昨日、菅首相の記者会見を、車のなかで聞いていた。既に報道されているように、肝心のことには答えず、自分の成果と考えていることを押し出すだけの会見だった。しかも、記者の質問もなまぬるく、しかも、一回聞いて、菅首相が答えたら、続きの質問を許さないという形式なので、これでは、聞いているほうは茶番としか思えない。予め提出していた質問事項なのかどうかまではわからなかったが、おそらく、そう思わせるようなしまりのないものだった。
思い出すのは、2002年にオランダに滞在していたときのことだ。6月に総選挙があったのだが、そのとき、新党だったフォルタイン党(移民反対の党)が躍進を続けていたが、選挙の一週間前に暗殺されてしまった。政治家の暗殺は、オランダでは400年ぶりということで、大きな衝撃が走ったようだ。同情票が集まったとも言われているが、フォルタイン党は圧勝し、新党であるにもかかわらず第二党になった。ところが、前年にフォルタインが個人的に立ち上げた政党で、他の人はすべて政治の素人だった。そして、党首が暗殺されたのだから、まるで政党の体をなしていなかったのだが、第二党だから、連立内閣にはいり、何人もの閣僚がうまれた。ところが、政権は混乱し、だれだか忘れてしまったが、閣僚の一人が記者会見をしているときに、後ろから近づいてきた女性が、大きなケーキを皿ごと後ろから閣僚の顔に叩きつけ、閣僚の顔がケーキで覆われてしまうというようなことが起きた。もちろん、記者会見の最中だから、すべて撮影されており、繰り返しテレビのニュースで流されたのである。そういう時期に、私はオランダに到着して、一年生活することになった。混乱続きに耐えられなくなった首相が、議会を解散して、総選挙にうってでた。フォルタイン党を追い出そうと試みたのである。そして、しばらく選挙戦が続いたが、日本の総選挙の様子とはまったく違うことに驚きの連続だった。
オランダは比例代表制なので、選挙はあくまでも党の対決になる。そして、中心舞台は、連日放映されるテレビでの党首討論なのだ。党首の組み合わせが、さまざまに変化しながら、また話題も変わりながら、連日激しい党主間の議論がテレビスタジオで行われる。フォルタイン党が躍進したのは、優れた社会学者で大学教授だったフォルタインが、その弁舌力を駆使して、他党の党首をやり込めていったからだった。そのテレビ討論は、原稿を読むだけの日本の首相の演説とはまったく異なり、その場でだされる疑問に、直ちに答え、切り返すようなものだった。残念ながら、その詳細までは理解できなかったのだが、尋常ではないその議論の激しさから、党首たるもの、本当に政策を理解し、それを表明し、疑問に答える能力、説得力をもって話せる資質がないとだめなのだと、思い知らされたものだ。
帰国後、ネットなどで、このことを話題にしたら,「日本では、そういう能力をもった人は、政治家として出世できないよ」と言われたことがある。つまり、日本の政治のトップというのは、むしろ、愚鈍と言われるような人のほうが歓迎されるのだというのだ。たしかに、そういう側面があることは否定できない。
ごく最近、皇室話題で、ある皇室崇拝者が、なぜ日本の皇室がかくも長く続き、尊敬されてきたかを、とくとくと説いている文章を読んだ。皇室が日本社会のトップとして、1500年以上も続いてきたのは、自分自身は権力をもたず、下の者が権力を行使する体制をずっと維持してきたからだというのである。皇室に限定していえば、このことは、正確ではない。第一に、桓武天皇あたりまでの天皇は、実質的な権力者だった。その後藤原氏による摂関政治になって、天皇が親政を行うことがなくなっただけである。第二に、たしかに、形式的に、権力者を「認定」するという立場にい続けたことは間違いないが、しかし、それをもってトップであったという言えるかは疑問である。
