皇族は日本人ではないのか?

 伊吹元衆議院議長が、小室圭氏と真子内親王の結婚に対して、小室氏が国民にきちんと説明をすべきであると述べ、その際に、皇族は日本国民ではないので、憲法の両性の合意による結婚の自由は適用されないと述べたことが、大きな話題になっている。私は、素朴に、皇族も日本国民であるが、特別な法的地位にあると思っていたので、日本国民ではないのか、と驚いたわけだ。
 それで、憲法学説ではどのようになっているのかを確認しておく必要があると考えた。とりあえず、多少古いが、基本的人権の解説としては権威があるとされる芦部信喜編の『憲法Ⅱ 人権Ⅰ』をみてみよう。ここには、天皇・皇族が国民であることには、疑いがないが、人権の享有という点で3つの説があるとしている。(伊吹氏のいう「皇族は日本国民ではない」ということの意味が、日本国籍をもたないという意味であるのかは、記事を読む限りはわからない。通常は、日本国籍をもつということは、戸籍に掲載されているということだが、皇族の場合には、戸籍ではなく、皇統譜に記載されているという違いがあるだけで、日本国籍をもつとされているようだ。

 では、人権享有という点での日本国民にあたるかどうかの3つの説とは何か。
1 天皇は人権の享有主体としての「国民」に含まれないという説。
 国民は主権者として参政権をもって、主体的に国政に関与する権利を認められているものだから、そういう意味での「日本国民」ではない。ただし、人が生まれながらにしてもっているとされる人権はもっているとし、どのような権利を享有するかは、個々に判断する他ないとする。ちなみに、この著書での紹介では、生まれながらにもっている権利として、24条は含めていない。
2 天皇も皇族も「国民」に含まれるとする説
 天皇の地位を占めるのは日本国民であり、世襲であることを除けば、内閣総理大臣が日本国民であるのと同じであり、各種の特例は世襲であることによって説明できるとする。第1説は、天皇の特例を必要以上に大きくするので妥当でないというのが、この本の立場である。また、2の説だと、天皇は公職であり、公職と選挙権は両立しうるので、天皇に選挙権を与えることは可能であり、皇族は、特別な禁止規定がない限り、被選挙権も公務就任権もあるとしている。
3 憲法は、人権を門地による差別を禁じている規定から、世襲制である天皇・皇族は、そういう人権の享有主体からは排除されるとする説。
 『憲法Ⅱ 人権Ⅰ』は、2の立場をとるとしているが、ただし、2の立場が、立法によって天皇も選挙権をもちうるとするなど、民主的同質性の枠内に押し込めようとすることで、天皇を政治から隔絶した立場においている点に配慮が足りないとしている。
 
 以上から、様々な論点があることがわかる。
 天皇・皇族が「日本国民」であることは、まず確認しておこう。伊吹氏の言葉は、正確に全部が報道されていないか、舌足らずだったかということで解釈してよいのではないか。
 したがって、問題は、憲法等の人権を享受する主体としての国民であるかどうかが、最大の問題である。人権といっても、最も重要な人権は、参政権だろう。参政権があるから、主権者国民の一員であるといえる。自由権は、原則的に国籍に関係ないから、主権者国民でなくとも享受できる。尤も、今問題になるのは、伊吹氏が、真子内親王には、憲法24条が適用されないとしているので、やはり、個別の権利ごとに検討する必要もあるということだ。第2の説では、皇族といえども、参政権を付与することは可能だということなので、その点も検討課題となる。(別の機会に検討する)
 
 ここでは、憲法24条について考えてみよう。
 
第二十四条  婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
○2  配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
 
 「両性の合意のみに基づいて成立」というのは、成人した両性は、両親の同意なしに結婚することができるという意味と、本人の意志に反して、他人が結婚を強制したり、禁止することはできないという意味であろう。伊吹氏は、皇族であれば、男子の場合には、皇室会議の承認が必要であるが、女子の場合にも、無条件で自由だというわけではないと、主張しているのであろう。皇室典範は、徹底した男女不平等原則になっているから、男女をできるだけ同じように考えるという立場も成立しない。したがって、現在の国民に広く行き渡っている感覚としては、国民の支持を得られない結婚は、結婚に際して支出される一時金を支払うべきではない、辞退すべきである、ということになる。その場合、小室氏が国民に説明するかどうかは、あまり関係ないだろう。もちろん、小室氏が国民に直接説明して、国民の共感を得られれば、国民感情は変わる可能性はある。しかし、小室氏の家族背景を考慮して、国民が祝福の気持ちになることは、ほとんどないのではなかろうか。
 しかし、国民に祝福されないからといって、また、多くの国民が、そんな結婚で幸せになれるはずがないと考えているからといって、本人が結婚することができないわけではないことは自明である。伊吹氏が、皇族は日本国民ではないということで、憲法24条が適用されないというのは、男性皇族に対してはそうだろうが、女性皇族については適用されると考えるのが自然ではないだろうか。上記第1の説が、24条を含めていないのは、男性皇族は、自身の意志だけでは決められないことを考慮しているからであろう。
 では、国民は、何もいうことができないのか。皇族の生活全般が税金によって成り立っている以上、納税者の権利として、あまりに国民意識に反する婚姻に対して、税金の支出を拒否する意思表示は、権利として可能であると考えるべきだろう。ネットで表明されている、この結婚に対する見解は、多くが、幸せになれないという見解の表明と、税金の支出を認めないという意思表示とがほとんどである。
 私の見解をまとめると、
・皇族といえども日本国民であり、天皇以外の皇族は、基本的人権を現在よりも認められてよい。
・現時点では、女性皇族の結婚には、憲法24条は適用されてよい。
・国民は、主権者として、納税者として、税金の支出については、意見を表明する権利がある。
 ただし、現在の皇室典範は、男女不平等であり、憲法の趣旨に合わない。男女平等の規定に修正すべきであり、その際には、皇族の結婚は、男女問わず皇室会議の議を経る必要があるとすべきであろう。
 
 さて、以上の他に、私がこの結婚に関して感じる違和感は、別のところにある。それは、マスメディア(大新聞とテレビ局)の扱いと、ネットで表明されている意見の、あまりに大きな乖離である。真子内親王による結婚の決意表明がだされると、マスメディアはお祝いムードに包まれた。しかし、ネットでは、ほとんどが、ネガティブな見解の表明がなさている。前に書いた通りだ。アメリカは、トランプによって分断が進んだと言われるが、日本でも、多少似たような分断が起きていると感じるのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
むしろ問題は、マスメディアの報道

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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