昼食時、テレビを見ていたら、安倍首相辞任の意向というニュースが流れて、あとはずっとこの問題をやっていた。24日に、安倍首相は、何も積極的な業績を残さずにきただけではなく、負の遺産を残したと書いたあと、とにかく早く辞めてほしいと書くつもりだったが、書かなくてもわかるだろうと、省略した。意外と早く辞任の意向が表明されたので、よかった。ただ、テレビを見ていると、テレビ界の人たちは、辞任はしないだろうと見ていたようで、ある解説委員などは、「安倍さんは責任感の強い人だから、多少身体が悪くても、仕事をするのではないか」と思っていたなどといっていたのには、驚いた。安倍首相ほど、「責任感のない」人はあまりいないというのが、批判的な人の共通認識だからだ。「私に責任がある」といって、責任をとったことは、一度もないといえるだろう。森友問題で、妻が関与していたら、議員も辞めるといったあと、妻の関与が誰の目にも明らかになっても、記録を改竄させ、はては、自殺者まで出してしまったのに、いかなる責任もとっていないし、調査すら拒否している。
投稿者: wakei
2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。
以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。
『教育』2020.9号を読む 石井崇史「子どもの世界に応答する教材づくり」
9月号特集1「子どもの学びを拓く教育課程と教材文化」には、現場の教師の実践が2本掲載されているが、いずれも非常によかった。やはり、現場で意欲的な実践に取り組んでいる教師の文章からは、学ぶことが多い。といっても、疑問もあるので、両方のことを書いておきたい。
小学校4年生の理科の授業で、豆電球と乾電池のつなげ方による違いを学ぶ単元である。目標は、電池や豆電球のつなげかたで、明るさに変化が出てくることを、実際に確認することのようだ。私がもっている教科書では、非常にすっきりとした構成になっているが、石井氏の使用している教科書は違うもので、単元の最初に、必ず身の回りのものを取り上げることになっていて、ここでは、「身の回りで電気を利用している物には何があるか」という問いに、電気自動車の写真をみて、「電気自動車はどのように走っているのか」という問いが続く。石井氏は、これが単元とほとんど関係ないし、余計な部分になっていると考えている。確かにその通りで、私は、そういうのは無視すればいいと思う。単元そのものではないのだし、まだ実用化があまり進んでいるとはいえない電気自動車など、「電気を利用しているまわりの物」にはふさわしいとはいえない。自由に子どもたちに、出させればいいだけのことだろう。そこで適切な教材が必要だという話になって、仮説実験授業の授業書を参考にしたようなことが書いてある。ただ、その当たりは、実際に揃っている実験器具などと、どういう関係になっているかは、よくわからなかった。とにかく、導入的にはうまくいって、いよいよ、今回の授業の本来のテーマである「豆電球の明るさをもっと明るくするにはどうしたらよいだろうか」と、子どもたちに問いかけたところ、A君が、「教室を暗くする」と答え、クラス一同賛成してしまったというのである。
エアコンをつけられない人もいるが
小学校の体育の授業でリレーの練習をしていて数名が、熱中症で病院に運ばれたという報道があった。2年前の校外学習の教訓は、もう忘れたのだろうか。あのときは、まだ酷暑の夏が来る前だったし、通常の一学期だったが、今日は、本来夏休み中のはずだった酷暑の日だ。そこで、外でリレーの練習をするという感覚がわからない。学校管理者は、50歳を越えている人が多いだろう。50歳以上というのは、ふたつの点で、この点での判断ミスを起こしやすい。彼等が子どもだったときには、今のような酷暑は滅多になく、夏だろうと、校庭で陸上の練習をすることは、避けるべきこととは意識されていなかった。また高齢者は、特に暑さを感じるセンサーが衰えてくるのだそうで、50代でもそういう人は少なくないそうだ。このセンサーが衰えてくると、酷暑なのに、暑さを感じないので、対応をとる必要性を感じないわけだ。あるいは、今の学校は、多くがエアコン付きなので、外の気温の感覚に鈍くなっているのかもしれない。エアコンの効いた教室の次に、酷暑の校庭に出る場合、気温のチェック等は厳重に、事前に行って、大丈夫かどうかを確認すべきだ。
道徳教育ノート「闇の中の炎」
久しぶりに文科省の中学生用道徳教育資料を見てみた。「闇の中の炎」という文章が、何か手応えがあったので、考察してみようと思う。
美術部の理沙が、コンクール用の下絵を書こうとして苦労している。そして、絵画展で父に買ってもらった画集の作品を参考にして、描いた。翌日教師に褒められた。
しかし、やがて筆がとまり、ある日部を休んで帰宅してしまった。夕飯のとき、父親に相談する。「有名な画家の作品を真似して描くのって悪いことじゃないよね。」真似して勉強するのはいいことだと父は答えるが、理沙は、友達が悩んでいるという話にして、「私は、ただヒントをもらっただけなんだからいいんじゃないって答えたんだけど」。父「他の人の作品を見てアイディアが浮かぶことは誰でもあるだろうね。」
理沙が顔を逸らすので、父は「その友達は、なんだか自分への言い訳を探しているように見えるな。そんな気持ちでいい作品ができるんだろうか。・・ほんとうは、その子はもう分かっているんじゃないかな。自分がダメだと思ったらダメだって。」
そして、理沙は、参考にした版画は、暗闇に浮かび上がる赤い炎と、照らしだされる人々があるが、自分にはそれが浮かばないと、描くことを断念する。新しい作品を描き始めても間に合わないと思いつつ、夢中でスケッチブックに鉛筆を走らせていった。
安倍首相のレガシー?
