安倍首相の辞任を受けて、いろいろな議論を出ているが、その一つに「二大政党」制の実現を望む声がある。何故、二大政党制が言われるのかというと、政権交代の可能性があるからだという。そして、二大政党制と密接不可分なのが、小選挙区制である。二大政党制は、結果として生じるものであって、制度的に決めることはできない。だから、決めることができるのは「小選挙区制」であって、実際に日本でも導入されて、一度、それらしき政権交代があった。しかし、その政権交代は混乱を生み、その後は、長期政権が続いてしまった。そして、その長期政権下に起こった事態は、政治の劣化そのものである。与党も野党も同様だ。その弊害は明らかである。尤も、政権交代といっても、それほど頻繁に起きるわけではなく、10年から15年程度に一度起きればよい、という考えでいえば、まだ、最終的な判断は早いのかも知れない。
しかし、小選挙区制は、極めて民主主義に反することは、明確だろう。何故か、それは、得票率と当選率に甚だしい乖離があるからだ。得票率の差は僅かなのに、当選者の割合は圧倒的な差がつく。安倍政権が選挙で圧勝したといっても、得票率の違いはそれほど大きくない。民主主義的な原則からいえば、得票率と当選率が近いことが必要である。それを実現するのは、「比例代表制」である。そして、比例代表制は、当然二大政党制ではなく、中党分立となる。そして、連立政権が普通である。長く、日本では連立政権は不安定だという思い込みがあった。しかし、安倍長期政権は連立政権だ。逆にいえば、連立政権を維持したことが、長期政権を可能にしたともいえる。もし、自公の連立が崩れたら、もっと短命だったかも知れないのである。そして、連立政権は、極端だが、最大与党がなんとかやりたいという政策を、緩和する機能がある。政治的には、連立政権が通常になるほうが、政治的には安定することが多いのである。
二大政党というのは、理論的にも無理があると考えるべきだ。政党とは何かにも関わるが、基本的には、国民の利益を実現するための政治組織であるが、国民といっても、階層にわかれており、労働者と資本家とは、利害はかなり衝突する。従って、労働者と資本家がひとつの政党で、利益実現をめざすことは、まず考えられない。もし、国民の利益をある程度集約する集団」が、労働者と資本家だけなら、二大政党でよいだろうが、そんなに単純なものではないだろう。産業によっても、異なる場合があるだろうし、宗教団体としての利益を考える集団もあるだろう。そういう意味で、あまりに小党が多数分立するのは好ましくないとしても、主要な政党が4~5程度あるのが、もっとも自然なのだ。そして、それぞれの政党の支持率が、できるだけ忠実に当選数に反映する仕組みが、民主主義的といえる。それが比例代表制だ。比例代表制で、連立政権というのが、もっとも民主主義的で安定した政治が行われると、私は思う。
では、何故二大政党制・小選挙区信仰が強く、比例代表制への疑問が強いのか。
それは、民主主義の見本的な国家として、英米が通常意識され、いずれもが小選挙区が実施され、二大政党による政権交代があるからである。もっとも、近年のイギリスでは、二大というよりは、もう少し小党が存在感を示しているが。しかし、この考えの間違いは、この英米という国家が、民主主義の見本であるという認識が、既に過去のものだという点にある。現在の民主主義度をチェックするのは、透明性だが、透明性度においては、英国も米国も上位ではない。先進国ではむしろ下位に位置する。そして、透明性の高い国家として、常にあげられるような国の多くは、比例代表制をとっている。例えば、北欧5カ国、スイス、オランダ、ベルギーなど。ちなみに、ウィキペディアによると、比例代表制は66カ国、小選挙区制は42カ国である。
こうした実態であるにもかかわらず、学校では、二大政党制が民主主義的であり、連立政権は不安定であるような教育を長くしてきた。これは、それこそ偏った教育ではないだろうか。
更に、比例代表制は、個人を選ぶことができないという「欠点」があると教えられてきた。これは、ふたつの点で間違っている。第一に、個人を選ぶことができる仕組みを、比例代表制でも採用することはできる。第二に、現代の政党政治は、政党によって政策が決まることがほとんどであって、個人の主張が影響することは、極めて小さい。やはり、政党の政策をしっかりと見極めて投票の選択に結びつける必要がある。
コロナ後の社会や生活が大きく変化すると予感されている。安倍長期政権が終了し、政治も大きく変わっていくだろう。そういうなかで、民主主義の基本原則がしっかりと維持されるような仕組みに、変化させていく必要がある。