読書ノート『ある小学校長の回想』金沢嘉市2

 金沢氏が、教育の世界で有名になったのは、校長としての活動によることが、続く部分で理解できる。
 最初の祖師谷小学校での実践で目立つのは、中学受験のための補習が行われていることを知って、それをやめるように指導したことだ。本書の記述では、校長としての権限行使として、かなり強権的に行われた印象を受ける。職員会議では、廃止すると宣言し、父母会を開催して説明する。もちろん、不満な親もいるわけだが、それについては、戦前の経験を話して、納得させる。すると、補習を望む親から、間接的に要望書が提出される事態になるが、頑として許さない。
 戦前の経験では、補習をした場合としなかった場合とで、合格率にほとんど差がなかったというが、今回の場合には、その実績は書かれていない。おそらく低下したのではないだろうか。差がなければ書くはずである。あるいは、そうした子どもたちは、一斉に塾に通いだしたのかも知れない。

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読書ノート『ある小学校長の回想』金沢嘉市

 金沢嘉市氏は、民間教育運動では著名な校長だった。しかし、何か有力な教育方法などを提起している人ではなかったので、私はほとんど関心をもたず、実際に接することもなかった。私は東京の世田谷で育ったのだが、金沢氏は、私が小学生だった時期に、世田谷で教頭や校長をしていた。氏の本を読んでみようと思ったのは、彼を批判する本を読んだからだ。細川隆元『戦後日本をだめにした学者・文化人』という本だ。よくある左翼系の学者だけを非難する本ではなく、左右のひとたちをかなり広く批判しているが、そのなかに金沢嘉市が含まれている。もちろん、私自身、この細川氏の本に共感しているわけではまったくないが、金沢氏を読んでみようと思ったきっかけになった。
 細川氏の批判は簡単にいうと次のようになる。
・戦前は軍国主義教育をしており、戦後民主主義に変節しているが、きちんと考えたわけではない。
・自分がいかに評価されているか、とくとくと書いているが、そういうことは胸にしまっておくべきこと。
・雑誌やラジオで解説しているが、浅い受け売りである。
 以上のようなことだ。私が気になったのは、戦前から戦後への変遷の部分だ。軍国主義教育をしていたのに、戦後民主主義社会になると、とたんに昔から民主主義者だったように振る舞う人が多かったとは、よく言われることであり、それが、教師に対する不信感となっていたとも言われる。しかし、ことはそう単純ではない。
 そこで、『ある小学校長の回想』(岩波新書)を読んでみた。1967年の発売だ。69年に定年退職なので、まだ現役の校長時代に執筆されている。

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読書ノート『メディアの闇 安倍官邸vsNHK 森友取材全真相』相澤冬樹

 「桜を見る会」の問題は、国会が開けば再燃するだろうが、森友問題もやはり、曖昧にするわけにはいかない。あれはたいした問題ではないと言う者もいるが、安倍内閣における政治の劣化が象徴的に表れているものであって、無視するわけにはいかない。財務省の公文書改竄事件で自殺をした赤木氏の件を取り上げて、注目された相澤冬樹氏の、森友問題の取材を記した本が文庫になった。
 kindleで購入して、すぐに読み終わったが、奥付をみると、2021年1月20日だった。未発売の本の読書ノートは初めてだ。旧版は前にだされていて、森友事件の文書改竄の責任を押しつけられた形で自殺した赤木さんの妻との接点部分が補筆されたものだ。
 題名からして、森友事件の真相、特に安倍首相や夫人の関与について、詳細な追跡があるのかと思っていたが、そこは皆無に近かった。あくまでも大阪の記者として、森友関連の取材を記録したものだ。
 著者は、森友事件には2つの大きな疑問があると書いている。
 第一は、基準を満たすのかについて疑問のある小学校が何故「認可適当」とされたのか。
 第二は、小学校予定地として何故国有地が大幅に値引きされて売却されたのか。

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日本人は集団免疫を獲得したのか

 これまで私自身はあまり注目してこなかったのだが、上久保靖彦という京大の特定教授が、ネット上ではけっこう支持されているらしい仮説を提示している。検索していると、確かに納得している人も少なくないのだが、専門家のコメントがほとんど見当たらないのだ。テレビで専門家との議論があったが、質問責めにされ、それにきちんと回答したのに、回答部分が放映のときにカットされたとも、本人がyoutubeで述べている。それが、専門家との討論としては、ほぼ唯一の機会だったのだろうか。
 本当らしくもあり、そうでない感じもするので、当人の発言や文書を検討してみた。
 
 その前に、新型コロナウィルスについては、まだ解明されていないことかけっこうあるようだ。あくまでも素人としての疑問をあげておきたい。
ア 欧米では死者や感染者数が、日本より圧倒的に多い。東アジアでは、日本人は悪いほうだが、国際的には、目立って少ない。この理由は何か。
イ 新型コロナウィルスは、これまでのコロナウィルスやインフルエンザと比較して、重い病気なのか、単なる風邪の一種なのか。
ウ 専門家会議は、発症前に感染させるとか、あるいは感染しても、他人に感染させるのは2割だけだというが、それは本当か、また本当だとしたら何故なのか。
 
