道徳教育ノート「ヨシト」

 久しぶりに道徳教育の教材をみてみた。今回は、奈良県教育委員会のだしている資料のなかから「ヨシト」という文章を選んでみた。中学3年生用の教材ということになっているが、私には、小学生用の文章ではないかと思われた。
 主人公はアツシだが、ヨシトという幼なじみの友人がいる。ヨシトの友人は、文章上では、アツシしかいない。あまり話さず、まわりに合わすことや場の雰囲気を察して振る舞うことが苦手なために、一人でいることが多く、いつもニコニコしている。小学校低学年のときは、よく一緒に遊んだが、高学年になると、アツシも他の友人と遊ぶことが多くなり、ヨシトは一人で自転車を乗っていることが多くなった。
 あるとき、ヨシトと話しているとき、コウジやタカフミが、話しかけてきて、ヨシトは変わったやつだという。そして、教室のみんなが自分をみている気がして、話しかけてくるヨシトを振り切って廊下に出てしまう。このとき、ヨシトに聞かれたテレビをみていたのに、みていないと答えてしまう。
 あるとき、ヨシトのことを書いた紙が回ってきて、みんながヨシトを笑っていた。アツシは、紙を握りしめた。
 ある日、部活を終えて帰宅すると、ヨシトが自転車のチェーンが外れているのを直している。「古くなったから新しいのを買ってもらったら」と勧めるアツシに、おかあさんが誕生日に買ってくれたものだからと答えるヨシト。ふたりの女子がヨシトを笑いながら透りすぎ、アツシは、「腹の底に何か熱い塊が生まれたことを感じた。」直ったのでヨシトを嬉しそうに笑い、アツシはしっかりと顔を上げた、と結んでいる。

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オリンピックの商業主義は、ロス大会とそれ以後はまったく違う

 田村淳さんの、聖火ランナー辞退を述べたyoutube映像をみた。実にきちんとした説明で、説得力がある。森会長の「たんぼのなかを走ればいい」という発言を受けて、まわりに人を集める必要がないのなら、タレントが聖火リレーをやる必要がないというのは、正論であると同時に、森会長の発言に対する痛烈な批判であり、たぶん、グーのねもでないだろう。実際に、組織委員会のメンバーが「おっしゃっていることはごもっともな話で、こちらも何ひとつ反論しようがないのが非常に歯がゆいところなのですが・・・」と述べているそうだ。(臼北信行「これはヤバイ「森失言」で五輪ボランティア消滅危機--ロンブー田村淳さん聖火ランナー辞退、ますます高まる反対世論」)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63956
 そして、昨日(2月3日)は、女性蔑視発言だ。いわずもがなの発言だと思うが、何故こんな愚かなことを言ってしまうのだろう。本当に不思議である。しかも、この会議はオンラインで行われていて、多くのメディアに公開されていたという。ということは、そのまま録画可能だということだ。この話を最初聞いたときに、さすがの森会長も、いろいろと言われるし、オリンピック開催の可能性がほとんどなくなってきたので、嫌気がさし、投げ出すきっかけに暴言を吐いたのかと思ったほどだ。しかし、今日(2月4日)の釈明会見を見ると、そうではなく、本心を吐露しただけのようだ。釈明会見だから、発言を撤回して謝罪していたが、だれかが書いたメモを、いやいや読んでいる感じで、自分の本意ではないというのが、あからさまに出ていた。

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本能寺の変の謎について

 youtubeで本能寺の変についての諸説を解説する映像をみた。簡潔にまとまっていて面白かったが、結論としては、結局どの説がもっとも説得力があるのかは、まったくわからず、すべての説が問題あり、という感じになっている。そして、最後には、本能寺の変をあまり重大に扱うことこそが、問題だなどという説まで出てくる。最近は、あまり読まないが、若いころは信長ネタを大分読んでいたので、遊び心になるが、現在の私の「印象」を書いておきたい。専門家ではないので、詳細な資料を読んでのことではないし、気楽な印象だが、たまにはいいだろう。
 youtubeでは、大きく怨恨説と黒幕説にわけ、それぞれ細かくわけていた。私は、怨恨説はどれも間違いであるように思う。そもそも、ほとんど無名の侍だった光秀が、大名にまで取り立てられているのだから、不満をもつのも妙だし、家康の供応の不始末とか、比叡山の焼き討ちに反対したとか、領地を召しあげられたとか、そういう怨恨説の根拠は、いずれも否定されているし、また、そんなことを起きるのか?という、疑問だらけの根拠だ。

