教育学を考える22 単語と概念

 大分前に、私はパソコン通信の電子会議室で活動していたことがある。そこは、思想(つまりあらゆること)を扱う論争の場で、ずいぶん論争したものだ。インターネットに転換して、パソコン通信は消滅してしまったために、その会議室もなくなってしまった。その結果として、論争からは遠ざかることになった。本来、思考は論争で鍛えられるのだから、物足りない思いがしていたが、最近、複数の場で「論争」することができるようになった。そのなかで、文科省のだして来る概念、あるいはスローガンのようなものの評価が、人によってかなり相違があることがわかってきた。同じ言葉を使っても、人によって意味が違っていたり、あるいは、同じことを考えていても、違う言葉を使ったりする。そういうことの共通点と相違点をきちんと、相互に認識することはなかなか難しい。
 
 まだ日教組が強く、民間教育研究運動が盛んな時代には、運動側と文部省側は、異なる言葉、対立的な概念を使っていた。例えば、「国民の教育権」に対して「国家の教育権」、学習指導要領の法的拘束力があるvsない、高校の多様化vs総合制、特設道徳vs教育全体での道徳教育、等々、まだまだあるだろう。しかし、いまではこうした単純な対立関係ではなく、もっと入り組んでいる。

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ジュリーニの「リゴレット」を聴いて

 カルロ・マリア・ジュリーニ指揮の、ヴェルディ作曲「リゴレット」を聴いた。これは、LPでももっていたが、LPは機械をもっていないので、処分してしまった。リゴレットを聴きたくて、ジュリーニのウィーン・フィルシリーズを購入して、聴き直したわけだ。ボックスで購入すると、単体よりずっと安くなるのでよい。しかも、今回はまったくダブリがなかった。
 リゴレットには、いろいろな思い出がある。ずっと昔のことになるが、二期会の公演を聴いたのが、唯一の生演奏だが、栗林善信がリゴレットを歌っていて、声よりは、演技に強い印象をもった。それ以来実演は接したことがないが、録音や録画ではいろいろと聴いてきた。

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日本の指導者は、優秀じゃないほうがいいのか

 昨日、菅首相の記者会見を、車のなかで聞いていた。既に報道されているように、肝心のことには答えず、自分の成果と考えていることを押し出すだけの会見だった。しかも、記者の質問もなまぬるく、しかも、一回聞いて、菅首相が答えたら、続きの質問を許さないという形式なので、これでは、聞いているほうは茶番としか思えない。予め提出していた質問事項なのかどうかまではわからなかったが、おそらく、そう思わせるようなしまりのないものだった。
 思い出すのは、2002年にオランダに滞在していたときのことだ。6月に総選挙があったのだが、そのとき、新党だったフォルタイン党(移民反対の党)が躍進を続けていたが、選挙の一週間前に暗殺されてしまった。政治家の暗殺は、オランダでは400年ぶりということで、大きな衝撃が走ったようだ。同情票が集まったとも言われているが、フォルタイン党は圧勝し、新党であるにもかかわらず第二党になった。ところが、前年にフォルタインが個人的に立ち上げた政党で、他の人はすべて政治の素人だった。そして、党首が暗殺されたのだから、まるで政党の体をなしていなかったのだが、第二党だから、連立内閣にはいり、何人もの閣僚がうまれた。ところが、政権は混乱し、だれだか忘れてしまったが、閣僚の一人が記者会見をしているときに、後ろから近づいてきた女性が、大きなケーキを皿ごと後ろから閣僚の顔に叩きつけ、閣僚の顔がケーキで覆われてしまうというようなことが起きた。もちろん、記者会見の最中だから、すべて撮影されており、繰り返しテレビのニュースで流されたのである。そういう時期に、私はオランダに到着して、一年生活することになった。混乱続きに耐えられなくなった首相が、議会を解散して、総選挙にうってでた。フォルタイン党を追い出そうと試みたのである。そして、しばらく選挙戦が続いたが、日本の総選挙の様子とはまったく違うことに驚きの連続だった。

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皇族は日本人ではないのか?