 さて、この上久保論は、主にアに対しての仮説を与えたものだといってよい。他にも、BCG説、日本人の生活習慣説などがあるが、上久保氏は、日本人には集団免疫が形成されているからだと主張している。その議論の骨格を私なりにまとめてみる。

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2021年ニューイヤー・コンサート

 今年のウィーンフィル、ニューイヤー・コンサートは異例な開催だった。はじめての無観客で行われ、世界から募集した拍手要員が、一部と二部の終わりにオンラインで拍手をするという試みが取り入れられた。指揮者は、80歳の記念とウィーンフィルの指揮50年を祝って、リッカルド・ムーティだった。
 何よりも無観客の影響がどうなるのかに興味があった。オーケストラにとって、観客のいない状態での演奏は、別に珍しいことではなく、レコーディングなどは無観客だし、放送用収録などもある。そして、現在はライブ録音が普通になっているので、ゲネプロは、本番と同じように行われることが多い。だから、演奏そのものは、別に通常と変わりなかったと思う。ただ、通常は拍手があって、お辞儀をするわけだが、それがない。かといって、世界中でライブ放映されているから、ときどき起立してするのだが、礼をするでもなく、どうやっていいのか戸惑っている感がおかしかった。せっかく拍手をいれるなら、曲ごとに拍手をいれて、普通のように、起立して礼をするようにすればよかったのにと思う。ラデツキー行進曲での拍手もされなかったので、7000人も用意する必要があったのか疑問だ。
 興味があったのは、音だ。演奏する側からすると、観客はいないほうが音がよく響くので、演奏しやすいし、演奏していて気持ちがいい。観客が入ると、音が吸収されるので、響いた感じが若干薄らぐわけだ。たしかに、普段のニューイヤー・コンサートの録画と比較してみたが、今回のほうが、音がすっきりなっている感じはあった。ただ、金管が出すぎの感じがした。

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今年の抱負 (昨日アップ予定だったもの)

 勤務があるときには、やらねばならないことが決まっており、自分で決めることができるのは、研究テーマだった。今は、すべてが自由で、何をするにも、また、何もしないのも、自分で決めることができる。しかし、社会に対する影響力は、ほとんどない。自由とはそういうものかも知れない。昨年の元日は、ごく普通の記事を書いていたが、今年は、今年やりたいことを確認しておきたい。
 現在新型コロナウィルスがいまだに猛威を振るっているので、まずは感染しないように心がける必要がある。そんな抱負を書くというのは、情けないが、状況を考えれば仕方ないだろう。
 高校3年生の受験の前に、めずらしく、担任の教師が、訓戒めいたことを述べたのを思い出す。風邪をひくひとは、90%が不注意からであるというのだ。その証拠に、戦場では兵士は、ほとんど風邪をひくものはいなかったというのだ。風邪をひいたら、かなりの確率で死を意味するので、みんな注意に注意を重ねていたのだそうだ。なるほどと思ったものだ。それまで、私は春先になるとたいてい風邪をひいて、熱をだしていたが、大学生になると、あまり風邪をひかなくなった。
 また大学院のとき、助手が「体調が悪かったら、休むことが一番大事だ。休むと迷惑をかけるというのが、結果として一番まわりに迷惑になる」ということを言われ、これもなるほどと思って実践しているし、学生たちにも常にそういってきた。つまり、注意すれば感染を防げるとしたら、その注意を確実に実行し、もし、体調が低下したら直ちに休息する。それが大事だ。

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一年を振り返って 政治

 政治の世界は大きな変動のあった一年だった。国際的には、トランプが敗北した。トランプの盟友だった安倍首相も退陣した。そして、世界中がコロナ対策に明け暮れた年だった。
 日本の政治は、特に与党政治家の劣化が否定しようがないことが明らかになったといえる。コロナ対策は、仕方ない側面もあった。最初の対応が、外国籍のクルーズ船で、乗客に日本人が多かったためだろうが、入港を断れない状況になり、しかも、患者が船内で発生するという、大変難しい状況であったことは間違いない。しかし、日本政府の対応で目立ったことは、本当の感染症対策専門家が中心となるのではなく、専門家とはいえないひとたちが取り仕切ったことである。そのことが、岩田健太郎氏によって指摘されると、「頑張っているひとたちに何をいっているのか」という批判が、岩田氏に向けられるという、本末転倒なことが起きた。これは、日本の行政の象徴的な出来事だと感じるのである。
 それでも、政策担当者の愚作が目立った。アベノマスクは、権力の中枢にいるひとたちが、いかにリアルな感覚をもっていないかをしめした。

