児美川孝一郎「公教育のハイブリッド仕様へ?--自己責任化する学びと教師の働きがい」は、「コロナ禍の今、教員の働き方を問う」という特集の最後に置かれた、いわば教科研的立場の整理という風に読むことができる。おそらく児美川氏は教科研のなかで、最も重要な論客の一人であり、若い世代の教師や研究者に対するリーダーとして活躍している。「教育を読むfacebook」で、1月に重要な講演を行うことが予告されている。そのこともあるので、私としては、この児美川氏の文章については、厳しい見解を表明しておきたいと思う。最近の『教育』を読んでいて、教科研内部には、あまり議論が行われていないように感じる。常任委員会等ではあるのかも知れないが、少なくとも、『教育』の論文では、何か同一方向をみんなが向いている感じがするのである。しかし、本当にそれでいいのだろうか。少なくとも研究者の間では、もっと闊達な議論が行われないと、難しい今後の動向に対する適切な評価と展望は出てこないのではないだろうか。そう考えて、児美川論文には、率直な批判を書かせていただくことにする。期待するからである。
基本的に、彼の見解は肯定できない。後述する児美川氏の論は、普段からICTの活用に消極的であったことが、反映していると考えるからである。しかし、教育学の研究にとって、ICTを最大限活用することは、不可欠のことである。もちろん、活用の仕方は人それぞれだろうが、もし、児美川氏が勤務校における教育活動で、大いに活用してきたのなら、おそらくこの論文で書かれているような立論にはならないと、私は思う。