 伊吹元衆議院議長が、小室圭氏と真子内親王の結婚に対して、小室氏が国民にきちんと説明をすべきであると述べ、その際に、皇族は日本国民ではないので、憲法の両性の合意による結婚の自由は適用されないと述べたことが、大きな話題になっている。私は、素朴に、皇族も日本国民であるが、特別な法的地位にあると思っていたので、日本国民ではないのか、と驚いたわけだ。
 それで、憲法学説ではどのようになっているのかを確認しておく必要があると考えた。とりあえず、多少古いが、基本的人権の解説としては権威があるとされる芦部信喜編の『憲法Ⅱ 人権Ⅰ』をみてみよう。ここには、天皇・皇族が国民であることには、疑いがないが、人権の享有という点で3つの説があるとしている。(伊吹氏のいう「皇族は日本国民ではない」ということの意味が、日本国籍をもたないという意味であるのかは、記事を読む限りはわからない。通常は、日本国籍をもつということは、戸籍に掲載されているということだが、皇族の場合には、戸籍ではなく、皇統譜に記載されているという違いがあるだけで、日本国籍をもつとされているようだ。

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『教育』2020.12号を読む 児美川氏の教師のハイブリッド教育評価

 児美川孝一郎「公教育のハイブリッド仕様へ?--自己責任化する学びと教師の働きがい」は、「コロナ禍の今、教員の働き方を問う」という特集の最後に置かれた、いわば教科研的立場の整理という風に読むことができる。おそらく児美川氏は教科研のなかで、最も重要な論客の一人であり、若い世代の教師や研究者に対するリーダーとして活躍している。「教育を読むfacebook」で、1月に重要な講演を行うことが予告されている。そのこともあるので、私としては、この児美川氏の文章については、厳しい見解を表明しておきたいと思う。最近の『教育』を読んでいて、教科研内部には、あまり議論が行われていないように感じる。常任委員会等ではあるのかも知れないが、少なくとも、『教育』の論文では、何か同一方向をみんなが向いている感じがするのである。しかし、本当にそれでいいのだろうか。少なくとも研究者の間では、もっと闊達な議論が行われないと、難しい今後の動向に対する適切な評価と展望は出てこないのではないだろうか。そう考えて、児美川論文には、率直な批判を書かせていただくことにする。期待するからである。
 
 基本的に、彼の見解は肯定できない。後述する児美川氏の論は、普段からICTの活用に消極的であったことが、反映していると考えるからである。しかし、教育学の研究にとって、ICTを最大限活用することは、不可欠のことである。もちろん、活用の仕方は人それぞれだろうが、もし、児美川氏が勤務校における教育活動で、大いに活用してきたのなら、おそらくこの論文で書かれているような立論にはならないと、私は思う。

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秋篠宮家の唯一の「貢献」 納税者として皇室を評価する姿勢を生んだこと

 秋篠宮の誕生日会見で、真子内親王の結婚を容認するかのような発言をとらえて、話題になっているが、念のためにヤフーのコメントを見てみた。あまりに多いので最初の100発言を全部読んでみたが、この結婚に対して肯定的な意見を書いているのは、0であって、100すべてがネガティブな書き込みだった。かなり白黒がはっきりしていることでも、また、ヤフコメを書く人が、偏っているとしても、100%ネガティブという話題は、これまで見たことがない。
 私が、オランダに滞在して、オランダ人の気質について、いくつかショックを受けたことがある。そのひとつが、オランダ人の王室に対する態度だ。いろいろな人に聞かされたが、オランダ人は王室を積極的に支持しているが、それは、オランダ王室が、国民のために貢献していることを実感しているからだ。そして、オランダ人は、王室が税金で支えられているから、税金に見合う活動・奉仕をしているかを、常に気にかけている。だから、今は、王室を支持している人が多いが、あくまでも、冷静に見ているのだということだった。

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朝鮮大学校学生への緊急給付金を支給すべきか

 新型コロナウィルスの影響で困窮する学生向けに政府が創設した「学生支援緊急給付金」の対象から、朝鮮大学校が外れていることに対して、大学教職員709名の署名を集めて、同志社大学の板垣竜太郎教授が、文科省担当者に要望書を手渡したという記事があった。給付は20万円だが、京都新聞によると、「国公私立大や短期大、専門学校のほか日本語教育機関や外国大学の日本校も対象としているが、各種学校の朝鮮大学校に関しては認められていない。」https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/429136
 朝鮮大学校の卒業生は、日本の多くの大学院への進学を認められており、高等教育機関として認知されている。なのに、除外するのは、差別であり、政治的理由だとするものだ。板垣教授は、治安管理的な思考や外交的思考で考えるのではなく、人道的な見地、歴史的な実態と実績に則した見地から対象に含めるべきだとする。
 
