読書ノート「十二月党員」(トルストイ)

 トルストイの「十二月党員」は未完の小説の第一章で、しかも書き直しが複数ある。トルストイ全集3巻(河出書房新社)には、3編が収録されている。
 『戦争と平和』を先日読み終えて、高橋精一郎氏による、最終巻の解説を読むと、『戦争と平和』が最初デカブリスト(十二月党員)を描くことから構想し、次第に時代を遡って、ナポレオンとの戦争にまで至ったという話は、既に知っていたが、デカブリストを描いた断片があり、その部分は、流刑から戻ったピエールとナターシャ、そしてその子どもたちがモスクワに宿をとる部分であると書かれていた。『戦争と平和』の最後の部分では、ピエールがペテルブルクに出かけて、政治的な結社の仲間と相談して帰宅した場面が描かれている。予定を過ぎてもピエールがなかなか帰らないので、ナターシャがいらいらしている。たまたまそこに、昔ナターシャにプロポーズしたデニーフソが滞在していて、昔の生き生きとして魅力的だったナターシャの姿とは全く違うので、驚いているのだが、ピエールが帰った途端に、昔のナターシャに戻ってしまうという場面がある。そして、そのあと、みんなが楽しみにしていたお土産が配られ、そして、ペテルブルクでの話が若干語られる。しかし、具体的なことは明らかにされないのだが、何となく、やがてデカブリストとして登場する人たちのことだと想像されるように書かれているのである。その後、アンドレイ侯爵の息子が亡き父を思う場面で物語は終了してしまう。そして、トルストイの戦争論がながながと展開されることになる。

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矢内原忠雄と丸山真男19 矢内原の朝鮮統治政策論

 矢内原忠雄は、東大の植民地講座の教授であったにもかかわらず、朝鮮への学術調査をすることがほとんどできなかった。もちろん、彼の意志ではなく、公的機関が妨害したからである。従って、非常に残念なことに、矢内原の朝鮮植民地政策に関する論文は非常に少ない。だが、「朝鮮統治の方針」(全集1巻の『植民政策の新基調』所収)を読むと、政府が矢内原の朝鮮調査を妨害した理由がよくわかる。逆に、矢内原自身の説明によると、この論文は朝鮮人に感激をもって読まれ、多くの手紙を受け取ったという。これは、現在でも続いている日本による朝鮮統治の性格をめぐる議論でも、きちんと取り上げられるべき論文であると思う。 
 「朝鮮統治の方針」という論文は、1926年4月に、李氏朝鮮王朝の最後の王が、逝去したとき、民衆が葬儀の列に、多数集まって、慟哭したというが、官憲が追い散らしたという事実を最初に書いている。「ここに至って何たる殺風景」と記しているのであるが、そのあとすぐに、李大王が1919年に死去したときに、3.1独立運動が起きて、長期的、かつ暴動に発展するような事態になったことを回想せざるをえないとしている。このことが、本論文を書くきっかけになったものであり、『中央公論』1926年6月号に発表されている。李王の逝去とその後の朝鮮民衆の行動、そしてそれを押さえ込んだ日本の官憲に対しての憂慮から、一気に書かれたものだろう。

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文章校正ツールを試してみた

 私自身、このブログを書くときに文章校正ツールを使っている。ジャスト・システムの「Just Right6」である。一太郎に入っているものと同じなので、一太郎を使うこともある。ただ、私のもっている一太郎は2018年バージョンなので、いまは新しくなっているかも知れない。
 今日、ネットをみていたらスポーツ報知の記事「古舘伊知郎氏、小池都知事の欠席意向に「全く無責任。かつて『排除します』と。自分を排除してどうするんだ」」が目に入ったので読んでみた。昨日ゴゴスマでこの発言を聞いていたからだが、次のような文章だ。
 
 「10日放送のTBS系「ゴゴスマ~GOGO!Smile!」(月~金曜・午後1時55分)では、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の女性蔑視発言を受け、近く開催予定の東京五輪のトップ級4者会談について、東京都の小池百合子知事が「今はポジティブな発信にならないと思うので私は出席することはない」と欠席の意向を明かした一件を取り上げた。
 リモート出演したフリーアナウンサーの古舘伊知郎氏は「全く無責任だと思いますね。東京オリンピックですからね。パフォーマンスであろうがなかろうが。かつて『排除します』という発言で大変なことになった小池さん。こんな需要な会議に自分を排除してどうするんだと思います」とコメントした。」

