韓国の慰安婦訴訟判決について2

 
 判決の内容については、被告である日本政府が応訴していないので、原告の主張通りの判決が出ることは、100%予想されていた。注目の判決が出ると書いていた人たちもいたが、注目すべきは、判決後の進展具合である。日本政府が敗訴したからといって、判決にしたがって、賠償金を払うことはありえない。無視するか、国際司法裁判所に提訴するか、あるいは、何か報復措置をとるのか。国際司法裁判所に提訴するとしたら、緻密な論理が必要となるだろう。ここでは、そのときにどのような論になるのか、考えてみることにしよう。
 
 まず前提的に必要なことを確認しておこう。
 
 日韓条約の「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」において、以下のことが決められた。
・日本は無償で3億ドル、有償で2億ドル韓国政府に支払う。
・両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。
 韓国人の個人に対する補償は、日本政府が支払ったなかから、韓国政府が行うことは、協定には書かれていないが、条約締結の過程で約束された。(両政府がその後確認している。しかし、日本から支払われた資金で、韓国政府は経済発展のための資金として投入し、個人補償はごくわずかしかなされなかった。)

 したがって、韓国人が個人として、日本の企業や政府に賠償を求めることは、韓国政府としては、容認しないことを認めたことになっている。
 他方、日本政府は、個人請求については、単純ではない対応をとった。
・個人請求権そのものは否定しなかった。
・外交保護権(個人請求を国家が保障すること)を否定した。
・韓国人個人が、賠償請求することは、日本の国内法で否定した。
 日韓条約の締結そのものは、両国で大きな反対運動があったことは、忘れるべきではないが、条約として成立したことは間違いない。徴用工については、条約締結過程で、韓国政府が行うべき個人補償の対象として議論されたので、条約上は、韓国政府が補償すべきものであり、たとえ判決が出たとしても、それは、韓国政府が代わって支払うべきものであろう。これは、条約を遵守する「政治」の問題である。
 しかし、日本政府は、個人請求権は否定されないことを、一貫して主張してきた。したがって、韓国人が日本企業を提訴すること自体を否定するわけにはいかない。国内法で拒否しても、韓国人には適用されないわけである。したがって、韓国政府が条約を無視している状況に対して、日本政府が政治的力を発揮する以外にはない。その点で安倍内閣が、十分に機能したとは、私には思えない。
 本来であれば、慰安婦問題も、徴用工と同じ論理で処理されるべきことだが、徴用工とは異なる性質がいくつかあった。
・日韓条約締結時、慰安婦は、表にだしにくいということで、議論されなかったから、条約における韓国政府による補償という対象には含まれないという、韓国政府の主張がある。(徴用工には、この主張はない。)
・徴用工訴訟は、日本の企業を相手にしているが、慰安婦訴訟は、日本政府(国家)である。
・慰安婦問題は、議論の国際的な広がり、領域の広さが大きい。
・日本国内にも議論の分裂がある。
・日本政府は、国家としての活動ではないという形式をとりながら、実質的に慰安婦に対する補償をしてきた。(韓国以外でも補償したが、政府の補償そのものを拒否する活動があり、政治問題化しているのは、韓国に限られる。)
 こうしてみると、慰安婦問題は、より複雑な要素が絡んでいるので、解決はより困難であり、むしろ政治的要素が大きい。ただ、政治的プロセスの考察は、次回にして、今回は法的問題に限定する。つまり、日本政府がとっている「国家免除」の問題である。国家免除は、日本政府が主張しているほどには、国際的に「確立」している概念ではないし、大きな国際的な潮流としては、裁判を受ける権利を、個人に関しても、できるだけ拡大していくという傾向があることを忘れてはならない。しかも、例えば、中国の人権抑圧に対して、個人が訴訟をするというようなことを、アメリカ政府は否定していないといえる。事実、アメリカ政府は、国家免除に関する国際条約を批准していないのである。韓国も批准していない。国家免除というのは、政府のエゴであり、外国政府によって重大な被害を受けたのに、被害者である個人が提訴できないという、理不尽な国家の独断的な措置であるということもできる。
 