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一年を振り返って 教育

コロナによって、多くの領域で、大きな変化がもたらされたが、教育の分野でも同様だった。あるいは、突如強制的に全国の休校が強制されたという意味では、最大の激震に見舞われたといってもよい。幸か不幸か、私は3月に退職したので、その現場にいることはできなかったが、しかし、冷静に見ることはできた。卒業して教職についている、かつての学生たちからの情報は、貴重な判断材料となった。

 休校措置が出されたときに、なんと乱暴なことをするのだろうかという憤りを感じざるをえなかった。それは、多くの国民共通の思いだったのではないだろうか。そもそも総理大臣に、学校の休校を指示する権限など存在しない。文科省にもない。教育委員会には、感染症などが発生したとき、状況に応じて休校を命じる権限があるから、新型コロナウィルスの拡大で、休校という措置はありえたが、それは、自治体レベルでの話であった。しかも、それまで安倍内閣は、新型コロナウィルスに対する極めて消極的な姿勢に終始していた。それが突然の休校措置である。しかも、翌日文科相が首相発言を修正するという事態まで発生した。何故、突然の安倍首相の姿勢の変化が生じたのかはわからない。ただ、私自身は、オリンピックの開催に危険信号がともったからだと理解している。時系列で事実を追えば、それが最も合理的な納得のいく解釈である。休校措置は、国民にショックを与えて、新型コロナウィルスに対する姿勢を正したなどと肯定する見解があるが、国民にむしろ、消極姿勢を与えていたとすれば、それは安倍内閣であり、むしろ、国民の多くはきちんとマスクをしたり、手洗いを実行していたのである。休校措置は、とにかく、感染者がまったく出ていない県も巻き込むというような、ほんとうに乱暴なものだった。しかも、準備期間が2、3日しかないというのも、何を考えているのかと怒りを感じたものだ。 “一年を振り返って 教育” の続きを読む

一年を振り返る コロナに明け、コロナに暮れた年

 一年を振り返るとき、たいていは今年はああいういいことがあった、と思い出すものだが、今年日本にいいことがあったのだろうかと、懸命に考えてみたのだが、どうも日本全体に関わるおめでたいことが、何もなかったような気がする。昨日からずっと考えているのだが、思い出せない。今年はノーベル賞受賞者もでなかったし、スポーツの国際大会は軒並み中止だから、そうした話題もない。ただし、コロナの影響で、普段ならあまり進展しないことが、かなりの速度で進んだこともあった。最大のことはICTの活用で、オンライン授業やオンライン会議などが進んだ。オンライン授業は窮余の策だろうが、オンライン会議や在宅ワークは、生産性向上や、ライフ・アンド・バランスの改善に役にたつ。ただし、その裏の事実として、日本があまりにICT活用の点で遅れているかが、はっきりしてしまった。
 コロナ対策についても、いまだに議論が継続している。PCR検査を多数やるべきか、強制的な自粛措置をするべきか、違反者をどうするのか等々。
 今日の新聞に、三重大学がクラスターを発生させたことに対して、県からの問い合わせに、違反して感染した学生は処分するという方針を伝えたことが、話題になっていた。そして、ヤフーのコメントでも、様々な意見が書かれている。感染することについては、誰でも感染するのだから、感染したことを非難するのは間違いだと言われることが多いが、しかし、明らかに、感染リスクがあることを、注意もせずに行ってしまった結果、感染したとすれば、それは批判されても仕方ないと思う。大学でも、明らかにルール違反をした結果、感染クラスターを発生させ、しかも、そこからルールを守っている学生たちに感染させたときに、感染させたことではなく、ルール違反を、大学の処分規則に従って対応することは、必要ではないか。

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永山則夫の死刑を考える

 永山則夫は、私と同世代である。私が大学生だったときに、かれは次々と殺人事件をおこし、そして逮捕された。当時大学紛争が最も盛り上がっていたときで、しかも、それは永山にも大きな影響を与えた。街頭活動で逮捕された東大生の活動家が、永山と同房になり、永山に勉強することの大切さを教え、それがきっかけとなって、永山は猛然と読書をするようになり、自分の人生をふり返ることになる。そして、自分をモデルにした小説を次々と発表し、高い評価をえるようになった。哲学書なども読破していたようだ。印税は被害者への賠償や恵まれない人への基金として拠出されていった。
 永山の裁判は、大きな話題となり、しかも、判決が揺れたことで論争にもなった。現在でも「永山規準」なるものが語られる。そういう中、永山を担当していた刑務官木村元彦氏の「実弾50発を盗んで4人を射殺した『死刑囚』はなぜ世界から注目される作家になったのか」「『絶対に殺してはいけない』現場が声を上げた死刑囚・・・その最後の瞬間に待っていたもの」という文章が掲載された。
 永山が更生し、贖罪のために小説を書き続けたこと、死刑は執行されないという予想が、サカキバラ事件で急変したこと、死刑判決そのものに疑問があることなどが記されている。ぜひ多くの人に読んでほしい文章だ。

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