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皇族の結婚 毎日新聞が識者の見解を掲載しているが

 真子内親王と小室圭氏の結婚問題は、昨年、秋篠宮が親として結婚を認める発言をして、更に、真子内親王が、結婚は生きるために必要なことだというような趣旨の文章を発表することによって、進むかと思われたが、宮内庁の長官が、小室氏に説明責任を求める発言をして、またまた停滞感が漂っているように見える。久しぶりだと思うが、毎日新聞が識者なるひとたちの見解を並べて掲載した。
 山猫総合研究所代表取締役の三浦瑠麗氏
 大阪大学客員教授の津田大介氏
 政治史研究者の君塚直隆氏の3人である。
 少しずつ論点が異なっており、三浦氏が、基本的に本人の自由で、外野がとやかくいうようなことではないというのが趣旨だ。小室氏が、金銭や名誉欲で結婚しようとしているという、「男性が女性を養って当然」というような価値観からの批判だと、それに対して違和感を呈している。皇族との結婚によって、プライバシーがある程度さらされることはやむをえないが、基本的には、他人の結婚には干渉すべきではないと述べている。

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森発言に驚いたこと

 オリンピック組織委員会会長の森氏の発言の波紋が、まだ続いている。いろいろなことが報道されて、掘り起こされているが、驚くことが少なくない。例えば、発言があった翌日、森氏は発言撤回とお詫びの会見を開いたが、その前に、辞任の意志をある程度固めていた森氏に、そういう報道があったことを受けて、武藤副会長が、懸命に慰留して、それで森氏は辞任の意志を撤回したのだと、毎日新聞が報道していた。もっとも、それは、森氏が毎日新聞の記者に語ったことであって、他には報道されていない。しかも、まわりにいた人は、涙を流していたというのだから、かなり時代がかった内容で、そんなことが本当にあったのかどうかは、不明だ。それより、私が驚いたのは、武藤氏が「組織委員会の5000人はどうなるのか?」と、森会長に迫ったというのだ。私の認識不足といえば、それまでだが、オリンピック組織委員会って、5000人もいるのかと、今更だが、びっくりした。委員会メンバーの給与が高すぎるというので、ずいぶん問題になっているが、給与の高さだけではなく、支払われる数もずいぶん多いことになる。本当にそんな大勢の委員が必要なのだろうか。出向が多いともいうから、出向元が給与を負担しているという場合もあるだろうが、とにかく、人数にびっくりした。日本の労働者の生産性の低さは、しばしば問題になるが、おそらく、オリンピック委員会の生産性も、それほど高くないに違いない。

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動物福祉に対する率直な疑問2

 今日は、昨日整理だけしておいて、説明をしなかった部分について書きたい。昨日、人間と動物の関係を、乱暴だが、以下のように分類した。
 
1 野生の動物。狩猟や漁業で、人間が食料として捕獲する動物と、人間との関係は基本的にないが、餌がなくなって、野生動物が、人間の住む地域に出てきたり、人間が植物採集やハイキングなどで、動物の領域に入り込んで出会うことがある。
2 鑑賞やペットして、人間が飼っている。
3 人が動物を活用している。実験用と食用、興行用がある。
 
 近年日本では、野生で生息している動物が、人間の居住空間に出てきて、農産物を荒らすとか、あるいは住宅地域に出てきて、食料をあさっているなどの「被害」が増加している。もちろん、その原因はあきらかで、動物が生きている空間で食料が乏しくなった結果と、とくにサルなどは、人間の空間にいけば、より美味な食べ物があることを学習していることもあるだろう。動物も、それなりに知恵をつけて、人間が住んでいる地域にでかけても、危害を加えられることはないと分かっているのかも知れない。

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動物福祉に関する率直な疑問

 吉川元農相の収賄罪に関連して、日本の採卵鶏の飼育が、国際基準から大きくかけ離れていることを批判する文章があり、あわせて「動物福祉」を推進する必要が説かれている。「「動物福祉」問われる日本の姿勢 浮き彫りになった世界とのギャップ」(全国新聞ネット2021.2.7)である。しかし、私は、どうもこの手の議論には、全面的に賛成ということには、抵抗がある。日本でも、法的に野生の動物を保護する規定があり、むやみに野生動物を捕獲したり、殺傷することは許されない。また、動物実験などでも、それなりに配慮がなされているように思われる。それでも、不足だという見解も多いことは知っているのだが、これは、あまり科学的エビデンスに基づくというよりは、価値観的立場の問題だと思うので、自分なりの考えを整理してみたいと思った。