 さて、大戦中のことで、この国家免責が国際司法裁判所で取り扱われたことがある。それを、山本晴太氏の論文によって、確認しておこう。
『「慰安婦」訴訟における主権免除』(http://justice.skr.jp/stateimmunity/stateimmunity-in-sexslave-cases.html)は、ドイツをめぐる裁判が、国際司法裁判所に持ち込まれた部分も含めて、論じているので、基礎知識を得るには、とても参考になる。いきなり横道にそれるが、この文章を読むと、戦後補償の優等生のように扱われ、日本はもっと見習うべき、とずっと言われてきたドイツは、実は、補償や賠償から、かなり逃げの姿勢が強かったことがわかって、興味深かった。
 日本政府は一貫して、国家免除の立場にたっている。被爆者がアメリカに賠償訴訟を起こしても不自然ではないが、日本政府はそれを認めず、日本政府が補償をしている。他方、アメリカは、必ずしも国家免除の立場にたっておらず、他国に対して訴訟を起こすことを否定していない。
 山本氏によると、ドイツは、ナチスの世界観による迫害に対しては、「補償」の対象とし、紛争時の民間人虐殺や強制労働などは、「賠償」の対象とした。そして、前者に対しては、国内法を整備して、補償をしてきたが、後者については、1953年のロンドン債務協定によって、平和条約が締結されるまで賠償を猶予するということで、放置したという。それが、1990年東西ドイツ統一で、ドイツに関する最終規定条約で、猶予期間が終了したとされて、各国の賠償請求が再燃した。ベルギー、スロベニア、ギリシャ、ポーランド、イタリア、フランス、セルビア、ブラジルで訴訟が提起されたが、ギリシャとイタリアを除いて、国家免除を理由として、各国の裁判所が却下した。イタリアでは、紆余曲折があったが、最高裁は、訴えを認めた。ドイツは、2008年に国際司法裁判所に提訴した。
 その際の争点は、山本氏によると、
1外交官などによる交通事故処理から生まれた国家免除の例外である「不法行為例外」があてはまるか。(イタリアはあてはまると主張し、ドイツは否定)
2個人が外国の政府を相手にした「裁判を受ける権利」があるか。(イタリアはあるとし、ドイツは否定)
 そして、国際司法裁判所は、ほぼドイツの主張を認めて、国家免除にあたると認定した。
 山本氏は、この判決には不満なようで、いくつかの疑問を呈している。
 まず不法行為例外について判断せず、単に国家免除の慣習国際法が存在することを認定しただけで、2についても、国家実行の調査を根拠に、イタリアの主張を否定した。そして、学説を考慮せず、各国の国家実行の相対多数で慣習国際法を認定しただけだとしている。
 韓国の慰安婦訴訟についての影響について、国際司法裁判所の判決は、あまり影響がないとしている。それは
・韓国は国際司法裁判所の管轄受諾宣言をしていない。
・日韓の間には、国際司法裁判所に付託する条約上の根拠がない。
・ドイツ・イタリア間の争いに対する判決は、他国に関係ないとされている。
 そして、慰安婦訴訟については、武力紛争の遂行過程ではなかったという理由で、慣習国際法の適用を受けない、裁判を受ける権利は保障されるべきだという観点から、おそらく、山本氏は、日本政府が原告の訴えを認めるべきであるという結論になっていると思われる。ちなみに、この文章は、昨年の夏に書かれたもので、今回の実際の判決を受けたものではないが、判決の内容は、山本氏の論理では明確だったのであろう。(また、この論文は、ソウルで行われたシンポジウムにおける報告なので、韓国よりの論調になっているのかも知れない。ただ、結論は韓国の主張をほぼ認めるものであるが、論理的にはしっかり構築しようとしていると思われる。)
 
 では、実際にだされた判決はどのようなものなのだろうか。徐台教氏の「全訳慰安婦訴訟についてのソウル中央地裁報道資料21.1.8)によってみていく。https://news.yahoo.co.jp/byline/seodaegyo/20210108-00216663/
 判決の論旨は以下のようにまとめられる。
ア 司法的な行為に対しては、国家を被告とすることもできるが、この場合主権行為である。
イ 国際司法裁判所は、武装兵力による個人への侵害は、民事訴訟手続にも、国家免除が適用されることがあるとした。
 (ここまでは、国家免責を認めざるをえないとする論理である。)
ウ しかし、計画的組織的な反人道的行為で国際法違反であり、不法占領中だっだ半島内で行われた行為なので、主権的行為でも、国家免責を適用できず、例外的に韓国に裁判権がある。そして、その根拠は
1韓国憲法27条1項、世界人権宣言8条
2国家免除は、手続的な要件であるが、その不備によって、実体法上の権利が歪曲されてはいけない。
3国家免除は恒久的な価値ではなく、修正されている。
41969年ウィーン協約による、絶対規範を離脱してはならず、2001年「国際違法行為に対する国家責任協約草案」の奴隷制および奴隷貿易禁止などがある。
5国家が反人権的な行為をした場合でも、民事の裁判権が奪われるのは、不合理であり不当である。
6国家免除理論は、国家の賠償と補償を回避する機会を与えるためのものではない。
 
 以上の判決をどのように考えたらよいだろうか。
 過去に起きたことの処理と、未来の姿は分けて考える必要がある。トランプが現れて自国主義を露骨に表明する政治勢力が現れたが、国際社会がますます緊密に結びついていくことについては、抑えることはできないし、EUのような国家連合が、他にも発展するようにも思えないが、経済協定などで、相互主義的な結びつきが強まっていくことは確実だろう。そういうなかで、権利を守ることが、国家主権の名の下で抑えられることは、ますます批判されていく。中国の人権抑圧に対して、多くの批判が起こるし、批判を内政干渉として否定することは、次第にできなくなっていくだろう。簡単にはいかないが、やはり、国際的な人権の保障が、制度としても整備されていくことは、重要である。そういう意味で、判決の5としてまとめた「国家が反人権的な好意をした場合でも、民事の裁判権が奪われるのは、不合理であり不当である」というのは、法律論としては、原則的に認めざるをえない。日本政府が、国家免除という名目で、人権抑圧があっても、提訴できないという理屈に固執することは、適切ではないというべきだろう。
 しかし、だからといって、韓国の慰安婦に対する保障に関する主張が正しいというわけではない。それは、政治論として検討される必要がある。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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