはわからないが、少ないに違いない。ちなみに、カラヤンはブラームスの3番は、単独で取り上げることはなく、全曲演奏のときだけとりあげたそうだ。
 私自身、これらベートーヴェンのジャンルで、1番はすべて直ぐにその音楽が思い浮かぶが、2番は交響曲だけだ。
 シューベルトやモーツァルトは、2番はほとんど少年時代の作品だから、まずとりわけ名曲だというのは思いつかない。シューマンやメンデルゾーンの交響曲も、2番は一番地味だ。ショパンのピアノソナタは、2番が人気曲だが、やはり3番には譲る。協奏曲は、2番の人気は1番には及ばない。ショパンコンクールの最終の本戦では、協奏曲を弾くことになっているが、6人中4人か5人は1番を選択するようだ。
 ブラームスはどうか。ただ、ブラームスは番号がついた絶対音楽は、どのジャンルも少ないし、精選して発表したわけだから、2番が目立たないことはない。交響曲2番はクライバーの大好きな曲だったし、どの指揮者も好んでとりあげるが、では、ブラームスのなかで一番好きかと問われると、2番という人は、少数な気がする。やはり、1番と4番が多いのではないか。2番がもっとも傑出していて人気があるというジャンルは、やはりなさそうだ。もっと極端なのが、チャイコフスキーで、弦楽四重奏やピアノ協奏曲は、1番が非常に有名だが、2番以降は、「あるの?」という感じですらある。こういう文章を書いた以上、2番のピアノ協奏曲を聴いてみようと思っているが、まだ聴いたことはない。
 そうこう思い出しているうちに、やっと出てきたのが、リスト作曲ハンガリー狂詩曲2番とシベリウスの交響曲2番だ。
 リストのピアノ協奏曲は、明らかに1番のほうが2番より格段に有名曲だが、ハンガリー狂詩曲といえば、まず2番ということになるだろう。カラヤンも2番しか録音していないと思う。
 シベリウスはどうか。私はどうもシベリウスはあまりなじみがないので、2番以外は1度くらいしか聴いたことがないが、ファンは、やはり、4番以降の後期のものが名曲だと評価しているようだ。カラヤンも、後期の交響曲は頻繁に演奏会で取り上げたという。そして、若いころのフィルハーモニア管弦楽団を指揮した2番は、名演とされていたが、その後一度だけベルリンフィルで録音しただけだ。2度録音しているのだが、実はカラヤンは2番を演奏会で取り上げたことは一度もないとされている。どうしてなのか、カラヤン自身が語ったものはないのだろうか。
 
 では、何故2番は目立たないのか。もちろん、それぞれに理由が違うだろうし、勝手な想像でしかないが、理由はふたつあるに違いない。
 1番は最初の曲だから、やはり、相当力をいれて作曲するだろう。もし気に入らなければ、発表しないに違いない。改作するか、少し時期を見る。
 そして、2番めの理由として、最初に作った曲が、多少満足できず、次の曲がよくできた。じゃ、こちらを先にしようという場合。その典型はショパンのピアノ協奏曲だ。人気曲の1番より、2番が先に作られたことははっきりしている。1番は、演奏して評判がよかったし、また、自分も慣れてきたところで作ったわけだから、自信もあった。それで印刷順番を入れ換えたということだろう。だから、2番は目立たなくなるはずだ。
 組織の2番手指導者は、どうも創業者よりも不利な立場にある。家康とずっと行動を共にしてきた秀忠にとっては、第二代将軍というのは、やはり、そうとうなプレッシャーだったろう。家光にとっては、家康はやさしいおじいちゃんだったわけで、重圧はあまり感じなかったに違いない。2番目というのは、なかなか難しい位置にあるのだろう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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