長谷川平蔵の恩赦

 トランプが、任期終了までに大量の恩赦を実行するのではないかといわれている。家族などだけではなく、自分も含むというのだ。恩赦というのは、確定した刑を消滅させることをいうのだから、まだ訴追もされていないことに恩赦が可能なのか不明だが、とにかく、すべてにおいて犯罪的なトランプのやりそうなことだが、アメリカでは大きな論争になっているようだ。
 ある見方では、バイデンにとって、トランプが自身を恩赦してくれたほうが、都合がいいという分析もある。バイデン自身がやれば、当然アメリカの分断を進めるとか、トランプ派からの大きな批判を受けるが、やらなければ、大きな犯罪を見逃すのかという批判を受ける。トランプ自身がやってしまえば、そのいずれの可能性からも解放されるというわけだ。
 トランプは自身を恩赦するだろうか。する場合のマイナスは、恩赦はあくまでも罪を許すことだから、罪を認めることになる。自分は罪など犯していないといっているのだから、自分の政治生命を閉ざす可能性が高い。また、恩赦できるのは、連邦犯罪だけであって、州での訴追を否定することはできない。トランプの犯罪とされているものは、州によるものが多いので、そこからは逃れられないのである。
 どうなるかは、第一弾は20日までにわかる。ここでの主題は、鬼平なので、そちらに移ろう。

 鬼平は現場の特別警察の長官だから、恩赦の権限をもっているわけではない。しかし、実質的に恩赦と同じことをやっている。小説では「めこぼし」といっている。つまり、本当は罪人なのだが、逮捕することなく見逃すということだ。あるいは、逮捕しても、平蔵の判断で不起訴にしてしまう。そういう事例は、多数でてくる。
 第一のパターンは、元盗賊だった密偵が、昔の仲間で特に親しかった盗賊を見つけたときに、その報告を長谷川平蔵にするのだが、めこぼしを頼んで、平蔵がそれを受けいれる場合である。
 第二のパターンは、犯人として逮捕したのに、見逃してやる場合。
 第三のパターンは、ある事件が解決したあと、昔盗賊だったが、今回の事件には関与していなかったために、また、足を洗っていたことを考慮して、見逃す場合である。
 第一のパターンは、密偵たちと平蔵の信頼関係の基本を形成している。いかに改心した元盗賊とはいえ、昔の仲間を、みんなを牢にいれたいとは思っていない。助けたい盗賊もいる。もっとも助けたいと思っても、すんなり実現するわけではない。
 女密偵のおまさは、3人のめこぼしを平蔵に頼んでいる。いずれもかつて、盗賊として一緒に活動した元同僚だ。「おみね徳次郎」は、異なる盗賊に属するおみねと徳次郎が、それと知らずに夫婦をしているのだが、徳次郎へのつなぎの現場をおみねがみてしまい、徳次郎は密かにおみねを殺害しようとするが、おみねに見破られ、どうするか迷っているうちに、おみねは首領が江戸にやってきて、首領のほうに移ってしまい、(おみねは首領の妾)徳次郎は仲間と一緒に江戸を離れて、大阪の仕事に向かう途中とらえられる。おみねとその首領の動向は、平蔵によって監視されており、みんな捕縛される。そうして、徳次郎とおみねは、牢にいれられるのだが、確かに処罰されないが、処遇は決まらない。
 「引き込み女」も昔の同僚お元を見かけ、引き込みにはいっていることを知る。その引き込み先の養子の若旦那に思い込まれ、駆け落ちを提案されて悩んでいたのだった。平蔵は、扱いをおまさに任せているが、結局、お元は押し込み当日の昼間一人で逃げ出し、それを黙認され、逃げることができたのだが、結局、江戸で死体となって発見される。当日の捕獲から逃れた一人に殺されたのだろうと平蔵とおまさは想像する。
 「女密偵女賊」だけは、そうした曖昧な形ではないが、ただ、連続ものが進行する途中で、作者の池波正太郎がなくなってしまうので、結末は不明のままである。偶然、恋人を待っているお糸にあったおまさが、恋人が来ない(既にそのとき殺されている)ので、協力者のお熊ばあさんのところにつれてくる。そして、恋人を殺した浪人を、平蔵が切り倒す場面をみせ、密偵にする。その後多少の活躍をするところが、他の女賊とは違うところだ。最後の長編「誘拐」は、全体として、死期が近いこともあってだろう、散漫な感じがする。
 他にも、「深川・千鳥橋」(五郎蔵が、図面を売ってもらった大工の万三を)、「明神の次郎吉」(岸井左馬之助が、友人の坊さんの死に際の世話をしてくれた次郎吉を)、「雨隠れの鶴吉」(岸井が、古い知り合いの鶴吉を)、「穴」(宗平が古い友人の鍵士助治郎を)めこぼししてもらう例がある。いずれも、平蔵が密偵を使いこなすために、重要な方法となっているのが、このめこぼしである。つまり、うりたくない盗賊を助けることで、密偵たちの苦悩に共感していることを示しているのだ。
 