安倍首相の連続在任期間が佐藤栄作を越えて歴代一位になったということで、メディアが大々的に取り上げていると思ったが、実は、かなり低調に扱われている。通算一位になったときは、もっと大きな取り上げだったと思うが、今回、大手新聞の中では、毎日と日経だけが社説で取り上げ、朝日、読売、産経は社説で取り上げていない。そして、とりあげた二社もかなり辛辣である。そのなかで、毎日は、かなり安倍政治の性質を端的に表現していると思った。 抜粋だが以下のように書かれている “安倍首相のレガシー?” の続きを読む
『教育』2020.9号を読む 神代健彦「『能力と発達と学習』をゆっくり読む」の検討
勝田守一著『能力と発達と学習』は、私にとって、戦後最高の「教育学概論」「教育学入門」の書であり、いつかこれを越える『教育学』を書きたいと、ずっと思い続けて、なお果たせないできた高い峰である。しかし、若い世代にとって、勝田守一は、ほとんど過去の人であり、検討に値しない教育学者と考えられていると聞いたことがある。神代氏が「勝田の教育学は、「発達」や「子ども」を無謬の前提として、あらゆる社会的要請を無視するものであるかのように言われる」と書いていることからもわかる。そういう世代であるにもかかわらず、『教育』編集部の依頼に応えて、この決して読みやすいとはいえない本の「現代的意義」を論じるという、あまり気乗りのしない仕事を、果敢に引き受けられたことには、敬意を表すべきだろう。
しかし、やはり、勝田に共感していないせいか、私には、とうてい納得できない読み方をしているように感じる。
(1) 最初に、総括的結論が示される。「あまり面白い本じゃない。」「いま流行りの教育論を素朴にしたような感じで、はっきり言って新味がない。」
海外メディアの拠点が、東京でなくソウルへ
7月から8月にかけて、ニューヨークタイムズやCNNのアジアにおける報道拠点が、香港からソウルに移転すると発表されている。香港における規制が強化され、自由な報道が不可能になりつつある状況で、他の地域に移転することが検討され、東京も当然その候補であったが、ソウルになったという。私の記憶する限り、CNNのアジアの拠点は、当初東京だったと思う。私は、ごく初期からスカパーの視聴者であった。ディレクテレビとふたつにわかれていたときからだ。そして、その当時、CNNは、確かに東京スタジオから放送していた。おそらく、当時香港は、イギリスの統治下にあったためではないだろうか。やがて、自由がかなり保障された形で、中国に返還され、おそらく、人件費などの影響と、今回東京にしなかったのと同じ理由によって、香港に移動したのだろう。
小学校5,6年の算数・理科・英語の専科教員か?
8月20日の中教審の特別部会に、2022年度をめどに、小学校5,6年の専科科目を、現在広まっている理科に加えて、算数と英語を加えるという案を、提案したと報道されている。こうした専科化の動向は、ずっと問題となっているし、特に、現在理科の専科化は、報道されているように、進んでいる。しかし、これらは、非常に問題の多い施策と言わざるをえない。
現在の制度では、小学校の教師は、全教科を教えるのが建前である。しかし、一人ですべてを教えるのは困難だから、学校の事情に応じて、専科の教師が配当されている。私が小学校のときですら、5,6年の音楽は専科の先生が担当していた。学校によってかなり事情が異なると思うが、その他に図工、家庭なども専科がいることがある。要するに、ばらばらなのである。もし、文科省のその構想が実現するとどうなるのか。
Law & Order 自殺幇助問題
日本でも、医師による嘱託殺人が起き、実行者は起訴されたが、丁度今、Law & Order で自殺幇助をテーマにしたドラマを見た。18シリーズ1回「残像」。妻と子どもが自宅に帰るのを見送ったトーマスが、そのあと塩化カリウムを自ら注射して、自殺する。しかし、他殺の可能性もあるので、とりあえずグリーン(殺人課の刑事)が呼ばれる。そのとき、トーマスの弟のルーポ(刑事)が、帰国し、自分も捜査に加わりたいというが、身内だから難しいという話をしているところに、もう一人の同じような自殺事例が発生する。そこでルーポも加わる。(その後相棒となる)
仮釈放になっているリンガード(以前自殺幇助で実刑判決を受け収監されていた)に会いに行くが、自分は関係ないと言い張る。
トーマスは、末期癌でかなり苦しんでいることで、覚悟の自殺だったが、もう一人のドリスコルは、ジャーナリストのノーランが、自殺をする現場におり、映像にとって、放映することになっていることを知る。しかも、ノーランは、10年前、リンガードが疑われた自殺幇助事件で、リンガードに実行したことを白状させた人物だった。
矢内原忠雄と丸山真男13 内村鑑三の継承
矢内原忠雄も丸山真男も、系譜的には内村鑑三とつながっている。矢内原は、主に新渡戸稲造と内村鑑三という二人を「教師」としている。新渡戸には植民政策を教わり、その講座の後任となった。内村は信仰の師である。丸山のふたりの教師は、長谷川如是閑と南原繁であるが、南原の二人の師が、小野塚喜平次と内村鑑三であった。つまり、南原と矢内原は内村の信仰の弟子であったが、東大の聖書研究会は主に矢内原が指導しており、南原はあまり関わらなかったようだ。南原と矢内原のつながりは、連続して東大総長になって、東大改革に尽力したことのほうが強いのかも知れない。こうした系譜のなかで、内村鑑三は、矢内原とも丸山ともつながっているという点で、とりあげる価値があると思われる。矢内原は、直接の弟子であり、人生のあらゆる時点内村について語っているから、文献は膨大であるが、丸山も内村について、頻繁に触れている。しかし、当然のことながら、二人の継承する中身はかなり異なっている。