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東京は巨大なスーパースプレッダーと言われてしまった

 「東京五輪は巨大なスーパースプレッダーの可能性 豪州メディアが日本のコロナ対策を批判」という記事が、シドニー・モーニング・ヘラルドに出たとして、中スポがそれを紹介している。前、バッハの発言を誤訳した朝日の記事に基づいたブログを書いてしまったので、今回は、念のために、その記事を原文を読んでみた。
Tokyo Olympics plan is tempting disaster (https://www.smh.com.au/national/tokyo-olympics-plan-is-tempting-disaster-20210125-p56wim.html)という記事で、誰でも読める。私が読んだ限りでは、今回の要約的紹介は、間違っていないと思う。要点は、日本のコロナ対策は、先進国のなかでも最低の部類で、コロナ対策、特にワクチン接種が十分に実施されると考えるのは、非現実的である、日本は検査もあまりしていないし、緊急事態の対策もお願いレベルだ。最高でも、団体競技はせず、観客がおらず、聖火は無人の通りをレリーする、それでも、途中で、審判やボランティアがいなくなり、競技が中止され、レストランは閉じてしまう可能性がある、ということだ。

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またいじめの隠蔽が(加古川) 政策を変えねばいけない

 2016年に兵庫県加古川市で起きた、いじめによる自殺をめぐって、学校と教育委員会の隠蔽体質が問題となっている。いくつかの新聞が記事を載せているが、どうも分かりにくいので、情報を突き合わせて、整理してみた。
 報道では、今年になって、いじめ自殺によって設置された第三者委員会の報告書を、共同通信が入手し、隠蔽の事実が明らかになったという内容だが、何故、突然今年になって、これまで公表されていなかった第三者委員会の報告書を、報道機関が入手することができたのか書いていないのである。取材源の秘匿とか、そういうことではないように思われる。なぜなら、第三者委員会の報告書は、公文書なのだから、入手したとしても、密かに内部通報があったわけではあるまい。新聞記事は、ときおり、こうした不明な部分があるのが、こまったことだ。

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読書ノート『戦争と平和』トルストイ4 マリヤとソーニャ

 トルストイは女性の描き方が非常にうまかったと言われている。確かに、『戦争と平和』には、多数の女性か登場する。一般的に最も魅力的な女性としてナターシャがいるわけだが、私は、違う女性の描き方に興味をもっている。それは、アンドレイの妹のマリヤと、ナターシャの従姉妹のソーニャである。この二人は、あらゆる面で異なっている。しかし、最終的には、同じ屋敷内で生活することになる。
 マリヤは、トルストイの母親がモデルであるとされ、どこまで似ているのかはわからないが、しつこいほどに強調されているのみ、容貌が醜いという点である。

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教育学を考える23 書くこと -生活綴り方

 『教育』2月号に田中孝彦氏の「子ども理解入門Ⅰ」という文章が掲載されている。生活綴り方で子どもの理解を深めてきたという、自身の研究歴をふり返った文章である。そこでは、生活綴り方が、子ども理解の方法と捉えられていることに、多少違和感をもつ。Ⅱが5月号に出るということなので、詳しい田中論文の検討は、それまで待つとして、直接生活綴り方運動には参加したことはないが、ずっと関心をもち、また、大学の講義でも必ず扱ったことなので、ここで少し整理しておきたいと思った。
 生活綴り方は、さまざまな理解があって、生活綴り方運動を担ってきた日本作文の会でも、大きな論争がかつてあった。それは、生活綴り方が始まった理由、そして、戦後の発展と文部行政の展開のなかで、生活綴り方運動が変遷をたどってきたからである。では、どんな論点があるのか。強調点としてあげられることを整理してみよう。