しかし、ある時代では、たしかに、トップはほとんどお飾りのような存在で、その下にいるものが実質的な権力行使をしているというときがあったことは間違いない。摂関政治時代の天皇、鎌倉幕府における、頼朝以降の将軍、そして、江戸時代の将軍や少なからぬ大名などである。ただし、その時代には、共通の特徴がある。それは、比較的平和な時代だったという点だ。ところが、古代の大陸での争いが日本にも波及して、日本でも大化の改新が行われていた時代から、奈良時代まで、そして、平家が権力を握って、その後源平の争いが行われた時期、鎌倉幕府が倒れ、南北朝の争いが収束するまで、そして、戦国時代をみればわかるように、トップが無無能な集団は、滅びていったのである。曽我氏、平氏、北条氏、そして、多くの戦国大名など。
このことをみれば、社会の変動期においては、真に実力のあるトップがリーダーシップを発揮してこそ、そのトップを戴いたグループは生き残り、発展することができるのである。そして、問題は、現在の日本や国際社会が、安定した平和な時代か、社会の変革が進む激動の時代かということの認識である。まさか、今の時代が、平和で、トップがたいした決断をする必要もなく、ルーチンの仕事を部下がこなしていけば、うまく回るような社会だと思っている人がいるとは思えない。第二次大戦後の絶対的な覇権勢力であったアメリカが、その地位が危うくなる可能性もでている。米中対立は、決して一時的なものではなく、今後長く続く覇権争いの始まりであることは明らかだ。戦争という形をとらなくても、双方が生き残りをかけての争いは、ずっと続く。国際社会が、ぬるま湯社会になることは、当分ありえないのである。
戦後の日本の首相はどうだったか。リーダーシップを発揮したという点では、岸首相から、池田、佐藤、田中を経て、中曽根首相までは、確実に総理としての指導力を発揮していたし、そういう能力をもっていた人たちが、首相になっていたと思う。やったことの評価は別として、少なくともお飾りではまったくなかった。しかし、80年代に、ジャパン・アズ・ナンバー・ワンなどと言われ始めた時期から、日本のトップの指導力は、おかしくなってきた気がするのは、私だけではないだろう。そして、ほとんどリーダーとしての資質を欠いたとしか評価できないのが安倍首相である。そして、菅首相もどうだろうか。まだ未知であるが、昨日の記者会見を聞いた限りでは、多いに疑問である。
では、何故、安倍首相のような人が、日本で最長の首相在任期間を達成するような、一見非常に優れた指導者と錯覚するようなことが起きたのだろうか。それは、何よりも小選挙区制によって、党公認が一人になり、それが党指導部の統制力を強大なものにしたこと、そして、その権限を使って、自分の権力保持のための政治に徹したことである。更に、官僚の人事権を握り、マスコミに対する統制力を強めた。親しい友人には、惜しみない配慮を行い、自分に反対するものは負い落とす。それに対して、党内であっても、自分に批判的な人は追い落とす。河合夫婦の事件は、それに伴って起きたことだ。
その結果として、日本の衰退が生じた。統計を見ると、本当に情けないほどに、国力が低下してしまったといえる。
まだ日本が上り坂だったときの総理大臣であった佐藤栄作氏も、晩年は、記者会見で新聞記者を追い出し、テレビカメラに向かって話すという醜態を演じたが、しかし、その以前は、自分を批判する人間でも、力のある者は正当に評価していた。有名なところでは、まだ若かった不破哲三議員が、佐藤内閣の政策を鋭く国会で質問して、政府を苦境にたたせたあと、「自民党には何故あんな若い、有能なやつがいないのか」と嘆いたという逸話がある。望月記者を徹底的に嫌って、質問させなかった菅元官房長官とは、えらい違いである。
現在の国際社会が、平和でのんびりした社会でないことは、誰でも知っている。だからこそ、リーダーは、本当に実力がある人になってほしい。そして、それを育てるのは、国民であり、またメディアである。記者会見の対応で情けないのは、菅首相だけではなく、記者たちもそうだ。あのような質問を終始しているのは、自分たちでも不本意だろう。望月記者のように、徹底追及する記者がもっと現れてほしい。