ジュリーニの「リゴレット」を聴いて

 カルロ・マリア・ジュリーニ指揮の、ヴェルディ作曲「リゴレット」を聴いた。これは、LPでももっていたが、LPは機械をもっていないので、処分してしまった。リゴレットを聴きたくて、ジュリーニのウィーン・フィルシリーズを購入して、聴き直したわけだ。ボックスで購入すると、単体よりずっと安くなるのでよい。しかも、今回はまったくダブリがなかった。
 リゴレットには、いろいろな思い出がある。ずっと昔のことになるが、二期会の公演を聴いたのが、唯一の生演奏だが、栗林善信がリゴレットを歌っていて、声よりは、演技に強い印象をもった。それ以来実演は接したことがないが、録音や録画ではいろいろと聴いてきた。

 初めて全曲をテレビで視聴したのは、1961年のNHKイタリアオペラで、プロッティのリゴレットとガブリエラ・トゥッチのジルダは、覚えている。まだ中学1年生だったので、何故ジルダが、わざわざ殺されるために、入っていくのかが、まったくわからなかった。実はいまだによくわからないのだが、最近、村井翔さんも、hmvのレビューで、似たようなことを書いていたので、やはり、誰もが感じるのだろう。ドラマでは、わずか2度しか会っていないはずなのに、そこまで犠牲的になれるのかと、やはり、思ってしまう。パバロッティがNHKのイタリアオペラで、初めて来日したときにマントヴァ公爵を歌ったのが、強烈なショックを受けた記憶がある。テノールってこういう声がでるのかと。
 リゴレットというオペラは、作曲のプロセスのごたごた、初演のときの「女心の歌」のエピソード、原作者ビクトル・ユーゴーが著作者としての手当てを認められなかったにもかかわらず、ヴェルディの音楽を高く評価したことなど、音楽以外の面でも話題に富んでいる。ユーゴーの原作と、ほぼ同じだとされているが、翻訳がないので、確認できないでいる。原作が、王に対する侮辱的な内容なので、一回だけの上演で禁止になり、その後数十年、フランスでの上演ができなかった。そのために、オペラにするためにも、紆余曲折あったわけだ。場所や名前を変えただけで、大方は原作とおりと言われているのだが、Ⅰ点だけ、違うとされている。
 道化のリゴレットは宮廷でも恨まれているが、そのために娘をひと目につかないようにしている。ところが、公爵が教会で目をつけて、学生の身分と偽って、密かにいいよっているのと、廷臣たちが、リゴレットの愛人と勘違いして、公爵に捧げようとして誘拐してしまう。リゴレットでは、誘拐したジルダが公爵の部屋にいれられて、それと知らずに公爵が入っていくと、そこに気にいったジルダがいたという設定になっているが、原作では、知った上で、合い鍵をもって開けて入っていくことになっているのだそうだ。つまり、リゴレットでは、公爵は、当初ジルダをまじめに愛していた設定だが、原作では、徹頭徹尾遊び人という感じなのだ。おそらく、印象は違う。
 音楽は、とにかくわかりやすく、一度聞けば覚えてしまうようなメロディーに溢れている。ヴェルディは、「女心の歌」を初演直前まで、演奏者に知らせなかったが、初演のよるには、町のあちこちの酒場で替え歌が歌われていたという逸話が残っている。オペラ史上でも、代表的な初演での大成功を勝ち得た作品である。
 
 有名な作品だけに、録音、録画多数あるが、正直にいって、すべての点で満足だという演奏には、まだめぐり合っていない。オペラは、かなりの要素の綜合芸術である。歌手、指揮者、オーケストラ、そして、映像だと舞台と演出という、すべて満足させることは、かなり難しいのは確かだ。
 私が、聴いたのは、以下の通りだ。
・セラフィン指揮、カラス、ステファーノ、ゴッビ、スカラ座
・ショルティ指揮、アンナ・モッフォ、クラウス、メリル
・クーベリック指揮、フィッシャー・ディスカウ、ベルゴンツィ、スコット、ミラノ
・シノーポリ指揮 ブルゾン、グルベローヴァ、シコフ、聖チェチーリア
・サンティーニ指揮 ヌッチ、ベチャワ、モシュク、チューリッヒ
・ボニング指揮 パバロッティ、サザーランド、ミルンズ、ロンドン
・シャイー指揮 ヌッチ、パバロッティ、アンダーソン、ボローニャ
・シャイー指揮 パバロッティ、グルベローヴァ、ヴィクセル、ウィーンフィル
・ダウンズ指揮 アルバレス、シェーファー、コヴェントガーデン
・ジュリーニ指揮 ドミンゴ、カプッチルリ、コトルバス、ウィーンフィル
・プラデルリ指揮 パネライ、リナルディ、ボニゾッリ、ドレスデン
・ザネッティ指揮 ヌッチ、マチャイゼ、デムーロ パルマ
 ずいぶん聴いている。
 