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新型コロナウィルスとインフルエンザ ファクターXは存在しないのではないか

 いまだに、新型コロナウィルスとインフルエンザは、同程度の病気なのか、それとも異なるのか、医療専門家のあいだですら見解が分かれている。死亡数については、インフルエンザは毎年約3000名、新型コロナウィルスはこの一年で、今日現在5452名である。単純に、死亡率を見ると、インフルエンザは0.3%、新型コロナウィルスは1.45%になり、はるかに、新型コロナウィルスのほうが恐ろしい病気だということになる。しかし、この数字は、かなり実数とはかけ離れていると思われるのである。というのは、ここが、われわれ一般市民にとっては、大きな相違なのだが、インフルエンザは、かかったと思ったら、気軽に開業医にいって、検査してもらい、そして、薬を受けることができる。よほど症状が悪化しないかぎり、その薬を飲んで、自宅で療養する。しかし、新型コロナウィルスは、症状がでて、おかしいと疑っても、開業医にいって検査してもらうことはできない。まず、開業医のほうでも、ゾーニングなどが行われていないところでは、診察そのものを断られるかも知れない。そして、保健所に電話して、煩雑なプロセスを経てやっと検査を行われる。しかし、陽性になると、今度は逆に、インフルエンザではありえない、濃厚接触者なる人が割り出され、検査を受けるように、保健所から求められる。インフルエンザが疑われても、医者にいかず、自宅でじっと休息するだけの人も多いだろうが、おそらく、薬があるから、多くの人は、医者にいくだろうし、陽性であれば薬がだされるので、感染者(=発症者)の数値が、現実に近いものが得られるはずである。しかし、新型コロナウィルスの場合は、気軽に検査できないし、やってもらえない状況がずっと続いているから、実際の感染者数(発症者数とは異なる)と、統計的に表れた数値とは、かなり異なることが考えられる。

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読書ノート『戦争と平和』トルストイ3

 男性の主要人物として、2番目に重要なのがアンドレイ公爵である。アンドレイは、トルストイ自身の理性的で勇敢な部分を描いていると言われている。アンドレイは、二度の戦争に参加して、多くの貴族たちとは異なって、実際の戦闘場面に配属されることを望んでいる。トルストイ自身も、セバストポリの戦闘で勇敢に闘ったとされており、当時既にいくつかの小説を発表して、優れた才能を示していたのだが、その小説を読んだニコライ二世が、危険な戦場から離すように命令をしたという逸話が残っている。もちろん、大作家であり、平和のための理論家であったトルストイは、極めて知性の高い人物だった。そういう側面をアンドレイ公爵という人物に託したことになる。
 ところが、非常に理性的であるといっても、理解しがたい行動をいくつかとっている。特に妻(リーザ)と婚約者(ナターシャ)に対する態度は、多くの読者は共感できないのではないだろうか。

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IOCバッハ会長の呆れた言葉 (訂正版)

 森委員長とバッハ会長の電話会談が行われ、開催することが一致したという。しかし、30分の予定が1時間かかったということで、やはり、中止の可能性について話がでたのではないかという憶測を呼んでいる。
 私が驚いたのは、バッハ会長の発言のなかに、「日本人に忍耐を求める」という言葉があったことだ。国民が忍耐をしなければらないうような大会であることを、会長、つまりトップが要請しているということだ。一連の最近の流れをみれば、IOCがどうしても開催したいのは、結局テレビ放映権料を得たいということではないかとしか、考えられない。そう思っているひとは、たくさんいるようだ。他方、日本政府や東京都がやりたいのは、インバウンドによる経済効果を求めているからだろう。しかし、現在の状況では、無観客でやるという雰囲気作りが行われている。無観客ということは、コロナが終息していないことを意味するわけだから、外国人を禁止するのが妥当だろう。そうすると、日本政府や関係者か期待する経済効果は、ほとんど望めないことにる。NHKの企業対象のアンケートによると、6割が開催すべきであるとして、理由は経済効果である。経済効果をあげるためには、外国人の来日を許容する、あるいは奨励するしかない。それは、コロナが終息していないという前提なのだから、感染が再爆発する可能性が高い。

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