 第二のパターンは多数出てくる。これは、平蔵が自分で見込んで、密偵に仕立てていく事例である。
 平蔵の密偵第一号は相模の彦十だが、最初の登場人物は、小房の粂八である。粂八は、第一話「唖の十蔵」で盗賊として逮捕される。かなりの拷問をうけ、首領の居場所を白状することで、命を助けられるのだが、第三話で、凶悪盗賊血頭の丹兵衛をなのる盗賊が、偽者だとわめき散らし、平蔵に、偽者の逮捕に協力する。そこで、密偵になるわけだが、拷問にかなりのところまで耐えた根性、凶悪犯罪を嫌う盗賊魂、約束を守る姿勢などを、平蔵は評価したのだろう。その後、船宿を任せられ、重要事件で何度も活躍することになる。
 平蔵の密偵集団の頭ともいうべき大滝の五郎蔵は、盗賊の首領だったが、手下たちに裏切られ、あやうく殺されそうになるのだが、ずっと行動を監視されており、危機一髪のところで、盗賊改め方によって救われる。岸井左馬之助が、越後から帰る道中、誤解によって、父の敵だと狙われた五郎蔵(相手を倒す)を江戸までつけて、平蔵に報告、その後五郎蔵を監視していたのだ。この「敵」という篇での五郎蔵の行動をみている限り、手下に裏切られた頼りない盗賊の親分と感じられるのだが、平蔵は、何をもって頼りになると思ったのかは、まったく触れられていない。通常は半年から一年かけて、話をもとかけてから説得するのであるが、五郎蔵の場合は、捕縛して、役宅につれてきて、すぐに提案している。つまり、五郎蔵の行動を監視しているときから、彼の資質を見抜いたということかも知れない。
 五郎蔵や粂八のような常任の密偵というのではないが、もう一人協力者として、かつての大盗賊がいる。かつては帯川の源助という盗賊の頭だったが、現在は、平野屋源助という名前で扇屋を営んでいる。引退してかなりの年月が経つのだが、盗みの欲求を起こして、隣の化粧品屋に、地下に穴を掘って、忍び込み、盗んだ金をしばらくして返すという、遊びのような盗みを働いた。そのとき錠前をつくった助次郎からの情報をえた、宗平からの報告で、源助は自宅で平蔵に抑えられるのだが、すべてを内密に処理した上で、平蔵に協力することになる。
 最もドラマチックなのは、「討ち入り市兵衛」の例だろう。既に伝説化している大盗賊蓮沼の市兵衛に、壁川の源内が江戸での盗みの協力を依頼するが、断られ、市兵衛の使いをしていた松戸の繁蔵を源内の手下が切ってしまう。瀕死の状態となった繁蔵を世話したのが、相模の彦十で、そのため平蔵がかかわることとなり、また、繁蔵のことを聞いて駆けつけた市兵衛は、仇討ちを決意する。そして、平蔵が仇討ちを手助けし、市兵衛は死亡、仲間もほぼ切られてしまうが、平蔵に捕らわれた長三郎と万七の前に、手助けした平蔵が現れる。平蔵は、助け料として受け取った金子を返して、市兵衛を弔えといって釈放する。そして、半年後に密偵になった。ただし、この話は、鬼平犯科帳の終わりのほうの巻なので、長三郎や万七が密偵として活躍する場面は書かれていない。
 平蔵の人生観として、最初からの悪人、最初からの善人はいないし、また、100%の悪人もいない、というのがある。だから、盗賊でも、改心すれば、十分に平蔵の助けができると信じている。しかし、それは、誰でもというわけではない。やはり、見きわめがある。おまさやお糸は密偵になりうるけども、おみねはそうではないという。それは何だろうか。平蔵がそれを語る場面はない。単に、「あいつは素質がある」というだけだ。だから、以下は想像である。
 平蔵が自ら選んだ密偵の共通項を見てみよう。
 主な平蔵直属の密偵は、盗賊としても一流であった。一流であるということは、資質として一生懸命行うということでもあるし、また、盗賊にまつわることを知悉し、更に高い技術をもってていることも確実だ。それは密偵としても、一流になる資質があり、活躍することが可能であることを意味する。
 また、彼等は、表裏がない。これは、おそらく、盗賊としてもそうだったのだろう。首領に面と向かっては、如才ないことをいうが、影では首領を批判する。そういう盗賊ではなかった。また、大滝の五郎蔵は、表裏のある手下、杉谷の虎吉を追放している。そして、残虐な殺しをともなった盗みを働いた虎吉を、みずから捕らえている。
 そして、彼等はいずれも、盗賊だったときにも、鬼平犯科帳でいう「盗みの三カ条」を守った者たちだった。つまり、人を殺さない、女をおかさないということだ。これは、基本的には、物を盗むが、人を傷つけない、つまり、人に対しては、大事にするということである。盗賊から密偵になって、なおかつ、誠心誠意密偵としての仕事に打ち込めるのは、「盗みの三カ条」を侵して、人殺しをするような盗賊は許せない、という価値観をもっているからだ、その点において、平蔵と共通するのである。
 