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森発言のもっと大きな問題

 森オリンピック組織委会長の「女性理事が増えると会議が長くなる」云々の発言が、更に話題として拡散して、批判に曝されている。毎日新聞によると、森会長の20代~30代の女性中心の署名活動には、瞬く間に10万を超える署名が集まったという。森会長の挨拶のときの評議委員会で、笑いがおき、誰も抗議するものがいなかったことも、批判されている。私がネット上でみている限り、森発言を支持する投稿はない。ここも妙なところだ。何故なら、政府関係者やオリンピック開催支持派のひとたちは、森氏を強く支持しているわけで、辞任には賛成しないといっても(例えば橋本オリンピック担当大臣)、内容にはほとんどの人が反対している。
 しかし、森氏の発言は、思わず出た失言ではなく、普段から思っていることをそのまま率直に言ってしまっただけのことで、いわば確信をもった内容だろう。だからこそ、笑いが起きた。つまり、同意するひとたちが、評議員ではほとんどだった。それなのに、森氏は正しいことを言っている、と擁護もしないのだ。「誰も擁護してくれいなのか、ばかばかしい、俺はこんなに一生懸命やっているのに」といって、森会長が辞任してくれるといいのだが。辞めようとしたが、強く慰留された、とご本人は言っているようだが。

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道徳教育ノート「ヨシト」

 久しぶりに道徳教育の教材をみてみた。今回は、奈良県教育委員会のだしている資料のなかから「ヨシト」という文章を選んでみた。中学3年生用の教材ということになっているが、私には、小学生用の文章ではないかと思われた。
 主人公はアツシだが、ヨシトという幼なじみの友人がいる。ヨシトの友人は、文章上では、アツシしかいない。あまり話さず、まわりに合わすことや場の雰囲気を察して振る舞うことが苦手なために、一人でいることが多く、いつもニコニコしている。小学校低学年のときは、よく一緒に遊んだが、高学年になると、アツシも他の友人と遊ぶことが多くなり、ヨシトは一人で自転車を乗っていることが多くなった。
 あるとき、ヨシトと話しているとき、コウジやタカフミが、話しかけてきて、ヨシトは変わったやつだという。そして、教室のみんなが自分をみている気がして、話しかけてくるヨシトを振り切って廊下に出てしまう。このとき、ヨシトに聞かれたテレビをみていたのに、みていないと答えてしまう。
 あるとき、ヨシトのことを書いた紙が回ってきて、みんながヨシトを笑っていた。アツシは、紙を握りしめた。
 ある日、部活を終えて帰宅すると、ヨシトが自転車のチェーンが外れているのを直している。「古くなったから新しいのを買ってもらったら」と勧めるアツシに、おかあさんが誕生日に買ってくれたものだからと答えるヨシト。ふたりの女子がヨシトを笑いながら透りすぎ、アツシは、「腹の底に何か熱い塊が生まれたことを感じた。」直ったのでヨシトを嬉しそうに笑い、アツシはしっかりと顔を上げた、と結んでいる。

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オリンピックの商業主義は、ロス大会とそれ以後はまったく違う

 田村淳さんの、聖火ランナー辞退を述べたyoutube映像をみた。実にきちんとした説明で、説得力がある。森会長の「たんぼのなかを走ればいい」という発言を受けて、まわりに人を集める必要がないのなら、タレントが聖火リレーをやる必要がないというのは、正論であると同時に、森会長の発言に対する痛烈な批判であり、たぶん、グーのねもでないだろう。実際に、組織委員会のメンバーが「おっしゃっていることはごもっともな話で、こちらも何ひとつ反論しようがないのが非常に歯がゆいところなのですが・・・」と述べているそうだ。(臼北信行「これはヤバイ「森失言」で五輪ボランティア消滅危機--ロンブー田村淳さん聖火ランナー辞退、ますます高まる反対世論」)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63956
 そして、昨日(2月3日)は、女性蔑視発言だ。いわずもがなの発言だと思うが、何故こんな愚かなことを言ってしまうのだろう。本当に不思議である。しかも、この会議はオンラインで行われていて、多くのメディアに公開されていたという。ということは、そのまま録画可能だということだ。この話を最初聞いたときに、さすがの森会長も、いろいろと言われるし、オリンピック開催の可能性がほとんどなくなってきたので、嫌気がさし、投げ出すきっかけに暴言を吐いたのかと思ったほどだ。しかし、今日(2月4日)の釈明会見を見ると、そうではなく、本心を吐露しただけのようだ。釈明会見だから、発言を撤回して謝罪していたが、だれかが書いたメモを、いやいや読んでいる感じで、自分の本意ではないというのが、あからさまに出ていた。

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