 リゴレットの録音、録画で思うのは、カラヤンとアバドという、イタリアオペラの最も重要な指揮者が、まったく録音していないという点だ。おそらく、ライブでの指揮もしていないのではないだろうか。アバドは、中期の傑作三部作(リゴレット、トロバトーレ、椿姫)をまったく取り上げていない。カラヤンは、トロバトーレは、正規録音を三度している上に、実演では何度も取り上げている。椿姫は、ミラノスカラ座史上、最大のスキャンダルと言われる上演を行った本人なので、その後やる気が失せたのだろう。あまり出演しなくなっていたが、まだ、マリアカラスが引退する前に、カラヤンが前年のボエームの大成功(こちらはスカラ座史上でも有名な大成功)のあと、椿姫でもフレーニを起用して、プレミエを指揮したところ、前から不穏な雰囲気があった上に、カラヤンが通し稽古をしなかったために、フレーニが不安になり、一幕で失敗、ブーイングを浴び、その後の予定をキャンセルしてしまっただけではなく、その後スカラ座で30年以上も椿姫が上演されないままになってしまった事件である。カラスの怨念と言われている。だから、カラヤンが椿姫を演奏しなかったことは理解できる。(フレーニは、録音では歌っている)しかし、リゴレットは、何故かまったく取り上げていないのだ。
 今回、ジュリーニのCDを聴いて、これは、カラヤンチームといってもいいではないかという組み合わせなのだ。ジュリーニ盤で主役級を歌っている歌手は、すべてカラヤンとの録音にも参加している。もし、カラヤンがリゴレットを同じような時期に録音するとしたら、ドミンゴをパバロッティに変えて、あとは同じメンバーで録音したに違いない。そして、私としては、その方がよかった。
 ジュリーニは、若いころはミラノスカラ座の音楽監督だったにもかかわらず、早々と辞めて、しばらくはいくつかのオペラ録音をしていたが、1970年代以降になると、非常に少なくなる。そして、歌劇場への出演も激減する。このリゴレットは、本当に久しぶりのオペラ録音ということでも、話題になった。そして、オペラの録音は、スター歌手の日程に合わせて、細切れに収録していくのだが、出番が終わるとかえってしまう。それが、この録音では、歌手全員が、自発的に、すべての録音日程に参加したということでも、話題になった。ジュリーニの音楽作りから学びたいということだったようだ。LPで発売された当時から、非常に話題になったもので、私も購入して、よく聴いたものだ。
 しかし、ジュリーニのこの演奏を今回CDで聴きなおして、正直、あまり好きにはなれなかった。晩年のジュリーニの特徴であるスローテンポがしばしば現れ、そこで、音楽がなんとなく停滞する感じがしてしまう。嵐になり、殺し屋のスパラフチーレが、約束通り、公爵を殺害しなければならないが、マッダレーナが反対して、だれか来たら代わりに殺そうと合意している、ジルダがそれを戸外できいていて、自分が公爵の変わりに犠牲になるべく飛び込んでいくという、有名な嵐の場面では、堅実な演奏という感じで、もっと切迫感がほしくなる。ここは、ショルティの演奏で聴くと、音だけで緊迫したドラマが進行していることがわかる。また、殺し屋のスパラフチレがリゴレットに、殺しを請け負うと話しかける場面でも、なにか不気味さに欠けるのだ。その代わり、モンテローネが現れて、呪いの言葉が投げかけられるあたりは、とても雰囲気が出ている。
 リゴレットは、ヴェルディのバリトンとしては、珍しいタイトルロールだから、歌いがいがあるもののひとつなので、さすがに、優れた歌唱が多い。しかし、道化としての猥雑な感じ、娘に対する父親の優しさ、そして、娘をおかした公爵に対する憎しみ、呪いに対する恐怖という、間逆の性質を含んだ多様な感情を表現しなければならない。だが、ここで、不満なのは、パネライくらいだ。パネライは明らかに力量不足だ。パネライはタイトルロールを歌う歌手ではなく、2番手の役が得意な歌手なのではないか。誰がベストかというのは、好みの問題だと思うが、やはり、私はカプッチルリが、声の威力と表現力でベストだと思う。「悪魔め鬼め」の荒々しい表現と、ジルダとのしっとりとした情感とが、完全に両立している。カプッチルリ以降では、ヌッチの独壇場という感じだが、いずれも素晴らしい。映像が何種類もあるので、ライブでの没入感がすごく、リゴレットになりきっている感じだ。
 マントヴァ公爵は、なんといってもパバロッティだろう。明るく、考えやかしい声質、ノーテンキな雰囲気の歌い方、マントヴァ公爵そのものだ。
 ジルダは、おそらく非常な難役なのだろう。「慕わしき御名」での可憐なコロラトゥーラ、2幕でのしっとりとした情感、3幕での怒り・失望、そして犠牲の決意という、多面的な表現力が必要だ。サザーランドが素晴らしいと思うが、私は、マチャイゼが最も好きだ。このパルマ盤は、オペラとしては極めてめずらしく、アンコールが行われている。リゴレットとジルダの2幕の最後の二重唱が、幕間にもう一度歌われているのだ。こういう映像は初めてみた。もちろん、聴衆の熱狂ぶりもすごい。それだけの激唱である。マリア・カラスのジルダは、私はいいとは思わない。録音が古いせいかも知れないが、単調に聞こえる。
 最後に、私の一番好きな演奏は、録音では、ボニング指揮のもの、映像では、ザネッティ指揮のものだ。ボニングの指揮は平凡でたいしたことないという評価が多いが、私はそんなことはないと思う。カラヤンのようなスケール感はないが、あるべき表現がなされていると思う。ザネッティという指揮者は、あまり知らないのだが、とにかくヌッチとマチャイゼの歌唱で全体が盛り上がっていく感じが、聴き手を次第に引き込んでいくような感じなのだ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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