 第三のパターンも多数登場する。
 他人に預けられて、いまは商家に奉公している息子が、女の盗賊の首領に誘惑されて、悪事に加担させられているのを、おまさに頼んで救ってもらい、あわせて、平蔵が、その盗賊一味を逮捕することになった、瀬音の小兵衛(「女続」)、平蔵の部屋に忍びこんで、煙管を盗んだ、いまは堅気の友五郎(「大川の隠居」)、たまたま昔の盗賊の仲間の人相書きを描いてしまった絵師の石田竹仙(「盗賊人相書」)、昔喧嘩で上司を切ってしまったが、いまはりっぱな医師になっているが、敵討ちに狙われていた萩原宗順(「のっそり医者」)、女房にいいよって、てなづけ、盗みに入ろうとしているのを、知らぬ振りをして、当日目つぶしをなげつけて撃退した猿川の小兵衛(「はさみ撃ち」)、煙管をつくっているが、女賊で嫁である鯉肝のお里を匿っていた長虫の松五郎(「鯉肝のお里」)などである。
 彼等は、形は違うが、明確な共通点がある。それは、すっかり足を洗って、世間に役に立つ仕事をしているという点である。筆頭与力の佐嶋忠介が、松五郎をこのまま捨ておきますので?と問いただしたとき、平蔵は次のように答えている。
 「足を洗って二十余年。七十をこえて煙管づくりに打ち込んでいる松五郎を、捕らえたところではじまるまい。それよりも生きるだけ生きさせて、よい煙管をつくらせたほうが、世の中が、こころゆたかになろうというものではないか。」
 
 
 
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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