日本が産油国に?

 茨城沖に油田があるのではないかと、メディアではかなりはしゃいでいるらしい。しかし、例によって羽鳥モーニングショーでは、かなり冷静な反応だったと思う。実際に油田があったとしても、実現は30年後で、それまでに最低1兆円が必要だろうと説明されたあと、議論になったが、「そもそも30年後に石油を主たるエネルギー源として使っているのか、自然エネルギーがもっと発展していて、石油の割合は今よりもずっと小さくなっているのではないかという見解に、かなりの共感が集まっていた。
 私は、この問題の専門家では、もちろんないが、素人こそ発言すべきだと思うので、考えを書いておきたい。
 石油の需要がゼロになることはないだろうが、少なくとも、石油保存を小さくしなければならないことは、明らかだ。代わりになるものは、自然エネルギーである。原子力は、その危険度、廃棄物処理の未解決等で、削減廃止していくべきものだと考える。
 しかし、自然エネルギーは不安定だという意見がある。現在ではそうに違いない。しかし、福島原発によって起きた現象を冷静にふり返ってみよう。

 事故からしばらく、とにかく節電・節電と言われた。しかし、翌年あたりから節電はいわれなくなり、むしろ夏場、熱中症を防ぐためには、躊躇することなくエアコンを使いましょうというキャンペーンに変わった。節電は必要なくなったのか。
 事故が起きた当時は、日本の電力は、地域ごとの電力会社の独占的な供給がなされ、いくぶんの調整があったにせよ、ある地域では十分であったとしても、不足している地域に電気を回すことは、原則なかった。技術的な問題ではなく、回す仕組みが十分にできていなかっただけのことだ。そして、事故後、さすがにこれではまずいということと、電力自由化の方向とがあいまって、相互に調整するシステムが発展した。だから、どこかに電力不足が生じても、十分なところから送ればよいので、節電の必要がなくなったのである。
 つまり、新たな事態に対応するシステムができることによって、問題解決に可能になるというのは、今後の自然エネルギーについてもいえるのだろうと、素人ながらに思う。
 最近は太陽光発電が盛んで、車にのって校外にでると、至るところにたくさんのパネルがある。しかし、山を切り開いて、大量のパネルを設置するのは、いかにも無駄ではないかと思っているし、また、本来の自然エネルギー活用の趣旨に反している。どうすればいいか。
 電気の大量消費地は、いうまでもなく東京だ。東京には一千万人以上が住んでおり、また、首都圏まで含めれば、3千万である。そして、現在、ある程度の家屋に、太陽光パネルが設置されている。これを、ほとんどの家に拡大し、蓄電と組み合わせれば、おそらく、自然エネルギーだけで、その地域のエネルギーをカバーできるのではないか。問題は、ほとんどすべての家にどうやって設置するのかということだ。これまでは、個人の家や私有のマンションに太陽光パネルを設置するのは、あくまでその家屋の所有者の費用によるものだった。所有者は、電気を売るなり、自分で消費するなりできるわけだ。
 それを、電力会社と家屋の所有者の新たな契約関係をつくって、適切な負担と使用権限の割り合いを合理的な決めていけば、電力会社は、場所の確保に自然を破壊する必要がなく、また、家屋の所有者は、高い設置費用を負担することなく、電気代金を格段に下げることができるはずである。そういうことが用意になるような法的整備をすることができるかどうかだろう。
 もちろん、利害が完全に調和するわけではないから、越えるべき論点はあるだろうが、そこは人の知恵ではないだろうか。
 デンマークが風力発電を大いに活用して、電力需要を劇的に改善した歴史があるが、それも、個人の家に設置するような小規模な風車が開発され、おおいに活用されたからであるが、その過程で、環境活動家たちの運動があった。そして、民衆学校(ホルケホイスコレ)に学ぶ人たちの力が加わった結果だった。
 新しい時代を切り開くためには、やはり、システム変更を可能にする知恵が必要なのだ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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