 非常に難しい問題だと思う。結論的には、私は給付金の除外は適切だと考えている。その理由を説明しよう。

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巨人は何故弱くなったか

 巨人の敗戦は、いまだに多く議論されている。かつては、確かに巨人は強かった。お金があり、そしていい選手を集めて、練習もたくさんやっていた。しかし、いつかこのどれもが実行されなくなったような印象だ。現在の選手の給与総額は、ソフトバンクが一位で、巨人は二位だそうだ。しかも、かなり差が開いている。「サンデーモーニング」で桑田が述べていた。確かに、かつての巨人は、選手の給与は断トツに一位だった。しかし、高い給与をもらっている人が、かならずしもそれにふさわしい活躍をするわけではないことも、事実である。その査定が現実と近いほど、おそらく選手たちのやる気が出るに違いない。そういう点の詳細な検討は、私には難しいので、知っている限りで、題名のことを考えてみようと思った。それは、野球界だけに通用することではなく、もっと広く当てはまることだと考えるからだ。

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ブラック職場を教師が提訴

 公立小学校の教師が、教師に超過勤務手当てが支給されないのは、違法であるとして、県に残業代を払うことを求めた訴訟を起こしたと、読売新聞が報道している。記事を引用しておこう。
 
「教育現場は『ブラック職場』。このままだと、若い人たちが倒れてしまう」
 1981年に教員となり、昨年4月からは再任用で埼玉県内の公立小学校で働く男性(61)は、そう語った。
 若手教員の頃は、自身のペースで働くことができた。だが、子どもたちの安心・安全や健康について、学校への社会からの期待が高まるにつれて、勉強を教える以外の仕事が増えてきた。朝のあいさつ運動、歯磨き指導、下校指導――。全て、働き始めた頃にはなかった仕事だ。
 男性は「学校や教育委員会から指示や命令を受けた形ではないが、様々な業務は事実上、命じられている。やらなければならない仕事が多すぎる」と訴える。提訴前の2017年9月~18年7月の残業時間は、少ない時で月41時間5分、多い時で月78時間40分に上った。
 公立校の教員の給与について定める法律では、教員に支給されるのは基本給の4%の「教職調整額」で、民間企業のように残業時間に応じた残業代は支払われない。男性は18年、教員に残業代が支払われないのは違法として、県に残業代約242万円の支払いを求めて提訴した。
 提訴に踏み切るのは、大きな決断だったが「訴訟を通して、教員の働き方が変わるきっかけになれば」と願っている。
 
 実は、こうした訴訟はこれまでもいくつか起きている。埼玉の教師が起こした裁判は、現在でも進行中である。(2018.12.5の産経新聞が、埼玉の小学校男性教師が提訴したことを報じている。) 

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「皇女」? 奇妙な試み

 突然「皇女」なるポストが考案されているらしい。既にずいぶん話題になっているが、毎日新聞によると次のようなものらしい。
 
 「皇族減少に伴う公務の担い手不足の打開策として、女性皇族が結婚して皇籍を離脱した後も特別職の国家公務員と位置付け、皇室活動を続けてもらう制度の創設が政府内で検討されていることが分かった。「皇女」という新たな呼称を贈る案が有力。政府関係者が24日、明らかにした。」(2020.11.24)
 
 要するに、女性皇族は結婚すると民間人になり、皇族が減少していく。そのために、公務の担い手が少なくなるので、女性のみ「皇女」という特別職の国家公務員となって、公務に携わってもらうということらしい。女性皇族が結婚後も皇室に残る「女性宮家」創設案と一緒に明記されているということだ。
 早速ネット上で話題になったのは、「特別職の国家公務員」だと、総理大臣が、特定の皇族を任命拒否できるのかという「問い」が出回っている点だ。学術会議の会員の任命を、特別職の国家公務員については、総理大臣が任命を拒否できるという「解釈」をもって、拒否したばかりだから、当然、皇族が「皇女」になるに際して、総合的俯瞰的理由で拒否できることになる。もし、拒否できないという解釈を押し出すとすれば、学術会議会員の任命拒否は、違法行為となる。ごく自然な疑問として出てくるわけだ。まじめに提案するとなると、この点が当然追求されるので、興味深い展開になると予想される。

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