国会審議の形骸化

 私の記憶では、田中角栄首相が、国会を年中開会するようにして、一年間を通して審議をしようと提案したことがあったと思う。それに対して、野党がとんでもないことだ、国会の議論を充実させるためには、休会の期間に国民の実態を調査したり、いろいろと勉強したりする必要がある。また、国民の反対が多い法案は会期という期限があるから、そこで廃案になる。つまり、国民の支持がある法案なら、会期中に処理できる、というような反対意見を述べていた。
 しかし、近年安倍内閣あたりから、この関係が完全に逆転した。特に今年は、野党が国会を開くこと、会期を延長させることを主張しているのに、自民党がさっさと国会を閉会させてしまうことが、続いた。通常国会も、また、菅内閣に変わっての臨時国会も、野党は審議を主張しているのに、自民党がそれに応じていない。そのためにコロナ対策が完全におざなりになっている。
 こうした逆転現象は、何故起きたのだろうか。また、それはいいことなのか、あるいは国会の劣化なのか。

 そこで、外国の議会の審議と日本を比較した研究を少しみてみた。
 決定的に違うのは、本会議における審議時間数である。大山礼子氏によると、一年間の本会議の審議時間数は以下のようになっている。
 日本 衆参とも50~60時間
 アメリカ下院 768時間
 イギリス下院 1057時間
 ドイツ下院  492時間
 フランス下院 1382時間
 その違いは一目瞭然である。大山氏によると、日本は、内閣が法案を作成したあと、自民党の審議にかけ、そこで了承を得ると、事実上あまり委員会での審議もせず、本会議はほとんど儀式のようにっている。それに対して、欧米では、法案を議会で実質的に審議することになっているので、こうした時間数の相違になっているという。それは見方を変えれば、国会では実質的な審議をそもそもしていないし、する意志も政権党のなかになくなっていることになる。
 おそらく、与党も野党も政治家としての劣化が進んでいるということだろう。
 賛否は別として、以前の自民党は、党内で権力闘争があり、それは、政策論議と結びついていた。中選挙区制のいい点であったと考えられている。そして、そうした政策論議で実力を認められた者が、党で要職について、そして内閣に入っていったと言われている。そのためか、首相もものすごい勉強をしていたようだ。池田勇人の生活を描いた書物を読んだことがあるが、その勉強のすさまじさに驚いたものだ。ところが二世・三世議員が普通になってくるにしたがって、言い意味で競争に勝ち残ったものではなく、最初から議員であることを保障され、あるいは、やる気もないのに、跡を継がされ、秘書たちに仕事を任せているような議員が増えてきた。そして、それが小選挙区制によって生じた、党内独裁制で、まっとうな政治家がどんどん消失し、政治が劣化していったのが、安倍内閣だった。
 よくわかる例のひとつが、政党ごとの質問時間の割り振りだ。以前自民党がずっと与党であった時期には、ほぼ、院内会派の人数に応じて、時間が割り当てられていた。それを、民主党が政権をとった時期に、自民党からの要求で、与党は政権をとっているのだから、野党に多く時間を配分すべきである、という要求をして、民主党がそれを受け入れたわけだ。これは、かなりの英断だし、正しいことだったと思う。極端にいえば、与党は質問する必要すらないともいえる。そこまでいかなくとも、野党に多くの質問時間を与えることは、国会の議論を活性化するために、好ましいことであるし、また、与党は政府を構成しているのだから、それほど質問で正すようなことはないはずである。
 ところが、再び自民党が政権を取りもどし、第二次安倍内閣が成立して、自民党は、これを元に戻して、院内会派に応じた配分、つまり、与党に多くの時間を与えたのである。もちろん、野党は民主党に限らずすべてが反対したが、数の横暴の前にはどうしようもなかった。しかし、いかに、自民党という政党が、原則とか、公正さなどとは無縁の存在になっているかがわかる。
 内閣が法案を作成すると、審議前に自民党に検討をさせることによって、更に、与党に多くの質問時間を割り当てられていることによって、委員会審議が、形骸化してしまうことは避けられない。与党と政府は既に合意をしており、十分な時間をとって、与党がよいしょの質問をする、そして、野党は時間が不足というのでは、国会らしい十分な審議など望めない。しかし、野党の不勉強ぶりも、最近の国会審議をみていると、残念ながら強く感じるのである。そして、政策追求よりは、不祥事追求に重点がいってしまう。こうした悪循環から抜け出さないと、日本の政治はますます劣化してしまう。
 そのために何が必要かを考えてみよう。
 第一に、国会の会期は、与党・野党を問わず、一定の国会議員の要求があったら、延長しなければならないようにする。そして、そのハードルを低くする。国会議員は、歳費、つまり一年間働くことを前提に給与その他を受け取っているのだから、年間を通して働くべきなのである。もちろん、週のなかで、毎日会議をする必要はないだろうが、年の半分近くが、そもそも国会休会となるのはおかしいのである。
 第二に、首相による解散権を廃止すべきである。解散が首相の権力を担保させるものだなどという、私から見るとくだらない考えによって、首相はいつ解散するか、などということを常に考えるし、また、選挙が怖い議員たちを動揺させる。国会議員に当選したら、きっちり4年間仕事をするという体制を基本にすべきだ。そういう体制が原則になれば、議員は予定をしっかりたてて仕事ができるはずである。このことと合わせて、本会議や委員会に出席すると、手当てがでるというのはやめるべきだ。歳費が出ているのに、何故、こうした手当てがあるのか、国民はまったく理解できないだろう。
 第三に、法律を原則的なものにして、具体的な詳細は政令、省令で決めるという方式をやめるべきである。日本のように、具体的なことについては国会で議論することなく、官庁が決めてしまうというような方式は、民主主義が確立している国では、ほとんどみられないと思う。日本の政令・省令方式は、戦前の勅令方式の延長であるといえる。国家の法令は、選挙で選ばれた国会議員がきちんと議論すべきもので、官僚が決めるものではない。私の専門である教育行政では、文科省が決めることの弊害、そしておかしなことは、いくらでもある。
 まだたくさんあるだろうが、またいずれ書きたい。
 
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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