道徳教育ノート「闇の中の炎」

 久しぶりに文科省の中学生用道徳教育資料を見てみた。「闇の中の炎」という文章が、何か手応えがあったので、考察してみようと思う。
 美術部の理沙が、コンクール用の下絵を書こうとして苦労している。そして、絵画展で父に買ってもらった画集の作品を参考にして、描いた。翌日教師に褒められた。 
 しかし、やがて筆がとまり、ある日部を休んで帰宅してしまった。夕飯のとき、父親に相談する。「有名な画家の作品を真似して描くのって悪いことじゃないよね。」真似して勉強するのはいいことだと父は答えるが、理沙は、友達が悩んでいるという話にして、「私は、ただヒントをもらっただけなんだからいいんじゃないって答えたんだけど」。父「他の人の作品を見てアイディアが浮かぶことは誰でもあるだろうね。」
 理沙が顔を逸らすので、父は「その友達は、なんだか自分への言い訳を探しているように見えるな。そんな気持ちでいい作品ができるんだろうか。・・ほんとうは、その子はもう分かっているんじゃないかな。自分がダメだと思ったらダメだって。」
 そして、理沙は、参考にした版画は、暗闇に浮かび上がる赤い炎と、照らしだされる人々があるが、自分にはそれが浮かばないと、描くことを断念する。新しい作品を描き始めても間に合わないと思いつつ、夢中でスケッチブックに鉛筆を走らせていった。

 
 こういう内容だ。文章だけの資料集なので、解説とか、付随的資料はないが、教科書に掲載しているとしたら、いろいろとポイントがあるだろう。しかし、おそらく、教科書編集者の意図は、人の作品をみて、アイディアを盗んで作品を描くのはよくない、ということなのだろう。それを教えてあげた父と、しっかり受とめた理沙という関係なのだろうか。
 あまり拘るのはよくないだろうが、理沙は、通常どこで描くのだろうか。スケッチは家で、油絵としては学校でということなのだろうか。美術部員で、コンクールに出すくらいなのだから、家でも可能になっていそうなものだ。親子で展覧会に出かけていくのだから。父親は、理沙の描いている途中の作品を、まったく見ていないのだろうか。見ていたとすれば、娘が「友達」という嘘をついていることは、知ってて、相談に乗っている。ずいぶんと理解のある親だと感心する。なかなかこういう対応はできないものだ。親に対する、子どもへの接し方の文章として読んだ方がいいような気もした。
 
 それはさておき、理沙の決意は正しいのだろうか。もし、この教材を使って、他人のアイディアを使って作品をつくるのは、だめなんだ、それは創作活動ではない、ということを教えたいのだとしたら、それは創作ということを、間違って教えていることになる。まだ中学生なのだから、大いに、他人のアイディアを使って描くことを奨励すべきだろう。
 どんなにオリジナリティに富んだ作品でも、実は、それまでに蓄積されてきた、その領域の文化を土台にして創作するのだ。それは、絵画だろうと、小説だろうと、作曲だろうと、建築だろうと同じことだ。電気製品だって同じこと。優れた創作家は、学ぶ時期においては、徹底的に、それまでの作品を分析的に学んで、まずは模倣するものだ。モーツァルトだって、それまでの偉大な作曲家の作品を写したり、編曲したりして、作曲技法を学んだし、それは、後年まで続いている。既に一流の作曲家として活動していた時期であっても、ハイドンの弦楽四重奏曲を徹底的に学んで、その後自分の作品をつくった。
 そういう意味では、父親のアドバイスの適否を、大いに議論するべきだろう。
 父親は、一緒に絵画展にいき、画集を理沙のために買ってあげた。もちろん、そういう父だから、自分でもそれを見ているに違いない。そして、理沙のコンクールが近いこと、そのための作品を描いていることを、当然知っているはずだ。そういう中で、うつむいて目を逸らしている理沙の話ぶりから、悩んでいるのは、友達ではなくて理沙自身であると、当然気づくはずだ。さて、気づいたとしよう。そして、理沙自身の問題だと、理沙も伝えたとしよう。
 おそらく、ふたつの道があるだろう。ひとつは、ここで話したように、自分がダメだと思ったら、それはダメだというアドバイスに留まる。しかし、それは私には不満だ。
 もうひとつは、その作品と、画集を実際に、ふたりで比較して、今何故悩んでいるかを、じっくり話し合うことだ。何故、理沙は筆が止まったのか。アイディアを盗むことへの後ろめたさからなのか、他人のアイディアなので、細部が続けられなくなって、行き詰まったのか。そうすれば、炎に照らされる人やその表情が描けないことがわかる。そこまでいけば、いくらでもアイディアが、新しく出てくるのではないだろうか。別に人でなくてもよいわけだし、そういう展開にこそ、オリジナリティの発生があることが分かっていく。そうすれば、新しい作品となって生まれていくことになる。ピカソの有名な言葉「凡人は模倣し、天才は盗む」を教えるのは、決してその段階では早くはない。
 この文章から、「人を真似るのは、人のアイディアを盗むのはよくないことだ」などと教えるのだとしたら、それは却って間違ったことを教えることになる。父親になってアドバイスする、できるだけたくさんの可能性を引き出せば、有意義な授業になるに違いない。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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